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初恋姉妹は僕が気がかり 1-2

 入学式翌日。不良たちに囲まれていた“彼女”を、無謀にも助けようとするが失敗。それどころか武術の実力者であった“彼女”に助けられてしまった優真。その翌日、彼はまたもや「事件」に遭遇するーーー。


〜登場人物〜


陽乃(はるの) 優真(ゆうま) 華日蘭(はなひら)高校1年。奥手な性格だが、悪事は放っておけないタイプ。


波音(なみの) 叶芽(かなめ) 華日蘭高校1年。根は真面目で、バイトをして一人暮らしをしている。優真の親友。


・??? 華日蘭高校1年。学校中で噂の美少女。天然な性格で、おっとりとしている。


・??? 華日蘭高校1年。




 翌朝、相変わらずの満員電車に揺られながらも、俺の頭の中は昨日の出来事でいっぱいだった。果たして本当に現実の出来事だったのか?今考えてみても夢だったような気がしてくる...家を出てからというもの、ずっとこんな調子でぼーっとしている。不思議とこういう時は周りが気にならないもので、通勤・通学ラッシュの喧騒な1時間も秒針の如く過ぎていった。そのせいで、俺はまたもやあの故障中の改札でつまづく。


「よう、優真」

「うわぁっ!」


 年甲斐もなく声を上げて驚く。


「いたのか...」

「なんかものすごく覇気のない顔をしながら改札に引っかかってる辺りから見てたぞ。考え事でもしてたのか?」

「まぁそんなところだけど...」


 実は、俺が助けるつもりが俺を助けてくれた彼女のことを、俺は知っている。だって彼女は同じクラスの―――


「随分深い考え事なんだな。何?早速告白でもしてフラれたりしたのか?」


 そう言って、いつものように茶々を入れてくる波音。


「ちょっと黙っててくれ。今頭がいっぱいなの...」


 まったく...まぁ今は邪魔が入るだけだから考え事はよそうか。そう考えているうちにも、しつこく質問の嵐が降ってくる。


「なんか昨日あったみたいだな〜...何があったのか聞かせてくれよ」

「い、いや別に...ちょっと人助けをしたくらいだよ...」


 そっか、と言いながらもまた詮索してくる。「で、その時に何かあったわけだろ?」と。流石に昨日のことはみっともなさ過ぎて波音には言えない。同級生を庇って返り討ちにされて、逆に助けてもらいましたなんて言ったら...あぁ考えるだけでも恐ろしい...間違いなく一生ネタにされ続けるだろう。俺が頑なに話さずとも、波音にはいつかバレる気がしてならない。残念ながら、今後しばらく波音が忘れるまではヒヤヒヤした毎日を送ることになりそうだ。

 早く学校に着いてくれと願いつつ、まだ慣れない通学路を歩き始める。


「あの!」


 住宅街に入る時、不意に最近聞いたような声に呼び止められた。声の方へ体ごと向きを変える。


「あ、君は昨日の...!」

「うん、昨日はちょっと...大変だったね」


 そこにいたのは昨日俺を助けてくれたあの子だった。今俺が誰よりも頭の中に思い浮かんでいる人物。そして、感謝の気持ちを伝えなければならない人だ。彼女は苦笑い...といっても素敵過ぎるくらいの笑顔を浮かべ、労ってくれた。

 

 波音は驚いた顔をしてからすぐニヤケ顔になり、「先に行ってるぞ」と1人早歩きで学校へ向かって行った。その顔に俺は、後で全部聞き出してやる、という気迫を感じた。変な勘違いをされていそうだが、空気を読んでくれたのはありがたい。だがこれで昨日のことはもう秘密にできる自信が無くなってしまった。一生ネタにされるのは確定といっても過言ではない。

 気を取り直して、まず言わなければいけないことを真っ先に彼女に伝える。


「ごめん。昨日はお礼、言えずにいたよ...ありがとう。君のおかげで助かった」


 本来、俺が助けに入った側であったはずが、すっかり逆になってしまったことが伺える発言。傍から見たらか弱い少女に助けを求めた哀れな少年、といったところか。彼女は少し驚いた顔をして首を傾げる。


