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冬(その5)

松下のおばちゃんは昼間の高円寺を歩いていた。

ライヴに通い始めて以来、商店街の中を歩くバンドマンの姿が自然と目に付くようになった。

今までは気にも留めなかった存在だ。

流れていく景色の中に浮き出た、派手な花火みたいに思える。今の松下のおばちゃんには、彼らがキラキラして見えた。

みんな、どんな思いでバンド活動に打ち込んでいるのが分かったからだ。


次のライヴまで待ちきれないという子のために、彼が勤めている工場まで写真を渡しに行った。

汚れた作業服に身を包み作業帽を目深にかぶって髪の毛の色を隠す彼は、油じみた手で嬉しそうに写真を受け取った。

給料は安いのだろう。仕事も楽ではない。

でも、バンドがあるから頑張れる。

「おばちゃん、また次も格好良く撮ってよ。」

同じように行く先々で写真を渡し、喜ぶ昼間の彼らを見た。

コンビニの店員。

土木作業者。

職人見習い。

みんなバンドの時に負けず、良い顔をしている。

カメラを持ってくれば、良かったなあ。


夕方、ギヤに寄ってタダシに写真を渡してきた。

今日のギヤは平日のメンテナンス休みだそうだ。

そのあと、アイヴィーと会う約束をしていた。

ライヴ後の雑談で、彼女の家は松下のおばちゃんの自宅から歩いて行ける距離であることが分かった。

安アパートに彼氏と一緒に暮らしているらしい。

「彼もバンドやってんだ。ギター弾いてる。」

「ひょっとして、ゴンちゃん?」

「あんな可愛い目のやつと一緒には住めない。」

アイヴィーはくっくっくと笑った。

「それに同じバンドでくっついてるの、色々と面倒じゃん。」

「そういう決まりがあるの?同じメンバーで付き合っちゃダメとか。」

「別に。そういうやつらもいるよ。アタシは、そうじゃないってだけ。」

世間が思っているような「ロックだから、こうだ」というようなルールは、ない。どこにも書いてないが、みんなが知ってるルールがひとつ、あるだけ。

中途半端なことは、しない。

それだけだ。

「そのうち紹介するよ。でも、可愛くないやつだよ。」

ひょっとしたら今日、アイヴィーの彼氏と会えるかもしれない。


「あっ、おばちゃん。」

前からアイヴィーが歩いてきた。

真っ赤な髪は今日はサラサラに下ろされている。小さなベレー帽を斜めにかぶっていた。

化粧もいつもよりは控えめで、だいぶ幼く見える。

襟がヒョウ柄になった小さめの革ジャンパーを羽織っている。タータンチェックのスカートに、今日はブーツも短めだ。普段着なんだろうが、異彩かつオシャレだ。

「アイヴィーちゃん。ちょうど行こうと思ってたのよ。お出かけなの?」

「ううん、夕飯買いに行ってすぐ戻るつもりだった。会えて良かったよ。」

アイヴィーがぶら下げていたコンビニ袋をさり気なく後ろに隠したのを、松下のおばちゃんは見逃さなかった。

「アンタ、夕飯って…カップラーメンじゃないの。それだけ?」

「あ~、うん。アタシ今、ちょっとお金なくてさ。今月ライヴ多かったし、レコーディングもしてるからバイトもあんまり入れなかったし。あはは。」

松下のおばちゃんは、何だかアイヴィーをギュッと抱きしめてやりたくなった。

でも、その代わりに出来ることがある。

「良かったら、うちにご飯食べに来ない?」


最初は遠慮していたアイヴィーを半ば強引に自宅まで連れて行きた。ここで帰らせてしまっては、今夜の食事は砂を噛むよりまずい。

「彼も連れてきなさいよ。」

「アイツ、今日はスタジオだからいないんだ。バンドの練習。」

「そうなの、残念だわ。今度こそ会わせてね。」

築40年の小さい一軒家が松下のおばちゃんの自宅。

息子たちが出て行って以来、訪ねて来る人もすっかり少なくなった。

かといって荒れ果てているわけでもなく、自分たちが暮らし良いように居心地よくこじんまりと整頓していた。

玄関先には植木鉢が所狭しと並んでいる。

薔薇をかたどった玄関のレリーフが、古めかしくも懐かしい。

「スリッパ、どれでも使ってね。」

小さめの玄関でブーツを脱ぐのに苦労しているアイヴィーに、松下のおばちゃんは声をかけた。


「ちょっと。お客さん来たからご飯食べて行くけど、いいでしょ。」

源造はキッチンのテーブルで新聞を読んでいた。2人とも膝に少し不安を覚えて、ちゃぶ台からイスとテーブルの生活に変えて何年か経つ。

居間よりもキッチンの方が居心地が良いので、ここで食事をしたりテレビを見たりすることが多い。

「お客さんってお前…ああ、いらっしゃい、あれ、あれあれ。」

と言ったきり、源造はアイヴィーの真っ赤な髪を見つめて絶句してしまった。

アイヴィーは急に自分が審査されているような気持ちになった。

松下のおばちゃんに甘えてしまったが、やはり自分はマイノリティー=異質なのだ。急に現実に引き戻された気がした。

「アタシ、やっぱり帰るよ。」

「いいのよアイヴィーちゃん。アンタ帰るくらいなら、このオジサン外でご飯食べさせてくるから。」

「おい、お前。」

松下のおばちゃんは「分かっている」という風にさらりと言った。

「アイヴィーちゃん、うちのオジサンは単純だからビックリしてるのよ。ご飯食べてお酒飲んで、話していればちゃんと分かる人よ。ね、アンタも文句ないでしょ?アイヴィーちゃんとご飯食べないんなら、アンタ駅前でラーメンでも食べてきなさい。」

