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二度目の春(エピローグ)

「ずいぶん久しぶりだね。」

JR高円寺駅前は、いつものようにごった返していた。

待ち望んだ春は道行く人の服装もカラフルになる。それが高円寺ならなおさらだ。

重い革ジャンを脱ぎ捨てたパンクス、ロッカーたちも、この季節は一気に華やいで見える。

アイヴィーと松下のおばちゃんは、二人が初めて出会ったロータリーに立っていた。

アイヴィーは黒と白のドットシャツに赤色のパーカーを羽織り、ブリーチされたデニムのスカートを履いている。

赤い髪は下ろされ、お馴染みのベレー帽をかぶっていた。

サングラスはしていないが、彼女に気づいた風の通行人はいなかった。人のうわさも七十五日、世間を騒がせた「パンク・ロックの歌姫」も今や過去の人だ。

松下のおばちゃんは相変わらずアイヴィーに貰ったヒョウ柄襟のジャケットを着ていた。

手にはいつものカメラを抱えている。

「アイヴィーちゃん、元気そうね。」

「うん、お陰様で。」

「色々、大変だったでしょう?」

いい風が吹いてきた。今日も穏やかな晴れが続きそうだ。

「あはは、まあね。色々ありすぎたよ。忙しくて忙しくて…やっと解放されたけど。」

「もう大丈夫なの?」

「うん。例の事件は散々…ホント大変だったけど。」

「結局、どういう処分だったの?」

「すったもんだで、結局はクビよ。シンのこと偉そうに言えないね。」

「何か弁償しなきゃいけないとか、そういうのは?」

「いや、ライヴはぶち壊したけどさ、『チケット代払い戻せ』とかの苦情がほとんどゼロだったんだよね。おまけにニュースで取り上げられて、それが大反響でアルバムが売れまくって。会社としては結果オーライ。」

「かえって良かったのねえ。」

「でも、会社のお偉い連中が『もうやるなよ』って言ったから、『やるよ』って答えたらギャアギャア騒ぎ始めて、もう大揉めよ。最後は『手におえない』ってんで放り出されちゃった。ギャラも、ほぼもらわずじまい。違約金を払わされなかっただけ、いいよね。」

松下のおばちゃんは苦笑を隠さなかった。

「本当に、アンタとシンちゃんはどうしようもないわ。まあ、でも元通りのアイヴィーちゃんで戻ってこられたんだから。良かったじゃない。」

「そうだね。面白かったのがさ、お偉い連中が捨てゼリフで『もう芸能界に戻れると思うなよ』って言うの。アタシ、その瞬間まで自分が芸能界にいたって思ってなかったんだよね。だから『どうでもいいよ』って言ってやったけど、あの会社と契約して、今までで一番の本音だった。ふふ。」

「ずいぶん思い切ったこと言ったわね。」

「いいのいいの。やる気もその気もないのに芸能界なんか、『ちゃんとしてない』もいいとこよ。」

アイヴィーは空を見上げた。

東京の空は狭いけど、それでも春はやってくる。

「で、アイヴィーちゃんはこれからどうするの?また同じ生活に戻るの?」

アイヴィーがニッと笑った。

「捨てる神あれば…。」

「拾う神あり?それって、新しいレコード会社でも決まったの?」

「違うよ。バック・バンドの連中には『一緒にやらないか』って誘われたけど、断った。嬉しかったけど迷惑かかるし、アタシはスタジオ・ミュージシャンにはなれないよ。」

「じゃあ、どうするの?」

「あのね。DXホールの時、アメリカの結構有名なパンク・レーベルのオーナーが観に来てたんだって。『ジャパニーズのパンク姫なんて面白い』って。で、あの騒ぎでしょ。すっかり気に入られちゃったみたいで、知り合いを通じて連絡が来たの。」

