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春(その2)

案内されたオフィスは、高円寺駅前の裏側にあるボロボロのアパートの3階だった。

誰が餌付けしているのか、建物のあちこちにやたら猫が住みついている。

家庭用の住居を無理やりオフィスに改造したような部屋には乱雑に机が置かれ、書類やCDの山があちこちに高くそびえている。

ガタガタ音を立てる丸机に、負けないくらいボロボロになったパイプ椅子。

ライヴハウスにも負けないくらいにタバコ臭かった。

「松下さん、どうぞお座りください。」

受け取った名刺には「ZOLL MAGAZINE編集部 山口」と記されていた。

「編集長の塚田はあいにく取材で出てまして。まあ見ての通り小さな会社ですから、みんなドタバタ走り回ってるんですよ。記事も外注でライターさんにお願いすることが多いですし。」

山口は、あご髭の似合うつぶらな目の小柄な男だった。薄茶色のハンチングに薄茶色のトップコート。どう見てもアングラな文芸関係に関わってきた人間だ。

「忙しい中すいません。先日は写真を使って下さって、ありがとうございました。」

ZOLL MAGAZINEは、日本のアンダーグラウンドなパンク・シーンを扱う雑誌としては珍しく全国に流通する「メジャー雑誌」だ。

もっとも大手出版社が母体にあるわけでも無く、バンドや店舗からの広告収入で運営をまかなっている側面も大きいので、巻末の広告ページはやたら多い。

その広告収入も時代の変化で減少し運営は厳しいという噂であったが、編集部は毎日忙しく動き回っている。

「いえいえ、以前から噂は聞いていたんですが『ズギューン!』さんから写真のクレジットの件でご連絡いただいて、一度こちらからもお話を伺いたいと思ってまして。わざわざ編集部まで来ていただいて恐縮です。」

「普通のおばちゃんですから。昼間に来るのは何でもないですよ。それに近くまではほぼ毎日来てますから。」

「最近では平日でもかなり撮影の予定が入ってるみたいですね。」

「有り難いことにみんなから誘って貰えるので。平日でも高円寺は普通にライヴがあるので、充実していますね。」

ZOLL MAGAZINEの山口が「一度、今まで撮りためた写真を見せて貰いたい」と連絡してきたのは2~3日前のことだった。

松下のおばちゃんは各バンドから厳選して1~2枚ずつの写真を印刷してきたが、ここ数か月分の撮影となるとかなりの量になってしまった。

「どうぞ御覧になって下さい。」

松下のおばちゃんは写真の束を取り出した。

山口は一枚一枚を丁寧に見ていた。

時々、「これは」とか「おお」とか、バンド名などを小さな声でつぶやいている。

松下のおばちゃんは、窓際に寝ていた猫を眺めながら待っていた。

「松下さん。」

ようやく山口が顔を上げた。

「すごいですね。」

「本当ですか。ありがとうございます。」

松下のおばちゃんはお礼を言いながらも、やはり「すごい」の意味は分かりかねていた。

「一枚一枚の写真、躍動感とか迫力も凄いんですが、僕なんかが凄い!って思うのは、よくこのメンツを無事に撮影できているなあって思うんですよ、まず。」

「えっ?」

「ジャパコアのバンドもかなり撮影されてますね。よく彼らが撮らせてくれたなあ、と。それだけでも凄いですよ。」

「ジャパコアって?」

「えっ、ああ…まあ、要は、松下さんが撮影されているバンドの中には、かなり『おっかない』バンドも多数含まれているってことです。」

「へえ…そうなの。」

「僕らなんか、普通に取材を申し込んでもまず受けてくれないし、カメラなんかも下手に持ち込んだら何をされるか分からない。トラブルになったケースもたくさんあるんですよ。」

松下のおばちゃんには何だか全然理解できない話だった。

「そうなの。でも、みんな普通に『おばちゃんおばちゃん』って言ってくれる、いい子ばっかりですよ。」

「いい子…そうですね、松下さんにとっては、みんな子供みたいな世代ですからね。」

「ええ、みんな息子と娘たちで可愛いです。」

「はは。やっぱり僕らみたいな雑誌の人間とか、同世代の人が行くのと松下さんくらいの方が接するのでは、みんな感覚が違うのでしょうねえ。松下さんなら安心して任せられるというか。」

「そんなこともないけど、こんなおばちゃん脅したって仕方ないでしょう。普通に話せばみんないい子たちばっかりよ。」

「なるほど。これは松下さんにはかなわないな。」

そう言って山口は微笑んだ。もの静かだが芯の強そうな印象だった。

「これから、ちょこちょこ取材で撮影をお願いするかもしれません。ご迷惑でなければ。」

「とんでもない。アタシでよろしければ、ぜひご連絡ください。」

「いやあ、こんな写真を撮ってこられる方ならぜひお願いしたいですよ。今日は本当に良かったです。」

「編集部にもまたお邪魔させて頂きますね。ここ、猫が多くて良い雰囲気。」

松下のおばちゃんの視線は、まだ先ほどの猫に注がれていた。


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