第一話 「非現実な現実」
第一話「非現実な現実」
さかのぼること十数時間。僕は半分寝ながら世界史の授業を聞いていた。
「第二次世界大戦と第一次世界大戦の出来事のひっかけはよく入試にも出るぞー。」
来年度に控えた大学受験に、先生たちもそれを意識した授業スタイルになり始めていた。
「ドイツのポーランド侵攻は、どっちかわかるか? 瀬戸」
クラスの瀬戸があてられる。
「えーっと、第二次?」
「正解だ。じゃあタンネンベルクの戦いはわかるか? 大森」
「うーん、どっちだっけ、第一次ですか?」
「よろしい。正解だ。じゃあ、アメリカのシリア封鎖はどうだ? 桜木。」
僕があてられた。一気に眠気が覚める。
「シリア封鎖…。えっと、それは第三次世界大戦じゃないですか?」
先生が少し黙って、言った。
「正解だ。先生の意地悪なひっかけにかからなくて偉いぞ。第三次世界大戦もたった七十年前のことだけど世界史として入試で結構出るぞ。みんな注意しておくように。」
「七十年が『たった』って、先生年寄りすぎー」
クラスの女子がちゃちゃを入れる。
「なっ、先生はまだ五十だぞ。長い歴史の中で見れば七十年はほんの少しって意味でだな」
そこで、チャイムが鳴った。皆せかせかと教材を鞄にしまい始めた。
「よしじゃあ今日はここまでだ。来週は第三次世界大戦メインで授業するから、予習しておくように」
先生がそう言って教室から出ていくと、瀬戸や大森が僕の机にやってきて不満を垂れる。
「世界史の先生おれらばっか当ててね?」
「来週マジで予習してこねえと恥かきそうだなー」
二人はまくしたてる。
「今日は二択だったからギリ助かったけどな」
「さっきの桜木ファインプレーだったな! あんなの良く分かったなー」
大森が僕の肩をたたいてそう言った。
「いやー自信はなかったんだけどさ。あの先生ああいうひっかけ方してきそうじゃん?」
僕は体操服を取り出しながらそう答える。
「あ、読みで第三次って答えたの? よくやるわーそんなの」
大森が変な顔でそう言った。
「そういや次体育じゃん! ダッシュで更衣室行かねえと! 行くぞ桜木!」
瀬戸が僕の腕をつかむ。そしてすぐ、思い出したように手を離した。
「あ、違うわ。桜木は…そうか。わるいな。行ってくるわ!」
そう言って、瀬戸と大森は更衣室へ走っていった。僕は少し遅れて体操服をもって教室を出る。そして、一人空き教室に入った。
僕は体育のこの着替えの時間が嫌いだ。小学校の頃から僕だけなぜか別室で一人で着替えているのだ。母が入学のたびに学校にそうするよう頼んでいるようだ。母は普通の人が気にしないようなことを妙に気にするたちで、我が子が大勢の知らない高校生と着替えをするのがどうにも落ち着かないらしい。しかしいつも優しくて、パートで働いてくれている母に文句を言って心労を増やしてしまうのも気がひけるので、この件はもうそういうものとして我慢することにしている。父も同じ考えでこの件はスルーしているらしい。まあおかげで円満夫婦なので文句はない。しかし友達の間で僕の親が変な宗教に入ってるんじゃないかとか、僕の体には刺青が入ってるんじゃないかとか妙な憶測を呼んでおり、本当に恥ずかしいし居心地が悪いのでこの時間は嫌いだ。そんなことを考えながら、いつも通り着替えを済ませた。
そうだ、ちょっとお腹空いたし、まだ三限だけど早弁するか。
着替え終わって少し時間が余ったので、朝買っておいたコンビニのから揚げを手さげカバンから取り出す。これが一番旨いんだ。誰もいない空き教室でこっそり食うから唐揚げは体にしみこむようにうまかった。…いや、唐揚げが染み込むようにうまいなんて表現としておかしいな。アイスとかアクエリならまだしも。しかし確かに染み込むような感覚があったのだ。鶏肉の何かしらの成分が体に染み込んでいく感覚。なんか妙だな。まあ、いいか。
そんなことは忘れいつもどおり空き教室を出て、グラウンドでクラスメイトと合流する。今日はハンドボール投げの測定の日だった。
「よし! 全員そろったな。じゃあ俺が投げるフォーム見せるから全員真似してみろ」
筋肉隆々の体育の先生が大声でそう言い、体を動かして見せた。そしてみんなもそれに合わせて動く。
「おっけー、大体そんな感じだ。じゃあ各自練習に入れ!」
先生がそういうと、一人の生徒が手を挙げた。
