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3-1


「ちょっといいか」


 その一言で放課後を迎えたばかりの廊下のざわめきが一瞬で静まり返ったのは、ある意味で感嘆に値する出来事だった。

 ただし、声を掛けられた当人はその限りではない。


「……何かしら?」


 よくまあこんなそっけない声が出せるわね、と自分自身に感心したつばさは、先ほど終わった小テストの感想を交わしていた級友二人から目線を外した。三メートルほど離れて立った彼氏──元・彼氏である晃輝の、真剣な眼差しに向き合う。


「少し話したいんだ。二人で」


 予想はしていた。心のどこかで期待していたと言っても間違いではない。

 いきなり彼女に別れを告げられ、電話もメールもSNSも全て一方的にブロックされた彼氏が直接話をしに来るのに四日かかったのは、むしろ長いぐらいだとつばさは思っていた。

 そのつばさがあらかじめ用意していた選択肢は『断る』の一択だったが、彼女は土壇場でその案の却下を決めた。晃輝の怒りでも哀願でも無い真剣な目に心打たれたから──というよりは、自分たち二人に集中する周りの生徒たちの視線が大きな原因だ。


「いいけど。図書委員の仕事あるから、あまり時間取れないわよ」

「十分でいいよ」


 わかった、と言う代わりにつばさがこくりと頷くと、晃輝は軽い頷きを返してから無言のまま背を向けて歩き出した。つばさも傍で固まっている級友に目だけで挨拶を済ませ、黙ったまま後ろに続く。

 張りつめていた周辺の空気が、いくつもの吐息と共にどっと弛緩したのを感じ取って、つばさは胸の内でため息をついた。


 人の噂も七十五日。ネットを中心に刺激的な話ネタがいくらでも転がっている昨今は、その日数も大幅に短縮されていそうだが、それでもさすがに四日では忘れてくれないということらしい。

 それにしても、とつばさは思う。芸能人でも何でもない自分と晃輝の別れ話が、どうしてここまで大ごとになってしまうのだろうか。

 女王と貴公子という、赤面もので大げさで不似合いな肩書き──少なくともつばさ自身は自分をクールだなどと思ったことがない──が自分たち二人に付いているのは知っていたし、今回のことが校内で多少の噂になるのも覚悟していた。しかし、ここまで注目の的になるのは、誤算や意外を通り越してつばさには全く理解不能なレベルの話だった。晃輝もそこは同じではないだろうか。


「ねえ、晃輝」

「ん?」

「……ううん。何でもない」

「ああ」


 足の動きを再開させた晃輝に、つばさもそのままついていく。

 百八十一センチの晃輝が歩く速さは、二人がたわいもないおしゃべりをしながら並んで歩いていた頃に比べて、随分と速いことにつばさは気付いていた。




 晃輝が会談の場所に選んだのは、あまり使われない西階段を一階まで下りた脇にある、奥まったスペースだった。一応は学校の備品置き場とされている区画は、二、三人でおしゃべりするにはちょうどいい広さと立地を備えている。

 この時も一年生らしい女の子三人という先客がいたが、彼女たちは晃輝とつばさの二人を見て驚いた様子で互いに顔を見合わせると、ぎこちない会釈だけを残して走り去っていった。


「まるで腫れ物だよな、俺たち」


 後輩の後ろ姿が見えなくなったところで、晃輝は口元に笑みを浮かべた。


「いや、むしろ見世物か」


 それは見るからに苦い微笑みだったが、つばさにとってはあの日以来初めて見る彼の笑顔だった。


「──ごめんなさい」


 驚いた晃輝の顔を見て、ようやく自分の口から漏れてしまった言葉に気が付いたのだろう。つばさはバツが悪そうにそっぽを向いた。晃輝が先ほどよりも少し柔らかい笑みを浮かべる。


「それはさ、つばさ。あの時俺についた嘘への『ごめん』だと思っていいのかな」


 予想外の方角に進んだ話に、つばさは逸らしたばかりの視線を晃輝の顔に戻した。微笑んではいるものの、冗談を言う時の彼の顔ではない。


「何とか落ち着いてからお前のこと思い出したらさ、わかったんだ。この前のつばさは嘘ついてたって。俺と別れたいって話もその理由も嘘だったんだって」

「何をバカなこと言ってるの?」


 半ば以上本気でつばさは呆れた。


「それってうぬぼれ? それとも現実逃避? どっちにしろ、とんだ言いがかりなんだけど。あなたがまさか平気で人を嘘つき呼ばわりするような男だったなんて、やっぱり別れて正解だったわね」

