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9-4


 矢を躱した泥舟の身体は斜め後方に跳んでいた。間髪を入れずに放たれ追いすがる二の矢、三の矢を、これもからくも躱し切る。


「飛び道具ですって!?」


 ひきつった声で千夏は叫んだ。彼女の視点は身体から後ろにずれているらしいが、それでも、当たれば鉄でも貫きそうな矢が全て自分を狙い、次々と唸りを上げてすぐ傍をかすめていくのは、まさに血も凍る体験に違いない。


「あんなの卑怯よ! 卑怯でしょ!?」

「否」


 簡潔に答えた泥舟が駆けるその耳元を、教経の矢が通り過ぎた。千夏が思わず固く目を閉じたのは当然だが、泥舟は眉一つ動かさない。


「これは剣術の試合にあらず、ただ互いの命を取り合う場にござれば。それに」


 遮蔽物の少ない広場を弧を描くように走る泥舟の足が急制動をかけた。草履(ぞうり)が土けむりを舞わせる中、半歩先の空間を貫いた矢を意に介することなく、瞬時に槍を構え直す。


「受けることあたわずの剛弓といえど、当たらねば同じでござるよ」

「そうかいっ!」


 声に一瞬遅れて上がった金属音と火花が夜気を切り裂いた。

 放った矢を自ら追いかけて一気に肉迫した教経と、彼の抜刀を槍で受け止めた泥舟。その構図は今夜の闘いの冒頭と全く同じ。離れて見守るつばさにはそう思えたが、


「今度は俺の間合いだぜ!」


 先ほどは槍の、今度こそは剣の間合い。

 ここを先途と一気呵成に攻め立てる、教経怒涛の連撃。そのことごとくを槍の柄で受け切りながら、打ち合わせた音に押されて後退する泥舟の顔には、まぎれもない焦りの色が浮かんでいた。

 かの壇ノ浦では、三十人力を謳う剛の者を三人いずれも片手であしらった教経だ。その太刀行きは迅さも重さも生前の経験と想像を遥かに凌ぎ、ついに泥舟は一瞬ぐらりとよろめいた。わずかに空いた脇腹の隙を逃さず、教経の豪剣が横なぐりに奔る。


「キャアアッ!」


 千夏が上げた悲鳴にも、教経の刃は軌跡を乱さない。しかし、間に合うはずのなかった泥舟の受けが、間一髪のところで間に合った。


「ちいぃっ!」


 渾身の一撃が防がれたことで、攻守がところを変えたのか。短く持たれた槍の旋回をのけ反って躱した教経は、間合いを広げた二回転めの穂先をかざした刀で食い止めて、再び大きく後方へと跳んだ。


「だから同化タイプはやりにくいってんだよ!」

「そのようでござるな」


 追った泥舟に教経ほどの剛力は無いが、突進の勢いに乗せた突きの威力は、着地直後の教経をぐらつかせるには充分だった。

 すかさず教経の喉元へと流れる必殺の第二撃──のはずが、泥舟は後ろに下がって距離を取り、自ら仕切り直しを選択した。


「なっ……なにやってんのよアンタ!?」

「本意にはあらねば」


 一瞬呆けてから声を荒げた彼の主たる少女に対して、繰り言にも聞こえる答えを泥舟は返した。


「武士道ってヤツかい?」


 生を拾った形の教経が、引き絞った弓の向こうから声を投げた。再度つがえられた矢の先は、既に泥舟の胸を正確にポイントしている。


「言っとくが俺は付き合わないぜ。うちの姫さんのためにも、なりふり構っちゃられねえんでな」

「借りを返しただけにござるよ」


 ぶんっ、と穂先の汚れでも払うかのように槍をひと振りすると、今さら準備運動でもないだろうに、泥舟は首を左右にこきこきと鳴らした。一見隙だらけのその姿に教経の矢が放たれないのは、誘いと警戒してか、毒気を抜かれたのか、あるいは別の理由か。


