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二度目の冬(その5)

バックバンドは大所帯だった。

ギター、ベース、ドラムにキーボード、トランペットやサックスなどの管楽器までいる。

みんなベテランらしい落ち着いた雰囲気で、アイヴィーが入ってくるのを待ち構えていた。

ステージの袖から、アイヴィーが現れた。

松下のおばちゃんが初めてライヴを観た時と同じ、赤い革ジャン。

松下のおばちゃんが初めて会った時と同じ、赤い髪は左半分がスパイクになっていた。

原点だ。

アイヴィーは超満員のフロアをゆっくり見渡して、こみ上げてくるものを抑えるような顔を見せた。

泣いている暇はない。泣くよりもっといい表現方法が、あるじゃないか。

“ゼンブ、ハキダセ!”

アイヴィーは力強く歌い出した。


最初の方で写真を撮るつもりはなかった。

場の雰囲気を見て、盛り上がりが最高潮に達した辺りで、どさくさに紛れて撮る計画だった。

そして実際、それどころではなくなった。

アイヴィーの声が響き渡ったときから、5人はその場所に釘づけになってしまった。

ひたすらに、アイヴィーの姿を見守った。

松下のおばちゃんは、あるはずのないカメラを手元でまさぐった。

「きれいだわ。」

勝手に口が動いていた。

息子たちと以前に話した、「蝶と蛾」の話が頭に浮かんできた。

アイヴィーは蝶だったのか、蛾だったのか。

今となっては、そんなことはどうでも良かった。

あの子は繭を飛び出したのだ。

こんなに嬉しいことはない。

「歌も、本当にきれい。こんなきれいな歌、聴いたことない。」

「ああ、これは間違いなくアイヴィーのメロディだ。チクショウ。」

大音響の中で、松下のおばちゃんの声がゴンちゃんに聞こえていたかは分からない。

独り言だったのかもしれなかった。

ゴンちゃんとアイヴィー、ずっと「ズギューン!」のメロディ・メイカーとして、二人で曲を作ってきたのだ。

今、聴こえてくるのは知らない曲。

だがアイヴィーがそのメロディを、そのリズムを選んだ感覚、息づかいは手に取るように分かった。

分かっているが、これは「ズギューン!」の曲ではない。

何だかとても嬉しく、とても悔しかった。

隣ではジャッキーが泣いていた。

ショージも黙りこくっていた。

ステージはまだ、かなり遠くにあった。


ライヴハウスでのパンクのライヴよりはノリが大人しいものの、フロアは凄い盛り上がりを見せている。

時おりダイブも起きていた。

いつまでもこうしてはいられない。

ゴンちゃんたちはどこからかカメラの部品を取り出し、松下のおばちゃんに手渡した。

私服の警備員が巡回しているかもしれない。油断は禁物だ。

松下のおばちゃんを中心に、周りを隠すように取り囲んで、じりじりと前に進み続けた。

暗い中での組み立て作業、手元がよく見えない。一年間ライヴハウスの中でカメラを使いこなしてきた、その勘に頼るしかない。

焦れば焦るだけ、ますます動きが遅くなる。

ゴンちゃんの近くにパンクスが上から降ってきた。

「チクショウ!」

ゴンちゃんが叫ぶ。

「ゴンちゃん、大丈夫?」

「ああ、大丈夫だけどピアスが吹っ飛んだぜ。気に入ってたのによ。」

耳が切れていなければいいが。今は確認している暇はない。

5人は少しずつ最前列に近づいて行った。


「くっそ、いるな。」

ミッチがつぶやいた。

見ると、最前列の鉄柵とステージの間には二人がすれ違えるくらいの広さのの隙間がある。

ダイブしてきたファンを安全に下ろして、横から逃がすためのセーフゾーンだ。

そこに陣取っているのは、巨漢の外国人セキュリティーだった。3人ほどが間隔を空けて立っている。

飛んできたファンを軽々と捕まえ、下に下ろしてから背中を押して誘導していた。

「アレに捕まえられたら、動けねえな。」

幸いにもセキュリティーたちは飛んでくるファンの誘導に気を取られ、こちらの動きを気にとめる素振りは無い。

最前列からもアイヴィーの立ち位置まではかなりの距離がある。高さも通常のライヴハウスよりある。

あまり近づき過ぎると見つかる可能性も高いが、それなりの距離まで近づかないことには良い写真にならない。

恐らくチャンスは一瞬だ。素早く撮って、何が起こったか分からないうちに逃げる。

前に進むにつれ、ノリは激しさを増していった。


最前列まであと3メートルのところで、曲が終わった。

ここまで一回のMCも挟んでいなかったアイヴィーが、ひと言だけしゃべった。

「アタシの、ルーツを歌います。」

“まさか、「花笠音頭」じゃないわよね。”

松下のおばちゃんは、思わずそんなとぼけたことを考えた。

聴き慣れないアレンジに、聴き慣れたメロディ。

それは、あの「ズギューン!」のパンク・バラードだった。

「何だクソ。こんなアレンジしやがって。」

思わずゴンちゃんがつぶやいた。ギタリストに向けて、だ。視線はアイヴィーに釘づけだった。

あの日、「『ズギューン!』らしく!」を追及するために、「お前らの言うとおりにはならない!」ために、みんなで作った曲。

フルバンドのアレンジで、飾りつけは豪華であっても、その曲の内にある気持ちはあの日のまま。

ここに来ている、仲間たちに向けた叫び。

ひとりひとりに、真っ直ぐに突き刺さっていた。


「ゴンちゃん。」

松下のおばちゃんがゴンちゃんの袖を引っ張った。我に返ったゴンちゃんが身をかがめて、松下のおばちゃんに耳を寄せる。

「アタシ、今、撮りたい。ここよ。」

フロアにアイヴィーの歌声が隅々まで届く。

湧きかえっていたホールは、今や包み込まれるように静かだった。

ダイブの嵐も止み、セキュリティーたちもひと段落といった感じで、半身ほどアイヴィーの方を向いて彼女の歌を聴いている。

言葉は通じなくても、彼らにもちゃんと伝わっているのだ。

「今なら撮れそうだな。よし。」

ゴンちゃん、ジャッキー、ショージ、ミッチは目配せをした。

三人がぴったりと松下のおばちゃんの左右、後ろにつき、おばちゃんの姿を隠す。

松下のおばちゃんはゴンちゃんの後ろで、カメラを下に向けて真っ直ぐに前を向いている。

合図をしたら、ゴンちゃんが脇によける。

さしあたって、目の前に背の高い者はいない。周りに気づいている者もいない。

ゴンちゃんの隙間から見えるアイヴィー。あの日のように、前を向いて目を閉じて歌っていた。

松下のおばちゃんは、待った。


アイヴィーには何も見えなかった。

ステージから観たフロアは、照明に反射してまぶしくぼやけている。

目を閉じていても開いていても同じことだ。

自分の歌う声が頭の中で大きく反響し、それ以外に聞こえるものは無い。何も見えず、真っ白だ。

と、そのイメージの中に、突然カメラを構えた松下のおばちゃんが見えた。真っすぐこちらを向いている。

「おばちゃん。」

アイヴィーは大きく目を開き、頭を反らせた。


その数秒前に、松下のおばちゃんはゴンちゃんの背中を押した。音も無くゴンちゃんは脇によけた。

松下のおばちゃんは、カメラを構えた。

分かっているのだ。あの子が何をするか。

一年間、何度も何度も撮ったのだから。

大きく息を吸って、ファインダー越しにアイヴィーを捉えた。

フラッシュが瞬いた。アイヴィーが目を開けるのと、ほぼ同時だった。


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