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7・すっぱいオレンジジュース

「ひゃく、なな、じゅう……」

 百七十センチ、ちょうど。ついに大台にのってしまった。

 十一月最初の日の昼休み。日課の、計測タイム。

「あたし、いったい、どこまで背がのびつづけるのかな」

 つぶやくと、千草先生が苦笑した。

「さあねえ。こればっかりはわからないわねえ」

 百七十かあ。玲斗さんは百八十五センチって言ってたよね。まだ、十五センチもあたしより高い。玲斗さんにだったら、「頭ポンポン」とかもしてもらえるし、その、「壁ドン」だってできるよね。あれって、女子のほうが高かったらさまにならないもん。

「へんなつむぎ。なんでにやにやしてんの?」

 みさきが首をかしげた。

「しつれいしまーす」

 ガラッと保健室のとびらが開いて、入ってきたのは、心平だった。

「おやおや心平くん、おなかでもこわしたー?」

 みさきがさっそくちょっかいを出した。あたしは心平と目をあわせないように、ふん、とそっぽをむいた。あのダブルデートの日から結局、一度もあやまってもらってない。こんなにいじわるで意地っぱりなやつ、もう無視することにしたんだ。

 低学年のころまでは、こんな風じゃなかった。からかわれることはあったけど、すぐ仲直りした。みさきと三人で自転車でどこまでも町内探検したり、ひみつ基地もつくったりしたし、たのしかった。ちょっと口は悪いけど、やさしいとこもあるし、さっぱりしたいい奴だと思ってたのに。いつのまにか、こんなへんくつな奴になっちゃった。

「心平さー、千草先生に、相談があるんでしょ」

 みさきが心平の顔をのぞきこんで、いたずらっぽく笑う。

「べっつに何も相談なんてねーよ」

「あ、そう。心平んちのおじちゃんから聞いたよー。なんか、悩んでるんだって? 残念ながら千草先生にもどうにもできないと思うけどー。さっきも、こればっかりはわかんないって言ってたしー。しんちょ……」

「わーっ。わーっわーっわーっ。だまれみさき!」

 心平はあわててみさきの口をふさいだ。

「おっといけない」

 みさきは心平の手のひらをひきはがすと、壁時計を見上げた。

「あたし、佐々木せんせーに用事たのまれてたんだった。早く行かなきゃ。じゃねっ」

 あたしに手をふると、みさきはかろやかなステップをふみながら、行ってしまった。

「……」

 残されたあたしと心平は顔を見合わせて、すぐに、おたがい、ぷいっとそらした。

「それで伊崎くん、どうしたの? 私に相談?」

 にっこり笑う千草先生。

「あ。いや、なんでもないっす……。また、出直してきます……」

 保健室を出て教室に向かう。なんとなく、心平と一緒に歩いてる感じになってしまう。仕方ない。クラス同じだし、行き先が一緒になるのは、しょうがない。

「あのさあ」

 無視するって決めたはずなのに。どうしても、もやもやして気持ち悪かったから、思い切って話しかけた。

「心平って、あたしのこと、嫌いなの?」

 心平が立ち止まる。

「べつに……。嫌いってわけじゃ」

「じゃあなんで、イヤなこと言ったり、したりすんの? この前のヘビとか、なんなの?」

「あの時のは、悪かったと思う」

 心平はふらふらと視線を泳がせながら、つま先で廊下の床をけった。

「よーく考えたら、お前が言ってることのがただしい。人の嫌がることをして得意げになってたオレのほうが最悪だよ、うん。でも」

「でも?」

「すっげー、むかむかしたんだよ。おまえと奥園が、手なんかつないで浮かれてんの見てたら。そんで、もうれつにジャマしてやりたくなった」

「それって、けっきょく、あたしにむかついたってこと? やっぱ、嫌いなんじゃん、あたしのこと」

「だーかーらっ」

 心平ははじめてあたしの目を見た。見た、っていうか、にらんだ、っていうか。顔を真っ赤にして、すっごいムキになってにらみあげてくる。

「嫌いじゃないって、言ってんだろっ」

「じゃあ、なんなの? むかつくんでしょ? あたしに」

「知るかよっ」

 吐き捨てるように怒鳴ると、ものすごいスピードで走っていった。

 こらー、廊下は走るなよー、と、先生の声が飛ぶ。

 なんなの。わけわかんない。へんな、心平。


「そこまで言われて、あんた、何も気づかないわけ?」

 みさきがずいっと身をのりだした。近い。顔が……、近いよ。

「何に?」

 川面をふきわたる風がほおをなでた。学校帰り、駄菓子屋でこっそり甘酢イカなんて買って、河川敷でふたり仲良く体育すわりして、食べてる。

 みさきは、はあーっ、と、深いため息をついた。

「心平もバカだけど、あんたもたいがいバカだね」

「え? なんであたしまでバカなの?」

「ま、いいや」

 みさきは甘酢イカをもぐもぐ噛んだ。

「ところでつむぎ、もう、男装はしないの?」

「ん。もう……、いいかな」

「おねーちゃんが、イベントに出てほしいって言ってるけど」

「コスプレ? うーん。ディープそうだね」

 あはは、と笑ってごまかした。あたしはもう、男子に変身、は、しないかな。だってあたし、好きな男のひとがいるんだし。女子として可愛くなれるように努力するのが普通だよね。

