厨房の小人さん
一日でポイントが四百越えてましたので続編書きました。ワニの作品では初めての事です。
取り敢えず木に登って、お調子づくワニがいます♪
「ここが俺の家だ」
連れて来られた場所は城の外郭内側に建つ小さな邸だった。
小さいと言っても日本の一般建て売り住宅の五倍はある。
千尋は目の前の小綺麗な邸を茫然と見つめていた。
名前は相模千尋。
地球で交通事故に遭い死んだはずが、気づくと瀕死の子供の中にいた。
死にたくないと必死に足掻き、親切な料理人らに保護されて今に至る。
どうやら、ここは異世界らしい。
千尋を抱き上げたまま快活に笑う、熊のように大きな男性。
彼は宮廷料理人、料理長のドラゴ。
親も住むところもない得体の知れない幼子を引き取ろうという奇特な男性だった。
「今日から、ここがチィヒーロの家だ。覚えておけ」
そういうとドラゴは扉を開ける。
施錠はしないのかな? そういう世界観?
カチャリとドラゴが扉を開けると、中は広く、正面には観音開きの扉。その左右に二階へ上がる階段がある。
日本でいう豪邸だね。こういうのテレビで見たわ。
一介の料理人が住む家ではない。
敷き詰められた厚手の絨毯に下ろされ、千尋は心許無げにドラゴの脚へしがみついた。
それを優しく見下ろして、ドラゴは声を上げる。
「ナーヤっ、いるか?」
ドラゴが奥に向かって叫ぶと、パタパタと足音がして、男性と女性の二人が現れる。
そして千尋は思わず眼を見張った。
「御待たせ致しました、旦那様」
恭しく頭を下げる二人。
一人は老齢な男性。丁寧に撫で付けた白髪混じりな茶色い髪に、ピシッとした佇まい。
彼の名はナーヤ。ここの執事らしい。
さらにもう一人。赤い髪に桃色の瞳。彼女はメイドのサーシャ。頭にキツネのような大きな耳とスカートの後ろで揺れるモッフモフな尻尾。
この彼女、なんと獣人であるっ!!
うあああぁっ、マジもんだよっ、コスプレじゃなくっ! ピクピク動いてるよぉぉっ、耳っ!!
眼を見張ったまま身動きも出来ない千尋に苦笑し、ドラゴは目の前の二人に説明する。
「コイツは今日から俺の養い子になったチィヒーロだ。俺の娘だ。よろしくな」
そしてしばらく宙を見つめて、チラリと千尋を見た。
「娘だよな?」
そこかいっ!
憮然と頷く千尋を見て、ドラゴはほっとした顔をする。
あ、なんかちょっと可愛いかも。見かけは熊だけど。
ドラゴは薄汚れた千尋を風呂に入れるよう指示し、執事には子供服の調達を任せる。
そして自分は仕事を果たすべく厨房に戻っていった。
風呂の用意が整うまで、千尋は小さな椅子に座らされる。手元には御茶とドライフルーツ。
久方ぶりの甘味に、口の中から唾液が溢れだした。甘味だよね?
「いただきまーす」
喜び勇んで、ぱくっと口に入れて咀嚼すること数回。千尋は複雑な顔で首を傾げた。
あんまり甘くない。干し野菜の果物版だ、コレ。
期待しただけに落胆の大きい千尋を、サーシャが抱え上げて風呂に運ぶ。
千尋は未練がましく、未だに口をモゴモゴさせていた。
お風呂は..... うん普通だ。
湯船に浸かり、彼女はほうっと息をつく。
やっぱお風呂は良いなぁ。あの部屋から脱出して十日ちょいだけど、その前からドロドロに汚れてたもんね。
洗濯場の盥に水があるときは水浴びしてたけど、それ以外は清拭くらいしか出来なかったし。
もふーんと寛ぐ幼女の髪を、サーシャがお湯で丁寧にすいていた。
地肌の痒みも取れて、スッキリさっぱり、大満足な千尋である。
そして色々尋ねてみると、ドラゴは腕のたつ料理人で、その働きから男爵の爵位と邸を賜ったらしい。
一代限りの爵位なので、千尋には関係ない。