「すみません。僕左利きなんですけど、左利き用のフォームも見せてもらっていいですか? 」
先生は少し困ったような顔をして、
「あー、そうだな…。俺はちょっと倉庫からボール取ってくるから、そこの野球部に教えてもらってくれ」
と言った。
そういえばあの先生は左利きの子に何か聞かれたときはいつも自分でやって見せずに誰かに頼んでいる。よく見ると先生は、筋肉で膨らんだ全身のなかで左腕だけ若干細いような気がする。たしか、左側から飛んできたボールをわざわざ振りむきなおして右手でキャッチしているところを見た覚えもあるな。僕は一人でそんなことを考えていた。
あの先生、左腕だけ力が弱いのかな? 何となくそう思い至った時、頭の中に妙な音が響いた。
パチッ
なんだ? この音。辺りを見渡したが、いつも通りのグラウンドとクラスメイトたちしかなかった。
「今の音なんだと思う?」
僕はクラスメイトに聞いてみたが、
「音? なんかしたっけ、普通にボール投げる音じゃなくて?」
と言われた。なんだったのだろう。直接響くような音だったし、骨の鳴る音か何かか? でも妙に聞き覚えがあったような気もするな...。
いろいろと考えていると、自分の左手に妙な違和感を感じた。
「なんかしらねえけど、とりあえずキャッチボールしようぜ桜木」
「あー…うん」
言われるがままにボールを握って投げてみる。なんとなく、左手で。すると今までにないほどの力が急に左腕にみなぎるのを感じた。ボールはすごいスピードで飛んでいき、向かいでグローブを構えていたクラスメイトに激突した。
「ちょっ、急に本気で投げすぎだって! てか速いな球。桜木野球とかやってたっけ?」
「いややってない…。僕もびっくりしたよ」
「まあいいか。次はちゃんとキャッチするから全力できていいぜ!」
クラスメイトはそう言ってくれたが、結局この時間は怖くなってもう左手で投げるのはやめた。右手はいつも通りのヘロヘロ球しか出ず、アツくなっていたクラスメイトには少しがっかりされた。
***
「今朝のビオミシン反応、間違いなくこのあたりで発生していたはずなんですがね…。肝心の能力者はどこなんでしょうか」
乗用車の助手席に座る小柄な女性がノートパソコン片手にそうつぶやいた。
「この辺で張っといたらそのうち出てくるんちゃうん?」
その女性に対し、髪をオールバックにした若い男が後部座席から返した。
「だから…。ほんとに坂井さん人の話聞かないですよね。そんなに悠長にしてる暇ないんですって」
小柄な女性はため息をついた。坂井さん、と呼ばれたその若い男はオールバックに固めた頭をポリポリと書きながら、
「なんでなんやったっけ? 教えてーな里美ちゃん」
と言った。里美ちゃんと呼ばれたその小柄な女性は眼鏡をクイと抑えながら答える。
「あのビオミシン反応は、確証はないですがおそらくアーヘン共和国特有のものなんです」
「アーヘンかいな。そうなると…それだいぶやばいんちゃうの」
「そうですよ。だから言ってるんじゃないですか」
二人は何やらよくわからない単語を連出させながら会話を続ける。
「だから今回の件には列強諸国も兵を送ってくるんですよ」
「ほえー。大変なことなっとるんやな。ほんで、ビオミシン反応発生源の能力者はどんなやつやねん」
「我々の予想が正しければ、この少年です」
里美は、振り返ってノートパソコンを坂井に見せる。
「おおー。こいつまさかこんなことなってるなんて思ってもないんやろなー。えっと名前が…桜木、隼人か」
***
「くっそ旨い」
僕はさっきも食べたコンビニのから揚げをまた食べていた。放課後食べるのがが一番旨いな。でも、さっきのような体に何かが染み込むような感覚は無かった。あれは何だったのだろうか。他事を考えながら、行儀悪く唐揚げの歩き食べをする僕。その行儀の悪さが祟り、人にぶつかってしまった。
「あ? てめェ何処みて歩いてンだ」
ぶつかった相手が悪かったようだ。漫画に出てくるようなヤンキーを引いてしまった。こんな奴今時実在するのか。でも恐いし謝らないとな。
「すみません! 僕がよそ見していました!」
「いってえなァ。てめェ慰謝料払えや。骨折れたから。マジで」
「いえ、すみません! あの、お金今持ってなくて、ほんとにすみません!」
「あーだりィなてめぇ。金無ェならちょっと一発殴らせろや。今日新しい金属バット買ったとこなンだわ」