「もったいないなあー。あー、でも、奥園あいりがだまってないんじゃないの?」

「あいりちゃんには、ちゃんとあたしから言う。もう男の子にはならないって」

 はっきり伝えなきゃ。あいりちゃんにだって申し訳ない。

「おもしろかったのになー、見てるほうとしては。つむぎってば、奥園あいりと心平と、どっちとつき合うのかなー、なんてさ」

「は? なんでそこで心平が?」

「まあまあ。たとえば、だよ。たとえば」

「どっちともつき合わないもん」

 あたしは、かかえた自分の両ひざに、顔をうずめた。

「あたし……。あたし、実は……」


「好き」っていうことばを舌にのせて口に出したとき。玲斗さん、って、彼の名前をそっとつぶやいたとき。胸の奥の奥のほうが、ほわん、とあつくなった。

 川べりに吹く風はきんとつめたくて、なのに、手もほっぺたもからだも、ほかほかとあたたかい。太陽のひかりが水面できらきらと跳ねている。すすきの穂が、やわらかくそよいでいる。

 だいじなだいじなひみつ。みさきはあたしの話を聞いて、「ふうん」とだけ、言った。

 ただ、ふたりで、風にふかれている。

「あたし、玲斗さんのこと、なんにも知らない」

 きゅうっとくるしい、この気持ち。どうしたらいいかわかんない。

 ちえみ姉ちゃんは「やめたほうがいいよ」って言ってた。どうして? あたしがまだ小学生だから、相手にされないってこと? たしかに、動物園でも、すっごい子どもあつかいされた。

「ていうかさあ」

 みさきが、足もとの草をぶちぶちちぎった。

「年の差以前に、つむぎ、男だって思われてんじゃん?」

 あたしは思わず、みさきの顔をまじまじと見つめてしまった。

 そうだ。そうだった。どうして言われるまで気づかなかったんだろう!

 はじめて会ったときも男装。動物園で再会したときも男装。ぜったい男子だと思ってるよね。ダブルデートのときのことを思い出す。玲斗さん、あたしのこと「野田くん」って呼んだ。カッコいい、とも言ってた。

「へたしたら、奥園あいりのこと、あんたの彼女だって思ってるよ」

 そうだ。あの時、たしか、あいりちゃんは玲斗さんの目の前であたしの手をにぎった。女子同士だとべつにふつうだけど、男子と女子だと、つきあってるっぽいかんじ、だよね。それって。

 ああ……。目の前、まっくら。

「誤解をとかなきゃ。説明しなきゃ。じつはあたし、女子なんですって」

「女子なんですって、わざわざ言いにいくの?」

「へん、かな」

「へん、っていうか。知り合いの男子小学生がいきなりやってきて、じつは自分は女子です! ってトートツに言われても。こまるよね。『ふーんそうなんだ、で?』ってなるよ」

「そう、だよね……」

「コクれば?」

「はい?」

「コクればいいんじゃない?」

「コク……コクコク、こくはくっ!」

「むりかー。あははっ」

 むりに決まってんじゃん。

「だけどあのひとカッコいいし、いまは彼女いなくても、すぐにだれかにとられちゃうよ」

 ……そうだね。それも、わかってる。


 ふさいだ気持ちで家に帰ると、店に出ていたお母さんがひょっこり戻ってきた。

「遅いじゃない、つむぎ」

「べっつに」

「なによその言い方。ね、ちょっと八百しんまで行って、ねぎと春菊買ってきてくれない?」

「えー……」

 八百しん。いまはちょっと、近寄りたくないかも。だけどそんなことお母さんには言えない。

「すぐそこでしょ? お母さんちょっと忙しいのよ。今夜はすき焼きにしようと思ってたのに、ねぎと春菊がないとねえ……」

「はいはい。行けばいーんでしょ、行けば」

 ランドセルを部屋に置いて、ささっと着がえて表の通りに出る。トレーナーにジーンズの地味なかっこう。がんばって、もっとかわいい服そろえたほうがいいよね、やっぱ。

 心平がいませんように。八百しんの店先には、ずらりとかご盛りの野菜たちが並んでいる。えーっと、ねぎ、ねぎ。あった。春菊、は……。

「いらっしゃい、つむぎちゃん」

 おじさんに声をかけられる。どうも、と頭を下げた。

「あいかわらずデカいねえ。足も長いし。おっちゃんにわけてよ」

 がはは、と豪快に笑うおじさん。あたしだって、できることならわけてあげたい。

「心平のやつがよう、父ちゃんも母ちゃんもなんでチビなんだよ、って言いやがるんだよ。だからオレまでチビなんだよ、っつうの。つらいよなー」

 そうなんだ。そんなに気にしてるんだ。あ、ひょっとして、悩んでることとか、千草先生に相談とかって、そのこと?

