3・イケメン☆コンテスト
甘いピンクのふんわりドレス。きらきらビジューに、たっぷりのフリルにレース。まつ毛ぱっちりの大きな目、白い肌。ふわふわの長い髪に、金のティアラをのっけて。
小さいころ、こっそりあこがれてたのは、そんな「お姫様」。
鏡のなかの自分の顔を見る。真っ黒い髪は硬くてごわごわ。日焼けしてるわけでもないのに、肌は浅黒い。目をつぶって、って声がした。あたしは言われるがまま、ゆっくりとまぶたを閉じる。
ちえみ姉ちゃんの細い指が、あたしの肌のうえをくるくる動く。
「できた。うん、きょうもイケメン!」
目を開ける。そこにいるのは、あこがれてた「お姫様」なんかじゃない。だけど。
「んじゃ、がんばっといで!」
あたし、いまから「オレ」になる。
ぱちん、と、ちえみ姉ちゃんとハイタッチする。
「オレ」はみさきと手をつないで、みさきの部屋をあとにした。
商店街の秋祭り。イケメンコンテスト当日。ステージは、アーケードの入口近く、そよかぜ銀行横の、ふれあい広場にもうけられた。
エントリーしているのは、オレのほかに、中学生くらいのふたり組、お母さんと手をつないだ、三歳くらいの男の子。それに、知り合いもちらほら。つかさ鮮魚店のヒロキ兄ちゃん(三十二歳独身。兄ちゃんって呼ばなきゃ怒られる)とか、商工会議所の堀江さんとか。
「楽勝じゃね?」
みさきに、こっそりと耳打ちされる。たしかに、はっとするようなカッコいい人はいない。
「おおッ。肉屋のつむぎちゃんか。見違えたなー。いいオトコになっちゃって」
受付係りの、江口はきもの店のおっちゃんがあたしの頭をぐりぐりなでた。
「やめてよ。せっかくセットしたのに、くずれちゃうじゃんっ」
みさきがぷりぷり怒った。おっちゃんは、おおこわ、と両手を広げて肩をすくめてみせた。
「それよりおっちゃん、これで全員―?」
「いや。まだあとひとり、高校生のコが来るはずなんだけど……遅いなあ」
「ドタキャンじゃないー? ところで、ステージでなにすんの?」
「これからみんなに説明するけど、ま、簡単な自己アピールをしてもらう感じかな。特技があったらじゃんじゃん披露していいよー。もりあがるし」
みさきとおっちゃんの会話が、脳みそのなかを素通りしていく。なんか、きゅうに、足ががくがくしてきた。
……どうしよう。あたし、緊張してる。
心平にはあんなタンカきっちゃったけど、自分、すごいあがり症なんだった。
五歳のとき、はじめてのピアノ発表会で、緊張して吐いた。それがトラウマになってピアノはやめた。去年の学習発表会の劇では、出番がきたとたん、頭がまっしろになってセリフが全部とんじゃったんだ。
あああ。ダメだダメだ。悪い思い出ばっかりよみがえってくる。
「だいじょうぶだよ、つむぎ」
みさきが、あたしの手をぎゅっとにぎった。
「つむぎ、超カッコいいもん! 胸はって! 心平のこと見返してやろうよ!」
ぱちんと片目をつぶるみさき。
そうだ。そうだった。今、あたしは「あたし」じゃない。「オレ」なんだ。いけない。うっかり、素にもどってた。
両手で、自分のほっぺを、ぱんっとたたいて気合をいれる。
とびきりカッコいい男の子になってやるって、決めたんだから!