ヤンキーはそういうと、後ろ手に持ったバットを振りかぶった。
「すみません! やめてください! ほんとに! 許してください!」
僕の必死の謝罪もむなしく、バットは振り下ろされた。
高い金属音と共に、バットが地面と衝突する。あぶなかった。もう数センチでぶん殴られるところだった。
「あァ新しいバット使いづれェわー。てめえ逃げんじゃねえぞ?」
ヤンキーはじりじりと僕に近づき、僕は後ずさる。そうしているうちに徐々に狭くて暗い道に入ってしまい、どんどん逃げ場がなくなっていた。
ガキィン
再びバットが地面を殴る。またも僕は命拾いした。本当にこわいな...。
「クソッ。てめぇ舐めンじゃねえぞ?コラ」
ヤンキーがそう言ってバットを振りかぶり、コンクリートと金属のぶつかる高い音が響く。振り下ろされたバットはまた僕を打たず空振りした。あれ?まさかこのヤンキー…。
またも、金属音。地面と金属バットは良い音を鳴らす。
バット使うの、下手なんじゃないか?
それに気づいた瞬間、頭に先ほど聞いた音がまた鳴り響いた。
パチッ
僕はあわてて周囲を見渡したが、そんな音を出しそうなものは一つもなく、またバットの振り下ろされる音とも明らかに違った。なんなんだ?
「あ? てめェよそ見してんじゃねえぞ」
またバットが振り下ろされたがそれも空を切り、僕には当たらなかった。やはり下手なのだ、このヤンキー。しかしこのまま何も手を打たずにいてはいつかまぐれで殴られてしまう。
そして体育の時に左手に感じたような違和感が今度は両腕にあった。さっきの音と言い、腕の違和感と言い、僕の体に今朝から何が起きているのかは皆目見当もつかない。だが僕の体はどうにも、このヤンキーからバットを奪って戦うよう訴えているように感じられた。
ガキィン
またもバットの空振り。気づくと僕の両腕はとっさにそのバットをわしづかみにし、奪い取ろうとしていた。ヤンキーは何度も地面を殴って手が痛んでいたのか、握力があまり残っていない様子で、簡単に奪うことができてしまった。
「てめェなにやってんだコラ! マジでぶち殺すぞボケ!」
その咆哮は怖くて仕方がなかったが、僕の体は止まらなかった。そして僕の腕は先ほどからの違和感に誘われるままに、バットの扱い方だけを熟知しているかのように、僕の意識とは全く独立して何かが憑依したように巧みにバットを振るった。
バットは軽い力でヤンキーの顎部を絶妙に掠め、ヤンキーは気絶した。
本当に何が起きているんだ? 僕は腕を見つめる。今のは本当に僕の動きか? バットなんて今までうまく振るえたことはないし、野球の授業ではさっきのヤンキーよりもひどい空振りを繰り返していた。全く訳が分からない。しかし今はバットを完璧に操る術が腕に染みついているような感覚がある。体育の時間以降、左手の違和感もずっとある。
現状は正直何もわからないが、とりあえずヤンキーから逃げることは叶いそうだ。バットだけは気を失ったヤンキーに返して、僕はその場から逃走した。
***
「兵士派遣してきてる国ってどこなん?」
先ほどの乗用車の中にて、坂井が聞いた。
「はぁ。本当にさっき全部説明しましたけどね。聞いてない坂井さんの落ち度なので私は二度目の説明する義務全くないんですけどね。一応説明しますけどね」
イライラして脚韻を踏む里美。
「たのむわー。結局説明してくれるんが里美ちゃんのいいとこやしな!」
「調子に乗らないでください」
バックミラー越しに坂井をにらむと、里美は説明をし始めた。
「能力者兵の派遣を発表している国は、ロシアと中国、それとイギリスですね。同盟国アメリカからの支援も今回はありません」
「発表してる言うても、全部秘密裏にやろ?」
「当たり前でしょう。何もかも国家秘密級ですよ。そんな揚げ足とるならもう教えてあげませんよ」
「ごめんて。いやけどやばいなほんまに列強やん。ほんでアメリカの支援もなしかいな」
「ええ。それほど桜木君の件は世界中にとって重要ですから。アメリカもおいそれと支援を決めては今後の情勢での立ち位置を変えかねません」
すると今まで黙っていた、運転席に座るスキンヘッドの男が口をはさんだ。
「その中で、最も初動が速いと予想される国はどこだ」
よく響く男の低音に、里美が答える。
「そうですね…。あくまで予想ですが、今までの能力戦のデータから考えるとやはり…」