「あなたが助けてくれたんでしょ?こちらこそ、ありがとう」


 と、笑った。可愛すぎる笑顔に俺はまた言葉を失ってしまい、軽い返事しかできなかった。女子に対しての免疫がゼロに等しい俺には、この笑顔...刺激が強すぎる...!顔を赤くして頭をかいている俺を他所に、鞄からクラスの座席表を取り出して、こちらをじっと見つめてきた。


「お名前、確か陽乃優真くん?だったかな〜...」


 俺の名前が出てきたことに驚く。それに加え女子に名前を呼ばれたこと自体久しぶりすぎて、たじろいでしまう。


「あぁ、お、覚えてるんだ、すごいね...」


 まずい、気持ち悪い話し方になってないか。


「よかった〜。学級委員だし、よく目に留まるからなんとなく覚えてたんだ〜」

「そういえば、君の名前は確か...」

 

 覚えている名前なのに、緊張のせいかド忘れしてしまった。


「わたしは雛野(ひなの)すみれ、だよ」


 そうだ、思い出した。彼女の名前は雛野すみれ。肩上ほどの長さで少し明るい、ふわっとして髪型。俗に言う「ボブ」というヘアースタイルだろうか。そして言われるまでもなく伝わってくる清楚な雰囲気。肌も白くすらっとした体型で、整った顔立ちだ。これまた美しいよりかわいいが似合う、守りたくなるような見た目の子だ。鞄を持つ手を前で組む姿が良く似合う。例え彼女のことを何も知らなくても、その見た目でどんな性格なのか伝わってくるほどだ。彼女はクラスどころか学校中で話題になっているらしい。1年に激カワな子がいる、と。

 「噂」の美少女...波音は昨日夏藻さんのことだと思っていたが、情報不足、それは紛れもなくこの子のことである。もちろん夏藻さんも話題になっていたのは確かだが。


「そうだ、せっかくだから一緒に学校まで行こう?」

「えっ?!う、うん」


 俺たちは並んで通学路を進む。なんという事だろう。俺、今女子と一緒に登校してるのか...?


「ねぇ優真くん。優真くんは...どうしてわたしのこと助けてくれたの?...怖くなかったの?」


 ...初対面で名前呼びだと...!?距離の詰め方の速さが波音レベルに速い...!それはさておき、少し真剣な顔をしている雛野さんに見合うよう、俺は真面目に質問に答える。


「...人が危険な目に遭ってるのに、見て見ぬふりなんてしたくないんだ、俺。そりゃもちろん死ぬほど怖かったし、すぐには飛び出せなかったよ。それに、場合によっちゃただの無謀だったりするけどさ...はは」


 彼女は、まるで予想だにしない回答を聞いたような反応をして、少し頬を赤らめた。


「...そっか。優しい人だね」

「?!そ、そんな事ないよ」


 そのなんとも言えない表情が、俺の胸に突き刺さる。やばい、こんなの...


「可愛すぎる...」

「?何か言ったかな?」

「いや!そ、空耳だと思うなぁ〜...」


 反則的な笑顔と現実離れした状況に、俺の頭が追いつけるはずもなく...元々コミュニケーションが苦手な俺は、それ以降会話を繋げることができなくなってしまった。そして、当然といえば当然か、こうして歩いているとどうにも周りの目が気になる。角を曲がり学校へ近づく度に、人も視線も増えていく。自転車で先を越していった女子2人組は、速度を落とし、度々俺らの方を振り返ってはクスクス笑い合っている。「あれ噂になってた子?彼氏いたんだぁ」みたいな会話をしてるんだろう。

 昔から陰口やひそひそと話している人を見ると、自分のことを言ってるんじゃないか...と気になってしまう性で、どうしてもネガティブに考えてしまう。彼女の方はというと全く気にならないのか、はたまた気づいていないのか、不安感丸出しの俺と目が合っても...微笑みを返してくれるだけだ。俺は照れ隠しするようにまた周囲へと視線を戻す。...実はさっきから心臓が破裂しそうで危険を感じている。今の不意打ち笑顔を直視してしまったことで、それももう限界を迎えそうになっているのだ。いつの間にか周りの視線を気にする余裕も無いくらいに。なんだか昨日から初めてのことばかりで、心臓どころか脳もパンクしてしまいそうな気がする...