「アメリカの…。」

「『アンタ、クレイジーだ』って言われたよ。で、その後でクビになったことを伝えたら『アメリカに来ないか』だってさ。」

松下のおばちゃんは澄ましているアイヴィーを見つめた。いったいこの子は、この一年間でどこまで飛んでいったのだろうか。

「今度はアメリカ?もう、アタシには何が何だか分からないわ。信用できる話なの?」

「ぜーんぜん。見るからにうさんくさそうなオッサンでさ~。『イングリッシュで歌えば、お前ミリオンだ』って。そんな簡単に行くわけがないでしょっての。」

アイヴィーは伸びをした。太陽が背中に心地いい。

「でもさ、相手がどうこうじゃないのよ。アタシが『ちゃんと』してれば、それでいいんだ。相手はアメリカじゃなくて、アタシ自身なんだ。今ならどんな状況でも、自分自身を見失わずに進めると思う。」

これまでは、背伸びだったのかもしれない。

いま、アイヴィーの足はしっかりと地に着いていた。

「ずっと、強さって力だと思ってた。違うんだね。強さって、最初からここにあるんだよ。」

そう言って、アイヴィーは胸を叩いた。

“それを教えてくれたのは、おばちゃんなんだよ”と、喉まで出かかった言葉は引っ込めた。そんな映画みたいなこと、言えるわけない。

「みんな、一緒に来るって。」

今度は松下のおばちゃんも驚きを隠そうとはしなかった。

「ゴンちゃんも?ジャッキーも、ショージも?」

「そうだよ。だって、あのメンバーじゃないとダメでしょ。そうそう、ゴンちゃん左官の仕事を休職にして貰って、代わりにシンを雇ってくれって親方に頼んだの。受け入れてくれたみたいよ。でもゴンちゃんの彼女、どうすんだろうね。」

「シンちゃんは、そのこと知ってるの?」

「うん、こないだ会って話してきたよ。シン、けっこう坊主似合うじゃん。笑っちゃったよ。」

アイヴィーは優しい目になった。

「シン、言ってたよ。松下のおばちゃんには『もう大丈夫だ』って強気で言ったけど、出てきて横にアタシがいたらまた甘えちゃうかもしれないから、ちょうどいいんだって。強がってるのかな?でも真剣だったよ。『真』剣だからシンなのかな?あはは。アタシは『芯』だと思ってるんだけどね。」

「そうね。シンちゃんは、本当は芯の強い子だから。」

「シン言ってたよ。『俺は俺で頑張る、俺の道を見つける。だからお前も向こうで頑張れ』って。そうじゃないとアタシと一緒にいられなくなるって。また道が交わったら一緒になろうって。アタシ、シンのこと好きだよ。そういうシンが大好きなんだ。だから、いつかまた必ず一緒になると思う。」

昼下がりの太陽はまぶしかった。ギヤは歩いてすぐそこにある。

太陽の似合わない、暗がりの星たち。地下のライヴハウスで輝く、一瞬のホタル。

「寂しくなるわね。」

松下のおばちゃんは微笑を浮かべた。

「いやいや、おばちゃん!格好いいことばっか言ったけどさ、今のところアメリカは観光って形で行くしかないんだよ。アタシの兄弟分の写楽のバンドなんか、ツアーだって行って入管で『怪しい』ってバレて、全員強制送還だよ。何とか潜り込んでも、何か月かしたら帰ってこなきゃならないし。」