少し首をひねって、里美は続ける。
「ロシア、でしょうか」
***
「Эй, парень. Повернитесь немного. (おいガキ。ちょっとこっち向け)」
なんだ、この人。
僕は突然外国人に話しかけられた。道でも聞かれているのかと思ったが、どうもそうではないらしく、しきりに僕の顔を眺めている。スマホのようなものを取り出して僕の顔と見比べているようだった。
「А. Я думаю, он правильный парень. (あー。こいつであってそうだな)」
何やらわからない言語でそういうと、鞄から黒くて大きい何かを出した。ぱっと見ではそれは何かわからなかったが、よく見るうちに、カメラのピントが徐々に合っていくようにそれが何かを理解した。
銃だ。
黒いそれが何かという事が理解できると、もっと理解できないことが増えた。何が起きているんだ? 外国人が突然僕に銃を突きつけた? コントか?
「あー。ナイスジョーク。アーユー メイキング サム ムービー? right?」
と、僕はへらへらしてみる。しかし、
「Не говорите по-английски. Ты что, не видишь этот пистолет? Ты не можешь убить меня здесь, так что иди туда. (英語しゃべってんじゃねえ。この銃が見えねえのか? ここじゃ殺せねえから向こうの駐車場まで行け)」
と、怒り調子の異言語で銃を押し付けられた。何もわからないが、剣幕に押されるままに歩かされる。さすがにこの人が国際的なテロリストか何かだったとしてもこんなに白昼堂々銃をぶっ放したりはしないはずだ。おそらく今僕はそうまずい状況にあるわけではない。そう考えてながら、歩かされるままに近くの駐車場についた。
「あーえっとー。これは何が始まる感じなんでしょうか…。海外ドッキリ?」
「OK. Здесь никого нет. Тогда умри. (よし、ここなら人もいねえな。じゃあ死んでくれや)」
外国人の男は突きつけていた銃の弾倉を開け、弾を込め始めた。
不意に、ぞっとするような殺意を肌が感じ取る。生物としての本能なのか、僕は自分が数秒以内に死ぬのだという事を感覚で理解した。先ほどまでは突然の外国人に銃という理解しがたい状況を受け入れることを拒否していた僕の脳だったが、今の今になって現状の致死性に気づき、回転を開始した。
多分人が殺されるときっていうのは、ドラマや映画のように劇的なものじゃない。こうやって今みたいに、至って事務的に、数秒の間にそれは行われるのだ。現実から目を背け、深刻な事態じゃないと信じている間に引き返せない死の淵まで来ている、そんなことは世の常だったのかもしれない。
だがそんなことを考えている暇はない。今は生き残る可能性を数%でも探す必要がある。この状況は何も意味が分からないが、意味が分からないと言えば今日の朝から意味が分からないこと続きだ。その中に今生き残るヒントはないか? これもまた原因は何もわからないが、確か僕は今左手の力が以上に強くなっていて、バットの扱いがなぜか異常にうまくなっていたはずだ。生命をかけて頼れるほど確かな可能性ではないが、得たこの二つの技能以外に生き残る方法はなさそうだ。今はバットは持っていないから後者は使えないとすると、生き残るには左手の怪力しか頼れないことになる。
ここまでの思考に、0.5秒。生命の危機に瀕して僕の脳は尋常でないスピードで回転していた。たった今、男が弾を込め終わったようだ。今を逃せば生き残れるチャンスは、ない。
「おあああァァ!!」
慣れない大声を恥ずかしげもなく出して一瞬だけ相手の気を散らし、僕は即座に振り返って銃を持った男の手を左手で殴った。やはり体育の時と同様、左腕は妙に力が強かった。
「Ха? (は?)」
外国人の男は、驚いて銃を落とす。
ここからどうするべきか。落とした銃を奪う? いやそれはない。使ったことのない銃は僕にとっては鈍器にしかならない。とっさの判断が生死を分けるような今の状況で慣れない道具は命取りに違いない。それに相手が銃をもう一つ持っていないとも限らない。では今はこの時間に少しでもこの男から離れた位置へ逃げることが先決だ。しかしもっと言えば時間稼ぎとしてこの銃をこの男から遠ざけたい…!