コンテストがはじまって、ステージうらのテントで順番をまつ。
中学生ふたり組は、ヒップホップ・ダンスを披露していた。歓声とかあんまり聞こえてなかったから、いまいちだったのかな。
鮮魚店のヒロキ兄ちゃんはお笑い芸人ばりにおもしろいトークをとばして、お客さんたちの笑いをとっていた。今は三歳のコがステージにあがってて、MCのおねえさんと、たどたどしくおしゃべりしてるとこ。かわいー、って黄色い声が飛んでいる。ヒロキ兄ちゃんとちびっこのおかげで、会場はすっかりあたたまってるみたい。
胸がどきどきする。だいじょうぶ、だいじょうぶ。
クラスのみんなが来てるかもしれない。さんざんオレのことをバカにした男子どもとか。あいりちゃんたちとか。心平、も。
オレは深呼吸してジャケットのえりを正した。今日はシンプルなコーデ。清潔感のあるブルーのストライプのシャツに、細身のパンツ。グレーのジャケットをはおって、袖口は折り返して手首を見せる。手足の長さがひきたつようにって、ちえみ姉ちゃんが言った。黒ぶちのメガネもかけている。似合うし、「野田つむぎ」っぽさを消すために、って。
エントリーするときに提出するプロフィールに、みさきは、身長百七十センチって書け、って言った。
本当はまだ百六十九センチ。百七十なんてじょうだんじゃない。
「女の子」の野田つむぎなら、ぜったいに低いほうにさばを読む。
だけどオレは、いま、男の子。
男の子になった瞬間、「女の子」の野田つむぎがいやでいやでたまらなかったコンプレックスが、ぜんぶ、長所になる。
高い身長も。骨ばってごつごつした、まるみのないからだも。りりしい太眉も。切れ長の目も。
オセロの駒がひっくり返るみたいに、あざやかに変わってく。
「すんません、遅れましたっ」
その時、だれかが、テントの中に駆け込んできた。受付係りのおっちゃんが急いで確認作業している。まだ来ていない高校生がいるって言ってたっけ、そういえば。
オレはそのようすをちらちら見ていた。背の高い男のひと。ブレザーにネクタイ。見たことのある制服……。
ふと、その男子高校生がこっちを見て、ぱちん、と目があった。
その瞬間。
どきん、って。どきんって、心臓が跳ねたんだ。
緊張しているときのどきどきとは、ぜんぜんちがう。からだがぽーっとほてって、あたまがぼーっとして、なんか、なんか、へん。
自分の名前が呼ばれてステージに立っても、なんだか足もとがふわふわしていた。
さっきの高校生。……かっこ、よかった。
背が高くて、栗色のやわらかそうなみじかい髪で、目が大きくて猫みたいにきゅっと目じりがあがってて、背中が大きくて、走ってきたのか息があらくて、制服もいいかんじに着くずしてるし……。
一瞬、目があっただけなのに、あたしはそんな細かいとこまでおぼえてる。
「野田くんは、いま、五年生なんですよねー?」
野田、くん……? MCのお姉さんがにこやかにマイクを向けてきて、あたしはわれにかえった。
そうだ。そうだった。しっかりしなきゃ。今、あたしは「あたし」じゃない。「オレ」なんだ。
「そうっす、けど……」
低い声でぼそぼそしゃべる。シャイで無口な男子、っていう設定。みさきといっしょに考えた。
「最近の小学生って、カッコいいんだねー。おしゃれだしー。野田くん、学校でモテるでしょ?」
「いや。ぜんぜん、そんなこと、ないっす……」
このお姉さん、オレがほんとは女子だって知らないんだろうな。もちろん商店街関係者はみんな、オレの正体を知ってるわけだけど、このひとはイベントのために呼んできたフリー・アナウンサーらしいし。きっと、運営のおっちゃんたちが、面白がって教えてないんだろう。
うちの商店街のおとなたちは、こういう悪ふざけみたいなのが大好きだ。だから、女子の自分がイケメンコンテストにエントリーしても、大歓迎だった。
それにしても、「野田くん」って。なんか、むずがゆい。
「バレンタインとか、チョコ、何個もらうの?」
「えっと……去年は、二個、かな」