 おじさんはにんまり笑うと、新しくやって来たお客さんのほうを向いた。

「らっしゃーい。おや、ちえみちゃん。ひさしぶりだねえ」

「どーも。人参ください、って。つむぎちゃんもおつかい?」

 お客さんはちえみ姉ちゃんだった。笑顔であたしに手をふる。まだ制服姿で、学校帰りみたい。蒼海高校の制服、いいな。……いいなあ。

 買い物をすませて帰ろうとしたところで、ちえみ姉ちゃんに呼び止められた。

「あのさあ、つむぎちゃん……ちょっと、いいかな」

「なに?」

「じつは、つむぎちゃんにお願いがあってね……」


 ちょっとこみいった話になるから、って、あたしはアーケード裏の喫茶店に連れて行かれた。

 ツタの葉でおおわれた、れんがの壁がレトロな、ちいさな喫茶店。近所なのに、こんな店があるなんて知らなかった。ドアを開けるとからんと呼び鈴がなる。ふわりとただようコーヒーのにおい。オトナの隠れ家って雰囲気。

「ちえみ姉ちゃん、よく来るの? ここ」

「ま、ときどき。待ち合わせに使うかな。ランチ安いし、穴場なんだよね」

「ふうーん……」

 小学生のあたしじゃ、駄菓子屋で買い食いが関の山。おこづかいも少ないし、ハンバーガーとポテト食べたらすぐなくなっちゃう。あいりちゃんみたいなリッチなコだったらちがうんだろうけど。ちえみ姉ちゃんは高校生だから、自分でバイトして稼いでる。玲斗さんも、そうなのかな。あたしの知らない世界、いっぱい知ってるのかな。

 店員さんがちえみ姉ちゃんの横にコーヒーを置いた。あたしにはオレンジジュース。

「それで、お願いっていうのはね……」

 ちえみ姉ちゃんが顔をよせて、あたしの耳に小声でささやく。

「え、ええっ! 彼氏になってほしい?」

「つむぎちゃん、声が大きい!」

 店内にいたほかのお客さんが、いっせいにこっちを見た。思わず、身をすくめてちぢこまる。

「リアル彼氏じゃないよ。彼氏のフリをしてほしいのっ」

 ちえみ姉ちゃんは声を落とした。彼氏のフリ。なあんだ、フリ、か。てっきり、ちえみ姉ちゃんまで、あいりちゃんみたいに、まじであたしとデートしたいのかと思った……。

 って。そうじゃなくて。

「やだよっ。フリでも!」

 あたし、もう男装はしないって決めたんだもん。

「そこをなんとか! この通り!」

 ちえみ姉ちゃんは顔の前で両手をあわせた。

「いったい、なんで彼氏のフリなんか」

「それはね。あたしの中学時代にまで話がさかのぼるの……」

 なんでも、中学時代、ちえみ姉ちゃんには、天敵と呼べるほど仲の悪い女子がいた。高校は別になってせいせいしていたのに、この前偶然会ってしまった、と。

「彼氏できたんだー、って、すっごい得意げに写真とか見せびらかされてさ。それがもう、なんつーの? 見るからにチャラそうな男でえ」

 ちえみ姉ちゃんの声に怨念がこもっている。

「無視しよーと思ったんだけど。なんかね、あたしのことバカにしだして。どーせちえみはオタクだから彼氏なんていないんでしょ、とか言われて。あったまきちゃって」

「……それで? いるってウソついちゃったの?」

 ちえみ姉ちゃんは、こくりとうなずいた。

「同じ高校に、超ラブラブな彼がいるって言っちゃったの! しかも、あんたの彼の百倍イケメンとまで言っちゃったの!」

 え。ええーっ?

「それなら会わせてよ、っていうから。んじゃあ来週の文化祭に来てよって言っちゃったんだ」

「なら、同じ高校の男子に頼めばいいじゃんっ」

「フリーの男子で、かつイケメンっつったら限られてくんじゃん。一応何人かに頼んではみたけど、断られちゃって。つむぎちゃんしかいないのー。あたしの天敵、商店街のまつり、来てなかったらしいし。絶対小学生だってばれないよ」

「ねえ、……玲斗さんは? たしか彼女いないって」

 聞いてみた。ほんとはやだけど。「フリ」だとしても、ほかの女のひとの彼氏役だなんてさ。

「ああ……。沢口は、だめ。頼めない」

 ちえみ姉ちゃんはため息をついて、コーヒーをひとくち、すすった。あたしもジュースを飲む。

 玲斗さんに頼めない理由って、なんだろう。

 はじめての喫茶店で飲むオレンジ・ジュースは、ちょっぴり、すっぱかった。


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