僕は落ちた銃をとっさに遠くへ蹴飛ばし、決して速くない足でとにかく逃げた。何とか撃たれないように車や壁に身を隠しながら、無我夢中で走った。
そして、今に至る。
駐車場内を駆けずり回った僕は二発銃弾を撃ち込まれたのち、行き止まりに出た。そしてそれ以降の二発はいずれも僕に当たらなかった。銃弾が僕を追尾するときとしない時の差は、おそらく僕が走っているか止まっているかという事に依拠している。そしてそこまで考えたときに僕の脳に直接響いた正体不明の音。
パチッ
ジグソーパズルの最後のピースをはめたときの音に酷似したその音を、僕は今日何度も聞いていた。なんなんだ、この音は。
様々なことを考えながらも、この袋小路にいてはいずれ殺されてしまうので引き返して別の道へ走る。足も脳も同時に回せ。生き残るにはとにかくそれしかない。
この音の鳴る条件は何か。この音が鳴った時、直前に僕は何をやっていたか。今日のうちに三度も聞いたのだから聞き間違いではないだろう。そして、どんなありえないことでも考慮せざるを得ない状況に今僕は立たされている。
一度目この音を聞いたのは、たしか体育の時間。体育の時間と言えば左手の違和感もそのあたりからだ。左腕と言えば、体育の先生が全身筋肉隆々なのに左手だけどうも力が弱いらしいと気づいたのもその時だった。さてこれらの要素は何かつながりがありそうだ。
二度目に聞いたのはヤンキーに絡まれている時。ヤンキーが実はバットの扱いが下手くそだという事に気づいたときに確かこの音を聞いたはずだ。そして、それ以降僕はバットの扱いがうまくなった…?
三度目、つまり今さっきこの音を聞いたのは、襲ってきている男の銃弾が止まっている相手は追尾できないようだという事に気づいた直後だった。どうも、気づきとセットでこの音は鳴るらしい。そして鳴った直後から体に違和感が現れることも共通している。
先生の左手だけが弱いことに気づくと、僕の左手だけが強くなった。ヤンキーがバットの扱いが下手なことに気づくと、僕のバットの扱いがうまくなった。つまりそういう事になる。
相手の弱点を発見することで、その真逆の長所を得ることができる。というルールなのではないだろうか。自分でも何を言っているかあまりわからないが、今までの結果から考えるとそういうことになる。
そうなると、『止まっている相手にだけは銃弾を当てられない』という男の弱点に気づき三度目の音を聞いた今の僕は、『止まっている相手にだけは銃弾を当てられる』という長所を手にしているとは考えられないだろうか? もちろんたった二度の結果だけでは正確ではないかもしれない。音も単なる聞き間違いが三度続いただけかもしれない。しかし、もうこれしか僕のすがれるものは何もない。
そんなとき、天からの啓示がごとく、僕の足元に銃が転がっているのが見えた。さっき外国人の男が落として、僕が蹴飛ばした銃だった。僕は走っているうちに初めの場所に戻ってきていたようだ。そして先ほどから聞こえていた銃声は男が持っていた別の銃で、蹴り飛ばされたこれを拾いにはいかなかったらしいという事もわかった。
もし僕の仮定が正しいとすれば、この銃を拾って打てば、相手が止まっている限り、どこにいようとも銃弾が向きを変えて移動するため、正確に打ち抜くことができる。
「Убирайся отсюда, маленькая дрянь! Я убью тебя на хрен, маленький засранец! (出てこいクソガキ! ぶち殺すぞ!)」
男の声が遠くに響く。そして銃声も続いた。僕は頭を抱えてしゃがみ込み、走るのをやめる。立ち止まっている間は銃弾が当たることはなかった。しかし先ほど喰らった二発はあまりにも痛手で、流れ出る血は地面をところどころ赤く染めていた。これを辿られれば僕の逃げ道に先回りされるのも時間の問題だろう。ためらっている余裕はなかった。