源造はまだアイヴィーの髪を見つめていた。


「わ、すごい。」

若干トーンは低いが、アイヴィーは驚きと嬉しさの混じった声をあげた。

テーブルには、野菜の煮物、焼き魚、きんぴら、ごま和え、サラダ、漬け物…。

「いつもの食事だから、大したものはないのよ。お肉でも焼いてあげようか?」

「ううん、これでいい。最高よ。」

キッチンの四角いテーブルに松下のおばちゃんとアイヴィーが向かい合い、源造が奥に座った。

「ビール飲むでしょ。発泡酒しかないけど、いい?」

アイヴィーはチラッと源造の方を見たが、松下のおばちゃんは返事を待たずに、アイヴィーのところにコップと缶ビールを置いた。

「じゃ、乾杯。」

少し芯の硬い雰囲気の中、夕食が始まった。

源造は何を喋っていいか分からず、黙ってビールを飲んでいる。

アイヴィーはそれを「源造が不機嫌になっているのだ」と解釈した。

いいや。食べる、飲むに集中しよう。飲めば、どうにかなる。

「いつも作り過ぎちゃうから、アイヴィーちゃん来てくれてちょうど良かったわ。こんな年寄りの食事で大丈夫?」

「ホント、とっても美味しい。こんなご飯、ずっと食べてないよ。いつもコンビニか弁当だもん。いいとこ打ち上げで居酒屋くらい。野菜とかホント嬉しい。」

「少しは自炊するの?」

「最初のうちは作ってたけど…バンドと仕事してたら、もう時間なくてさ。」

「アイヴィーちゃんもアルバイトしてるの?」

「そう、ルック商店街の雑貨屋でバイトしてる。こう見えて、アタシ割と接客うまいんだよ。給料安いけど、そこ休みの融通きくからさあ。」

「そうなの。」

「今日は一ヵ月分の野菜、ビタミンとって帰るよ。」

アイヴィーの言葉に松下のおばちゃんは笑った。源造も少しおかしそうにしている。

こういう時は無理に話題を振らない方がいい。そのうち源造の方から話に入り込んでくる。

「どんどん食べなさいね。」

「ありがとう。このぬか漬け、おばちゃんが漬けたの?」

「そうよ。お店で買うのより、ずっと美味しいでしょう。」

「こういうの食べられないよね。このぺそら漬けは?」

「それはオジサンが好きだから取り寄せてるの。アンタ、よくぺそら漬けなんか知ってるわねえ。」

「だって、子供のころから食べてるもん。」

「そうなの?」

「うん、地元のものだから。」

源造が思わず口を挟んできた。

「地元って、山形かい?」

「そうです。」

「山形、どこだい?」

「…尾花沢だけど。」

「へ~尾花沢かあ!俺は大石田だよ。そうか、尾花沢かあ!」

さっきまでのふさぎ節はどこへやら、そこから源造の舌は止まらなかった。

やれ小学校はどこだ、やれ雪がどうした、スイカがどうしたゲソ天がどうした…。

アイヴィーは、先ほどまでとの源造の変わりっぷりにやや戸惑ったものの、久しぶりであろう地元の話を楽しんでいるようだ。

「やれやれ、単純なオジサンだねえ。」