彼は料理長の御給金と貴族としての年金もあり、それなりに裕福そうだ。
なるほどね。私一人くらい養うのに問題ないって事か。
色々話を聞き邸の案内などされて、千尋がお昼寝を始めた頃、一旦ドラゴが戻ってきた。
昼寝する千尋の寝顔を心配そうに見て、いきなり彼の顔が凍りつく。
眼を見開いたまま思考が停止するドラゴ。
綺麗に洗われ、すよすよと眠る可愛らしい幼子。
それを驚愕の眼差しで見据え、彼は覚束無い足取りのまま厨房に戻っていった。
「ヤバい」
「は?」
狼狽しつつも仕事を完遂したドラゴは、後片付けをしているアドリスに、ヒソヒソと話し出す。
「チィヒーロの眼の色は覚えてるか?」
「眼? あー、薄い茶色だったかなぁ。ミルクティーみたいな」
「茶色.....だと良いが」
「へあ?」
神妙な面持ちのドラゴに、アドリスは首を傾げた。
「どうしたんですか? チィヒーロは髪も眼も薄い茶色っしょ?」
「茶色じゃない、金だ」
「はっ??」
「風呂に入れて洗ったら金髪だったんだよ」
「はーーーーっっ!?」
二人は無言で顔を見合わせる。
金髪と言えば王家の印だ。つまりチィヒーロは王家の血を引いている事になる。
だが、王女殿下らに某か起きたという話は聞かない。あんな小さな王女が行方不明となれば、上を下への大騒ぎなはずだ。
「洗礼前の殿下らは後宮におられる。こんな城の裏側にくるはずがない」
「後宮は後宮に厨房ありますしね。噂くらいしか耳にしてませんが、年齢的には第七王女か第八王女か」
「第六王女もだ。第七王女と双子だと聞く」
「......そんなんが姿を消したら、とうに大騒ぎですよね」
「だよな」
二人は神妙な顔で天井を仰いだ。
あと、有り得る可能性といえば.....
「......御落胤?」
「それくらいしかないな」
どこぞのやんごとない身分な方の御遊びの果てに生まれる嫡外子。
「何かの理由で育てられなくなった母親が捨てたか、あるいは不義の証拠の隠滅でもはかったか」
「どちらにしろ、ろくでもねぇ....」
二人の背中に冷たいものが走る。前者より後者の可能性の方が高いからだ。
何故なら、チィヒーロは部屋に軟禁されていた。
もし彼女が年相応で、あの部屋から逃げ出せなかったら、間違いなく死んでいただろう。
それが親の狙いだとしたら?
「.....隠さないとな」
「ありがとうございます」
匿う気満々なドラゴに、アドリスは頭を下げた。
「ん?」
「チィヒーロを見捨てないでくれて」
言われてドラゴの顔がみるみる険しく歪む。
「当たり前だろうがっ、何の罪もない子供を見殺しに出来るかっ、いよいよとなれば、担いで逃げるわっ!」
眼を怒らせ、ふーふーと肩で息をするドラゴを見て、アドリスは破顔した。
自分は相談相手を間違っていなかった。彼ならチィヒーロを、しっかり守ってくれるだろう。
来るなら来いやぁっと叫ぶ熊男に、アドリスは呆れた眼を向ける。
いや、来ないなら来ないにこした事はないですからね?
じっとりと眼を据わらせ、彼は頭の中でだけ反論した。
「それで、これだ」
翌朝ドラゴは、ナーヤに用意させたフード付きポンチョを千尋に着せる。
薄い緑のポンチョ。裾に濃い緑の葉っぱと橙色の小花が刺繍された可愛らしい物だ。
クルリと一回転して見せた幼女に、ドラゴはしまりのない笑顔で頷く。
「お前の髪は人に見せちゃいけない。フードで隠すんだ。わかったな?」
あー、何かあるんだね。不味い理由が。
説明されなくとも察した千尋は、何度も小さく頷いた。その千尋の頬に触れ、ドラゴはマジマジと見つめる。
「眼もなぁ。....茶色く見えなくはないが。金の光彩だよなぁ」
金?
