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9-5


「先輩!?」

「晃輝っ。どうして……!」


 少女二人が相次いで上げた声の先で、広場入口に立つ第三の男──高代晃輝は、こちらも二人に劣らず驚いた顔を見せていた。


「どうしてって。そっちこそ、何で二人がこんなとこに……?」


 離れて立つ千夏とつばさを見比べるようにしながら、晃輝は金網の扉をくぐった。

 この修羅場に足を踏み入れようとする想い人の姿が亡霊にでも見えたのか。千夏の顔は夜目にも分かるほど色を失った。


「泥舟ぅっ!!」

「承知」


 限りなく悲鳴に近い命令に、泥舟が応じた。

 不測の事態に教経の圧力が弱まったのは手応えでわかっている。後方に跳ぶ勢いも借りて強引に槍を引き抜くと、肉を裂く嫌な音にも新たな鮮血と苦痛に膝を折る教経にも構わず反転、千夏の身体を連れて晃輝の元に疾走した。


「え? 千夏くん? えっ?」


 いかな空手部のエースも、見えない相手には対処のしようがない。駆けてくる後輩の勢いに反射的に身構えてはみたものの、不可視の達人が振るう槍の石突きに無防備なみぞおちを一撃されて、晃輝はそれ以上目を白黒させる間も無くあっけなくその場に崩れ落ちた。


「晃輝!」

「……気絶してもらっただけですよ」


 冷静な、少なくとも冷静に聞こえた千夏の声に、つばさは唇を噛みしめた。晃輝の無事を確かめたいが、傍らに千夏と泥舟が立つ今は近寄ることもできない。


「あなたがここに、彼を呼んだの?」


 絞り出すようなつばさの問いかけに、千夏は足下の晃輝を見下ろしたまま首を横に振った。


「あたしはただ、勝ったあたしを、晃輝先輩に出迎えて欲しかったんです」


 千夏の身体が急に向きを変えた。刀を支えに身を起こした教経の動きに泥舟が備えたためだが、同じ構えを取りながら心はここにあらずの様子で、千夏は言葉を続けた。


「裏門で待ち合わせる約束だったのに。どうしてこんなトコまで……」

「──今日は、ここまでにする?」


 一瞬、すがるような顔がつばさを見た。

 その目がゆっくりと閉じられる。しばしの間を置いて、再び開かれた。


「命拾いするつもりですか? センパイ」


 嘲りに満ちた声にふさわしい、酷薄な笑みがつばさの視線を迎えた。


「冗談でしょ。させませんよー、そんなこと。晃輝先輩は何も見てない。あたしと柊先輩しか見てないんですもん」


 だから、とこれは息継ぎのついでに小さく言って、


「さっさと終わらせて、あたしは晃輝先輩と一緒に帰ります。柊先輩のことは……そーですね。先に帰ったことにしとけば、後はなんとでもなりますよねー?」


 最後に千夏はにっこりと笑った。


「ホントは、もう二度と逢えませんけど」

「その手しかなさそうね」


 つばさは視線を移した。千夏たちの足下で横たわる晃輝に。それから、深傷を負ってなお彼女のために剣を構える、鎧姿の若武者に。


「教経」

「わーってるよ、姫さん」


 教経の声がいつも通りなことに、つばさはほっとしたかもしれない。


「行けそう?」

「ああ。そこの色男のご登場で頭も冷えたしな。ちょいと血を抜きすぎたが、ま、何とかなるだろ」

「よろしくね」

「へいへい」


 泥舟と千夏の瞳が、揃って動揺の色を佩いた。

 傷のせいかもしれないが、離れた間合いにも弓は取ることなく、教経は右手に太刀一本を引っ提げて、無造作な足取りで槍の間合いに近づいてくる。


「悔しいっちゃ悔しいんだがよ」


 世間話でも始めそうな声が、他の三人に届いた。


「けどまあ、間違っても俺の意地のせいで、お前さんまで死出の山に連れてくわけにはいかねえ──もんな!」


 最後の言葉を掛け声に、教経は地を蹴った。予備動作抜きのダッシュで数メートルを一気に詰める。

 迎え討つ穂先に浮かんでいた動揺も今は昔。敵の狙いは相討ち覚悟の一閃と読んで後の先を選んだ泥舟は、果せるかな大上段から斬りこんできた教経の太刀に、余裕をもって槍の穂を噛み合わせた。

