11 名前はまだ無い
旅館の2階から夜景を臨む。
川に沿って提灯の明かりと桜が交互に並んでいる。下から光を当てられた桜のピンクは何だか艶めかしい。水面に浮かぶ花びらは、まるで時の流れを象徴するかのように、ゆっくりとあてもなく流れていく。なかなか風情があってよろしい。
オッサンがNPCを連れ戻してきたところで夕食にした。
旅館の飯はなかなか豪華だった。宴会場のでかいテーブルを埋める皿を摘まみながら考える。
師匠は口うるさくてメンドウだけど嫌いになれない同級生。
ビッチは冗談を言い合える腐れ縁の女友達。
ミルクはなぜか無条件に自分を慕う可愛い後輩。ちょっと幼すぎるが。
としたらこの女はなんだろう?
NPCのくせに言うことを聞かない。ちっとも懐かない。
なのに、つい気になってしまう。
高嶺の花なんて言葉があるそうだが、まあ、学年に一人ぐらいはいる。男子なら誰でも好きになってしまうような子が。
NPCである彼女は窓枠に腰かけて夜桜を眺めている。
そんな彼女に向かってビッチが唐突に口を開いた。
「ネ。アンタ、女の子の大事なパーツ、ついてンの?」
味噌汁を噴いた。俺の汁を顔面に浴びて師匠の動きが止まる。
「あ、ご、ごめん」
師匠はタオルを取り出して顔を拭きながら「死にたいの?」と、静かに怒る。
「い、いや。その、おい、ビッチ! ご飯中になんちゅうことを!」
だが、ビッチは大真面目だ。
「ハ? だって大事な事じゃない?」
もう一度、味噌汁を噴いた。今度は師匠に引っ掛けなくて済んだ。
ビッチに代わって師匠がNPCに話しかける。
「あなた、名前は?」
だが、彼女は知らんぷり。
「どこから来たの?」
やっぱり彼女は興味なさそうに外を眺め続ける。聞こえてないのか?
イラっときたのか師匠が意地悪そうな顔で提案する。
「呼び名が無いなら決めちゃおうか? ナナシノゴンベーとか?」
わざととはいえ酷いネーミングだ。
ビッチが引きつった笑顔でフォローする。
「じゃあ、吾輩は猫である。『ネコ』で良くない? 猫みたいだし。ああ、『吾輩』でもいいかナ?」
なんだ、そのセンス? フォローになってない。
しかし、当の本人はまったく会話に加わってこない。自分の呼び名が勝手に決められようとしているのに。
そこにオッサンが口を挟む。
「さすがにその名前はちょっと……人工知能とはいえ相手はご婦人ですし。まあ、お二方のお怒りはごもっとですが、そこはもう少し寛容に名付けてはいかかでしょうか?」
大人な対応だ。その辺はだてに年を取ってない。とはいえ、このままじゃロクな名前は浮かんでこないだろう。
「お前、ホントに名前無いのか?」
俺がそう声を掛けると急に彼女が振り向いた。
目が合う。その凛々しい赤い目にハッとする。夜桜を背景にした彼女は驚くほど美しい。
その口元が微かに動いた。
「……お……るさ」
うまく聞き取れなくて尋ねる。
「え? 『るさ』? 『りさ』じゃなくて?」
だが、彼女は否定も肯定もしない。黙って再び窓の外に目を向ける。
「ルサだってさ」
俺がそう言うと師匠とビッチはポカンとしている。
「全然、日本人ぽくないけどな。そういう名前らしいぜ」
彼女の名前は判明した。だが、なんだかシラけた雰囲気になってしまった。
しばらく沈黙していると襖の向こうでドンチャン騒ぎをしていた連中が突然乱入してきた。
「飲んでますかァ! 一緒にどうですかァ!」
男は随分酔っている。酒瓶片手に赤ら顔でこちらの面々を眺めまわす。その後ろからもう1人、こちらもマッチョ系の男が顔を出す。
「うおっ、女の子居るじゃねえか!」
酒瓶男はマッチョの肩に腕を回して笑う。
「へっへ、しかも皆、可愛いじゃねえか! なあ」
師匠が「お呼びじゃないわ」と不快そうな顔をする。
ビッチもうんざりした顔で首を振る。
「アタシもパス。てかホントうざいから。消えて?」
2人の冷たい対応に酔っ払いが怒る。
「何だよ。てめえ、喧嘩売ってんのか? お?」
酔っ払い達がズカズカとこっちの部屋に入ってきた。
「俺ら仕事仲間なんだけど、仲間多いぜ? 仲良くしておいた方が……」
うっとうしいので酒瓶を奪って、それで頭をぶん殴る。『ガチーン!』と音がして男が失神した。
