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7-1


 紙パックに挿したストローを吸うと、甘さひかえめのアイスミルクティーに代わって、ずずっという耳障りな音が流れてきた。

 これを飲み終えたら作業に戻ろうと決めていた手前、つばさは左手に握った紙パックはそのままに、スマホを操作する右手の指の動きを速めた。地方新聞のデジタル版で同年代の子が巻き込まれた事件や事故をチェックするのはもはや日課だが、この数日はある名前が行方不明者として取り上げられていないかの確認も加わっている。


「特に無し、か」


 安堵とも失望ともつかない呟きで短い休憩を終わらせると、つばさは空になった紙パックを自販機横のゴミ箱に放った。一メートルちょっとの小旅行が無事に終わったことを見届けてから、先ほど荷物を降ろして身軽になったばかりの台車の取っ手に手をかける。


「今日はあと一往復ってとこかしらね」


 年に一度、秋の読書週間を控えたこの時期に行なわれる蔵書整理は、図書委員一同にとってあまり嬉しくはない一大イベントだった。

 近隣随一を誇る蔵書の棚卸と虫干しと除籍作業。これらを全部まとめてやるだけでも大変なのに、輪をかけて問題なのは、閉架用の倉庫が図書館屋上にあり廃棄用の倉庫は本校舎内にあるという配置の都合上、図書館内から屋上へ、そして屋上から校舎へ、という本の大移動が必要になることだった。中でも特に皆が敬遠するのが『大量廃棄図書の校舎倉庫への運搬』という重労働だが、つばさは昨年も今年もこの運搬役に自ら率先して単独で立候補しており、周囲からの畏敬の念を一身に集めていた。

 この自己犠牲精神にかのノブレス・オブリージュを想起した委員たちが、つばさを『女王』と呼び出した──などという逸話もあるが、本人にとってみれば「ちょっとした筋トレになるから一人がいいかな」程度の軽い理由だったりはする。

 ともあれ、空の台車を図書館に戻すべく校舎の中庭通路を横切り始めたつばさは、


「ちょっといい?」


 と、いつもの『独り言』を呟いた。辺りに人影が無いことは確かめてある。


──んあ?


 いかにも眠そうな、というか寝てたでしょ、とツッコミを入れたくなる声が返ってきた。

 自分の頭の中にいる『彼』が普段どのような生活をしているのか、つばさはわかっていない。秘密にされているというよりも、どうやら『彼』本人にもそこはよくわからない点らしい。

 だから、つばさは皮肉を込めて、


「あら、沢山のお姫様たちとお休み中だったのかしら? お邪魔しちゃってごめんなさいね」


 などと言ってみたものの、


──あー。んないい夢じゃなかったなあ。むしろ酷ぇ悪夢でよ。


 返ってきたのはアクビ混じりのピントのずれた答えだった。


──ネノクニの奴らがずらっと並んでな、こっち向いて一斉に「おいでおいで」してやがんだよ。気色悪いったらありゃしねえ。

「ふーん。きっとみんなであなたを連れ戻しに来てたのね」

──ああ、お前さんを連れに来たんだろーぜ。いやあ、夢で良かった良かった。

「本当にね」


 あはは、うふふ、とひとしきり二人で友好を確かめ合ってから、


「溝口さんのこと、どう見てる?」


 つばさは真顔で本題を切り出した。


──どうってなあ。俺はすぐ振られると踏んでたんだがなあ。ここまで話が長引くってことは、ちと危ないかもしれねえなあ。

「真面目な話なんだけど」

──そう睨むなって。おとといの帰り道に言ったまんまだよ。あれだけの話じゃ、まだ怪しいとか可能性とかそのレベルだろうってな。

「あの子は、一度死んだ」


 それこそ人の心臓を止めかねない声で、つばさは言った。


「そして生き返った。しかも無傷でね。可能性で済ますほどありふれた話じゃないと思うけど?」

──つっても、奇跡ってほど珍しい話でも無いんだろ? この時代じゃあよ。

「まあ、たまに新聞に載るくらいにはね」


 つばさがスマホで日々チェックしている記事の中には、心肺停止からの蘇生といった類の話もわずかながら含まれていた。実のところそれこそが彼女が求めている情報だったし、この夏休みには目ぼしい記事に対する検証のためにわざわざ現地に足を運び、貴重な高二の夏の何割かを費やしたわけだが、


──そいつを調べてハズレ引きまくって、わかったじゃねーか。死にかけたジョシコーセーだからってお前さんの仲間とは限らないってな。

「仲間ねえ」


 揚げ足を取るというよりは、あくまで素朴な感想を述べる口調でつばさは言った。


「そんないいものじゃないわよ。せいぜい『同類』じゃないかしら」


 それに、と幾分冷たくなった声で続ける。


「それに、一つは当たりも引いた。でしょ?」


──そりゃまあ、な。


 つばさは台車を止めた。前から歩いてきたジャージの男子二人とすれ違い、彼らが充分離れるまで待ってから、前進と小声の会話を再開する。


「図書館で最後に豊橋さんが言った話、覚えてる?」

──ああ。

「昔の私と同じだわ。友達でも初対面でも『最初の一回だけは人と触れたがらない』っていう症状は」


 台車を押す自分の手を見つめながらつばさは言った。おととい図書館で舞子が教えてくれた、生き返った千夏の些細な変化のことを。


「触れれば互いに『わかって』しまう。いえ、触れればどちらも『変わって』しまう。……それだけのことなんだけどね」

──ただのトラウマって線は無いのかね?

「溺れたトラウマで周りの子に触るのが一回だけ怖くなりましたって? さすが海で溺れた者同士。なかなか興味深いご意見ね」


 言外に全否定した上で、ふと気になったのか、


「あなたの時代にもトラウマってあったの?」


 と訊いた。脳裏には虎と馬の姿でも浮かんでいるのかもしれない。


──いいや。これはお前さんから受け継いだ常識ってやつだな。

「なーんだ、つまんない」

──へいへい、悪かったな。どうせ俺は、テレビ見て人が中にいるーとか、車見て鉄の化け物だーとか言ってやれない、中途半端な古代人ですよ。

「話がずれてるわよー」


 ゴロゴロと音を立てて進む台車は、ようやく校舎の中庭を抜けて職員用駐車場が見えるところに来た。幸い、開けた視界の中にも人影は見当たらない。


「ねえ、いっそ溝口さんを襲っちゃおうか。そうすれば間違いなく白黒つくわよね?」


──無茶言うねえ。俺はお前さんが触るまで出られないし、何よりお前さんにはできねーだろうよ、んなこと。

「何でよ」

──あの嬢ちゃんは、まだ敵じゃない。んな相手に仕掛けられる性格じゃねえからな、お前さんは。

「あの子は敵よ。恋敵」

──……誰が上手いこと言えっつったよ。


 うんざり気味の声を受けて、つばさが何か返そうとした時だった。


「タカシロタカシロって、お前他に言うことねえのかよ!」


 辺りに響いた大声が、つばさに急ブレーキをかけた。



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