 

 時間は思ったよりも早く進んでしまったらしく、俺が1人でドキドキしている間に、気づけばもう正門の前だった。そのまま俺たちは教室まで一緒に向かい、席に着いた。沈黙はあれど気まずい空気にはならず、なんとか無事に登校を終えることができた。彼女の席は俺のふたつ後ろ。初日は緊張と自分のこと、そして夏藻さんのことで頭がいっぱいだったが、よく考えたらこんな美少女がすぐ近くに座ってたとは...


「おーい、さっきのはどういうわけだ〜?教えろよ〜」


 教室の外から、今度は耳に馴染んだ声に呼びかけられる。その時の俺は昨日の恥ずかしさなど完全にどこかへ飛んでいてた。調子に乗った俺は嬉しさのあまりに意気揚々と話してしまい...


「へぇ、それで雛野さんとねぇ...これはみんなに言いふらすには最適のネタだな」

「あ...」


 今自分が何を口走ってしまったのか、自覚する頃にはもう...遅かった。

 

 弁当を食べながら、俺は中庭の隅で絶望していた。購買から帰ってきた波音は、いかにも「言いふらしました」みたいな顔をしている。事の始終を余すことなく話してしまった俺は、それとは真逆の真っ青な顔をしている。


「まさか自分から黒歴史を暴露するなんてなぁ」

「ほ、ほんとに言いふらしたんじゃないだろうな!」

「みんな驚いてたぞ〜...おっと冗談だよ睨むな、ちょっと遅めのエイプリルフールだと思って聞き逃してくれ」

「1週間も前のイベントを今更掘り起こすな...!シャレになんないから!なぁ、ほんと...皆には言うなよ...頼む...」

「...まぁそんなガチトーンで言われたら流石にそんな気もしないわな」


 完全にやらかした。あまりに慣れない体験だったから誰かに話したくなるのは当然だが、これに関しては人生の中で当事者だけの心の檻にしまっておかなければならないこと第1位だ。こんなの助けた相手が雛野さんだったから結果オーライって感じだが、他の女子だったら「ダッサ...」で終わってたところだ。まさに墓場まで持っていく秘密...雛野さんは誰かに話したりしないだろうか...そんな子ではないと思うが、なんか天然っぽい性格だしなぁ。こんなことになると不安で仕方ない。

 まだまだニヤケ顔でからかうつもり満々の波音に、俺は心底嫌気がさした。



「...今日もまた疲れたなぁ」


 昨日に引き続き今日も1人で帰路に着く。昨日に続いて、波音はクラスの人たちとご飯だとか言っていた。今日からは授業も始まり、6時間の時程がスタートしている。初の高校の授業、それに加えお昼はヒヤヒヤするし...精神的にかなり消耗した。カラスの鳴き声が、いつもより悲壮感を含んで聴こえる。確かに良い事もあったのだが、疲れからか少し気分が沈んできた。正門を出ても生徒の姿すら見当たらない。提出した書類に不備があり、直していたらすっかり遅くなってしまった。


「あそこの路地で一悶着あったんだよな...」


 ...この道を通る度に、昨日の出来事を思い出すのだろうか。決していい思い出じゃないので嬉しくはないな。そう思いながらも近くに差し掛かった時、またもや予想だにしない怒号が聞こえたのであった。


「嘘だろ、またか...!」


 ため息混じりの言葉とは裏腹に、俺の足は路地へと吸い込まれていった。



「おい、昨日はやってくれたじゃねぇか」


 電柱の裏から顔を覗かせる。嫌な予感が的中した。またあの不良たちだ。そして、囲いの中心にいる人物...


「な、雛野さん?!」


 そこには、ループしてるのかと思うくらい昨日と似た光景が広がっていた。ただ、違うのは相手の人数か。昨日のメンバーに加え今日は更に2、3人増えている。それに、大人じゃないかって奴もいる。復讐しに来たとでも言うのか...?!