「悪りい。会心でちゃった」
バトルでなくても時々こんな風に会心攻撃が出てしまう。
仲間が気絶したのを見てマッチョな酔っ払いが腕まくりする。
「おうおう。やる気かテメエ!」
「うるせぇよ」
取りあえずキック。それがまた会心攻撃になってしまった。
「ぐぎゃっ!」と、マッチョは窓の外まで吹っ飛んで川に落ちた。
ちょうどNPC、改めルサの目の前を掠めるように飛んで行ったので彼女が怖がっている。綺麗な女というものは、例外なく取っ付き難そうな雰囲気を持っている。でも、そんな美しい女が怯えたような表情を見せるのは、ぐっとくるものがある。
「大丈夫だ」
俺はルサの手を取って頷いて見せた。すると彼女は少しだけホッとしたような顔を見せる。が、それも一瞬で、また、無表情に戻って窓の外を眺め始めた。
まったく愛想の無い女だ……。
* * *
この世界の温泉はいい。
現実世界に居た頃は、温泉なんてジジくさいと思って敬遠していた。ところが、なかなか、どうして悪くない。
夕飯の後に旅館の温泉に浸かっているとオッサンが「先生、お背中を流しましょうか?」と言う。
「いや。いいよ」
さっきの件。ルサのつれない態度を思い出しながら、オッサンと並んで岩場の湯に浸かっていると、ガッチャンガッチャンと金属音が近づいてきた。
「な、なんですと?」と、オッサンが周囲を警戒する。
湯煙のせいで音の主は判別できない。が、すぐに正体がわかった。
「み、ミルク殿!?」
オッサンが先に反応した。
「ミ、ミルク殿! こ、ここは殿方用ですぞ! 女湯はあちら……」
オッサンは慌てているがミルクはトロンとした目で「ムイ?」と、首を傾げる。
「ああ、いいんだ。こいつ、時々、俺と入りたがるんだよ」
「そ、そ、それは! 先生はそれで宜しいのですか?」
「ま、いつものことだからな」
寂しがり屋なのか何か知らないが、なぜかミルクは俺と風呂に入りたがる。
まあ、水着の代わりに火器が装備されているので混浴ではない。
湯に浸かってミルクが満足そうに目を細める。
俺の横にピッタリ身体をくっつけて頭なでなでを要求してくる。
「しょうがねえな。よしよし」
頭を軽くなでてやるとミルクが甘えたような声をもらす。
「フイィィ」
やがて気持ち良くなり過ぎたのかミルクの目が閉じてしまった。と同時にミルクの身体が湯に沈み始める。
「や、やばい! し、沈む!」
油断するとこれだ。主砲に機銃にミサイルポッド。これじゃ全身に重りをつけてるようなものだ。
オッサンが慌てて引き上げようとする。
「ミ、ミルク殿! しっかり! うぉおお、お、重い!」
「困った奴だ。どれ、うぐぐぐ」と、俺も力を貸す。
2人掛かりで何とかミルクの身体を持ち上げて岩場に乗せる。
大の男2人でようやく持ちあがるとは、とんでもない幼女だ。
隣の湯から「ちょっと! 何やってるの?」と、師匠の声。
騒ぎを聞き付けてきたのかビッチがバスタオル一枚で男湯に入ってきた。
「おっじゃましまァす♪」
オッサンがビッチを直視してテンパる。
「びびびびビッチ殿!?」
まあ、目の保養には良いけど恥じらいが足りない。
「エヘ。サービス、サービスぅ」
と、その時、ビッチの背後に俺の目が釘付けになった。
「あ、あ……」
なんと師匠とビッチにつられてルサが男湯に入ってきたのだ。しかも、隠すつもりはまったくないのか、まるで服を着ているかのように振る舞っている。
相変わらず愛想は無いが……美しい!
「やべっ!」
健康な男の子の反応が出てしまった。さりげなく問題の箇所にタオルを寄せる。
「危ねぇ……」
こんなものビッチに見られたら冷やかされてしまう。それよか師匠にバレたら大ごとだ。変態呼ばわりされるに決まっている。
「うぐぐ……」
焦るやら恥ずかしいやらで参った。
ただ、ルサの裸が眩しいのは、彼女の白すぎる肌のせいなのか、それとも……。
相手はNPCなんだぞ、と自分に言い聞かせる。だが、どうにも制御できない熱いモノが胸の奥底でジンジンしていることに気付いてしまった。
まさか好きになってしまったってことか? NPCを?
分からない。自分が。
騒々しい仲間達の声を上の空で聞きながら、湯けむりの行方をぼんやり眺めた。