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上から人が落っこちて来るのをギリギリでかわしながら写真を撮るというのは、なかなか難しい芸当だ。

判断は一瞬。多少の打ち身は仕方ないだろう。

幸いにも、もがくように回転しながら落ちてくる男の身体は四方から伸びてくる無数の手に助けられ、やや強引に押し戻されるようにして別の方向へ流されていく。

くねりながら突き上げられる拳。

暴れ続ける男のブーツは相変わらず誰かの頭にぶつかり続けているが、やがて人の波にまぎれて見えなくなった。

そんなこと気にしてはいられない。何しろ周りは自分より背が高い若者ばかりだ。ここには60歳のおばちゃんなんて、他にはまずいない。

とにかく、撮影ができる場所まで移動しなければならない。

前にいる男の革ジャンパー=ライダース・ジャケットの匂いがムワッと鼻をつくが、一瞬のことだ。

肘のところを押しのけるようにして前に回りこむ。

狭いライヴハウスの中にこれでもかと人が詰め込まれているが、最前列はさらに混乱を極めている。

一段高くなったステージの前には、胸の高さまである鉄製の柵がフロア(客席)とステージを区切っている。

へばりつくように柵にもたれる者。

その後ろから身体をぶつけるように押しつけてくる者。

必死にしがみつくも、絶えず入れ代わり動いていく。

真ん中以外の頭を剃り上げ、残った髪を上に逆立てる=モヒカン刈り、擦り切れたTシャツに、鉄の鋲=スタッドが一面についた革のリストバンドをつけた男が「おばちゃん来たの」と笑うと、少し横に動いて最前列に隙間を作ってくれた。

彼は顔見知り。何度も場所を空けてもらったことがある。笑顔を返して横についた。

すぐに入り込まないと、あっという間に誰かが割り込んでくる。

とにかく、ひと息。最前列にたどり着くまでも還暦の身にはかなり骨が折れる。タバコの匂いがしみこんで、慣れないとすぐに気持ち悪くなるだろう。

身体には悪いだろうが、今となっては、「またここに帰ってきた」という証みたいな匂いだ。

柵の上に両腕を乗せてかまえれば三脚の代わりだ。もっとも、常に動く被写体に三脚なんて本当は必要ない。単に「さあ、撮るぞ」という、つかの間のひと呼吸に過ぎない。

正直、ステージもフロアも大して違いはない。

ここには椅子なんて上品なものは無いし、フロアと同じくステージにもひっきりなしに誰かが昇ってきては、少し見得を切って(ほとんどの人間が、見得を切ってから次の行動に移るのが不思議でならない。バンドのメンバーだけでなく、お客でも誰でもそうなのだ。何故なんだろう)またフロアに向かって飛び込んでいく。

みんながフロアに飛ぶときに踏み台にしていく機材が、演奏している自身の音をバンド側に聴かせるための「モニター・アンプ」ということは、最近になって覚えた。

大混乱のステージで、周りなんかお構い無しにバンドが演奏を続ける。ドラム、ベース、ギター、ヴォーカル。これが基本形だ。

ドラムの表情を撮るのが意外に難しいのだ。たくさんのシンバルや太鼓、あるいは振り上げた両腕に顔が隠れてしまうことがよくある。

もっとも、ドラムに限らず写真撮影の依頼をしてくる割に「下を向いて」演奏しているメンバーは多い。

正直がっかりしてしまう。表情が全く写らない写真は多くを語ってくれない。

それでも何回か写真を撮っているうちに、徐々に「見られる」ことを意識し始めると「しめしめ」と思うのだ。

お気に入りの曲が始まるようだ。

正直、音楽のことはよく分からない。ロックなんてプレスリーくらいしか知らない。

だいたい、あまりにも音が大きいので耳栓をしている。それでも十分やかましいのだ。

ただ、この曲が始まるとフロアのみんなが一斉にざわめき立つ。一瞬にして鳥肌が立ったみたいになる。

その感覚を撮るのが好きなのだ。

一瞬だけフロアにカメラを向けて、素早く観客の写真を一枚写して、ここからが本番。

今夜は一番好きなバンドのステージ。ヴォーカルの彼女がこっちに向かってほほ笑んだ次の瞬間、叫ぶように歌い出した。

この一瞬を逃してはならない。

この瞬間を切り取るために、ここに来ている。60歳の女性ライヴカメラマン、松下侑子。

通称「松下のおばちゃん」。


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