最後の森と小人さん ~いつつめ~
「急げ。馬の交換を抜かるな」
辺境伯邸から飛び出した十数台の馬車と、辺境伯騎士団数百名。
馬車のスピードに合わせた限界速度で、一路カストラート国境を目指し邁進する。
嘶きもなく、整然と進む騎士団の中央に数台の馬車。その後方から十台ほどの馬車。
とにかく一心不乱に西北へ向かう一団の馬車裏側に、数匹の蜜蜂達が張り付いている事を彼等は知らない。
「ロメール殿下っ?!」
何も出来ずに悄然とする小人さん一行。
到着した時に傾いでいたお日様は、とうに沈み、あたりは夕闇に包まれ始めていた。
辺境伯から言われたとおりに、動くなとの言葉を守り、力なく項垂れていた彼等の耳に、けたたましい蹄の音と嘶きが聞こえる。
ドルフェンが怪訝そうに眼を向けると、その地平線には砂煙が上がり、松明に照らされながら大地を揺らす大規模な騎馬群。
先立てられた御旗はフロンティア王家のものである。
遠目にも鮮やかな、深紅に金の六芒星。
その周囲に散らされた蔓苺の環は、主の森の象徴だった。
ロメールを筆頭に駆ける騎士達の装いはフルアーマーの戦鎧。
それを視認しただけで、何が起きたのかドルフェンには理解出来た。
小人さんの危機を察知したのだろう。それはつまり、フロンティアに対して敵対行動を起こした国があると言うことだ。
辺境伯邸に到着したフロンティア騎士団を、小人さん部隊は身動ぎもせずに凝視する。
整然と並ぶ各部隊。その数、優に二千はあろうか。本格的な戦闘部隊だった。
護衛が止めるのも聞かずに先頭を駆けてきたロメールは、いきなりのことで茫然とするドルフェンの前で、慌てて馬を降りる。
「チィヒーロはっ??」
降りる間ももどかしくかけられた声に、ドルフェンは膝をついて、くしゃりと顔を歪めた。
今にも泣き出しそうな顔のまま、短く答える彼の背中は、その体躯から想像も出来ないほど、とても小さく見える。
「申し訳ございません」
かしづき、深く項垂れるドルフェンの言葉で、ロメールも何が起きたのか大体を察した。
「詳しく説明を」
切れるように辛辣なロメールの眼光に射抜かれつつも、ドルフェンと桜は事の経緯を説明する。
話を聞いたロメールは、思わず天を仰いだ。
なんてこった、既に連れ去られたあとか。
だがある意味、幸運。
カストラートに攻め入る大義名分が出来た。
ここからカストラートまで馬で三日ほど。間者達の報告によれば、カストラートは国境線に軍を配しているという。
それと合流する前にアンスバッハ辺境伯を叩く。捕らえる必要はない、即切り捨てて構わない。
居並ぶ騎士達にそう叫び、ロメールはドルフェンにも発破をかけた。
「落ち込む暇があるなら動けっ、チィヒーロなら間違いなく、そう言うぞ? 働けーって蹴飛ばしてくるよ?」
言われてドルフェンは、はっと顔を上げる。
その通りだ。小人さんなら泣き言も後悔も後回しで、とにかく動く。最善を目指して、全力で駆け抜けるはずだ。
のたのたと戦鎧を身につけていたドルフェンの指に力がこもる。
「何の薬だったかは分からないが、半日以上前の話なら、とうに処置も終わっているだろう。取り返すよ? あれが居ないと王宮の面々が号泣するからね」
にやりと挑戦的に睨め上げるロメールに、ドルフェンは大きく頷き、苦笑した。
貴方を含めてですよね?
