神々の黄昏と小人さん ~むっつめ~
いきなりお休み三日間、すいません。
奥歯が詰め物に負けて割れて、土日で歯医者も開いてなく、痛みで執筆出来ませんでした。
昨日ようやく歯医者にかかったのですが、縦真っ二つの歯に、通常で抜く事は無理だったらしく、半外科手術的になったようです。
おかげで歯痛とは別の痛みでのたうち回るワニがいます。
ああ、まただ。
気づけば真っ暗な場所。ねっとりと絡み付く重い空気に、光る糸。
ハビルーシュは、縦とも横とも分からない曖昧な感覚を受けながら、緩やかに暗闇の中をさ迷う。
何時からだろう。あたくしが、こんな場所へ来るようになったのは。
固く編まれた糸は、かなり緻密で、まるでかぎ針編みのショールのような細かい編み目になっている。
その隙間から見えるモノは何もなく、ただ果てしない暗闇が、不気味な音をたてて拡がっているだけだった。
だけど......
『落ち着くわね』
しっかりとした糸で編まれた銀色の網のようなものは、たゆんっとしていて、寝そべると気持ちいい。
何もかも忘れて、このまま闇の中に堕ちていけたら幸せだろうか。
そんなことを考えていると、ふと、糸が軋む音がした。
ハビルーシュよりも先にいた先住者。ここは彼の作ったモノらしい。
《ああ、来たね。あの子が待ちかねてたよ》
そう言う彼の足元にしがみつく小さな子供。その子は嬉しそうに、あたくしを見つめている。
『あー...』
ふにゃりと笑う可愛らしい女の子。
『いらっしゃい。今日は何のお話が良いかしら?』
ヨチヨチと近づいてきた女の子を抱き締めて、わたくしはお話をする。
思い出話から、お伽噺。とりとめもない雑談のようなモノだが、女の子はことのほか喜んでくれた。
微笑み合う一時の逢瀬。
そんな他愛もない二人を、八つの黒い眼が、じっと見つめていた。
「起きてくださいませ、側妃様」
軽く肩を揺すられて、ハビルーシュ妃は眼を開ける。
そこは見慣れた寝台。後宮北にある、ハビルーシュの宮だった。
側仕えの一人がカーテンを開け、他の二人が朝食や着替えの用意をしている。
トレイに載せられた朝食を受け取り、ハビルーシュは気だるげに食事をとりながら、ベッドのクッションにもたれた。
その頬は微かに緩んでいる。
「夢見がよろしかったのですか?」
一人の侍女が、着替えをトルソーにかけながら少し不思議そうな顔でハビルーシュに声をかけた。
「そうね.... 良い夢を見たような? あら? こちらが夢かしら?」
本気で首を傾げるハビルーシュ。
またかと、顔には出さずに脳内でだけ呟き、側仕えらはハビルーシュの支度をする。
「今日はヘブライヘル・ラ・アンスバッハ辺境伯様がお越しになられます。ささ、御準備を」
「あら。御客様がおいでになるのね?」
諦めたかのような三対の眼差し。もう慣れたが、やはり疲れるものは疲れる。
あんたの父親ですよと、嘆息しつつ、再び脳内で呟く側仕え達だった。
侍女らに、着替えさせられながら、ハビルーシュは先ほどまで見ていた夢を思い出す。
いつの頃からだろう。ハビルーシュは決まって同じ夢を見るようになった。
漆黒の闇に浮かぶ星空のような銀の褥。
鳥の羽毛のように、ふわりふわりと落ちていくと、そこには小さな子供と八つの瞳がいる。
泣きじゃくる子供をあやし、八つの瞳から話を聞くと、そこは彼の作った褥で、いきなり女の子が落ちてきたらしい。
銀の糸の褥は王宮くらいの広さがあり、たゆんっと波打つ柔らかさ。
そこでハビルーシュは、子供をあやすためにお話をした。
八つの瞳に見守られて、座ったり寝転んだり、自由気ままに女の子と遊ぶ。
そんな他愛もない夢を、毎夜見るハビルーシュだが、その記憶の半分は、起きた時に消え、残り半分も食事が終わるころには忘れていた。
着替え終わった彼女は、窓から庭を眺めて、ふっくりと笑う。
「良い天気ね。今日の御茶はテラスでしたいわ」
「ですから。御客様がお越しになるのです。御茶は、また明日にいたしましょう」