「その髪留め」


 ぴくっ、とつばさの動きが止まった。


「俺が初めてつばさにプレゼントしたそれ、まだ付けてくれてるんだな」

「それが……どうしたのよ」


 自分でも知らないうちに髪を触っていたつばさの左手に、その髪留めが硬い感触を伝えてくる。


「わざわざ変える気にならなかっただけよ。別れた相手のプレゼントは捨てなきゃいけないってルールは無いでしょ? 私はそういうの気にしないからね」

「つばさはさ、よく俺が単純でいろいろわかりやすいって言ってたけど」


 晃輝は一歩前に出た。つばさはその分だけ一歩後ずさる。


「俺だってお前のことはわかってるつもりだよ、つばさ。冗談にしろおふざけにしろ、結構お前が嘘を口にするってことも」


 晃輝は口元に残っていた微笑みを追い払って、言った。


「そんな時は決まってその髪留めをいじるっていうお前の癖も、な」

「何をバカなこと──」


 言いかけて、つばさは自分の左手が触れたままの物に気が付いた。慌てて宙に浮かせた手を、所在無さげに腰まで下ろす。


「私にそんな癖、無いわよ。あなたの勘違いだわ」


 抗弁しながら、つばさは気付いてしまっていた。

 癖の真偽は問題ではない。過程はどうあれ、結果として晃輝が正解に辿り着いてしまったことが問題なのだ。それはつまり、つばさが今もまだ晃輝のことを──


「惜しかったわね。どうせなら、『お前は嘘をつくと鼻の頭が赤くなる』とかにすべきだったのよ。慌てて鼻に手をやった相手が嘘つきだとばれる、なんてのは小説とかの古典の定番で──」

「つばさ」


 その声に押されたのか、壁に背中がついた。つばさがそう知覚したと同時に、彼女の逃げ道を塞ぐかのように伸びた晃輝の右手も壁に触れた。頭に浮かんだ『壁ドン』という言葉を見聞きしたのがどこなのか、はっきりとはわからない。


「つばさ。俺はお前と……」


 目の前に晃輝の唇があった。

 これまで何度となく互いの想いを確かめ合った唇。本当は、今も、これからも、そうしていたいと願っている唇。

 その唇に、つばさは──


「た・か・し・ろ・センパ~~~イ!!」


 突然割り込んだ大声に、二人の距離が、パッと開いた。つばさの背は壁でドンと音を立て、晃輝は空手部のエースらしくもなく正中線を乱しまくってよろめいた。少し赤らむ互いの顔を見合わせた二人の耳に、パタパタと廊下を駆ける小気味よい足音が聴こえてくる。


「あ、いたいた~っ。探しましたよ高代せんぱーい!」


 明るく元気な声は、廊下の角で小柄な少女の形を取った。知らない子ね、とつばさが判断した矢先、


「溝口くん!?」

「千夏ですってば、せんぱーい!」


 戸惑う晃輝の首に、その少女はいきなり抱きついた。


「なっ!?」


 つばさは自分がそう叫んだ気がしたが、実際の発言者は晃輝の方だった。


「ちょっ、ちょっと待てっ。待つんだ溝口くん、待ってくれ!」

「え~? いいじゃないですか、照れなくても~」

「よくない、よくないから離れてくれ! ち、違うぞ、つばさ! これはその、違うんだからな!」


 ぎゅーっと身体を押しつけてくる可愛い女の子を振りほどこうともせず──つばさにはそう見えた──こちらをすがるように見る晃輝の視線を、つばさが冷ややかな沈黙で迎えていると、


「『つばさ』?」


 ようやくこの場が二人の世界でないことを知ったらしい少女が、大きく目を見開いてつばさを見つめた。両腕は晃輝の首に回したままで。


「てことは、柊先輩、ですか?」

「ええ。初めまして」


 半ば反射的ににっこりと挨拶を返したつばさは、


「この子が誰なのか、あなたの口から説明してくれるかしら。晃輝?」


 と続けようとして、二つの理由からとっさに口をつぐんだ。

 一つは、固唾を呑んでこちらを見つめる周囲の視線だ。晃輝と二人で話していた時もこちらを気にする生徒はいたようだが、姿が見えない場所から様子を伺う程度で、邪魔になるものではなかった。しかし今は、先ほどの少女と晃輝の大声によるものか、十人は下らない生徒たちが、視線も声も間違いなく筒抜けになる位置で成り行きを見守っている。

 そしてもう一つは、自分がこの衆目下であまりに典型的すぎる三角関係的修羅場ワードを口にしたらどういう結果を生むか、という想像をしたからだった。

 だから、


「良かったわね、高代くん。可愛い後輩に慕われて」


 つばさはつとめて物腰柔らかに笑いかけた。

 なぜか、晃輝とその首に抱きついたままの少女の二人ともが、びくっと怯えた様子を見せたが、気にせずにそのまま話を続ける。


「素敵なお迎えも来たことだし、話はもう終わりでいいわよね? 私もそろそろ図書館に行きたいから、これで失礼するわ。後はごゆっくりどーぞ」

「つば……」

「さよならっ」


 四日前と同じ言葉を、その時とは全く違う口調と感情で言い残したつばさは、ズカズカと形容するのが似つかわしい歩き方でその場から退場した。



続きは3/10更新の見込みです

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