秋(その1)
バンドマンの夏服は、どんなジャンルであってもTシャツが中心になりがちだ(まあ、世の中全般的にそうかもしれないが)。
季節が秋に傾き気配が涼しくなってくると、衣装のバリエーションは一気に増えてくる。衣替えの様相を楽しむのは一般世間もバンド界隈も同じだ。
エドワード・ジャケット。ハーリントン・ジャケット。ドンキー・ジャケット(革ジャン…レザー・ジャケットは、もう少し先の時期だ)。
ワーク・シャツ。ジップ・シャツ。ガーゼ・シャツは汗を吸わないので、薄手だが夏よりもこの時期の方が適している。
モヘア・セーター。スイング・トップ。スウェット・パーカー。スカジャン。
自分たちの主張によって着るものも様々だ。それを「ジャンル」という言葉で片付けてしまうのは、あまりにも視野が狭い。
レザー・パンツ。ボンデージ・パンツ。ワーク・パンツ。「パンツ」を「スカート」に直すと、女の子のコーディネイトは倍以上になる。
クリーパーズ。レザー・ブーツ。スケーター・シューズ。
手に入れた洋服にスタッズ(鋲)やパッチ、缶バッヂなどを付けてオリジナルに改造する作業も楽しい。
世の中には穴開きや汚れが「元から」のジーンズなんかもあるけど、そういうのはたいてい見透かされてしまう。
新しいアイテムに罪は無いけど、バンドと同じく着るものも生き様と…流した汗と一緒に育っていくのだ。
オイルを塗って毎日磨き上げたロング・ブーツ。踏まれて蹴られて薄汚れたスニーカー。どっちも同じくらい格好良い。
バンドTシャツの裾が擦り切れているのは伊達じゃないのだ。
松下のおばちゃんも、アイヴィーに貰ったジャケットに再び袖を通すようになった。
革ジャン「風」のフェイクレザーで動きやすく、撮影でも邪魔にならない。えりもとはヒョウ柄になっていて、とても気に入っている。
年齢も年齢なので真夏でも常にTシャツ一枚だったわけではないが、とにかくこの夏は暑さに耐えつつ撮影をこなすことで、体力的にもぐんと鍛えられた。秋風が心地よく感じる今、カメラワークはずいぶんと楽だ。
ここ半年間で松下のおばちゃんが撮影したバンドはとんでもない数になっていた。
小さな手帳は常に予定でいっぱいだ。土日ともなれば、かなり早い段階で撮影依頼をしておかないとすぐに埋まってしまう。
ライヴでの写真を撮る技術も格段に上がっていた。
慣れたバンドなら大体どのタイミングで次にどの動きが来るか予測できるし、初めてのバンドでも「様子を見ながら」と思いつつ、感情をむき出しにした写真を次々に生み出す。そのたびにバンドマンたちの度肝を抜いてしまうのだ。
時には、いい写真を撮りたいあまりに(むろんライヴ後に)バンドのメンバーにストレートな言葉をかけることもあった。
「アンタいい男なんだから、もっと顔を上げて前を見なさい。」
と、松下のおばちゃんに言われたバンドマンは数知れない。撮られることを意識し、写真を観て得る客観的な視点をもとに、どのバンドもさらに良くなるようだった。
バンドマンたちから口々に「お母さん」「お袋」と呼ばれる、それが転じていつしか「ゴッドマザー」という異名を生み出し、「高円寺のゴッドマザー」と言われ始めた。
ライヴハウスには「松下さんに憧れて」という、若いカメラマンまでがちらほら出現するようになった。
松下のおばちゃんの域に達するまでには、あと40年くらい時間が必要なわけだ。
シンは相変わらず飲んだくれていた。
ギヤで見かけることはないが、他のライヴハウスの入り口や床で酔いつぶれて寝ている姿をよく見かけた。
バンドは辛うじて続けていたが明らかに身が入っておらず、ドタキャンも日常のこととなり、ミッチもさじを投げつつあるようだ。
そんなシンの姿を見るたび松下のおばちゃんは、どうしてあの時…病床のシンと話した時に感情を抑えきれなかったのか、今でも後悔していた。