「俺の弟がよぉ、女にやられたっていうから来てみれば...こんなヒョロいやつなんてなぁ...」

「ほんと、俺らのグループに泥を塗ってくれたよなぁアイツら」

「...だから、なんのこと。知らないんだけど」


 やばい、今日こそはマジでやばいんじゃないか、これ。いくら雛野さんが強いとしても...そうだ、はやく警察に...


「おっと、そうはさせないよ〜」


 その声に、一気に青ざめる。振り返った瞬間、ブレザーの首元を掴まれ、反応すらできないうちに俺は地面に転がっていた。投げ飛ばされたのか...

(こいつ...!)

 俺を投げ飛ばしたやつともう1人、俺の前に現れたのは昨日のリーダー格の奴だった。今日は冷静なんかじゃなく、あからさまに激昴している。


「...てめぇ許さねぇからな!」

「お、こいつが昨日の?」


 そう言ったかと思うとすぐに胴体に痛みが走った。


「あぐぁっ!」


 意識が飛びそうなほど強烈な蹴り。それと同時に辛うじて持っていた鞄と、その中身が散らばる。衝撃に体を丸める間もなくまた次の蹴り。のしかかって更に殴る、殴る。必死に顔を覆うも抵抗できず、されるがままの状態だ。猛攻が止む頃にはすでに体は動かず、全身に激痛が絶え間なく走り続けていた。何かを考える余裕すらない。

 とどめと言わんばかりに、こめかみを踏みつけ何やら俺に向かって叫んでいる。頭がぼーっとして視界もかすんでいる。状況がよくわからないが、他の不良が奴を制止したようでリーダー格は雛野さんの方へ向かっていった。


「.....ぎはお前...んどは...目をみるか...な」


 激しい耳鳴りが治り始め、段々と向こうの会話が聞こえるようになってきた。体は動かないが、必死に出せる限りの声で叫ぶ。


「雛野さん...逃げ、て」

「てめぇは黙ってろ!まだ殴られてぇのか!」


 無様だなと笑う声も同時に返ってきた。でも自分が殴られるとかそんなことを気にしてる場合じゃない。とにかく今は雛野さんを逃がさないと。


「...そういえばお姉ちゃんが昨日トラブルに遭ったって...このことだったのか」


 よく聞こえないが、気のせいか普段より表情の少ない声のような...ずっと真顔だし。


「はやく...!」

「...てことはキミが陽乃優真か」


 この状況で一体何を言って...いや、いくら雛野さんといえどこんな状況で冗談は言わないだろう。今のは俺の聞き間違いなのか?

 彼女は少しの間、俺をじっと見つめて、表情を変えずに口を開く。


「ふーん...ま、見ててよ」

 

 そう聞こえた直後、持っていた鞄を勢いよく振り回し、後ろにいた1人の顔面に直撃させた。悲鳴も上げず、後ろへ倒れ込む。


「あ、こ、こいつ!」


 不良たちはいきなりの出来事に対応が遅れる。それどころか、その猶予すらも与えずに今度は鞄を投げつけ、また違う不良を顔面への回し蹴りで仕留める。叫び声を上げて殴りかかかってくる連中を華麗に捌き、人体の急所であろう場所を的確に狙った蹴りやら肘打ちやらで1人ずつ確実に落としていく。昨日の戦い方より、なんだかサディスティックだ。それに俺は、あの雛野さんじゃないような恐ろしさを感じた。

 十数秒経つうちにはもう、リーダー格ただ1人になっていた。残りはほぼ全員失神しているか蹲って悶絶している。


「あぁ、わ、悪かったよ、もう手を出したりしない!だから、な...?」

「...あれだけ強がってたのに、わたしに挑んですら来ないんだね」


 知的な見た目に似合わず怯えている。後ずさりしても、後ろは壁だ。彼女はゆっくりと距離を詰める。


「...わかってると思うけど見逃さないから」


 そう一言呟いて男の肩に手を置いた瞬間、彼女の膝が股間にめり込んだ。


「うわっ...!」


 全力の膝蹴りがクリーンヒットして、ドスッと禁忌の音が響く。これには堪らず目を覆い、思わず声を上げる。リーダー格は断末魔もなくその場に崩れ落ち、ここから見える限り白目をむいて失神していた...


