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二度目の冬(その2)

通常、受刑者との面会が許されるのは親族か弁護士などの代理人、あるいは出所後の更生にかかわる人間だけである。

しかし松下のおばちゃんに関しては、「交友関係の維持、その他面会をすることを必要とする事情」がある人物である、と担当の弁護士が手配をしてくれた。

通されたのは窓の無い小さな部屋だった。

遮へい板越しに会ったシンは髪の毛が短く刈り込まれ、こう言っては何だが清潔な感じがした。

浴びるように酒を飲んでいた時と比べると顔色も良い。

作業服のようなグレーの服を着て足取りもしっかりと、腰を下ろした姿は姿勢も良かった。

刑務官が奥の方に座っているのが見えた。

「シンちゃん。」

そう言ったきり、松下のおばちゃんは言葉に詰まってしまった。ハンカチをそっと目元に当てた。

「おばちゃん。こんな所まで、わざわざ来てくれてすまねえな。ありがとう。」

シンの声は力強かった。あの厳しかった目つきは、今は柔和に松下のおばちゃんを見つめている。

「シンちゃん。アンタ何をやったの?」

「喧嘩、だよ。お馴染みのやつだよ。ちょっとやりすぎちゃって。相手に大けがさせちまったんだ。俺、前にも喧嘩でパクられて、執行猶予ついてたからさ。今度は容赦なしにブチ込まれたよ。」

「アンタって子は…手におえない、バカ息子だわ。本当に…。相手の人は大丈夫なの?」

「顔を骨折させちゃったんだ。俺の指も折れたけどもう治ったよ。ギター、ちゃんと弾けるかな。」

「そんなことより、相手の心配をしなさい!」

「反省してるよ、本当だよ。今度という今度は…。」

シンはいつものようにふてくされたり、そっぽを向いたりしなかった。

「俺、しばらく家に帰らないで、地方とかあちこちフラフラしててさ。アイヴィーが頑張ってる姿、見ながら…悔しくてさ。自分がみじめだってことばっか考えてて…。」

シンは真っすぐおばちゃんを見ていた。

「そんな時、たまたま入ったライヴハウスでさ、知らねえ奴らがアイヴィーのこと、『セルアウト(メジャーに魂を売った)』だとか抜かしててさ。俺、我慢できなくて…。」

「殴っちゃったの。」

「散々ぶちのめしてさ。悪いことしたけど、俺にとってアイヴィーがどんだけ支えになってたか、その時やっと分かったんだよ。ホント、タイミング悪いよな。」

「タイミングだけじゃなくて、頭も悪い!どんな理由があっても、暴力は絶対にダメよ!」

松下のおばちゃんの剣幕に、シンは叱られた子供のような神妙な表情になった。少しののち、シンはゆっくりと口を開いた。

「はい、ごめんなさい、お母さん。」

二人は目を見合わせた。そして静かに笑い出した。

「ああ、まったくもう。」

松下のおばちゃんは、またハンカチで目をぬぐった。

「俺、アイヴィーに嫉妬してたんだな。前におばちゃんが言ってた通り、闘わなきゃいけなかったのは自分自身なのによ。」

シンは真面目な声で語った。

「こんな場所からだけどさ。俺、アイヴィーに誇れるような自分を取り戻すよ。気持ちを鍛え直して、ちゃんと仕事して、納得いくまでバンドやって。」

「そうよ。シンちゃんにはバンドがあるじゃない。アンタ、本当に格好良いんだから。」

「ああチクショー。バンドやりてえなあ。今いちばんやりてえことは、酒よりセックスより、バンドだってのによ。気づいた時は塀の中、じゃねえか。」

「いつ出てこられるの?」

「真面目にやってりゃ、今年中には出られると思うよ。またティッシュ配りからやり直しかな。あの仕事だってバカにしながら適当にやってたけど、大事な仕事だよな。ちゃんと仕事して、保険証も作って。あっ、その前に一万円、返さないとな。」

そう言ってシンはおどけた顔をした。松下のおばちゃんも、つられて笑った。

「一万円だけじゃなくて病院代も貸したでしょ。もう、出世払いでいいわよ。」

「そうでした。ちゃんと返します。」

二人はふっと沈黙した。

「おばちゃん。頼みがあるんだ。」

「なあに?」

シンは懇願するような目になった。

「アイヴィーの、デビュー・ライヴだよ。おばちゃん、写真撮るんだろ?俺、観たいんだ。」

松下のおばちゃんは口を開きかけたが、シンは続けた。

「あと1週間だもんな。俺は行くことはできないけど、おばちゃんの写真ならたぶん音が聴こえてくると思うんだよ。だから頼むよ。持って来てくれよ。」

松下のおばちゃんは、「写真は撮れない」と事情を説明しようと思った。

しかし、代わりに口から出てきたのは「分かったわ」というひと言だった。自分でも、どうしてそう言ってしまったのか分からなかった。

シンはホッとしたような顔をした。

「ああ良かった。今の楽しみって言ったら、それくらいだもんな。ホント嬉しいわ、待ってるから。」

松下のおばちゃんは、硬い表情でうなずいた。

「まあ、あと何なら漬け物とか差し入れてくれても嬉しいけどな。」

「まったくアンタは、ちゃっかりしてるわねえ。」

「へへ。どうせ、この中は食べ物の差し入れは禁止だよ。言ってみただけ。」

残りの時間は仲間の近況を話したり、冗談を言い合って過ごした。シンはいつになく饒舌だった。久しぶりに知り合いと話をする嬉しさもあったろうが、松下のおばちゃんには分かっていた。シンが、自分を本当に信頼してくれたことを。