「そうなの。それならまたすぐ会えるわね。時々顔を合わせないと、アタシはババアだからいつ死んじゃうか分からないわよ。」

「よしてよ、おばちゃん。ライヴハウスで肋骨へし折ってもピンピンして写真撮ってる60歳が、他にどこにいるのよ?殺しても死なないくせに。」

「もう61歳よ。アイヴィーちゃんも…。」

「うん、来週で21歳だよ。でも、それ以上に歳を重ねた、成長した気がする。」

「何よ、年寄りぶっちゃって。人生はね、少なくとも5回は大きな波があるのよ。アンタなんかまだまだひよっこよ。」

「さすがに説得力あるね。」

二人は顔を見合わせて笑った。


アイヴィーは、松下のおばちゃんに言わなかった。

シンと面会した時、あのデビュー・ライヴの日の写真を観たか、とシンに聞いたことを。

シンは、「見たよ」と言っただけで、それ以上何も言わなかった。

その表情に、アイヴィーの望んでいた答えの全てがあった。


松下のおばちゃんは、アイヴィーに言わなかった。

シンに、あのデビュー・ライヴの日の写真を渡した時のことを。

シンの反応は、松下のおばちゃんが予想したどんなものとも違った。

シンは、声をあげて泣いた。


これからお気に入りのスープカレーの店でランチの予定だ。

本当はライヴハウスで会うのが一番嬉しいのだけど。

「おばちゃん。」

「なあに、アイヴィーちゃん。」

「シンがさ、桜が観たいんだって。」

「桜ねえ。もう、そんな季節よね。」

「アタシたちさ、毎年お花見してたんだ。ライヴが終わった後に、缶ビール片手にぶらぶら歩きながら、桜観てさ。」

「いいわねえ。じゃあ写真撮ろうか?夜桜とアイヴィーちゃんを一緒に。」

「アタシもシンにそう言ったの。そしたら、アイツ何て言ったと思う?『松下のおばちゃんに、ライヴ以外の写真なんか撮れるわけねえ』だって。」

「失礼しちゃうわねえ。」

「だからさ、アイツに普通の写真を持っていったって、文句たらたらに決まってるよ。でさ、思いついたんだけど…。」

アイヴィーは松下のおばちゃんに顔を寄せてささやいた。

松下のおばちゃんから、笑みがこぼれた。


高円寺ギヤは今夜もにぎわっていた。

ホール奥のPAブースでは、フリちゃんが細心の注意と愛情をもってバンドの音響をチェックしている。

いつも通り、後ろの方には立ったまま熱心に観ている客や出演者たち。

前の方には熱心なファンが押し合いへし合い、好きなように飛び跳ねたり踊ったり、ダイブを繰り広げている。

バー・スペースに残って話し込んでいるお前、ライヴをちゃんと観ろ。でもまあ、やっぱり好きにしなよ。どうしようとお前の自由だ。

いつもと違う光景。ステージ脇のスピーカーには大きくて太い桜の枝が何本もくくりつけられていた。

どこから持ってきたかって?野暮なこと聞くもんじゃないよ。お行儀の悪い連中だけど、ひょっとしたら知り合いから分けてもらったかも、しれないだろ。

スポットライトに照らされたステージに、時おりヒラリ、ヒラリと桜の花びらが落ちてくる。

「ズギューン!」は今夜も絶好調だ。

ショージは、ドラムセットの後ろにも桜の枝を用意して、ご満悦にビートを刻んでいる。

ジャッキーは髪の色をピンク色に染めてきた。桜のコントラストだ。うなりを上げる白いベースも、照明に反射して桜色に見える。

ゴンちゃんはいつもの黒いモヒカンを振り乱しながら、くわえタバコでギターをかき鳴らした。

ゴンちゃんのピンク色はどこに?いやいや、今夜のタバコは桜のメンソールなんだってさ。

今日ライヴに行く前に自宅で彼女にアメリカ行きを告げたら、怒って泣いて叩かれて、最後は出て行かれちゃった。

でも、彼女がいま最後尾でこっそりライヴを観てるのは知ってる。たぶん許してくれるだろう。

アイヴィーはステージの中央で、その歌声をとどろかせていた。DXホールの大観衆も、公園での生歌も、小さなライヴハウスでも、何も変わりはない。

髪の毛は赤いままだ。ピンク色なのはライダース・ジャケットだった。とびっきりショッキングな桜。

フロアのモッシュはピークを迎えていた。次々とステージからダイブが発射される。最前列でもしがみついているのに精いっぱいだ。

ミッチに守られながら、そのど真ん中で松下のおばちゃんは写真を撮っていた。

見慣れた光景。でも一瞬だって同じ場面はない。

振り回されたマイクスタンドが、松下のおばちゃんの脳天スレスレをかすめた。危ない危ない!アイヴィーだって、たまには勢い余ることだってある。

怪我しなきゃオーケー!

さあ、三人がジャンプする瞬間だ。0コンマ1秒前だって、完璧にシャッターを合わせられる。

大きく飛び跳ねたアイヴィーが、とびきりの笑顔を見せた。

フラッシュ!

最高の一枚。消えてしまうはずの一瞬の輝きを、一枚の写真に残して…。


おわり



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