松下のおばちゃんは聞こえないようにつぶやいた。アイヴィーはいい子だし、源造は正直だ。あとは酒が空気を溶かしてくれるだろう。


「アイヴィーちゃん、成人式の写真は見てくれた?」

源造の地元話がひと段落したところで、缶ビールを注いでやりながら松下のおばちゃんは尋ねた。

「あ、うん、ありがとう。後でこっそり渡してくれたから助かったよ。あれはみんなにマジマジ見られたくないから。」

そう言ってアイヴィーは笑った。

「そうかあれか、お前がこの前言ってた、成人式の女の子って写真か。そうか、アイヴィーちゃんがその子か。」

だいぶ気分良く酔っぱらった源造が割り込んできた。

「オジサンもアイヴィーちゃんの写真見たいなあ。お前、あるのか?」

「あるわよ。アイヴィーちゃん、持って来てあげてもいい?」

「おじちゃんなら、見てもいいよ。」

どうやら、警戒心は抜けたようだ。

松下のおばちゃんは、写真室からアイヴィーの写真を持ってきた。成人の日の写真、ライヴの写真。

源造は的外れな感想や質問を挟みながら、多くは「俺もこんな娘が欲しい」という趣旨の発言に終始した。

ずいぶんな変わりようだ。

アイヴィーはアイヴィーで、そんな源造の態度に小突いたり笑ったりして、巧みに切り返しながら楽しんでいる。

「アイヴィーちゃん、いつ東京に出てきたの?地元で成人式を迎えなかったのね。」

何気ない松下のおばちゃんの発言にアイヴィーの顔が一瞬だけこわばり、フッと笑ったが、すぐ目をそらした。

「2年前かな、3年前かな。まあ、色々とございまして。」

どうやらこのスイッチは押さない方がいい。人には押されたくないスイッチだって幾つかある。


「アイヴィーちゃん、歌を歌ってるんだろう?」

源造は焼酎に切り替えて、今ではアイヴィーの顔を眺めっぱなしだった。アイヴィーもかなりの缶を空っぽにしている。

「うん、そうだよ。」

「あれ、歌ってくれよ。『花笠踊り歌』。」

突然の源造の言葉に松下のおばちゃんは驚いた。まったく、源造はちょっと酔っぱらいすぎだ。

「ちょっとアンタ。アイヴィーちゃんは、そういう歌を歌う子じゃないのよ。もっとうわーっってうるさくて、オジサンが聴いたら心臓止まっちゃうようなやつよ。アンタ、メチャクチャ言うわね。」

「いや、地元だから歌えるだろって。」

「地元って言ったって、全然歳が違うじゃない。『花笠音頭』でしょう?」

「『花笠音頭』。歌えるよ。」

アイヴィーの言葉に、今度は2人ともそろって振り向いた。

「アイヴィーちゃん、歌えるの?」

「アタシ、子供のころ歌唱教室に行かされてたからね。色々みっちり歌わされたから、覚えてるよ。」

「おお、そうか!じゃあ歌ってくれよ!」

能天気な源造の言葉にも、アイヴィーはやや緊張気味の顔だった。

「ちょっと恥ずかしいけどね。松下のおばちゃんとおじちゃんに美味しいご飯をご馳走になったし、お礼なんてもんじゃないけど。ちょっと待ってね、ビールひと口飲ませて。」

歌唱教室だって!

