最後の森と小人さん ~ここのつめ~
「チィヒーロっっ!!」
絶叫するロメールの顔は真っ青で、降りてきたポチ子さんから受け取った幼女を絶望的な瞳で見つめた。
力なく、くったりともたれかかる小さな身体。呼吸はか細く、今にも途切れそうだった。
「なぜ? 処置もされていないのか? あれから三日はたっているはずだっ!!」
吠えるドルフェンに、したり顔の辺境伯がシリルへ視線を振る。
千尋を取り返されて冷や汗だらけの内心を上手く隠し、シリルは優美な笑みで嘲るようにドルフェンを一瞥した。
「だって、本国に帰らないと薬もないのよ。だから返してくださる? このままじゃ死んでしまうわよ?」
再び、はったりで押し通そうとするシリルだったが、それを許さぬ者がいる。
《謀るか。よろしい、その口を閉じなさい》
ぶぶぶぶと言う羽音にしか聞こえない一言を残し、クイーンの娘はシリルを殴り倒した。
手加減はしたのだろう。しかし、魔物の一撃である。シリルは文字通り身体ごと吹っ飛んだ。
それを唖然と見つめる周囲を無視して、巨大蜜蜂は地面に文字を書く。
それを眼にして、周囲は思わず固唾を呑んだ。
《これは毒ではない。神々の妙薬。自我を奪い去り操り人形にする禁薬》
「自我を..... あっ」
ロメールの脳裏に、彼の美しい金髪女性が過る。
「.....自分の娘まで? アンスバッハ辺境伯。あなたという人は....っ」
全身を魔力で波打たせ、ロメールの髪がざわりと空気を揺らした。
そんなロメールを余所に、メルダの娘は小人さんに声をかける。
《王よ。お戻りくださいませ。ジョーカーより話は伝わっております》
メルダの娘は幼女の柔肌をそっと突っついた。それを真似してポチ子さんも突っつく。
チクチクと突っつく複数の脚を不安気に見つめていたロメールの視界で、小人さんはうっすらと眼を開けた。
「チィヒーロっ?!」
「んぁ? ロメールじゃない。あれ? ここ、どこ?」
くしくしと眼を擦りつつ、むっくりと身体を起こす小人さん。
途端に周囲の騎士達から、絶叫にも似た雄叫びが上がる。
うおおおおぉぉっと大地を揺るがす雄叫びに、千尋は思わずたじろいだ。
「うぇ?? 何事?」
「何事じゃないよっ、まったくっ!!」
叱り飛ばしながらも、ロメールは泣きそうな顔で千尋を抱き締める。腕の中の温もりが愛おしい。
「意識のない君を見た時、私がどれ程驚いたか。びっくりしすぎて心臓がどっかに行っちゃったよ、責任取ってよね」
「ええええぇっ、そんなん知らないしっ、自分で探してきてよ、大人でしょっ??」
他愛もない軽口の応酬。
なんとまあ、緊張感のない。
一触即発の戦場だというのに、この二人は異空間にいるらしい。
微笑ましい二人の抱擁を、呆れるような笑みで見守るフロンティア軍とフラウワーズ軍。
マルチェロ王子は何が起きているのか分からないらしく、一人オロオロしていた。
「えっと.... 金色の王は御無事という事で、よろしいか?」
「あれ? マルチェロ王子だっけか? なんでここに?」
気になるのは、そこなの?
