薔薇の刺繍と小人さん
連載になったので、切りの良いところで投稿していきます。
短編だと、どうしても詰め込み気味になるので、連載にして良かったです。
本日二話目、御笑覧下さい。
「「「もはや教える事がありません」」」
ナーヤは驚いて眼を見張る。
そこには算術、礼儀作法、語学の教師三人。
彼らは穏やかな顔で静かに立っていた。
「お嬢様の算術は嗜みの範疇を越えております。私に教えられる事は、もう何もございません」
「同じく作法もでございます。お嬢様は驚くほど覚えがよろしく、一通りはマスターなさいました。これ以上なれば、その道の専門家が必要でございます」
「さよう。語学も然り。基本から応用まで、通常の言語を網羅しておられます。あの集中力は見事なものです。私も、あとはその道の専門家が必要と存じます」
この三人は上級貴族の子弟を教える家庭教師。男爵家という家格に見合わない上等な彼等を、親バカなドラゴが招いたのだ。
その三人が揃いも揃って、もはや教える事がないと?
千尋が拾われてから半年。季節は秋にさしかかろうとしている。
御嬢様..... いや、仕方ありませんね。
残るは歴史と地理と刺繍の先生ですか。さすがにこちらは、まだまだかかるようですね。
学びに貪欲な日本人。興味があればとことん追求する性質は異世界に来ても変わらないようである。
まして千尋は幼児だ。時間も有り余ってるし、幼児の脳細胞は覚えも良い。
感覚も鋭敏で、彼女自身が新しい身体の吸収力に驚いているくらいだった。
幼児は覚えが良いとは聞いていたが、ここまでとはなぁ。毎日が楽しいっ!
新しい事の多くを千尋は楽しんで学んでいた。
まあ、例外もあるのだが。
「こちらを参考に針を入れましょう」
出されたハンカチには鳥の模様。緩急つけた色とりどりの糸で複雑に刺された刺繍は見事の一言に尽きる。
こちらではサテンステッチが主流でロングアンドショートステッチなどを混ぜた平坦な刺繍が多い。
実用重視なのだろう。あまり立体感があると、引っ掛かりやすいし、使いにくい。
その分、細部には拘り、まるで絵画のように見事なモチーフが描かれていた。
こういうのはセンスよなぁ。アタシには厳しいかも。
むーっとハンカチを見つめ、千尋は辿々しく針を刺していく。
習いだして半年。彼女もそれなりに刺せるようにはなっていたが、いかせんこういった手習い系は経験がモノを言う。
何度も繰り返し、コツを掴み、慣れ親しむのが大事なのだ。
だが、技術は向上してもセンスの差は越えがたい。
「良く刺せておられますよ。ただ、もう少し色が欲しいですね。こことか。赤を混ぜてみませんか?」
先生に言われたとおりに刺すと、あら不思議。ぽやんとした色合いだった千尋の刺繍に存在感が出る。
うーっ、わからんっ! アタシは原色系のハッキリしたのが好きだしなぁ。
指が小さいので、こういった作業にはうってつけなのだが、モチベーションがあがらないのは、どうにもならない。
ぐぬぬと刺繍を見つめて針を動かす幼子に、先生は微笑ましそうな笑みを浮かべ、そっと小さな手に指を添えた。
「根を詰めすぎても良くありません。少し休憩いたしましょう。御茶を頼んできますね」
優しい先生に涙が出るわ。いたらない生徒で申し訳ない。
扉から出ていく先生を見送りながら、小人さんは両手を合わせて拝んだ。
小人さんは知らない。彼女の刺繍の上達ぶりに眼を見張り、先生がわきゃわきゃと興奮気味である事を。
緑の髪を綺麗にひっつめた先生は足取りも軽く、踊るように階段を降りていく。
その薄紫な瞳に浮かぶのは嬉しそうな歓喜。
三歳にもならない幼児に刺繍を教えて欲しいと言われ、最初は何の冗談だろうと思ったが。
居並ぶ教師陣の殆どが刮目する幼子は、刺繍すらも人並み以上の才能を見せた。
なんて事でしょう、チィヒーロ様は天才だわっ!
