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3-2


 どこの高校にも学校図書館、いわゆる図書室は存在している。

 しかし、独立した建物として文字通りの『図書館』を備えているという点において、この高校は比較的珍しい例の一つだった。

 無駄に広い敷地の裏手にぽつんと佇むコンクリート造りの図書館は、外見は地味ながら近隣では随一の蔵書数を誇っているのだが、校舎との間に職員用駐車場とあまり手入れされていない裏庭が横たわるという利便性の低さがネックとなり、生徒たちの評判はあまり芳しくない。


 その図書館に向けて黙々と歩を進めていたつばさは、辺りに人影が見えなくなった駐車場の出口付近で一度足を止めた。顔を上げて大きく息を吐くと、そのまま深呼吸を一回、二回。それでようやく、晃輝との話を打ち切ってからずっと感じ続けていたムカムカとモヤモヤを充分に薄めることができた。


「危なかった……のかな」


 そんな言葉が自然につばさの口をついた。


 晃輝が二人のヨリを戻そうとしてくるのは予期していた。むしろそうであってほしい、と願っていたのも否定はしない。

 しかし、先ほどのような展開は予想外もいいところで、自分の未熟さと覚悟の足りなさを痛感してしまった。二人の関係が数日前に戻ることはあり得ないが、だからこそ必要以上に話がこじれるのは望ましいことではない。

 そうやって冷静に考えれば、あそこでいきなり乱入して、見事に話をうやむやにしてくれたあの下級生の子は、つばさの恩人とも言えた。そのはずなのだが──


「にしたって何なのよあの子はっ。礼儀とか空気とかもうちょっと考えたらどうなのよ。晃輝も晃輝よ。未練たっぷりな様子見せといて、あんな子に抱きつかれたぐらいでデレデレしちゃってさ。ガードが甘いんじゃないのガードが」


 再び胸の中に漂い始めたムカムカとモヤモヤを、つばさが口からブツブツと排出し始めた矢先だった。


「あの、柊先輩!」


 背後からの声に、つばさは飛びあがらんばかりの勢いで身体を振り向かせた。

 駐車場のスペース一台分を挟んだ向こうで軽く息を弾ませているのは、つばさがまさに今口にしていた『あんな子』だった。


「あなた、さっきの……」

「はい。溝口千夏っていいます。──あの!」


 一段上がった声のトーンと踏み出された一歩に応じて、つばさは無意識に半身の姿勢を取って、続く言葉に身構えたが、


「さっきはお邪魔しちゃってすみませんでした! ごめんなさい、先輩!」


 深々と頭を下げる少女の姿が虚を突くものだったのか、つばさの思考は顔の表情ごと固まった。

 続く数秒の沈黙に、つばさが怒っていると思ったのか。少女──千夏は最敬礼の姿勢を崩さずに、


「あたし、高代先輩が柊先輩と話してるの知らなくって。大事な話だったかもなのに、あんな風にお邪魔しちゃって、それで……。ホントにごめんなさいでした!」


 と言い終えて、おそるおそる顔を上げた。その視線を受けて、ようやくつばさの言語野が活動を再開する。


「……宣戦布告されるのかと思ったわ」

「え?」

「いえ、別に。──別に問題は無いわよ。大した話でもなかったし。いきなりすぎて驚いたけどね」


 ようやく自分のペースを取り戻したらしいつばさが、先輩らしく落ち着いた語り口で言った。先ほどは少し失敗したものの、社交辞令的な微笑みにはそれなりに自信もある。


「わざわざ気にしてくれてありがとう、溝口さん。失礼だけど、晃輝──高代くんとはどういう関係なの? 彼からあなたの事は聞いたことが無くて……」

「はい! あたし、ついこの前高代先輩にひと目惚れして、彼女に立候補したばかりなんですよ~」


 今日だけで何度目のことだろう。つばさの表情は笑顔のまま固まった。


「実は三日前まで先輩の名前も知らなかったんです。でも、ひと目惚れってホントにあるんですね~。いきなり告白したら『今はそんな気になれない』で返されちゃいましたけど、可能性ゼロじゃなさそうだし、今はポジティブに頑張ってみようと思ってますっ」