満場一致の内心だが、賢明なことに誰も口の端にのぼらせる事はなかった。
大地を埋め尽くす騎士や兵士より、隣国の王子が気になる小人さん。
取り敢えず、今までの経緯をかいつまんで説明し、ロメールは前方を陣取るカストラート軍を指差した。
「君を奪還出来たなら、もう遠慮は要らない。フロンティア軍が全力をもって奴等を叩き潰す」
冷酷に眼を光らせる王弟殿下。
それに大きく頷き、獰猛に口角をまくりあげるフロンティア軍。
しかし小人さんだけは温度のない瞳をすがめ、血気盛んな男どもを冷たい視線で一瞥する。
そのシラ~っとした雰囲気に、男どもは狼狽えた。
自分のしくじりで起きた戦争。
あまりの恥ずかしさに、千尋は脱兎のごとく、この場から逃げ出したかった、
「そんな面倒やらなくて良いじゃない。その後の敗戦処理とか賠償とか相手に請求すんのも厄介だし。とっとと帰ろうよ」
「でも追撃を受けたりしたら、さらに厄介になるよ?」
皆に面倒をかけた自覚のある小人さんは、これ以上の迷惑をかけたくなかった。
ゆえにおもむろに立ち上がると、その両手を大地につける。
「追撃なんて出来ないようにすれば良いのよ。こうしてねっ!!」
千尋が叫ぶと同時に掌から金色の魔力が迸った。
それは縦横無尽に大地を駆け巡り、草が萌え、木々を生やし、見る見るうちに巨大な森を作り上げる。
揃って瞠目し、言葉を失う両軍の間には、いつの間にか鬱蒼とした森が横たわっていた。
左右を見渡しても途切れの見えない見事な緑。あまりの出来事に、ロメールすら落ちた顎が戻らない。
以前、同じモノの掌サイズを見ていたドルフェンだけが据えた眼差しで苦笑していた。
出来上がった森を満足気に見つめ、小人さんは立ち上がると、メルダの娘を呼ぶ。
「一時的に、この森を預けるよ。皆が帰還したら放棄して良いから」
メルダの娘は驚嘆の面持ちで森を見た。
《これが金色の王の御業。感動です》
ふるふると脚を震わせ、感無量の看板を背中に掲げて見える巨大な蜜蜂。
使えるモノは何でも使わないとね。
乾いた笑みを張り付け、千尋は、ふと首を傾げる。
「そういや名前聞いてなかったね」
《クイーンの娘とよばれております》
いや、それ名前じゃないよね?
真顔で言い放つ巨大蜜蜂。
ふむと頬に手をあて、小人さんは可愛らしく微笑んだ。
「じゃ、アタシが名前あげるね。メルダの娘だから..... メリタはどう?」
ここに克己が居れば、ドリッパーかっと突っ込んだことだろうが、幸いな事に誰も彼の有名なコーヒー婦人を知る者はいなかった。
女性の名前だし悪くはないだろう。
とても満足気な小人さんと、名前を賜り大喜びなメルダの娘。
にんまりとほくそ笑む二人を茫然と見つめていた周囲だが、小人さん慣れしているロメールがいち早く復活する。
「待って待って、チィヒーロっ! これはどういう事っ??」
「んーと。金色の魔力は森を作る魔力だったみたいなのね。多分、初代がフロンティアを建国出来たのも、この力のおかげかと」
もにゃもにゃと歯切れの悪い口調で説明する小人さん。
呆気に取られたまま、二の句の継げない大人達。
だが、そこに割って入る強者がいた。
「お待ちくださいっ、と言う事は、森は再現出来ると言うことなのでは? どこにでもっ?」
あ~、やっぱ、そう来るよね~
真摯な瞳で千尋をガン見するのはマルチェロ王子。期待に満ちた眼差しは、フラウワーズ軍の騎士らも同じだった。
目の前で奇跡が起きたのだ。期待するなと言う方が無理だろう。
伝説を目の当たりにしたのはフロンティア軍も同じだが、こちらは小人さんのやらかしに慣れている。
驚きはしたが、特別視することでもないと、普段どおりに帰還の準備を始めていた。
ロメールすら、既に興味を失ったようだ。疑問の晴れた顔で、軍の指揮をとっている。
平然と帰り支度を始めたフロンティア軍を信じられない眼差しで見つめ、マルチェロ王子は一縷の希望にすがるように言葉を紡いだ。