「あら、そうなの?」
明らかに忘れた風な返事。
先ほど説明してから、まだ十分もたっていない。さらに言うなら、二日前から毎日同じ説明をしている。
割れるような頭痛と戦いながら、側仕えらはハビルーシュを後宮広間へと連れていった。
「は? アンスバッハ辺境伯?」
ロメールは、こっくりと頷く。
「ハビルーシュ妃の父親で、今回の君の提案に異議ありと駆けつけたようだよ。彼の領地にも主の森がある。君の巡礼を楽しみにしていただろうから、ショックも大きかろうね」
ああ、とばかりに小人さんはフロンティアの最後の森を思い出した。
新生キルファン国の建築にかまけていて、半分忘れていた。
御茶をすすりながら、千尋はロメールの話を聞く。
「今日、その辺境伯がハビルーシュ妃の御機嫌うかがいにやってくるんだ。まあ、実のところ、君に会いにという気持ちもあるんだと思うよ」
人の口に戸は立てられない。
王宮晩餐会で、テオドールと千尋を見比べて、首を傾げる人々も少なくはなかった。
明らかに顔立ちの酷似した二人に、違和感を持つ者も居ただろう。
そういった噂が広まってないのは、ひとえにロメールらが箝口令を徹底してくれたから。
それでも、完璧とはいかない。半年もたてば、いくらかの綻びが起きても仕方がない。
その噂を聞きつけ、確認したくなったのだろうとロメールは思った。
小人さんは自作の御菓子を鞄から出して、ポリポリかじりながら、ロメールにも差し出す。
それを受け取り、ロメールはしばし思案する風に眼を伏せた。
これも日常だ。甘味はすでに定着し、人々の憩いの一時を彩っている。
立体的な刺繍による装飾も当たり前になり、糸の種類や質を大して必用としないソレは庶民にも広がり、それぞれの個性が織り成す刺繍で服飾も賑やかになった。見ていて楽しい。
そして今回のキルファン人らの移住により、多くの技術や道具が生み出されている。
元々、平民は魔力が乏しく、基本的な生活魔法くらいしか使えない。
だから、魔力のない生活にも、然ほど困りはしないだろう。
困るのは、魔力が失われることによって生産性が落ちる大地。
フロンティアの農業も牧畜も、あらゆる物が壊滅的な被害を受ける。王都から離れるほど、その被害は深刻になるだろう。
しかし、それらを打開する術も小人さんが示してくれた。その時に困窮せぬよう、キルファンが当たり前のように農場や牧場を作っている。
なるようにしか、ならないか。
小人さんが良くつかう言葉だった。
「まあ、会いたいと切り出されたら会わない訳にはいかないかな。相手は辺境伯だしね。隣国と接する彼等には労いの意味もこめて、ある程度の融通はきかせたいんだ」
苦笑するロメールを見上げて、小人さんは得心顔をする。
なるほど。
「よろしくてよ。今日は王女として城に滞在いたしましょう」
柔らかく微笑む幼子に、理解が早くて助かると、ロメールは侍女を呼んで着替えさせた。
王宮には千尋の部屋がある。
ほぼ使わないが、どうしても王室として御一家が揃わねばならない時、ここで小人さんの洋服を脱ぎ、王女に着替えるのだ。
ワンシーズンに一度程度だが、それでも一応の形として部屋はある。
クリーム色で無地のAラインドレスに、肩から斜めがけの帯飾り。帯には細かい刺繍がされており、房の飾りのついた組紐で結ばれていた。
そして頭にはウィルフェ王子から贈られたティアラが輝いている。
シンプルな中にも気品の漂う立ち姿。
千尋のドレスを仕立てる時、なんの飾り気もないドレスを指定されて、怪訝に思ったものだが、こうして改めて見ると、見事な物だとロメールは眼を見張った。
ドレスはシンプルなれど上質の絹で、所々にされた銀の刺繍が程好く全体を彩り、装飾品の引き立て役になっている。
軽やかで、かつ気品を際立たせた装い。
幼く可愛らしいからこそ、華美な装飾はいらない。下手に豪奢なあしらいは、むしろ重い印象を抱かせる。
こういうセンスは、洋風な文化の色濃いフロンティアには無いものだった。