「...2度目はないんだから」


 天使の顔は2度までだったようだ。俺は地面に伏したまま雛野さんのほうを見る。また視界がかすんできた。必死になっていたので忘れていたが、今俺は人生最上級のとんでもなく怖い目に遭ったのだ。安心して涙が出てきてぼやけていた。また恥ずかしいところを見せてしまったな。今日に関しては一切助けていない。急に殴られ始めただけだ。「後片付け」をしていた雛野さんは、俺の視線に気づいて近寄って来た。


「...一応キミには恩があるから、まぁわたしが介抱してあげてもいいかな。それにしても昨日に続いて...学ばないお馬鹿さんだね」


 俺は「大丈夫?」とか心配の言葉を期待していたのだが...なんだか今日は随分と辛辣というか...彼女の言葉もそうだが、表情やさっきの一撃からも普段とは違う。一切の容赦すら感じられなかった。流石の雛野さんも2回目もこんな目に遭えば怒るのも無理はないか...


「雛野さん、なんか...いつもと違う、よね...?」

「...なんか勘違いしてるんじゃない?わたしはいつもこうだけど」


 顔も声も一緒なんだけどなぁ...おかしいな...まさか雛野さんって二重人格...?俺は雛野さんの覗いてはいけない裏の本性を見てしまったのだろうか。この後口封じとしてなにかやばい事されたりして...

「...そうそう、警察も呼んでおいたし早くうちに行こ」

「え?!うちって...」

「わたしの家に決まってるでしょ。お礼、させてよ」


 間髪入れず彼女は答え、前屈みになってまだ座り込んだままの俺に手を差し出した。


「いてて...ありがとう、助かるよ」


 申し訳ないと思いつつ掴んだ手はひんやりとしていたが、どこか温もりを感じた。



「...丁目の三番地までお願いします」


 落とした鞄を拾っている間に、いつの間にか1台の車が止まっていた。雛野さんは当たり前かのように開いた後部座席の奥に座っていて、俺の方を早くしろと言わんばかりの目で見つめている。慌てて乗り込んだ時には、もう既に行先の指定が終わっていたようで、すぐさま車は走り出した。彼女は警察とともにタクシーも呼んでいたらしく、今俺はそれにあやかり、帰りを共にしている。


「...タクシーも呼んでたんだ」

「うん、警察より先に着くようにね」


 ...確かに、現場を離れた今になって、漸くサイレンの音が聞こえ始めた。


「...これ大丈夫なの?なんか俺らが警察から逃げてるみたいだけど...」

「そうだよ」

「えぇ!?」

「だって事情聴取とかめんどくさいじゃん」

「で、でも警察があの現場を見たら被害者たちにしか見えないと思うんだけど...」

「平気。さっきの人たちの1人を叩き起こして、警察きたら自首しろって念を押しといたから。顔面蒼白で壊れた玩具みたいに首振ってたし、多分正直に話すと思う」

「そ、そっか...」


 なんだか俺の方が悪いことをしてしまったような気がしてきた。


「...待てよ」


 膝に抱えた鞄の微妙な厚さの変化に違和感を覚え、俺は急いで鞄の中を確認する。父のお下がりで貰った長財布。...見当たらない。雛野さん、もちろん自分の分は出すつもりだろうけど、一難去ってまた一難、非常にまずい状況になってしまった。


「あ、あのー雛野さん...」

「...なに」

「俺、今手持ちがこれだけで...」


 そう言って俺は、鞄の取り出しにくい位置に収納していた予備の小銭入れと、何故かそれに入っていた1セント硬貨を取り出した。そっぽ向いて返事をした彼女も、これには流石に振り向く。まずい、これは怒られる...!

