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8-2


 質問が予想外だったのか予想通りだったのか。とにかくつばさは苦笑した。


「人をゾンビみたいに言わないでくれる?」

「やだなあ、ゾンビじゃないですよー。ゾンビは死んだままじゃないですか。あたしたちはほら、ちゃんと生き返ってますもん。違います?」

「……今年の五月よ」


 この子との口喧嘩は相性が悪いと思ったのか、つばさは白旗気味に答えを告げた。

 今年のゴールデンウィークに発生した、この県では過去最悪のトンネル事故。しばらくは全国規模でテレビや新聞にも取り上げられた死傷者多数の大事故では、しかし千夏たちの学校で巻き込まれた生徒は一人もいないはずだった。


「生き返ってすぐ逃げたからね、私は」


 暗闇、炎、黒煙、油の臭い、何かが弾ける音──数日前に夢でも見た記憶がフラッシュバックしそうになり、つばさは首を左右に振った。


 小さな大会に一人で参加した帰りのバス。晃輝や家族と一緒でなかったのはせめてもと思うが、同じバスに乗り合わせ、あの地獄から一旦は共に生還したもう一人の高校生のことを考えると、やはりつばさは運命に感謝する気にはなれなかった。

 その少女、隣町の高校に通う同い年の少女こそが、つばさの『初めての相手』になったのだから。


「溝口さんは、心当たりある?」

「えっ?」


 いきなりの質問に面食らった千夏に、つばさは言葉を続けた。


「どうして私たちなのかしらね。あの事故でも、あなたのように夏休みの間にも、何人もの人が死んでるわ。なのにどうして、私たちが選ばれたんだと思う?」

「他のみんなは願わなかっただけじゃないですか? ──ただ『生きたい』って」


 何でそんなことを訊くのかわからないと言いたげに、千夏は首を傾げた。


「あの時、あたしは『生きたいか?』って訊かれて手を差し伸べられた。だから『生きたい』って答えてその手を取った。それだけです。先輩も同じじゃないんですか?」

「それだけで死んだ人が生き返るなら、もっと騒ぎになりそうなものよ」


 夏休みの間、つばさは『同類』捜しよりもむしろこの謎解きのために、自分と同じような境遇の子たちを訪ねたのだ。

 しかし、軽い怪我をしただけの子もまさに九死に一生で死の淵から蘇生した子も、誰もあのような体験はしていなかった。仮に、千夏の言うように生きたいと願わなかった子がいるとしても、それがもうこの世にはいないことを意味する以上、つばさに確かめる術は無い。

 その中で唯一出会えた例外はつばさと同じ奇跡を得た少女だが、彼女は一週間前につばさの『二人目の相手』となってしまった『同類』だ。


「──奇跡の代償は、ろくでもない知識と、変なお化けが見える目と、本能っぽい物騒なマインドコントロール。そして一番良くわからないのが、私たちに『生きたいか』って手を差し伸べたくせにそれ以外は何も覚えてないって言い張る、頭の中のうるさい居候よね」


