神々の黄昏と小人さん ~やっつめ~
ようよう体調も良くなってきました。のたのた行きます。御笑覧ください。
「さあってと。それじゃ、また旅支度だね」
新生キルファン国の下地も、フロンティア土壌改良計画も軌道に乗り始め、ようやく千尋は西の森への巡礼支度にとりかかった。
荒野に出来た街はキルファンの技術の粋を集めたモノになりそうで、フロンティアの魔法との相乗効果が遺憾無く発揮されている。
これはフロンティア側の土壌改良も同じで、御互いの良い面が見事に合致し、有り得ない速さで事が進んでいた。
己の才覚に自負のある者の殆どが、フロンティアに移住してしまったキルファン。
国民の半数近くを失って、今頃どうなっているのか。
まあ、仕方無いよね。下を大事にしないから、こうなったんだし。これも自業自得よね。
益体もない思考を振り払い、幼女は申請書類に眼を落とす。
人員は何時もの面子で。西の森までは馬車で四日ほどと聞くから、途中、三泊。
千尋はガラスペンで頭を掻きつつ、地図を広げて予定を立てた。
気になる木の多目的広場で一泊。辺境伯領地で二泊か。これって辺境伯んとこに寄った方が良いのかな? 後でロメールに聞こう。
さらさらと必要な人員と物資、そして往復の日程を入れて、小人さんは書き上げた書類を手に、王宮へとむかった。
「ロメールぅ、これでダイジョブかな?」
ポチ子さんに抱えられて、ぶい~んと天窓から現れた小人さんを見て、ロメールはあからさまに顔を歪める。
「チィヒーロ。クイーンの真似をするんじゃないよ。ちゃんと両足で歩きなさい」
周囲は降りてきた小人さんを一瞥しただけで、特に驚いた様子もない。
黙々と仕事を続ける部下に、ロメールは頭痛を覚えた。
お前達も慣れるんじゃない。なんで、誰一人、苦笑すらしないのさっ!
まことしやかに王宮で、呟かれる魔法の言葉。
だって、小人さんだもの。
この暗黙の了解は、厨房のみならず、王宮全域に蔓延しつつある。
なのに、小人さんの一番の理解者でありながら、未だに常識人ポジから抜け出せないロメールだった。
それでもロメールは、小人さんが差し出す書類を受け取り、ざっと確認して小さく頷く。
「そうか、西の森へ行くのだね。うん、大丈夫。これで良い」
書類には、王族の旅支度とは到底思えない少ない人員と費用が書かれていた。
しかしそれが、小人さんにとって一番楽な仕様なのだとロメールは知っている。
最低限揃っていれば、あとは何とでもしてしまうのが、この娘だ。
むしろ、従者もなくポチ子さんと、かっ翔んでいってしまう可能性すらある。
それを考えたら、こうして書類で申請して貰えただけでも御の字だろう。
達観するロメールを見上げて、千尋は少し物憂げに尋ねた。
「辺境伯領地で二泊する予定なんだけど、アンスバッハ辺境伯に挨拶に寄った方が良いかな?」
一瞬、眼を丸くしたロメールだが、次には柔らかい笑みで小人さんを抱き上げる。
「そうだね。領地を通過するのだし、挨拶はしておいた方が良いね。まあ、挨拶だけで済まない可能性が高いが」
ほに? っと首を傾げる小人さん。
それに苦笑し、ロメールはソファーに腰掛けると幼女を膝に座らせて、静かに説明した。
いわく、貴族とは体面を重んじるモノ。身分の高い方を賓客としてもてなせるのは、この上ない誉れで、誰もが手薬煉ひいて待ち焦がれる。
それが王族ともなれば、当然、旅程に入れなくてはならない。
「だから挨拶の先触れを出せば、アンスバッハ辺境伯は、全力をもって君を歓待するだろう。一泊は覚悟してね」
「ほー。それじゃ、一泊分旅費が浮くね。それって帰りでも良いのかな? 行きは、なるべく急ぎたいの」
君の関心はソコなの?