「...それしかないの、信じらんない」

「すみません!!」

 「来る!」と覚悟していた俺は即謝罪して、申し訳ない気持ちを身振り手振りでアピールした。

「...なんて、別に怒ってないよ」

「へ?」

「元々わたしが出すつもりだったし。まぁ、正直海外の通貨を所持金として数えるのはおツムが足りてないのかな、と思ったけど」

「そ、そんな...でも悪いよ」

「いーの。わたしが勝手にそうしようと思ってるだけだから。というかキミ、この状況わたしに奢られるしかないでしょ」

「それも...そうか」

「...あ、他に選択肢があるとしたら、今すぐタクシーから飛び降りることくらいだね。ふふ」

「奢られておきます...」


 意地悪な発言に聞こえるような気はするが、彼女なりの優しさなのか。いや、雛野さんの優しさはこんな遠回しじゃなくもっとダイレクトじゃなかったか...?


「...なに、そんなにわたしのこと気になる?」

「いや、さっきから無表情だなって思ってたけど、今笑ったなって」

「...意地悪した弾みで笑っただけ」


 笑った顔、やっぱり素敵だな雛野さん。もちろんこういうクールな表情もいい。例え本性がこんなだったとしてもツンデレっぽくてこれまた一興...

「うわ、なんかニヤニヤしててきもい...」

「な、してないよ!」

「うそ、今してた。わたしの目は誤魔化せないよ」


 そうは言いつつもなんだかんだ笑ってくれてるみたいでよかった。でも思ってることが顔に出たり呟いたりしちゃう癖、直さないとな。1歩間違えればドン引きされるところだった。幸い、雛野さんは特に嫌な顔をしているわけでもなく、また窓の方を向いている。こちらも左手に見える窓の外を眺めるが、オレンジ色の直射日光に怯み、やはり車内へ視線を戻すのであった。



 5分くらい経過しただろうか。しばらく沈黙が続いてしまったので話題を振ろうとする。俺も前ほど緊張はしていないし、聞きたいことは山ほどあるから会話の種には困らない。


「聞いてもいいかな」

「やだ」

「えぇ...」


 どうしよう、会話に困ってしまった。拒否されてしまっては...いやでも本気じゃなさそうだし聞くだけ聞いてみるか。


「ほ、ほんとに家行っていいの?」

「...なに、ボロボロの身体のまま道行く人に凝視されて辱めを受けながら帰りたいって言うなら好きにすれば」


 あれ、また冷たい...さっきは笑ってくれたのに。女子の気持ちは冷めやすいってこういうことか...?


「着きましたよー。お二人で料金はこちらになりますー」


 車が信号もない場所で止まったかと思うと、突然年季の入った低い声が前方から聞こえた。おそるおそるバーを見ると高校生にしては少しお高い金額が目に入る。


「...これでお願いします」


 雛野さんは、綺麗な財布から諭吉を1枚出して運転手に渡した。ちらっと見えた中身もまた綺麗に整頓されている。きっと几帳面なんだろう。しっかりしてるんだな。...それにしても万札、まだ数枚入ってたな。

「ありがとうございました」と運転手と彼女に挨拶をし、下車する。今立った時に思い出したが、身体中痛いんだった。思わず声が出てしまう。雛野さんは気にせず「こっち」と、歩き出す。やっぱり「大丈夫?」の一言はない。連られて歩きながらスマホの画面に自分の顔を映してみる。


「うわぁ...結構酷いな」


 唇が切れていて、両頬にアザ、左のこめかみ辺りには、踏まれた時にできたのであろう擦り傷があった。他にも腹の真ん中辺りも横も背中も腰も痛い。今まで骨折レベルの重傷を負ったことがない俺には過去一の大怪我である。帰ったら両親にどう説明しようか。そのまま言うのは恥ずかしいからな。