先生の名前はキャスリン・リンダス。齢三十四の伯爵夫人だ。
子供達も学園に通うようになって手が離れ、余暇をもて余す彼女は刺繍の指導に招かれるようになった。
下位の男爵令嬢であったキャスリンが刺繍の腕で伯爵令息を射止めた事は有名で、その縁にあやかりたいと、多くの貴族から御令嬢の指導を望まれる。
そんな多くの御令嬢らの中でも、一際秀逸なのがチィヒーロだ。
三歳にもならぬ幼いチィヒーロは、危なげなく針を持ち、心得たかのように進めていく。
既に基本を身に付けている幼児に、キャスリンは瞠目し、ぞわりと這い上る歓喜で背筋を奮わせた。
チィヒーロは教えた分だけ応えてくれる。
最初は上手く表現出来なかったモチーフも、今では十分な作品だ。
少し手を貸してやれば、王妃様に御披露目しても恥ずかしくないモノに仕上がる。
あとは研鑽あるのみ。
小人さんは知らない。彼女が御手本にしているハンカチがキャスリンの作品だという事を。
国に名だたる刺繍の名手。その作品に劣ると言われて、誰が蔑もうか。
むしろ、多少の手が加わっただけで、その名手に認められるチィヒーロの刺繍は、まぎれもなく超逸品だった。
次の季節で三歳になる幼子の御手がだ。
これが、どれほど凄い事をなのか、チィヒーロは知らない。知らないから、さらにやらかす。
小人さんクオリティーである。
「御茶をお持ちしました」
頼まれた御茶をとお菓子を持ってきたサーシャは、部屋の中のおかしな雰囲気を察知した。
緊張に満ちた空気。
椅子に座ったチィヒーロは、一心不乱に刺繍を刺していて、その背後に立つキャスリン先生は顔を強ばらせて限界まで眼を見開き、その刺繍を凝視している。
その真剣な雰囲気に思わずサーシャも固まり、しばらく静寂が辺りを満たした。
そしてプツリと糸を切る音が聞こえ、満面の笑みでチィヒーロが刺繍枠を持ち上げる。
「できたーっ」
そこには色とりどりな小さなバラの花。
コーチングステッチやフレンチノットステッチなどを駆使し、立体的に浮き上がる薔薇。
数本の薔薇を束ねて、リボンで結び、その周囲には薔薇の葉や花びらが散らされている。
地球人なら見慣れた刺繍だ。だが、サテンステッチ主流のフロンティアでは、全く存在しない刺し方だった。
面に描くのではなく、面に造る刺繍。
固唾を呑んで見守っていたキャスリン先生は、感嘆の溜め息と共に、その刺繍枠を受け取った。
そしてなぞるように指を滑らせて思案する。
これは、王妃様にお知らせせねば。
ようやく動き出した部屋の空気に胸を撫で下ろし、サーシャが御茶を運び込んだ。
無邪気に喜ぶ千尋をキャスリン先生は怪訝な眼差しで見据え、自分の手にある、あきらかに迷いのない御手の立体的な刺繍と交互に見比べる。
チィヒーロ様は、この刺し方を何処で覚えられたの?
キャスリン先生がサーシャに御茶を頼んで戻ってくると、そこには必死に針を動かす幼子がいた。
休憩だといったのに。
その集中力は素晴らしいもので、キャスリン先生が戻ってきているのにも気づいていない。
この並みならぬ集中力が多くの学びに役立っている。子供に在らざる集中力だ。
キャスリン先生はそっと近寄り、何を刺しているのか覗きこんだ。
そして固まる。
彼女は、くるくると器用に糸を巻きつけ、次々と薔薇の花を構築していた。
描いているのではない。作っている。
なんなの? 刺繍なの?
言葉もなく見入ること十数分。
出来上がったのがコレである。
通常の刺繍よりも艶やかで、ハッキリと刺されたそれは、原色の色使いが美しく際立っていた。
何よりも簡単である。子供の手習いにもってこいだろう。あの手つきからいって、この技術は然程難しくはない。
面に描く刺繍は技術とセンスが必要だ。苦手とする御令嬢も多い。
これは流行になるわ。でも、いったい何処でこんな刺繍を教わったのかしら。
刺繍に関しては一家言あるキャスリンだ。遠方の作品も取り寄せたりと、今まで学び、研鑽してきた。
そのキャスリンすらも知らない刺繍。
ここにまた、一人の人間に猜疑の種を植え込んだ小人さんである。
小人さんのやらかしは止まらない。風の向くまま気の向くまま。彼女は無意識に地雷を踏みつける。
そんなこんなで賑やかですが、今日の小人さんも元気です。
はい、いつもの小人さんクオリティーです。
刺繍とか、レース編みとか、ああいうのって、一回は憧れてやるんですよね。大抵、すぐに飽きるんですが。
そうそうww と共感いただける方はお星様宜しくです♪