本当だ。みさきと交換しあった友チョコと、クラスの全員に配ってたコからもらったやつ、あわせて二個。
「きゃーっ。二個とか、ぜったい本命だよっ!」
なんか、いたたまれない気分になってきた。
ステージの向こう。広場にならべられた折り畳みいすに、人がいっぱい。立っている人もいる。去年よりたくさん人が来て、盛り上がってるみたい。
運営テントのそばで、みさきんちのおじさんとうちのお父さんがにやにやしてるのが見える。クラスの子も……、いる。心平も。あいりちゃんも。
いいぞーっ、って、だれかがヤジをとばした。うちの、常連のお客さんの声だ。
ふしぎと、冷静な気分だった。
それより、さっきの、高校生の彼のことが気になっていた。
あっという間に自分の持ち時間は終わった。
ステージから降りて、こっそり観客側に抜け出して、ステージにあがる彼を見つめる。
「沢口玲斗です。蒼海高校二年。天文部部長してます」
低いけど、よく通る声。蒼海高校……。ちえみ姉ちゃんと同じ高校だ。私立の、いろんな学科があって、わりと自由な校風のとこ。って、みさきが前言ってた。
「このコンテストに参加したきっかけは?」
「あ。えと、友達が勝手に応募しちゃって……」
「正直ねえ」
お姉さんがくすくす笑う。
「天文部では、どんな活動をしているんですか?」
「えっと、星の観察とか、星の観察とか」
どっと笑いが起こった。
お姉さんと沢口玲斗さんとのやりとりはつづく。ときどきつっかえながらも、玲斗さんは一生懸命しゃべっている。友達に勝手に応募されたんなら、ドタキャンしてもよかっただろうに、きっと、まじめなんだろうなあ……。
あの、ゆるめに結んだネクタイの感じとか、たまに首のうしろを掻くしぐさとか、なんていうか、すごく……、いい、なあ……。
「それでは最後に、自己アピールをお願いします」
えっ。もう最後? もっと玲斗さんの声、聞いていたいよ……。
マイクをわたされた玲斗さんは、きゅうに、しゃっきりと背すじをのばした。
「わが蒼海高校天文部は、現在部員五名。廃部の危機に瀕しています! 同好会に降格になったら部費がおりず、活動が制限されてしまいます! この会場に蒼海高校生のかたがいらしたら、かけもちでもいいので、ぜひ天文部へ! 受験をひかえている中学生のかたは、ぜひ蒼海高校へ! そして天文部へ!」
「はーい。ありがとうございました~」
お姉さんが玲斗さんからマイクをうばった。
「沢口玲斗さんでした~」
拍手が起こる。玲斗さん、退場。
ああ……。行っちゃった……。
「ちょっとつむぎっ!」
いきなり腕をひかれた。みさきだ。
「あんた、何やってんの? こんなとこで。探したんだから!」
「ごめん。でも、もう終わったから、いいかなって」
「ばかっ。これから審査結果の発表まで、参加者はテントで待機しててくださいって言われてたじゃん!」
あ。そうだったっけ。あたしはみさきに腕をひかれて、すごすごとステージ裏のテントまで戻った。
「どうしたの、つむぎ。ぼーっとしちゃって。なんか、顔赤いし……、熱でもあんの?」
あたしはあわててぶんぶんと首をふった。顔が赤いだなんて。たしかに、さっきから、ほっぺがもえるように熱くって、どきどきもとまらない。
へんだよ……、あたし。
グランプリは、会場にいるお客さんの投票で決まる。投票が終わり、今、開票と集計作業が急ピッチで進められているところ、らしい。その間、ステージでは地元で活動するシンガーソングライターさんが弾き語りをしている。
参加者は、テント内にずらりと並べられたいすに座って、結果を待っている。あたしのとなりには、沢口玲斗さんがいる。玲斗さんはうつむいてスマホをいじっていて、あたしはそのようすを、ちらちら見ていた。
ふう、と長い息をはいて、玲斗さんはスマホをポケットにしまった。そして、ふいっと、あたしのほうを見た。
どきん。まただ。どきん、どきん。心臓が勝手に暴れ出す。しずまれ、しずまれ。
「きみ、よもぎ第二小?」
話しかけられた!