「...ここ、着いたよ」

「あぁ、早かったね...って」


 そう言って雛野さんが止まった先にあったのは、付近の簡素な一軒家とは一線を画す、単刀直入に言うとお金持ちだな、というのがひと目でわかる、広い敷地を誇る家だった。


「す、凄い...こんな所に住んでるのか」


 白を基調とした洋風なデザインで、大きさとは別の意味で、辺りの家の中でも一際目立って見える。フェンスに付いている表札には金色の文字で「Hinano」と書かれていて、その横にはポストとインターホンがある。雛野さんは「お姉ちゃんまだ帰ってない」と呟きながら、そのフェンスの扉の鍵...といっても指紋やら暗証番号やらで開ける最新鋭っぽいロックを解除し、中に入っていく。


「あっこれ内側から鍵はどうやって...」

「オートロックだから閉じれば勝手にロックかかる。ね...なんか緊張してるみたいだけど今誰もいないから、そんなにかしこまらなくていいよ」

「え?!あ、うん...」


 今まで女子と話したりすることもなかったような俺である。女の子の家にお邪魔するなんて想像もしていなかったような事で、その上こんなかわいい子の...しかも今「誰もいない」だと...?個人的には親御さんなり兄弟なりいてくれた方が気が楽である。こんな美少女と二人きりなんて、俺の心臓が果たして持つのだろうか。


「...なんで顔赤いの」

「なんも変なことは考えてないよ!緊張して心臓のBPMが速くなっただけ!」

「変なの」

「ま、まぁそれはおいていて...ほんとにお邪魔していいのかな...」

「...もう、さっきも言ったでしょ。どうしてそんなこと聞くの?」

「いや、男子を家に誘ったりして抵抗あったりしないのかな〜って」

「男子とか女子とか...関係ないでしょ?わたしがいいと思えばそれでいいの。キミに関しては昨日のお礼」

「そ、そうだよね〜...」


 なんか1人で意識していたみたいで恥ずかしくなってきた。もう、よそう...



「お邪魔しまーす...」


 玄関に入った瞬間、いい香りが広がる。春になり日が延びたといえど、明かり無しではこの時間、もう家の中は暗い。先に革靴を脱いで電気を点ける彼女。


「...玄関、自動で点灯するんだけどオフにしちゃってたみたい」


 灯りが点いてよく見えるようになったが、やはり内観も素晴らしいものだった。案内されて、洗面で手と顔の傷口を洗わせてもらったあと、廊下から続くリビングに入った。そこももちろんだが、玄関から何から、隅々まで綺麗にされていて、いつ他人(ひと)が来ても大丈夫そうなレベルで、どの場所も整理整頓、清掃が行き届いている。感心している俺をよそに、彼女は「ちょっと待ってて」と2階への階段を登っていく。


「今日は...いや今日も酷い目に遭ったな...ボコボコにされるってこんな感じなのか...」


 じわじわと続く痛みに、そろそろ気持ちが参ってきた。


「それにしても...」


 自分の家ではないが、ここは凄く安心できる空間だ。そう思うと一気に疲れが出てきた。ブレザーを脱いで鞄と共に置く。ソファに座っていいみたいなので座らせてもらうことにした。


「うわぁ...これめっちゃふかふかだ...」


 感動的な感触の白いソファに、「一体おいくらなのだろう」という疑問が湧く。広いリビングの俺が座るこのソファの前には低めの透明なテーブルと少し大きめのテレビが、2段の台の上に設置してある。


「このテレビ、4K対応とかいうやつじゃないのか...」


 テレビの下の棚にはあまり物は入っていないようだが、映画とかは観ないタイプなのだろうか。


「...そんなに色々見られると恥ずかしい」


 予想だにしない一声に全身の毛が逆立つ。


「うわっ!ご、ごめん!いつの間に」

「...ふふ、さっきからキミ、反応が面白いよね。こうやって驚かせたりイタズラしたくなる」

「もう、わざとやってるの...?」


 時計の針の音しかしないような静かな一室でささやかな談笑。表情にも声にもあまり変化はないが、雛野さんも少なからず笑っている。こうしているとすごく充実しているなと感じる。波音にとってはこんなの日常茶飯事なのかなぁ。

