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6・「あたし」って、なに?

 いったいぜんたい、どうして心平は、あんなにあたしの嫌がることばっかりするんだろう。

 動物園の広い敷地をただひたすらに走りまわって、つかれて、立ち止った。肩で息をする。暑い。

 そこはちょうど、猿山の前だった。幸せそうな顔した大人やこどもがたくさん群がって猿を見ている。

 大きな岩山を駆けまわる猿たち。からだの大きいのがオス、なんだよね。見ただけですぐわかる。

 あたしは……。何なんだろう。こんな、男の子のかっこして。だったら、ちゃんとなりきれればいいのに、中途半端だ。

 あいりちゃんのがっかりした顔を思い出す。べつにあいりちゃんに好かれたからってうれしくもなんともないけど……。でも、幻滅されたんだとしたら、それなりにショックだ。

 きっと、あいりちゃんの中に、あいりちゃんの理想のイケメン像みたいなのがあって。あたしはそこにあてはまらなかったんだろう。

 でも、それじゃ、あたしってなに?

 そもそもあたし、男装しただけで、普段の「野田つむぎ」と中身は変わってない。それなのに、コンテストに出る前と後であんなに態度が変わるってことは、つまり、あたしの外側しか見てなってことだよね。あたしの「中身」はどうでもいいんだ。

 じゃあ、あたしの「中身」って、どうなの?

 心平が言うように、単なるへたれなの? まだあたしはダンゴ虫のままなの?

 猿山をあとにして、とぼとぼと歩き出した。下を向いて歩いていたら、どん、とだれかに肩がぶつかった。

「すいませんっ」

 あたしの頭の上のほうから声が降ってくる。知ってる声。男の人の……。顔をあげると、そのひとはびっくりしたように目をまるく見開いた。

「あれ? 野田くん? 野田つむぎくんだよね。わあー、ひさしぶりだね。俺のこと、覚えてる?」

 胸がいっぱいになったあたしは、こくんこくんと何度もうなずいた。

 沢口玲斗さん。

「え? 野田くん、もしかしてひとり?」

 玲斗さんはきょろきょろとあたりを見回した。

「友達と一緒に来てたんだけど……」

「あー。ひょっとしてはぐれちゃった? 俺も俺も。高校生にもなって迷子だよ。だっせーな、俺たち。あ、いっしょにすんなって?」

 からからと笑う。大きく開いた口から、八重歯がのぞいた。

「…………」

「あれ? どうしたの野田くん? え? 泣いてんの?」


「はいこれ。飲んで」

「……ありがとうございます」

 玲斗さんが、缶入りのあったかいコーンポタージュをくれた。近くのベンチにあたしを座らせて、自販機まで買いにいってくれたんだ。

 プルタブをあけて、ひとくち、すする。あったかくて、とろりとして、おいしい。

「落ち着いた?」

「はい。ありがとうございます」

「いいよいいよ。野田くん、背も高いし大人びてるけど、まだ五年生だもんな。迷子になったら心細いよな」

 え! ひょっとして、なにかカン違いしてる? 

「ち、ちがいますっ。そもそも迷子じゃないし!」

「そんな強がんなくてもいーよ」

 はは、と玲斗さんは笑った。あたし、すっごいコドモあつかいされてる……。

「俺、ここだけの話、五年生のときにデパートで迷子になってマジ泣きしたことあるんだ。中一まで夜ひとりでトイレに行けなかったし」

「ほんと?」

「ほんとほんと」

 そうなんだ。じゃあ、あたし以上に、玲斗さんは「へたれ」だったんだ。

 あたしたちのいるベンチのまん前に、カンガルーの広場がある。玲斗さんは目を細めて、カンガルーたちを見つめている。

「カンガルーって見てて飽きないよなー。見てみ、おっさんみたいなのいるぜ?」

 ほんとだ。だらんと寝そべって、テレビ見てごろごろしてるお父さんみたい。

「おもしろいよなー、動物園って。地球にはこんなに色んな生き物がいるんだ。ここにいるのはほんの一部だけど、それでも、すげえなって思うよ。それって奇跡だよなあ」

「奇跡?」

「うん。あのカンガルーたちも、猿山の猿たちも、よく見たら一匹一匹ちがうんだよ。顔とか、体つきとかさ。人間だってそうだ。奇跡だろ?」

 一匹一匹ちがう……。人間、も。

「玲斗さんって、なんか、おっきい」

「そりゃどうも。ま、一八五センチあるからね」

「そうじゃなくって……。むかしの恥ずかしい話を、平気で笑い話にしちゃうところとか……。それに、なんか、地球とか奇跡とか、そういう、なんていうんだろ」

 うまくいえない。玲斗さんは照れたように首のうしろを掻いた。

「あー。ま、いちお、チビのころからでっかいもんにあこがれ続けてきたからなあ」

「でっかいもん?」

 玲斗さんはにやっと笑った。そして、まっすぐに腕をのばして、真上を指差した。そこにあるのは、青い、青い、空。

「宇宙だよ!」

 宇宙。ぽかんと口をあけて、首が痛くなるくらい、思いっきり、頭上にひろがる空を見上げた。

 と、そのとき。

「……むぎ。つむぎー」

「野田くーん」

 あたしを呼ぶ声が聞こえた。声はどんどん近づいてくる。

「どこ行ってたのっ。探したんだから!」

「野田くん、あたしも悪かったわ。そうよね、だれだって苦手なものくらいあるわ」

 あいりちゃんがあたしの手をとった。心平はみさきのとなりで、むすっとむくれている。

「ほら心平! あやまりな! どう考えてもあんたが悪いんだから!」

 みさきがしきりに心平をこづく。心平はハーフパンツのポケットに両手をつっこんで、そっぽをむいた。あたしのほうを見ようともしない。もごもご何か言っているみたいだけど聞こえない。

「まったくもう! ……ところで、このひとは、どこかで……」

 ども、と玲斗さんは頭を下げた。

「あっ! イケメングランプリよ! ださい王冠のっけてた人よ!」

 あいりちゃんがさけぶ。周りにいたひとたちがいっせいにこっちを見てくすくす笑った。

 玲斗さんは苦笑いしてる。

「よかったね野田くん。俺もそろそろ、連れをさがすわ。じゃね」

 そう言って、くるりときびすをかえして、あたしたちに背中をむけた。そして、頭のうえで、ひらひらと手をふった。

「あ……」

 玲斗さん。行っちゃう。

「ありがとうっ!」

 その大きな背中に思いっきりさけぶと、玲斗さんはふり返って、ふたたび手をふってくれた。

 玲斗さん……。


 いろんなことがありすぎたダブルデート。その日あたしはなかなか眠れなかった。心平にひどいことを言われたこと。あいりちゃんにあやまってもらったこと。玲斗さんにふたたび会えたこと。

 ふとんの中で寝返りをうつ。

 連れ、って。女の子、なのかな……。

 ちえみ姉ちゃんは、「彼女いない」って言ってたけど。やめたほうがいいとも言ってた。

 どうして? あんなに素敵なのに。

 ため息がとまらない。また、どこかで会えるのかな。

 また……会いたいな。

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