そういえば、アイヴィーは食事中もとても行儀が良かった。

食べるときは小皿をきちんと添えるし、お箸の遣い方も上手だ。少しずつよく噛んで食べるし、口に食べ物を入れたまま話すような真似もしなかった。

きっと、しつけの厳しい家庭で育てられたのだろう。

「行っていた」ではなく、「行かされていた」か。

いや、今は詮索しているときじゃあない。

「じゃあ、歌います。えへん。」

“揃ろた揃ろたよ 笠踊り揃ろた 秋の出穂より…”

うっとりと聞き惚れる源造の横で、松下のおばちゃんは真剣な顔になっていた。

松下のおばちゃんは音楽に詳しいわけではない。だがアイヴィーの歌声は実に朗々と、力強く伸びやかに響いていた。

ライヴハウスでの喧騒に押されながらも感じた声の強さ、やはり間違いは無かった。

アイヴィーの歌唱力は、本物だ。

「ご清聴ありがとうでした。へへっ。」

歌い終えたアイヴィーは2人の心からの拍手に迎えられて、はにかみながらビールを一口飲んだ。

「ああ、ライヴより緊張した~。」


気がつけば11時になろうとしていた。

源造はさらにアイヴィーに2回歌をせがみ、最後には「ちょっと飲み過ぎた」と言って、寝床へ引き上げてしまった。

「アイヴィーちゃん、いつでも俺んちへ来ておくれよ。いつでも晩飯食いにおいで。我が家だと思って。」

源造はアイヴィーの手を両手で握りしめながら、熱っぽく繰り返した。

きっと、明日の朝は起きてくるのが遅いだろう。

「やれやれ、でしょ。」

空いた皿を片付けながら、松下のおばちゃんは天井を見上げた。今頃は高いびきのはずだ。

「おじちゃん面白かったよ。最初はどうしよう?って思ったけど。とっても良い人。さすがおばちゃんの旦那さんだね。」

「2番目の旦那だけどね。」

「そうなの?」

アイヴィーはちょっと驚いた顔をした。

「やっぱり、色々とあるわよね。」

松下のおばちゃんの言葉に、アイヴィーは神妙に頷いた。

確かに、みんな色々あるんだ。

「アンタ、歌が上手いんだねえ。感心しちゃった。」

松下のおばちゃんは、ぽつりと言った。

「あはは、これでもヴォーカルだから。まあ、パンクだからねアタシら。そんなお上品には歌ってられないし。音だってデカイし。」

「大きいなんてもんじゃないわよ!最初ギヤに入った時、音に吹き飛ばされるかと思ったわよ。」

「耳栓あると違う?」

「うるさいはうるさいけど、だいぶ違うわ。あの音にも慣れてきたし。音楽は全然分からないけど。」

「おばちゃん、完全にアタシらの雰囲気を撮りに来てるもんね。」

アイヴィーが笑った。

「ロックとかパンクなんて今まで全く縁がないもの。分かったふりしても仕方ないじゃない。でも、あなたたちの格好とか色使いとか、何よりその気持ちが全部ステージに出てるのよ。それが、とっても素敵なの。」

「嬉しいね。ホント嬉しい。」

家にある缶ビールはほぼ無くなっていたが、アイヴィーが乱れる様子はなかった。松下のおばちゃんはひと缶とほんの少しを空けただけだ。

「そろそろ帰るね。ご馳走様、ホント美味しかった。ありがとう。」

「こんなご飯で良ければ、いつでもいらっしゃい。」

アイヴィーは玄関で、ブーツの紐を編み上げ始めた。

「みんな家庭の味に飢えてるからさ。今度はメンバーも招待してやってよ。勝手な言い草だけど。」

「そんなこと、ないわ。アイヴィーちゃんだけじゃズルいからね。オジサンまたビックリするかもしれないけど。」

外の空気は冷たく澄み切って、アイヴィーは身を震わせた。

「それじゃおばちゃん、ありがとう。またね。」

「お休み、アイヴィーちゃん。」

「お休みなさい。」


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