「いや、ほんと。君の感性には脱帽だね」
「たまの事とはいえ、王家の体面もありましょう。季節の色で数着仕立てれば、あとは装飾品で印象を変えた着回しが出来ます。便利なドレスでしてよ?」
にこっと笑う小人さん。
あのね、仮にも一国の王女が、便利な着回しって。......まあ、そういう子だよね、君は。
呆れ半分のロメールが乾いた笑いを浮かべていた頃、王宮の謁見室では、バンフェル侯爵が国王を前に気炎をあげていた。
「このような神の御心に逆らう行為は許されませぬぞっ、陛下っ、今一度、御再考をっ!」
前回、幼女の気迫に呑まれ、あれよあれよと決まってしまったフロンティア土壌改良計画。
国家規模で行われるそれは、一大プロジェクトである。
区画を整理し、農業と牧畜を合わせ、土地を肥やしていき、問題があれば、その都度すり合わせ、長期に亘り行われるプロジェクトだ。
一夕一朝で出来るはずもなく、多くの資金も必要となる。
神々の恩恵が溢れるフロンティアには必要のない計画だった。ただの税金の無駄遣いだ。
バンフェル侯爵は、本気でそう思っている。
老骨から真剣な眼差しで見据えられ、国王は軽く溜め息をついた。
「それは何を根拠に申しておるか」
「根拠?」
「そうだ。周辺国が魔力を失い、文明が後退したことは、そなたも知っておろう。それがフロンティアでは絶対に起こらないという根拠を述べよ」
言われてバンフェル侯爵は言葉に詰まる。
神々の御心などと言う戯言が根拠にならない事は、彼にも分かっていた。
グレイシオス伯爵の言には、隣国の実情と言う根拠がある。一度起きた事が二度起きない保証はなく、余所で起きた事がフロンティアで起きない保証もない。
しかしそれは、フロンティアが神々に愛された魔法国家である矜持を、いたく傷つけるものだった。
絶対に認める訳にはいかない。
そう思って望んだ議会で、その神々の寵愛を一身に受けているはずの金色の王から、全否定されたのだ。
神々の恩恵は絶対ではないと。
まるで夢見がちな子供を叱るように、あの幼子は、バンフェル侯爵率いる保守派を一刀両断にした。
現実を見ろと。何故に、そんな盲目的に神々の恩恵を享受出来るのかと。
あの幼子の据えた眼差しは語っていた。
言い淀むバンフェル侯爵を見下ろし、国王は少し躊躇いながらも口を開く。
「あれはな。神々から同等であると認められた子供だ。その行動に物を申すことこそ、神々の御心に逆らうことであろう」
思わぬ言葉に絶句するバンフェル侯爵に、国王はキルファンで起きた一連の出来事を説明した。
ロメールや王国騎士団が眼にした神々の降臨。その神々と対等に取引をした小人さん。
はくはくと言葉を紡げぬバンフェル侯爵の脳裏には、現人神の文字が過る。
「チィヒーロの行動を神々が認めておる。これ即ち、神々の代行をチィヒーロがやっておるということに他ならない。昨日の議会には多くの貴族がいたため申せなんだが、そなたなら分かるな?」
努めて穏やかに話しかける国王。
バンフェル侯爵は、今になって、ようやく己の失態を理解した。
だが、それでも神々への信仰は揺るがない。
それが神々の望むものではないとしても。
彼は低い声で暇を告げると、静かに王の御前を辞した。
それを見送りながら、国王は疲れたように玉座に沈みこむ。
このままで終わる訳がない。だが、何がどうなるかも分からない。
得体の知れない不安を胸に抱きつつ、国王は千尋の部屋に向かった。
今日は彼女が来ている事を国王は知っている。疲れたオジさんは、癒しを求めて無意識に小人さんの元へ向かっていった。
ほんと、すいませんでした。なんか最近、悪い事が立て続けなワニです。
ロキソニンきかなくて、歯医者さんに相談したら、最大3錠までは良いと言われて一時間ずつおいて3錠飲んだところで、ようよう痛みが半減しました。
やれやれです。おかげで執筆に集中が戻りました。
遅くなりましたが、続きです。御笑覧ください。
もう、何も起きないと良いなぁ。