「じゃ、今から手当てするから」と、手に持っていた箱を床に置く。2階から持ってきたのであろう、赤十字のステッカーが貼られた木製の救急箱だ。


「座ったままでいいから、大人しくしてて」

「う、うん」



「―――ありがとう、こんなことまでしてもらっちゃって」

「...別に、手当てっていっても完璧にはできないし。あくまでも応急処置だよ」


 これまた乏しい変化の表情だが、多分内心照れているような素振りを見せる。消毒したり絆創膏を貼ってくれたりと、冷たく思える彼女の雰囲気とは真逆の、温かい処置をしてくれた。きっと、二重人格とはいえ心の奥底は普段の雛野さんみたいに優しさが眠ってるんだ。


「ねぇ雛野さん」

「なに、今集中してるんだけど」

「どうして学校ではあんな風に優しいキャラにしてるの?」

「...え」

「みんな天使だとか女神だとか言ってるし、確かにそのほうがみんなに愛されるのかもしれないけど」

「...て、天使?」

「俺はそのままの雛野さんでいいと思う」

「...は?それ200%わたしじゃない...」

「え、だってみんなよくかわいいかわいいって雛野さんのこと...あれ、おかしいなぁ...本人は知らないパターン...?」

「ていうかわたし今日学校初めて行ったしそんなこと言われた覚えない。多分勘違いだから。はい...ちょっと立ってくれる?」

「え、どういう...」

「いいから!」


 言われるがままに、立ち上がってソファの前に立つ。すると...


「ちょ、ちょっと雛野さん!?いきなりな、なにを...」


 突然ネクタイに手を伸ばし解き始めた。慣れない手つきで解き終わると、今度はワイシャツのボタンに手をかけ始めた。


「わっちょっストップストップ!何するつもりで...」

「...なにって、まだ手当て終わってないから、続き」

「も、もう十分やってもらったって...わぁぁちょっとちょっと!」

「ん、腰とか痛いんでしょ、もうやりづらいから動かないで」

「えぇぇ!?自分でできる...っていうかそこはいいよ!」

「...じゃあ自分で脱いでよ。ほら早く」


 とはいいつつ手を振りほどいたりできない俺はあたふたしているだけで、流されるままボタンを外されている。遂には雛野さんに上半身だけだが裸体を晒すことになってしまった。



「ただいま〜」


 玄関のドアが開く音、そして女の子の声。まずい...こんなの雛野さんの家族に見られたら修羅場は不可避だ。


「ちょっ雛野さんシャツ返して...!」

「あっお姉ちゃん...!」


 俺の言葉を意に返さず、彼女は廊下の方を見ている。

(ここは強引にでも...!)

 シャツとネクタイを取り戻そうと掴みかかる。


「あっ...」


 しかし、焦っていた俺はテーブルに躓き、彼女を巻き込む形で床に倒れ込んでしまった。


「ばか、どうしたの急に。危ないでしょ」

「ご、ごめんでも...!」


 なんとか俺が下になって倒れたので雛野さんに怪我は無さそうだが...あれ、今これさっきより誤解を招きそうな状態では...?


「志乃、誰か来てるの〜?」


 ゆっくりと開くリビングの扉。妙に聞き覚えのある声と、ドア越しに映るシルエットに、俺は焦りも忘れてそちらを見つめる。


「お姉ちゃん!おかえり!」

「ただいま〜.....え...」

「ひ、雛野...さん?!」


 また振り返って今度は俺に覆いかぶさっている女の子を見る。...雛野さんだ。これは一体...雛野さんが2人...?ほとんど同じ髪型、同じ顔、そして同じ制服に身を包んでいる。


「あっ...」


 見てはいけないものを見てしまった、という顔をして彼女は鞄を落とし、両手で顔を塞ぐ。


「あっ」


 それを見て焦りを忘れかけていた俺も、再び事の重大さに気づき、思わず呼吸が止まった。上裸の男、そしてその男を押し倒す女の子。見てしまった女の子。さぁ果たしてこの光景がどう映ったか。想像する必要も無い。高校生活3日目、俺の青春はここで潰えたか...

 いたたまれない空気の中、聞こえるのは秒針の音だけであった。



ここまで読んでくださってありがとうございます。続きも近いうち出します!!

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