しゃがみ込んだ態勢のまま、足元の銃を拾う。想像していたよりもはるかに重いのは、僕の心持ちによるものなのだろうか。
「フゥー…」
静かに息を吐き、気持ちを落ち着かせる。冷静に考えて、銃を打てるチャンスは一回だけ。銃声を一度聞かれれば僕が銃を手にしたことがばれ、何かしらの対策を打たれてしまうからだ。仮定に基づいて、相手の止まっているタイミングを正確に見計らって打つ必要がある。
「Куда он, блядь, делся? (くそ。どこ行きやがった?)」
再び男の声が聞こえた。おそらく、僕とコンクリートの壁を一枚はさんで真向いの位置だ。もう戦うしかない。
「Here!!! (ここだ!)」
僕は小学校レベルの英語でそう叫んだ。この一瞬、絶対に男は立ち止まって声のした方を見たはずだ。
そして鳴り響く銃声。今度は、撃ったのは僕だ。壁の向こうの相手を打つなど本来は不可能だが、仮説に賭けて何もない方向に銃を放った。すると、速すぎて目視しづらくはあったが、たしかに銃弾が空中で方向を変え通路の方へ飛んで行ったように見えた。
「Ай! (ぐァッ)」
壁の向こうで、小さく男の悲鳴が聞こえた。銃弾は通路を迅速に一周して、壁の向こうの男の位置を狙撃できたのだ。いやもうその可能性に賭けるほかない。僕はさらに何発も引き金を引く。銃で撃たれた直後なら走らず止まっているはずだ。
そして、数度の男の声が壁越しに聞こえたのち、声は小さくなってゆき、ついに聞こえなくなった。
死んだ…のか?
それ以降男の足音も、銃声も響くことはなかった。もうおそらく男は生きてはない。僕の仮説は当たっており、止まっている相手を打ち抜くことができるようになっていたようだ。実際に僕の撃った弾が軌道を変えるところも見た。
あんなに走っていてもさっきまではほとんどかかなかった汗が、どっとあふれ出した。生き残れたことに安堵したのか、人を殺してしまったかもしれない罪悪感なのか、単に腕の負傷による体への負担によるものなのか。汗は止まらなかった。
「ハァー...。ハァーッ...」
あまりの出来事に軽く過呼吸になりながら、しゃがみ込んだ。怪我の痛みを麻痺させていたアドレナリンも切れ、ごまかしようのない激痛が僕を襲う。だが、一応は助かったのだ。状況は警察にでも駆け込めばいずれわかるはずだろう。もう頭は休めて、救急車を…。
「很幸运。 你已经死了」
「先前有一具俄罗斯人的尸体。 你认为是这个人干的吗?」
しゃがみ込んだ僕のもとに、突然中国語を話す数人の男が現れた。
「所有。 战斗准备就绪」
一人がそう言って掛け声のようなものをかけた。するとあとの男らは首や指の骨をぽきぽきと鳴らし始める。そして次の瞬間、ある者は手に炎のようなものを纏い、ある者は体の筋肉が肥大化、小さな稲妻のようなものを纏う者や全身の肌が黒くなる者もいた。
「ああ。終わった」
おもわず、僕はそうつぶやいた。多分超能力がどうのこうのっていう僕の予想も当たっていて、彼らはまさに超能力者なのだろう。もう痛みと疲れで動けない僕にはこんなに大勢相手にどうしようもない。
「やっぱり最後の晩餐は、コンビニのから揚げだったんじゃないか。まあ、おいしかったから満足か」
そんなことを、誰に向けてでもなくつぶやいた。その時だった。
コンクリートの壁をぶち破る轟音。
セメントの粉塵が舞う中、大きく壁に空いた穴を通って、髪をオールバックにした若い男が現れた。
「かぁー。手ぇ痛っ。壁なんかぶん殴るもんちゃうな!」
拳をさすりながらそう言う若い男の後ろから、小柄な女性も続いた。
「カッコよく登場したいって自分でやったんじゃないですか。坂井さん本当に愚かですね」
小柄な女性は眼鏡をおさえながら毒づき、僕の方を見た。
「桜木君で間違いなさそうですね。我々の予想は当たっていたようです」
さらに、スキンヘッドの男も後ろから続いた。