旅費が浮くとか、そんな配慮要らないから、君は王女なんだからね? 何不自由なく旅をする権利があるんだよ?
喉元まで出かかった言葉を、ロメールは賢明にも呑み込んだ。
その不自由すら、楽しんじゃうのが君だものねぇ。
つくづく、誰よりも小人さんを理解しているロメールである。
「と言う訳で、何時もの面子で旅支度よろしくっ」
すちゃっと敬礼して宣う幼子を、ドルフェンとアドリスは呆れたかのような眼で見つめた。
「もう、夏も半ばですよ? この暑さの中で巡礼ですか?」
「しばし待てば涼しくなります。それからの方が宜しいかと」
なるほど。ロメールからは指摘されなかったが、現場を知る二人にしたら夏の旅行はお勧め出来ないらしい。
そういや、去年も誰かが避暑に行くとか聞いたことないし、そういう習慣も無いのかもしれない。
言われて千尋は、今までの旅も春待ちしていたことに気がついた。
温暖なフロンティアは、冬でも滅多に雪は降らない。それなりに寒いが、凍りつくような寒さではない。
その分、夏は暑い。半端なく暑い。
茹だるような暑さにダレていた千尋を見て、ポチ子さんが水魔法の水を抱え、羽で風を起こし、気化熱を利用した冷風を作ってくれた事を思い出す。
あれがなくば、千尋は夏の夜を眠れずに過ごしたに違いない。
他の蜜蜂らと協力して、小人さんのために一日中冷風機と化してくれる蜜蜂達には、感謝しかない。
今も室内ならば、準備万端で蜜蜂達が待っている。
そのせいで、少し他と感覚がズレている小人さんだった。
「まあ、そのへんは蜜蜂らが何とかしてくれると思うからっ、とにかく、急いで向かわないとダメなのっ!」
わちゃわちゃと手足を振って話す幼女に、ほっこりしつつ、仕方無さげにドルフェンらは頷く。
真夏の盛りに護衛を命じられた騎士団も、小人さんの御願いなら、否やはない。
うんざりと太陽を睨めつけながら、それでも精力的に動いてくれた。
後日、馬車に並走する彼等のため、背後に蜜蜂が張り付き、冷風機役を買って出てくれるのだが、その幸福な未来を、今の彼等は知らない。
「また遠征なのか、チィヒーロぉぉ」
情けなく眉毛を寄せて、ドラゴはチィヒーロを抱き、頬ずりする。
それに苦笑いして、千尋はドラゴの首に抱きついた。
「あと少しだけね。たぶん、これで遠出はなくなると思うから」
「ああ。そうしたら、一緒に沢山料理を作ろう。約束だぞ?」
「うんっ」
微笑ましい親子の抱擁。これが、今生の別れになるとは、誰一人知りもしなかった。
神々以外は。
《非常に胸が痛みますね》
《仕方がない。御借りしたものは返さなくては》
アルカディアの神々は、悲痛な面持ちで下界を見下ろしている。
《御先は生まれなかった》
《金色の魔力の憑代は生まれなかった》
創造神の代行役を行える憑代。
これが生まれてくれれば、賭けの勝利は間違いない。
だがこれは、長く人と関わり、大地に根差し、神々の力を降ろせる形代があって、初めて誕生する。
それとなる可能性を森の主らに期待はしたが、人々に忘れられ、主らも忘れ、御先への進化は閉ざされた。
あとは小人さんが賭けの結果を見届けるだけ。どちらに転ぶかは神々にも分からない。
神々である彼等より、さらに高次な存在がいる。その高次なる者を見た神々はいない。
ただ、新たな神々が生まれる事から、そういった存在がいるのだろうと推測されるだけ。
事実、神々にも犯してはならない不文律があり、それに咎めがくだる。
人々を見守り見通す神々を、さらに見守り管理する存在は、確かにいるのだ。
本当におられるのならば、我が子らに御慈悲を。
一心不乱に祈るアルカディアの神々を他所に、賭けを持ちかけた神も、自分の作った世界を見下ろしていた。