しかし松下のおばちゃんの頭の中は、もう写真のことでいっぱいだった。

どうにか、しなきゃ。


「ズギューン!」本拠地のスープカレー屋では、いつものテーブルにメンバーが座っていた。

ゴンちゃん。ジャッキー。ショージ。

アイヴィーの定位置には松下のおばちゃんが腰かけていた。

カウンターではミッチがこちらを向いている。

「アイヴィーは知ってるのか?」

ゴンちゃんが口火を切った。

「アタシが話したわよ。シンちゃんは『どうしていいか分からない』って言ってたけど、無事でいるって分かるだけでも安心するでしょ。」

「アイヴィー、なんて言ってた?」

「すぐにでも面会に行きたがってたけど、シンちゃんの伝言で『今はライヴに集中しろ』って伝えたら、一応納得はしてたわ。それにあの刑務所、かなり遠いのよ。あの子の今のスケジュールじゃ、とても時間が無いわ。」

「シンは、『まず松下のおばちゃんと話したい』って伝えてきたんだ。」

ミッチが口をはさんだ。

「『おばちゃんが俺とアイヴィーを一番よく知ってる。おばちゃんなら、全部分かってくれる』って。」

「で、写真かあ。」

全員が黙り込んだ。

「シンも難しい課題を押しつけてきたもんだよな。」

「アイヴィーには聞いてみた?」

「安瀬っていう公認のカメラマンがいるのよ。今さら、もう一人なんて言えないでしょ。こんな押し迫った時期に、あの子に迷惑がかかるわ。」

「事務所に言ったところで、どうせすげなく断られるのがオチだろうしな。」

「向こうはプロ、こっちはアマチュアの年寄りよ。一緒になんて、とんでもないでしょ。」

「困ったなあ。」

ショージも今日は得意のギャグが出てこない。

「中は当然、撮影禁止だよな。」

「当たり前だろ。前に結構でかい企画でメジャーのバンドを何となく携帯で撮ったら、すぐ黒服が飛んできて画像削除させられたからな。ああいうとこは撮影にはうるさいんだ。」

「そうだよな。打つ手なしかなあ。」

ショージが口を開いた。

「やるしか、ねえだろ。」

「何だ、やるって。」

「勿論、撮影だよ。おばちゃんに何としても写真を撮ってもらう。そのために俺たちがいるんだろ。」

みんながショージの方を見た。

「おばちゃんにはなるべく小さいカメラを用意してもらう。フラッシュとかレンズとか全部を分解して、俺たちがひとつずつ隠して入場する。中で組み立てて、おばちゃんが急いで写真を撮る。カメラをバラして逃げる。これしかねえ。」

「ショージ。アンタ、アタシに盗撮をしろって言うの?」

「だって、他に手段がないじゃん。」

今や、みんなが身を乗り出していた。めいめい今の計画が実行可能かどうか検討している。

「アイヴィーちゃんに迷惑がかからないかしら。というか、絶対かかるわよね。」

「アイツだって生まれてからこの方、人に迷惑かけて生きてきたんだからさ。そんなのお互い様だし、ひとつくらい迷惑の種が増えたからって今さらどうってことないだろ。」

何だかよく分からないが、妙に説得力がある。

「しょせん俺たちパンクで、チンピラみたいなもんなんだからさ。正攻法で行く必要なんか、ねえよ。何かあっても、おばちゃん守って俺たちが責任取ればいいんだ。」

「…バレたらどうなる?」

「データ没収で追い出されて終わりだろ。俺たちが元のバンドメンバーって分かったら、安い週刊誌のネタにはなるかもな。」

「…それはそれで面白いかも。」

「別にパクられるわけでもないしよ。万が一パクられたら、俺がムショで直接シンに写真届けて来るわ。」

ジャッキーとショージは興奮気味に、色々な角度から計画を練っている。ミッチは黙って聞いていた。

ゴンちゃんが松下のおばちゃんに声をかけた。

「おばちゃん、どうする?写真を撮るのは、おばちゃんだぜ。おばちゃんが決めてくれ。」

松下のおばちゃんの脳裏に、面会室に座ったシンの姿が浮かんできた。

きちんと話しながらも、面会の間ずっと彼の両手はギュッと握りしめられていた。

お酒を飲んで自分を探しているうちに、あんな場所に迷い込んでしまったのだ。目が覚めたら太陽ははるか彼方だった。

「今年最初のライヴ撮影が、まさか盗撮になるとは思わなかったわ。今年は大変な一年になりそうね。」

「決まりだな。よし、じゃ乾杯しよう。」

ミッチが生ビールを5杯注文した。しかし松下のおばちゃんは、もう水も喉を通りそうに無かった。


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