「三日前、ね。……あれ? でも溝口さん、私のことも知ってるのよね?」

「はい! この間、友達が教えてくれました!」


 はきはきと答えてから、千夏は急に何かに思い当った様子で声の調子を落とした。


「あのぉ。あたし、お二人がその、お別れされたって聞いたから、高代先輩に告っちゃったんですけど。……ご迷惑でした?」


 これが嫌みや挑発、あるいは当てこすりに満ちた質問なら、つばさは反撃の手段をいくらでも用意しただろう。しかし、どうやら本気で恐縮しているらしいと判断した以上は、


「いいえ、全然そんなことないわよー」


 と棒読み気味に首を振るのが精一杯だった。何しろ客観的事実としてのつばさは、極めて一方的な三下り半を晃輝に叩きつけた側、なのだ。


「むしろ応援する……とまでは言わないけどね。口を挟む立場じゃないことぐらいわかってるもの。だから私に遠慮することなんか全然無──」

「先輩?」


 急に言葉を切ったつばさは、睨むような目の焦点を千夏の背後に合わせていた。

 訝しんだ千夏も顔を後ろに向けてみるが、見慣れた駐車場と校舎以外は特に何も見当たらなかったのか、ただ首を傾げる。


「ああ、ごめんなさい。ちょっと時間が気になってしまって」


 再び流れ出したつばさの声は、少なくとも表面上は落ち着きと柔和な微笑みを取り戻していた。


「そろそろ図書館に行かないとね。今日はあなたと話ができて嬉しかったわ」

「そんな。えっと、あたしの方こそ嬉しかったですっ。今日はホントにすみませんでした。いっぱいお邪魔しちゃって……」

「気にしてないわ。高代くんのことも、ね。……私には上手く言えないけど、まあ、頑張って」

「はい、ありがとうございます! それじゃあ失礼しますね~」


 ぺこりと笑顔で頭を下げた千夏は、そのままの勢いでくるりと振り向いて駆け出した──はずが、


「柊先輩!」


 肩越しに振り向いた大きな目が、つばさの前で無邪気に細められた。


「あたし、負けませんからね!」


 不意の言葉に胸を衝かれたつばさが何かを言う前に、千夏の背は小気味よい足音をお供に校舎の方へと走り去っていった。

 その姿が視界から消えるまでの間、つばさの脳裏にはいろいろな想いが去来したが、


「……とらえどころの無い子よね」


 口をついたのはこの一言だった。


「もしも、さっきの態度が全部計算で演技なら、本気で感心しちゃうところだけど」


──まったくだ。


 あら、とこれは胸の中だけでつばさは呟いた。見ている人など誰もいないはずなのに、わざとらしく腕を組んで、今までとは違う独り言を口にする。


「これはこれは、随分とまあお久しぶりですこと。もう会えないかと思ってたわ」


 小声の中にも充分な嫌味をきかせた挨拶に、


──そう言うなよ。


 つばさの頭の中だけに響く声は苦笑したようだ。


──あれから四日、つまりはあと二日だ。いつまでもダンマリってわけにはいかねーだろ? そろそろ出なきゃと思ってな。


 と、ここまでは軽い調子で言ってから、


──あとはまあ、あれだ。これでも少しは反省してたんだぜ? あん時のお前さんにあんなこと言ったのは悪かったってな。

「それで、私に気を遣ってくれてたの?」

──ま、そんなとこか。

「……ありがと」


 少し不自然な間が空いた。


──お前さん、何か悪い物でも食べたのかい?

「ええ。さっきからこれ以上は無いくらいにね。修羅場スープにハプニングサラダにメインはおのろけムニエル。デザートで勝手な勘違い三角関係まで付いてきたから、今日はもうお腹いっぱいだわ」

──『勘違い』ねえ。

「何よ」

──いーや、何でも。


 と、声の主に白旗を上げさせたところで、つばさは真顔になった。


「さっきの、気が付いた? チラッと見えてすぐ建物の向こうに消えちゃったけど、私の気のせいじゃなければ、あれは……」

──ああ。間違いなくネノクニんとこの奴だよ。

 ネノクニという単語に、つばさの顔は険しさを増した。

「なら、追わないとマズくない?」

──ありゃあ、ただのはぐれだ。心配ねーさ。


 声は呑気な口調で断言した。


──前にも言ったろ? あそこからは、時々用も無くこっちに出てきちまう奴がいるんだよ。出てきたところで普通は見えねーから気付かれねえし、時たま心霊写真とやらに写り込むぐらいで、奴らも何もしねえけどな。

「あの時みたいにはならないのね?」


 夏休み前、つばさは晃輝と二人でひったくり犯を捕まえたことがある。

 あの時つばさを現場に導いたのが、先ほどつばさが見たフード付きの長衣を纏った者の存在であり、もしも二人が駆けつけていなければ、被害者のお婆さんは犯人が隠し持っていた包丁で刺し殺される運命だった──と知れば、晃輝はどんな顔をするだろうか。


──あん時みたいに、何匹も急いでたり同じとこに集まってたら、ヤバいけどな。これも言ったろ? あいつらは別に死神とかじゃねえんだ。ただ物凄く鼻が効くだけなのさ。人が死ぬ予兆……死の匂いってやつにな。

「悪趣味な連中だこと」

──今度まとめてぶった斬ってみるかい? 多分、あさっては奴らがたんまり見学に来てくれるだろうさ。

「余裕があればね」


 そう言うと、つばさは本当に時間が危なくなってきた図書館への歩みを再開した。図書委員は複数体制だから遅れても穴埋めは効くが、自分の勝手で他の委員に迷惑をかけてしまうのはつばさ自身が許せないことだ。

 舗装されていない裏庭を早足で抜けて図書館へ。しばらくは奇妙な会話も無しで歩いていたつばさは、 開け放たれた玄関の扉に何気なく左手を触れたところで足を止めた。


「ねえ」

──何だい?

「あなたは気付いてた? 私の癖のこと」

──……よく髪留めを触るってことならな。嘘をつく合図かどうかってのは知らんね。


 と言ってから、急に思い出したように、


──そういや、さっきの子に『頑張って』とか言った時も触ってたぞ。髪留め。

「そう、なんだ……」


 全く自覚してなかったのだろう。つばさは今日一番の深いため息をついて、図書館へと入って行った。



次回は週明け:3/13頃更新の見込みです

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