そこには生まれたばかりの頃のアルカディアに負けない荒涼な風景が拡がっている。
以前は緑に溢れ、生気に満ちた美しい世界だった。
他の世界にも滅多に見ない、最先端の優れた文明を誇り、彼の世界の人類は華やかな人生を謳歌していた。
しかし人間は道を違えた。
最新の科学力を過信し、自ら破滅への未来へ踏み出し、最後は共倒れを目論んで、全ての大地を破壊した。
些細な切っ掛けから起きた戦争が人々を狂気に陥れ、文明を根底から覆し、夥しい科学の毒が、生き物も植物も呑み込み、死に至らしめた。
おぞましい毒に汚染された大地に生き物は棲めず、生えず、瓦礫の山と化した地表は凄まじい勢いで砂漠化が進んでいる。
わずかに生き残った命達にも、然したる時間は残されていない。
滅亡待ったなしな、彼の世界。
己の世界が壊れる寸前だった彼が、泣きながら悲嘆に暮れているところに、新たな神々と世界が生まれたと知らせがあった。
終わりを迎えそうな彼の世界と、産声を上げたばかりのアルカディア。
なんたる皮肉か。
やや自嘲気味に訪れた彼は、その御粗末なアルカディアを見て、妙な親近感を感じる。
荒涼とした大地に二割程度の緑。
だが永い年月をかければ。本当に気が遠くなるほどの年月をかければ、ひょっとしたら命が生まれる可能性はあった。
この生まれたばかりの大地は汚染されてはいないのだから。
そこまで考えて、彼の脳裏に悪魔のごとき案が閃いた。
一歩間違えれば己の存在すら危うくなる賭けだ。しかし、このまま指を咥えて看過していたら、間違いなく彼の世界は滅ぶ。
一か八か。
こうして彼はアルカディアの神々に賭けを申し入れた。
この賭けに勝つことが出来れば、彼の世界に大量の生命エネルギーを取り込む事ができる。
アルカディアで育った生き物全てのエネルギーを奪い取り、彼の世界に還元して、残りカスは深淵で消し去ってしまえば、彼の世界が甦る可能性は高い。
余所の世界から奪う権利は、与えた者にだけ生じる。
しかし神々にも無言の不文律が存在し、ただ貸すと言っただけでは、周りが納得しない。
貸すと奪うは同義だからだ。奪う事が前提な貸与を、他の神々は見過ごさないだろう。
なので、あえて口にした。
見事、育て上げたなら、全てを譲ると。
神々の前での約束は盟約と同じ。必ず履行されなくてはならない契約。
だからこそ、旧く老獪な神々も黙認したのだ。良い顔はしないが、盟約であれば神々同士の理である。物言いは出来ない。
神々の理に疎く、幼いアルカディアの神々は、満面の笑みで賭けにのってきた。
勝ったと思った。
あれだけ、初めての世界に浮わついた神々だ。必ず下手を打つと確信していた。
だから気が急いた。アルカディアの文明が停滞し、澱み始めてすぐに賭けの精算を求めてしまった。
それが他の神々の関心をひくとも思わずに。
訝る地球の神々が呈した物言いに、彼は頷くしかなかった。
あれから数千年。アルカディアは如実に変わり始める。
このままでは、賭けの行方が分からなくなってしまう。
今まで通り、魔力や魔法に依存して愚昧な文明のままでいてもらわなくては。
負けられない。
賭けを持ちかけた神は、新たな神託を降ろそうと、カストラートへの水鏡を静かに開いて見つめていた。
そこには年老いた老婆が映っている。
彼女は怪しげな香を焚いた部屋で、ピクリとも動かずに座っていた。
そんな神々の思惑も苦悩も知らぬ小人さん。
明日の冒険を夢見て髭親父と眠る幼子は、今日も元気に我が道を征く♪
賭けを持ち掛けた神の切実な胸中。どちらの世界にとっても起死回生のはずの賭けが、思わぬ展開を見せ、その命運は一人の幼子に託された。
滅ぶのはどちらか。最後の森には何があるのか。あと十数話。
最後までお付き合いのほど、よろしく御願い致します。