 小一時間前の救出劇を思えば恩知らずとも言える発言だが、千夏からも頭の中からも反論が無いのをいいことに、つばさは文句を続けた。


「ご先祖様でもないのに、どうしてこんなのが取り憑くんだか。そこだけでも心当たり無い?」

「いえ、あたしもぜーんぜん。心当たりどころか名前も知らなかったですもん」


 と言ったところで、千夏は一瞬しまったという顔をした。

 手がかりを与えてしまった、とでも思ったのかもしれない。


「まあ、あたし日本史苦手だから、メジャーな人も知らないですけどね。守護霊みたいなモノかなーとは思いますけど」

「むしろ疫病神に近いわよ」

「あ、それ言えてますねー」


──ひでえなあ、お前さんたち。


 文字通り降って湧いた第三の声に、少女二人は動きを止めた。数瞬の後、あ、と声を上げて反応したのは千夏の方だ。


「今の声! 先輩の中の人ですか!?」

「……私は気ぐるみじゃないわよ」


 そう返しながら、つばさは内心で安堵していた。『彼』が声を出せることは、いざとなれば再び呼び出せることを意味したからだ。ただし、


「うわー、あたしにも声聴こえるんですねっ。初めましてー!」

──こちらこそ。お互い剣呑な関係なのは残念だがよ。とりあえずよろしくな、お嬢ちゃん。

「はーい。あーもう、こんなイケボさんだなんて羨ましいなあ、先輩は~」


 などと軽めなトークが自分を差し置いて始まるのは、つばさの想定外だった。


「うちのは地味声だし、口を開くとお説教ばっかするから、呼ぶまで絶対発言禁止にしちゃってるんですよ~」

──そりゃキツいねえ。お仲間同士ご挨拶ぐらいしたいんだがなあ。

「ダメですよー。まさかの声バレとか勘弁ですもん。そちらがお名前教えてくれるなら考えますけどぉ」

「挨拶なんて後にしなさい」


 微妙に牽制の色を帯びてきた話を、つばさが打ち切った。さらに苦言を呈しかけたところで、千夏が律儀に手を挙げた。


「はーい、先輩」

「何かしら、溝口さん」

「先輩は、『コドク』って知ってます?」


 孤独、という文字はすぐ出てきたが、アクセントが大きく違っている。考え込んだつばさの様子に知らないと判断したのか、千夏は説明を始めた。


「確か虫三つにポイズンとか書くやつです。ネットで調べただけですけど、沢山の虫を殺し合わせて残った最強の虫で呪いをかけるとか、そんなのみたいですよ」

「聞いたことはある……と思うわ」


 蠱毒。どこで見たのかはっきりしないその文字と、壺の中で蠢く大量のおぞましい虫たちのイメージが脳裏に浮かび、


「ちょっと似てませんか? あたしたちの状況と」


 つばさは露骨に顔をしかめた。おぞましい虫たちのイメージと自分が重なるのはあまり嬉しいものではない。


「誰かが、その蠱毒に見立てて私たちを殺し合わせてる。そういうこと?」

「なくないですか? どこかの悪魔や悪い魔法使いの仕業なんてこと、あるかもですよ」

「案外、神様の方かもね」


 つばさはここでようやく二口めのお茶を飲んだ。紙コップの氷はもうほとんど溶けてしまっている。


「似たような話なら私も見つけたわ。外国の映画だかドラマだかで、何百年も生きてる男たちが最後の一人になるまで剣で殺し合う話。知ってる?」

「いえ。その人たちはどうして殺し合うんです?」

「最後の一人にはすごいお宝が……だったかしら。映画だからその辺は適当だったと思う」

「すごいお宝かぁ。あたしたちにはそんなの無さそうですよね。残念ー」


 わざとらしいほど大きなため息をついて、千夏は簡素な椅子に背中を預けた。


「何人ぐらいいるんですかねー。あたしたちのお仲間」

「みんなこの地域の同年代。この感覚を信じるなら何十人もいないでしょ。私はあなたが三人目になるけど」

「やだなぁ。先輩はあたしの一人目になるんですよ~」


 笑顔が互いの瞳に映っていた。それが二人の好感の印とは限らない。


「──そうしない方法も、あるけどね」


 つばさの顔から笑顔が消えた。釣られて真顔になった千夏に、


「生きたいから殺す。殺したいから殺す。そのために大層な代理戦闘員まで頭の中に用意された私たちだけど、それでもかろうじて最後の選択肢は残されてるわ。本能も殺意も全部無視して抑えきって、私とあなたが手を取り合うという選択肢がね」


 熱を帯びていく言葉を冷やすかのように、つばさは大きく息を吸って、短く吐いた。最後の質問を千夏にぶつける。


「あなたはどちらを選ぶの? 溝口さん」


 しばしの沈黙が降りる。──と思ったのはつばさだけだった。千夏はすぐに、


「先輩はずるいなぁ」


 と言って、つばさを少なからず驚かせた。


「ずるい? 私が?」

「あたしだけに選ばせるような言い方、ずるいですよ。だって先輩は、もうとっくに選んじゃったんでしょ?」


 千夏は澄ました顔でコーラを口元に運んだ。一口飲んだ唇を舌がチロッと舐める。


「あたしはね、先輩。妬みとか憎いとか欲とかくっだらない信念とか、誰かを殺したいなんて人には必ず理由があるって思ってました。バカバカしいって思ってました。でもそうじゃなかったんです。単純にただ相手を殺したいっていう純粋な殺意もあるってこと、今のあたしは知ってるんですよ。先輩」


 それはつばさも知っていることだった。一介の高校生の身で、そんなことは知りたくもなかったけれど。


「先輩は今の状況が嫌いなんですよね? でも、あたしはそうでもないんです。だって、いっつもオドオドして舞子ぐらいしか友達もいない、昔の大っ嫌いなあたしにサヨナラできたんですから」


 千夏は一度言葉を切った。無言のつばさを見つめるその表情に、自嘲めいた翳りが浮かぶ。


「先輩みたいに目立つ人にはわかんないでしょうねー。あたしは多分、死ななきゃ変われ なかった。毎日を楽しんで過ごせる、そんなあたしにはどうやっても変われなかったんですよ」


 あなたに変わってほしくなかった子もいるんじゃないかしら。


 喉まで出たかった言葉をつばさは自ら押し止めた。それを知ってか知らずか、千夏は言葉を続ける。


「あたし、自分のやりたいことにも自分の気持ちにも素直になるって決めたんです。だから……わかりますよね? あたしは先輩のこと、殺します。生きるために仕方なくじゃない。だって、そうしたくて仕方ないんですから」


 そう、と呟いたつばさの視線が壁の時計に触れた。

 二時間と少し。それしか過ぎていないのに、校舎脇でお互いを「嫌いじゃない」と言ったあの時のことが、もう随分と遠い過去のように思えた。


「──死ぬのは怖くないの?」

「怖いどころか、あんなの二度とゴメンですよぉ。だから先輩を殺すんじゃないですか~」


 ひらひらと手を振って、まるで冗談のように千夏は笑った。


「先輩は怖いですか? それとも怖くない? 二人もヤッちゃうと慣れました?」

「怖いわよ。あいにくね」


 一人目の時は、ただ無我夢中でそれどころではなかった。怖くなったのも、心を決めたのも、どちらも二人目の時のことだ。


「でもね、覚悟は決めたの。だから」


 だから、つばさはあの少女と殺し合いの約束をした次の日、晃輝に別れを告げたのだった。


「……ふーん」


 千夏はどこかつまらなそうに相槌を打った。


「ま、いいや。ホントはあと一個訊きたかったけど、そっちもいいです。だって、わかっちゃいましたもん」


 と言った千夏は、あっさりとその『あと一個』を披露した。


「先輩はどうして、今でも大好きな高代先輩と別れたのかなーって」

「誤解じゃないといいわね」


 勝ち誇ったような千夏の笑みに無表情を返して、つばさはポケットのスマホを取りだした。



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