「無駄口を叩いている暇はない。中国の能力兵が…五人か。俺が三人やる。坂井、お前は二人やれ。そこの筋肉の奴と浅黒い奴だ」
スキンヘッドの男はそう言うとすぐに両手に銃を取り出し、中国人らを容赦なく射撃し始める。突然の三人の登場に驚いていた中国人たちもすぐに交戦態勢に入った。
「おぉ。おれは二人でええんか。楽勝やな」
坂井と呼ばれたオールバックも続く。
「桜木くんですね。その撃たれている腕を出してください」
女性は僕に近づいてそう言った。もはやなぜ僕の名前を知っているのかなどを不思議に思う事はなく、言われるがままに患部を差し出した。
「そこの通路にロシアの能力兵の死体がありました。あなたがやったんですか?」
そう尋ねながら、女性は僕の腕を掴む。すると、ビデオの早戻しのように傷跡がふさがっていき、撃たれる前の僕の腕の状態に戻った。
「え、なんで…。治っ…」
息も絶え絶えに僕が驚くが、女性は特に説明はせず話し続ける。
「まあ今はそれはいいでしょう。とにかく我々と一緒に来てもらわなければなりません」
中国人たちのいた方を振り返ると、立っているのはすでに、先ほど入ってきたスキンヘッドの男とオールバックの男のみになっていた。地面には死体が五つ転がっている。
「おっしゃ。片付いたで里美ちゃん!」
「桜木を連れて車に戻るぞ」
平然とそう言ったスキンヘッドの男を見ると、さっきはあった左腕がなくなっていた。傷口からは血がぼたぼたと垂れている。
「えっ! う、腕が!」
しかし僕が驚き終わる前に、その男の傷口はジュクジュクと音を立てて蒸気を発し、みるみるうちに再生していった。そしてものの数秒で腕は完全な状態になった。
「はっ!? えっ、腕っ…!」
慌てふためく僕を見て、坂井というらしい男は笑った。
「ええリアクションやなー。能力初見の奴の反応久々に見たらおもろいわ」
「急ぐぞ。悠長にしていると次々能力兵がやってくる」
スキンヘッドの男は急かす。
「えっと…。この、死体とかって…このままほっとく感じなんでしょうか…?」
僕の口から出たのは意外にもそんな心配だった。
「いや、最初に聞く質問それなん? 俺コンクリぶち破ったりしたで?」
オールバックの坂井は笑う。
「ああ、死体の処理は本部に頼んでおきますので。桜木君の心配には及びませんよ」
里美と呼ばれた女性も平然とそう言って、歩き出した。
「うっし。ほな行こか。おれ坂井な。坂井さんでいいで」
坂井さんは僕の肩に手を回し、馴れ馴れしく言う。そしてそのまま僕を連れて歩き始めた。
「あ、えっと、坂井さん。僕はこれからどうなるんでしょうか…」
「とりあえず街中やとどっから襲われてもおかしないから、一旦アジト連れてくわ」
「アジト…。あなたたちは何者で…一体何が起きているんですか?」
あふれだした僕の疑問に、里美さんは端的に答えた。
「我々の能力は何なのかという科学的な説明も、我々は何者なのかという事も、世界が本当はどんな情勢にあるのかという事も、すべて後から話します。今はとにかく車に乗ってください」
少し歩くと黒い乗用車が見えてきた。
「助けていただいたのはありがたいんですが…。今日はもう突然銃で撃たれたり何が何やらわからなくて、現れた人間を簡単に信用できる状況にないというか...」
僕が恐る恐るそう言うと、スキンへッドの男は振り返り、
「この車に乗らなくともどのみちどこかの国に拉致されるか殺されるだけだ。この車に乗れば良いことがある、とは言わんが、どの選択肢よりもましだということは保証できる」
僕の目をまっすぐ見て、低い声でそう告げた。服に血の付いたスキンヘッドの男の言葉を信じ、その車に乗り込むなど、普通に考えれば正しいわけがない選択肢だったが、
「乗り…ます」
僕はいわれれるままに車に乗ってしまった。後ろに転がっている死体や壁にいくつもついた銃痕といった非現実的な現実を、もう振り返って見たくはなかったのかもしれない。