千尋はまだ自分の姿を見た事がない。髪は前髪だけだが見た事はあった。
だから金髪なのはわかる。眼も金なのかな。
首を傾げる幼子をぎゅっと抱き締め、ドラゴはそのまま抱え上げて家を出ようとする。
ぎょっとした執事が、力一杯それを引き止めた。
「旦那様っ、御仕事でございましょうっ、御嬢様は、わたくしどもが御世話いたしますからっ」
「だが、何かあったら..... チィヒーロは、こんなに可愛いし、こんなに軽いんだ。拐かされでもしたら、どうする?」
「ここは王宮でございますっ、誰が拐かすとおっしゃるのですかっ」
実際、チィヒーロは殺されかかったのだ。
喉元までせりあがる言葉を、ぐっと呑み込み、ドラゴは渋々.... 本当に渋々、千尋をサーシャに手渡した。
「早目に帰るからな。良い子にしてるんだぞ?」
「うん。お父ちゃん、いってらっしゃい」
小さな紅葉の手を振り、ほにゃりと笑う柔らかい笑顔。
ドラゴの胸に、ジワリと温かい物が染み渡る。
お父ちゃん。お父ちゃん。お父ちゃん。そうだ、俺は父ちゃんになったんだ。
ああああ、子供って、こんなに可愛いモンなのか? それともチィヒーロが特別可愛いのか? きっとそうだ。うちのチィヒーロは世界一可愛いっ!!
「チィヒーロ、やっぱり一緒にっ」
「いい加減になさいませーっっ!!」
執事の雄叫びに叩き出され、ドラゴは泣く泣く厨房へ向かった。
「全く、旦那様ときたら....」
ぶつくさ文句を言いつつ、ナーヤは優しく千尋を見下ろし、サーシャの腕から抱き寄せる。
「御父様ですよ? 御嬢様は男爵令嬢になられたのですから。御父様と御呼び下さいね」
「御父しゃま」
あ、噛んだ。
幼児の滑舌エ....
気をつけていても、時々噛んでしまう。
うにうにと口や頬っぺを引っ張る幼子に、ぷっと噴き出し、ナーヤは千尋を居間に運んだ。
そしてソファーに座らせると、これからの色々を話し出す。
「御嬢様は男爵令嬢として教育を受けねばなりません。御勉強や習い事です。分かりますか?」
千尋はコックリと頷く。
それに軽く眼を見張り、ナーヤは昨夜のドラゴの話を思い出していた。
『あれは賢い子供だ。見てくれどおりだと思うな。たぶんだが貴族学院初等部並みの理解力はあるな』
ドラゴは千尋の挨拶や態度からそう推測していた。
それを確認しつつ、ナーヤは探るように千尋へ説明を続けた。
「文字は読めますか? 計算は?」
そういうと彼は千尋の小さな手に本を渡す。厚手の紙で出来た薄い本。
紙の本があるんだ。結構進んだ文明なのかな。
千尋はページをめくり、軽く瞠目する。
文字の上にルビが振ってあった。しかし、ゆらゆらとしたそれは、紙に記載されている物ではない。本の表面に浮かんでいた。
これが転生特典かな? 言語に不自由しないのは大事だよね。
「あるひ、おかあさんが、はたけで、ことりを、ひろい、ました」
辿々しいが読めている。ナーヤは感嘆に眼を見開いた。そして何かを言おうと彼が口を開きかけた瞬間、裏からサーシャが慌ててやって来る。
少し焦った感じで、片手に木の札を持っていた。
「ナーヤ様、これ合わなくて」
サーシャが持ってきたのは数字の書かれた札。それが五枚。
一枚ずつテーブルに並べ、サーシャは困惑気に手を頬に当てた。
「木札の合計と金庫の金額が合わないんです」
ナーヤは木札を手にとると、計算機を持ち出して一つずつ計算していく。
結び目のついた革紐の計算機は使いにくそうで、時間がかかっていた。
それを横から覗き込み、千尋は木札を指さす。
「ここ。数字が違う。ここも」
数字は読める。ただ、ここは日本と同じように文字数字で、簡潔なアラビア数字的なものはないようだ。
日本の漢数字を使って三桁の筆算をしてみると分かるだろう。桁が合わなくて計算しづらい。
ここでも同じ事が起きていた。
「これ、三百五十を二千二百なら、六十七万五千と.....」
千尋は頭で暗算し、口頭で足していく。中学に上がるまで六年間通った珠算塾。彼女は珠算二級持ちである。暗算なら御手の物。
スラスラと次々計算してゆき、気付けば合わなかった数字全てが洗い出されていた。
「こんなに..... 苦情を入れないと。サーシャ、便箋を持ってきなさい」
どうやら食材の値段をぼられていたようだ。
怒りも顕なナーヤをチラ見し、千尋はトントンと木札を指で叩く。
「これって平民相手でしょう? 商家通してる?」
「いえ.... 農家から直接仕入れております」
「端数が丼勘定で切り上げられてるのよね。見逃してあげられない?」
平民の、しかも農家なら算術がちゃんと出来てるかは、あやしい。大きい金額もあるが、殆どは僅かばかりの端数だ。
計算が上手く出来なくて大まかな数字を出した可能性もある。
それをナーヤに説明し、千尋は足をブラブラさせながら、にんまり笑う。
「次からは計算表を用意して取引しよ。数は分かってるんだから、出来るでしょ? 農家に無茶言ったらダメだよ」
ほくそ笑む幼児に、ナーヤは二の句が継げず冷や汗を垂らした。
貴女、おいくつですか?