「その御力を是非とも御借りしたい。我が国に森を復活させては頂けませんか?」
「無理」
即答である。
あ、何かデジャヴ。
ギロチンのごとき切れ味の即答に、マルチェロ王子は顔からするりと表情が抜け落ちた。
それに後味の悪さを感じ、千尋は詳しく説明する。
金色の魔力で作られた森は、金色の魔力を持つ主がおらねば一日で枯れ始める事。
主の移動は森の影響下でしか行えず、今後このようなイレギュラーな事は出来ない事。
そして何より、今しばらくしたら金色の魔力は神々に返還し、フロンティアの森も枯れる事。
「魔力を御返しすると?」
「その予定なの。人には過ぎた力だからね。今、全力でフロンティアは魔法に頼らない文明に移行中なの」
「では、我が国の国境の森も失われると?」
「そうなるね。無くならないように頑張ってはみるけどね」
不可思議そうに首を傾げるマルチェロ王子に快活な笑みを見せ、千尋は共にフラウワーズへ向かっても良いか尋ねた。
マルチェロ王子は快く承諾してくれる。
「いや、待ってチィヒーロっ! いったんフロンティアに帰ろうよっ」
勝手にフラウワーズに同行を申し出る幼女に眼を剥き、慌ててロメールが諫めるが、小人さんは首を横に振った。
「急がないとダメなの。フロンティアに戻ってからだと、フラウワーズに打診したりと余計な時間がかかっちゃうでしょ? 今なら王子の同行者として、すぐにでもフラウワーズに入れる。このチャンスは逃せないの」
理屈は分かるが、ロメールは嫌な胸騒ぎを覚える。このまま行かせてはいけないと、本能的な何かが警鐘を鳴らしていた。
「なら、私も一緒に......っ」
「馬鹿言わないの。フロンティア軍や陛下への報告はどうするのよ。アタシのせいで、これ以上の迷惑はかけたくないよ?」
ふんすと胸をはる幼子に、ロメールは言い知れぬ怒りがわく。
迷惑って何さ? 皆が君を大切に思ってるだけだよ? それ伝わってる?
もどかしさに歯噛みし、思わず口に出しそうになったロメールの右手を、小人さんの小さな両手が掴む。
「我が儘言ってるのは分かってるの。でも信じて? 本当に急がないとダメなの」
何がダメなのかは上手く説明出来ないんだけどと、幼女は困ったようにロメールの右手をモニモニといじくった。
その柔らかい小さな指の感触で、ロメールの身の内にわいた怒りが鎮火していく。
ああ、もう。勝てないよなぁ。
泣き笑いのように顔をくしゃくしゃにして、ロメールは小人さんを抱き上げた。
「分かったよ。でも約束して? 危ない事はしない事。やることが終わったら速やかにフロンティアへ帰還する事」
「うんっ!」
にぱーっと、無邪気に笑う愛しい幼女。
他にも小人さん部隊を連れて行く事や、食べ物に釣られないなど、細々とした約束事をして、ロメールは千尋をマルチェロ王子に預けた。
くれぐれもとマルチェロ王子に頼むロメールの眼の端で、小人さんはシリルや辺境伯らに、今なら森に魔物はいないから、歩いて帰れと蹴飛ばしていた。
森で分断されたカストラート軍も、半数は森に呑まれて右往左往しているらしい。
蜜蜂らが威嚇しながら、あちら側へ追い出している最中だとか。
ほうほうの態で森へ駆け込んでいく辺境伯らを生温い眼差しで見送り、戦争の形をとった茶番劇が幕を降ろした。
怪我人は治癒魔法で癒され、まるで何事もなかったかのように日常が戻ってくる。
何でも茶番にしちゃうのも、君の得意技だよね。
王宮で生死の境を這いつくばった事も、キルファンへ攻め込み神々と謁見した事も、なにもかも、小人さんにとっては思い出の一頁でしかないんだろう。
この戦いの話も、いずれそうなるに違いない。
早く帰っておいでね。皆が首を長くして待っているんだから。
この時の決断を、後にロメールは長く後悔する事になるのだが、今の彼は、それを知らない。
世界の終焉は、もう直ぐ目の前まで差し迫っていた。
サブタイトル、ミスってました。ジョーカー改め、最後の森です。