あれだけのことを言ってしまって、今さらつけ加えるべきことも、ない。もう言葉のかけようもない。
他の子たちのようにシンに接してあげたいのだが、我が子に対するような気持ちが必要以上に強すぎるのだ。
松下のおばちゃんは、シンの醜態を遠巻きに見ていることしかできなかった。
平日のギヤは超満員だった。
今までこれくらい入ったのは観たことがない。とにかく人と人の間にすき間がない。
最前列からは動ける状況になかったので、途中からステージ袖やステージ上での撮影がメインになった。嬉しい悲鳴だ。
熱狂のライヴが終了すると、風船から空気が抜けるように一気に客が出口へ流れて行った。
ライヴが終わってさっさと帰る客は、たいてい常連客ではない。いつもの顔ぶれはその辺を何となくウロウロして雑談をしている。彼らにとって、ライヴとはステージ上のパフォーマンスだけを指すのではないのだ。
松下のおばちゃんも、他の客に流されるようにバー・スペースまで出てきた。
「ケンジ君、お水ちょうだい。」
ケンジと呼ばれたドリンク係の店員は、ニヤリと笑って松下のおばちゃんにいつものペットボトルを渡した。
「中、すごかったですね。」
「こんなギヤ、観たことないわよ!空気も薄くて、倒れちゃうかと思ったわ。」
「俺もビックリです。ホント嬉しいですね。」
ほとんどの人が帰るまで、楽屋の扉は開かなかった。
「おばちゃん、ありがとう~大変だったでしょ?」
ようやくアイヴィーが楽屋から出てきた。
「ズギューン!」久々の高円寺ギヤ凱旋、完全シークレット・ライヴは、平日にも関わらずとんでもない人数を動員していた。
「アイヴィーちゃん。すごい人だったわね。」
「そうね。でも大入りは嬉しいけど、今日はそれよりもギヤで演れたのが嬉しい!やっぱギヤ、いい!」
アイヴィーは興奮冷めやらぬ感じだった。
ゴンちゃん、ジャッキー、ショージも奥から出てきた。
「…落ち着く、ギヤ。」
「ここがあるから、安心して外に打って出られるよ。」
「やっぱり、フリちゃんのオペ(オペレーター=音響係のこと)が一番いいよな!」
フリちゃんはギヤ専属の音響係だ。松下のおばちゃんが一番初めにギヤに来た時、受け付けをしていた女性である。
「みんな、お疲れ。」
タダシが清算を終えてやって来た。
「タダシー!ホント、ありがとな!無理言って。」
「いやいや、こっちも助かったよ。平日でバンドにギャラ渡せるなんて、ライヴハウス冥利に尽きるよ。」
そう言ってタダシは封筒をゴンちゃんに渡した。ゴンちゃんは相撲の手刀を切って封筒を受け取った。
「トラブル、無かった?」
「うん。『当券(当日券)は無い』って言ってもゴリ押ししてくる客が何人か来た。みんな帰って貰ったけど、捨てゼリフ吐いてったやつもいた。」
「カトケンが悪いんだよ。完全シークレットだって言ってるのに、勝手に知らないとこで情報流すから。ギヤのスタッフだって、今日までみんな黙っててくれたんだよ。アイツには関係ないのに、首を突っ込みやがってさあ。」
「まあまあ、アイヴィー落ち着けよ。無事に終わって盛り上がって、良かったじゃねえか。それで十分だろ。」
ゴンちゃんがアイヴィーをなだめた。
「うん、ごめん。やっぱ最近イライラしすぎだね。ちょっと着替えてくる。」
アイヴィーは楽屋へ戻った。
「アイヴィーちゃん、ストレスたまってるみたいね。」
アイヴィーの背中を目で追いながら、松下のおばちゃんはつぶやいた。
「ああ。何しろアイヴィーだけ取材の数が段違いだからな。顔には出さないけど、かなり参ってるぜ。」
「そうなの。」
「アイヴィーも『バンド全体の取材にしろ』って抵抗してるけど…最近じゃ音楽雑誌だけじゃなしに、ファッション雑誌とかも取材に来てるからな。そんなのアイヴィーしか受けられないだろ。関係者との打ち合わせも多いしな。」