年齢詐欺にも程があるでしょう? 規格外れな算術に、その口調、その説明。絶対に歳を誤魔化してますよね?? あああ、歳だけじゃない、身分もっ!
目の前の幼子は、間違いなく高度な教育を受けた人間だ。下手をしたら、貴族や王族よりも上の。
王族よりも上? そんなんある訳ないじゃないですか。ある訳.......
目の前に現実がありますね。有り得ないは、無いですね。
少し遠い眼を達観させ、ふとナーヤは先程の絵本を思い出した。
「御嬢様、計算はお上手なようですが、読み書きは苦手ですか?」
すると千尋は困ったかのように眼を泳がせる。
その様子に胸を撫で下ろし、ナーヤは得心顔で頷いた。
そうですよね。誰だって得手不得手はあります。好きこそものの上手なれ。まだまだこれからですよね。
小さな幼女を貴婦人にするため、ナーヤは教師の手配をする。
だがこの時、彼は自分が既に規格外の幼子から、精神汚染を受けている事に気づいていなかった。
二歳の幼児に家庭教師をつけるなど、貴族でもやりはしないのである。
洗礼あたりまでは家族から教わったり、見て覚えたり。ゆるゆるなのが普通だった。
千尋と触れあううちに、そういった常識が完全に欠落してしまったナーヤである。
「そうか、チィヒーロは賢いな」
ナーヤから話を聞き、ドラゴは満面の笑みで千尋の頭を撫でくり回した。
今日は午後から商人がやって来て、千尋に必要な下着や洋服を買い、さらに街に出掛けて勉強道具も買い揃える。
嵩張る物は配達してもらい、馬車でのんびりと街を一周した。
時代的には地球の中世。あれだ、ルネッサンス的な古き物と新しい物が混在した移り変わりの時代。
そんな印象を受ける街だった。
千尋を膝に乗せたまま、ドラゴはポケットから小さな箱を取り出す。
そして中から細いネックレスを手に取り、千尋の首に着けた。
可愛らしいリンゴのモチーフのペンダントトップ。浮かし彫りになったリンゴがキラキラ輝いている。
「これは俺の紋章だ。一代限りなんで、身近な物からとった。チィヒーロ・ジョルジェ。これがお前の名前だ」
そう言うとドラゴはペンダントトップを裏返した。
そこには流麗な文字で、チィヒーロ・ジョルジェと書いてある。
「何かあったら、それを示せ。お前の身分証になる」
そして更には一枚の書類。
テーブルに置かれたそれは、ドラゴと千尋の養子縁組みの書類だった。
「遠縁から子供を引き取ったって話にしたら、文官から薦められてな。これで晴れてチィヒーロは俺の娘だ」
慈愛に満ちたドラゴの笑顔。それに思わず抱きつき、千尋は言葉も出なかった。
鼻の奥がツンとする。なんて良い人達に出逢えたんだろう。
今世、親に恵まれなかったと思っていたが、御釣りがくるほどの幸運に恵まれた。
何かしたい。何が出来るだろう?
よしっ!! 御飯の分は働こうっ、自分の口くらいは糊しないとねっ!
翌日から、再び厨房に小人さんが現れた。
芋や人参を置いておくと、いつの間にか綺麗に剥かれている。
人気のない厨房で薄い緑の影が走る。
いつの間にか洗い物が終わってる。
次々と起こる不思議現象。
首を傾げる料理人達の中で、アドリスだけが口を押さえて小刻みに肩を揺らしていた。
小人さんを捕まえようとドラゴが走り回ったが、何故か裏手の階段辺りで見失ってしまう。
クスクス笑う小人さんの首には、綺麗なリンゴのペンダントが輝いているそうな。
ようやく千尋は安心出来る暮らしを手に入れました。
これからまったりやっていきます。
(´▽`)