口には出さなくとも伝わったのだろう。
ロメールが照れ隠しのように勢いよく馬に乗り、号令をかけた。
しかし、それに、ドルフェンが待ったをかける。
「申し訳ありません、王弟殿下にお話がございます。時間が惜しいので馬車で道中にお話したく存じます」
「話?」
神妙な面持ちで頷くドルフェンに、ロメールは首を傾げた。
「はあ? 一つの身体に二つの魂?」
小人さん用に設えられた馬車の中。すっとんきょうな顔で、ロメールはドルフェンの説明を聞く。
彼は西の森の主と話す小人さんの会話内容から、大まかな概要を掴んでいた。
小人さんは別の世界、《地球》とやらから贈られた魂である事。
王女殿下の身体に憑依しており、いずれは神々から賜った力で、このアルカディアの世界を救う予定であった事。
しかし、想定外にも、王女殿下その人の魂が死んでしまい、王女殿下の身体を生かすために、チヒロが覚醒した事。
神々から賜った、再生の左手と破壊の右手のうち、右手の力をファティマの魂が持ち去ってしまった事。
その事実を、西の森の主から聞くまで、小人さん自身も知らなかった事。
「あとは、多分ロメール殿下も御存じのとおりなのではないかと」
全てを聞き終えたロメールは、思い当たる事ばかりで、頭を抱えた。
小人さんが何故に、大人すら舌を巻くほどの多くの知識を持っていたのか。
なのに何故、驚くほどアルカディアの常識に疎かったのか。
何故に、貴族のしがらみに囚われず、自由気ままで、己が己である事を当たり前にしていたのか。
彼女の知る常識が、アルカディアのモノでなかったのなら、その全てに辻褄が合う。
《地球》とやらは、きっと、とても文明の進んだ世界なのだろう。だから、アルカディアにない多くのモノを小人さんは知っていた。
あの態度からして、そういった身分がある者なのだ。たぶん《地球》の王族とか高位の家系の娘で、こちらの王族や貴族にも怯みはしなかった。
なにより、その《地球》という言葉をロメールは覚えている。創世神様らが言っていた。
《さすが、地球の神々が勧めた子供だけはある》
そしてさらにロメールは去年の冬の出来事を思い出していた。
『王宮がファティマを殺した、なんで助けてくれなかったの?』
あれは、こういう事だったのだ。
てっきり何かの比喩的な言葉なのだと思っていたが、まさか、言葉そのままの意味だったとは。
本来の王女であるのはファティマ様。その御方は、既に儚くなってしまい、同じ身体に宿っていたチィヒーロの魂が眼を醒ました。
身体は王女でも中身は他人。
ああ、だから、あんなに兄上に対して冷淡だったんだな。
血の近しさより絆の深さ。命の恩人で、溺愛してくれるドラゴ一筋で当たり前だった訳だ。
しかも、そういった事が出来るという事は、中身の年齢は外見通りであるまい。《地球》とやらの知識があるあたり、前世の記憶も持っているのだろう。
そこまで考えて、ふとロメールはドルフェンを見つめる。
「そういえば..... 君の呼び方、違うよね? チィヒーロの」
軽く瞠目し、仕方無さげな笑みを浮かべて、ドルフェンは小さく頷いた。
「そうですね。チィヒーロ様の本当の名前は、チヒロ様と申します。キルファンの言葉で、千に尋ねると書くそうです」
ああ、なるほどね。私は君の事を何も知らなかったんだなぁ。
思わず、しんみりとする馬車の中。
そんな二人を余所に、風魔法を駆使して速度を上げ、馬達の疲労を治癒魔法でフォローしているフロンティア騎士団は、確実に辺境伯騎士団との間を詰めていく。
辺境伯騎士団が、如何に用意周到に替え馬を用意して、最短の速度で進もうとも、不眠不休で進めるフロンティア騎士団とは比べるべくもない。
辺境伯家の者、全てがカストラート人である事も裏目に出ていた。
フロンティア生まれでない者に魔法は使えない。フロンティアを満たす魔力は、フロンティアの者にしか宿らないのだ。
唯一、魔法が使えるのはアンスバッハ辺境伯直系の者だけ。
当主たる辺境伯と、その息子ら二人。
そのうちの一人が馬車の中で癒しを小人さんに施していた。
薄いパウダーオレンジの髪に、淡い翡翠色の瞳。辺境伯家嫡男のキシャーリウ。
彼の隣には次男のアウバーシャ。似たような色彩の二人だが、アウバーシャの方が、やや濃い色目をしている。
「これは本当にハビルーシュに使っていたのと同じ薬なのか? ほぼ意識がないし、心拍数も低い。不味いのではないか?」
生まれた時から薬漬けで、まるで人形のようだった妹を思い出し、キシャーリウは訝る眼差しでシリルを睨んだ。
「効果が薄いとはったりも効かないと思い、原液を使いましたから。たぶん、過剰摂取による一時的なショック状態かと思います」
命に別状はないと説明するシリルに頷き、辺境伯は、あらためて孫娘の顔を覗き込んだ。
やはり、ハビルーシュにそっくりだ。
これだけ美しい子供なら、カストラート王家の皆様にも喜んでもらえよう。
たしか、御歳十一になる王子がおられたはず。歳まわりも悪くないし、きっと正妃に御召しくださるに違いない。
カストラートでのアンスバッハ家も安泰だ。
このまま逃げ切る事が出来ればだが。
フロンティアは諸外国に名高い魔法国家だ。彼等の本気に為す術を辺境伯騎士団は持たない。
精々、肉壁が関の山。騎士団にも、その覚悟があるのだろう。辺境伯に言われるまでもなく、この馬車を先陣中央に配置していた。
万一の時には、散開する後続の馬車が時間を稼ぎ、それを壁にして、騎士団が少しでもフロンティアの追撃を緩める。
その間隙を縫い、辺境伯達がカストラートへ滑り込めれば、こちらの勝ちだ。
薬で言いなりなチィヒーロ王女を矢面に立たせて人質にすれば、戦を仕掛けてくる事もあるまい。
全ては時間の勝負。
辺境伯は瞳に剣呑な光を浮かべ、馬車の窓から真っ暗な外へ視線を振る。
その瞳に宿る光は、凍えるような冷たさに、朽ち果てた疲れを同衾させる、怪しげで脆い光だった。
深い闇に包まれた深夜。
逃げる者と追う者の蹄の跡と馬車の轍のみが、密やかに大地を揺らしていた。