ジャッキーとショージは機材の片付けに向かった。最近バンドにスタッフ(雑用係)が加入したので、細かい搬出・入や機材車の運転は任せられる。とても楽だ。
「ゴンちゃんたちは、どうなの。」
「俺自身は、正直なところ最高に楽しいよ。やってることは今までと同じで、今まで会うこともなかったようなバンドと沢山出会って一緒にライヴやって、仲良くなって。すごい人数の前で演れるし、バンドに金はかからないし。」
「女も、できたしな。」
通りがかりにショージが横やりを入れた。
ゴンちゃんはショージの足を軽く蹴りつけたが、その顔はにやけていた。
噂ではゴンちゃんは今、かなり幸せらしい。
「前に、テレビの音楽番組にも出られるって話、あったじゃん。出たには出たけど、地上波は地上波でも地方局だったんだよ。」
「聞いたわ。それだって、すごいわよ。」
「うん。それ、うちの地元でも放送されてさ。うちの弟…5歳年下なんだけど、もう興奮しちゃって。『俺も東京へ行く』って言ってるみたいで、お袋が『頼むから弟までバンドマンにするのは止めてくれ』だって泡食って連絡してきたよ。」
「あらあら、お母さんも大変ねえ。」
松下のおばちゃんは笑った。
「おばちゃん。俺やジャッキーやショージがこれだけ楽しいのは、俺たちが『期待されてないから』だよ。」
ゴンちゃんは真顔になった。
「そんなこと…。」
「いやあ、そうだよ。期待されてないもん。期待されてるのはアイヴィーだから。」
そう語るゴンちゃんの口調には、ジェラシーではなく仲間に対する哀しみがこもっていた。
「今までの俺たちってさ、誰にも期待されてなかったよ。そりゃ、仲間は応援してくれるよ。でもさ、それって期待するのとは違うよな。」
「そうね。」
「誰にも期待されてない分、自分たちの好き勝手にやって、それはそれで凄く楽しかった。前に『メジャーとか興味ない』って言ったけど、あの頃は具体的に何がどう今までと違うのか分かってなかったしな。」
松下のおばちゃんはゴンちゃんの顔を見つめていた。
「こんな立場になって…今はさ、自分たちの思いだけじゃなく、レーベルのやつらの思惑とかファンの『こうあって欲しい』って思いとか、そういうのヒシヒシと感じるんだよ。それを全部背負って立ってるのがアイヴィーなんだ。」
「そうね。」
「アイヴィーはバンドの顔だ。『ズギューン!』がバンドとして何かやっても、みんなの視線はアイヴィーに行く。だからある意味、俺たちは何をやっても何も言われない。いいことも悪いことも、何かあるたび注目されるのはアイヴィーだ。しんどいと思うぜ。」
「アイヴィーちゃんには、それだけ人を引きつける力があるのよ。」
「そう。俺たちは、はっきりアイヴィーに引っ張られてここまで来た。勿論4人で頑張ってきたからこそだけど、その中心には常にアイヴィーがいた。」
あれだけ薄かった空気が少しずつ元に戻ってきた。片付けもそろそろひと段落しそうだ。
「いまアイツは周囲の期待を全て受け止めて、その状態で『自分らしさ』をどう保っていくか、必死にもがいている。助けてやりたいけど、俺が代わって顔になることは出来ないから。」
「あの子が持って生まれた才能だものね。」
「俺自身は、この状態がずっと続けば言うことなしのハッピーのはずだよ。でもさ、アイヴィーの姿を見ると、『いつまでも、このままじゃダメだ』とも思うんだ。それが具体的にどうなるのかは分からないけど。」
「おばちゃーん。そろそろ打ち上げ始まるよー。」
ショージが呼びに来た。ゴンちゃんも松下のおばちゃんも肩の力を抜いた。
「そうね、乾杯しましょうよ。」
「よし、久々のギヤのハコ打ち!楽しみだな。おばちゃん、差し入れ持って来てくれた?」
「勿論よ。今日はね…。」