 教経の剛力も俊敏さも、既に泥舟にとっては手の内だ。油断さえしなければ、磨き抜いた己の技は、教経のどんな攻めにも対応できる。

 ──それこそが油断だった。


「おらぁっ!」


 軌道を逸らされてなお、太刀を受けた槍ごと力任せに振り下ろして、教経はただひたすらに前へと押し出た。互いの肉体が接するほどの距離で均衡を迎えた変形の鍔迫り合いの中、泥舟は心中で驚愕の呻きを上げた。


 これは、『詰み』だ。


 泥舟のではない。確かに彼は押すも引くもままならない体勢にあるが、ここから教経がどう動こうとも、彼の太刀よりも先に泥舟の槍が教経の身体を捉えてしまう。いわば教経にとっての死に体を、どうして教経自身が招いたのか!?


「能登殿!?」

「つばさ!!」

「泥舟っ!」


 三つの名が交錯する中、泥舟はようやく気が付いた。

 教経に護られて戦いを見守るだけだった少女の姿が見えないことに。彼女が教経の動きに呼応して地を駆けていたことに。そして今この瞬間、教経の陰から現れて彼らの生死を懸けた戦場へと突如躍り出てきた少女の姿に!


「柊、つばさっ!?」

「っ!」


 鋭い呼気を返事として、つばさは低く沈めた身体をバネに、教経と斬り結ぶ泥舟の膝元へと飛び込んだ。流れるような高速タックルからのテイクダウン。まさか一介の女子高生が、幕末の大武術家の身体に夜空を見上げさせるとは。


「柔術かっ!?」


 半分正解、とつばさは心の中だけで呟いた。

 幼い頃から父に叩きこまれた家伝の柊流古流柔術をベースに、高校入学後は総合格闘技の門を叩いたつばさの腕は、打撃抜きなら男子選手にも引けは取らないどころか互角以上に渡り合う。それでも、武芸百般に通じたあの高橋泥舟が後れを取るなど本来ならありえないはずだが、


「させるかよっ!」


 泥舟の左手の槍も右手を掛けた腰の刀も、自らの身体と太刀で強引に押さえ込んで、教経が泥舟もろとも倒れこんだ。三人分、いや千夏も入れた四人分の質量を受け止めて、大地が派手な音を立てる。


「うくっ!」


 視点は別でも倒された衝撃は伝わるのか。呻き声とともに浮いた千夏の喉に、つばさは瞬時に左腕の肘近くを差し込んだ。そのままマウントの体勢で千夏の呼吸と身動きを封じると、同化タイプの宿命か、泥舟の身体も硬直と共に動きを止めた。

 それを知って身体を起こした教経が、つばさに言葉を疾らせる。


「つばさ、後は俺が!」

「いいえ」


 つばさの右手が腰の後ろに回り、一筋の光を抜き放った。スカートのベルトに仕込んでおいた細身のシースナイフ。あの最初の日と同様、父のミリタリーコレクションから秘かに拝借したそれを、月光にさらすかのように振り上げる。

 眼前の千夏と目が合った。


「言ったでしょ? 私は覚悟を決めたって」


 むしろ優しい声で言うと、つばさの目線はわずかに下へ流れて止まった。

 苦痛と恐怖に息づく、後輩の少女の胸元で。


「これが私の覚悟よ」


 手にした銀色の刃にいささかの逡巡も映すことなく、つばさは右手を一直線に振り下ろした。



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