「とにかく、我が主にはかねての願い通り、泰然と構えておいていただきたく」

「……さっきは危なかったくせにっ」

「心配ご無用。あのような不覚はもう有り得ぬことなれば」

「お? 勝利宣言かい?」

「惜しむらくはただ隔世なり」


 噛み合わない会話の中で、教経の矢の狙いが少し下がった。低く身を沈めた泥舟の姿は獲物を狙う肉食動物を思わせる。


「御身との差は実に七百有余年。こと武芸においても、其は余りに永きものと知りなされ!」


 地を蹴った獣にすぐさま挑んだ風切り音は、鋭い音が虚空に弾き返した。いかな達人の剛弓も軌道が読めれば防げると証明した槍が、間髪を入れずに突き出される。

 間合いの外からの一撃。教経にそう錯覚させる技術と速度を備えて伸びた突きは、咄嗟に引いた教経の右肩を浅く捉えた。肩を護る鎧の大袖が、ただの一撃で砕け散る。


「自得院流、追杉葉。その一之型」

「ちいっ!」

「続いて、二之型」


 月光に閃く槍の穂めがけ、弓を捨てた教経は抜きざまに太刀を打ち合わせた。はずが、刀はただ何も無い空間に弧を描き、直後に横殴りの衝撃が教経の胴に食い込んだ。


「見事」


 称賛の言葉は泥舟の口から漏れた。教経の刀とかち合う寸前で短く手繰られた彼の槍は、返す横薙ぎで教経の脇下を斬り裂くはずだったのだ。間一髪で身体を捻って鎧の脇板で防いだ反応と判断を敵に称えられた教経は、


「なめるなっての!」


 力任せの一振りで泥舟を下がらせると、感情のまま前に出た。

 一呼吸の間に四撃、いや五撃。烈火の如き攻めは、先ほど泥舟を追い詰めた時を凌ぐ激しさだったが、


「此度はこちらの間合いなれば」


 斬撃はことごとく弾かれるか受け流され、他方、泥舟が返した二連の突きは、いずれも教経の鎧の継ぎ目を削って浅手ながらも傷を負わせた。たまらず下がる教経を、泥舟の練達の技が追う。


「自得院流、月下木賊(げっかとくさ)


 下段から股の間に跳ね上がった第一撃は半歩滑って躱し、外灯の光を纏って落ちてきた 頭上からの第二撃はかざした刀で食い止めた。

 しかし、火花が消えるよりも早く引かれて一直線に突き出された第三撃は、ついに教経の右脇腹に深々と突き刺さった。


「やったぁ!」

「教経っ!」


 見守る二人の少女が思わず叫んでしまうのも無理はない、決定的な一撃。しかし、


「まだでござるよ」


 泥舟が引き抜こうとしても、槍はびくともしない。脇腹を抉る槍をがっちり挟み込んだ右腕だけでなく腰から足下までも滴る血潮で紅く濡らしながら、教経は事ここに及んでなお不敵に笑った。


「大したもんだ。俺も習っときたかったね、剣術ってやつをさ」


 剣術や槍術が流派として体系化されたのは、室町時代のこととされる。

 そこから遡ること二百年の教経と、下ること五百年の泥舟。技や工夫という点で、二人の間には一日の長どころではない七百年もの歴史が横たわっていた。


「……能登殿が我らの時代に生きておれば、我が槍が無双などと呼ばれることは無かったやも知れませぬ」


 しみじみと漏らした言葉はまるで哀惜のようにも聞こえたが、眼前の青年が手負いの虎であることを泥舟は確信していた。詰めを誤ればこちらの喉が食い破られかねない。

 慎重に槍を引き寄せようとする泥舟。それを押さえるに留まらず、自らの肉を抉る方向に力を掛ける教経は、肉を斬らせての言葉通り、身体で槍を封じたまま前に出ようというのか。

 不敵な笑みをさらに深める教経に、対峙する泥舟も精悍な笑みで応えた。

 おそらくはこれが最後。そう悟った二人の戦士が迫りくる撃発の時に身構えた、まさにその時。


「千夏くん? ──つばさっ?」


 突如割って入った第三の男の声が、愕然とした八つの眼を一斉に広場の入口へと向けさせた。



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