どぎまぎしながら、はい、と答える。
「そうなんだ。じゃ、俺、きみの先輩だ」
にいっと笑う。猫みたいな目がきゅうって細くなって、口元には八重歯がのぞいた。
「…………!」
どうしよう。どうしよう。胸が、なんか、へん……! くるしい。息が、できない……!
「きみ、ほんとにかっこいいね。なんつーの、オシャレ? 野田くんって言ったっけ。五年生なんだよね。うわー、時代は変わったわー」
か、かっこいい? 野田くん?
あーっ! そうだった! あたし今、男装してるんだった!
そんな大事なこと忘れてたなんて。だれよりもカッコいい男子になってグランプリもぎとるんだ、なんて思ってたくせに、そんなこと、すっかりどっか行っちゃってた。
あたしは男! あたしは男! あたしはオレ!
必死に自分に言い聞かせていると、参加者は全員ステージにあがるように、係りのおっちゃんに言われた。審査結果の発表があるらしい。
で。
エントリーナンバー順に、横一列にずらりと並んで。
「まずは、準グランプリの発表です!」
MCのお姉さんがさけぶ。ドュルルルルル、ドラムロールが鳴る。それから、パーン、ってシンバルの音がはじけた。
「準グランプリは、エントリーナンバー六番、野田つむぎくんです!」
拍手。そして、歓声。
あ。あたし、じゃなかった、オレ。が、選ばれた。準グランプリに。
うながされるまま一歩前へ出て、ぺこんとおじぎをする。
見てるかな。心平……。
「続いて、グランプリ!」
ふたたびのドラム・ロール。きっと、玲斗さんだ。だって、かっこいいもん。
「エントリーナンバー七番、沢口玲斗さん!」
あたしの時より大きな拍手がわきおこる。前へ進み出てあたしのとなりに立った玲斗さんは、きまり悪そうに後頭部をぽりぽり掻いた。
あたし、ちっともくやしくないのはなんでだろう。
そのあとあたしたちは、商工会の会長さんから商品と花束を受け取り、「イケメン☆グランプリ」「イケメン☆準グランプリ」と書かれたたすきを掛けられた。グランプリの玲斗さんの頭には、王冠まで載せられた。
「まじで……? 超、恥ずかしいんですけど……」
玲斗さんがぼそっとつぶやいた。た、たしかに、これはちょっと……。
「では、グランプリと準グランプリのおふたりには、このあと、凱旋パレードにもおつきあいいただきます!」
MCのお姉さんがあたしたちを誘導する。ステージを降りると、アーケード街入口ど真ん中に、電飾でデコった軽トラが停まっている。
「まさか、これに乗る、とか……?」
玲斗さんが青ざめている。軽トラの運転席にはみさきのお父さんが座っていて、乗りな! と片目をつぶって親指を立てた。
「…………」
商店街のおじちゃんおばちゃんたちに押し込まれるようにして軽トラの荷台に乗り込む。
「パレードって、これ……?」
「みたい、ですね」
「警察の許可とってんのかな」
「さあ……」
軽トラはのろのろとアーケード内をすすむ。ほら、みんなに手をふって! と、いっしょに乗った江口はきもの店のおっちゃんがあたしたちをこづいた。
沿道で、たくさんのひとが、駅伝の応援をするときみたいに、手をふっている。ひきつった笑顔で手をふり返す。
「なーぎさくーん」
聞き覚えのある声。「八百しん」のおじさん。心平のお父さんだ。つむぎ「くん」なんて、完璧に悪のりしてる。すごいニタニタ笑ってるし。おじさんのとなりには、心平もいる。
うう……。いたたまれない。
「な、なんという辱め……。やっぱり出なきゃよかった……」
そう言って、玲斗さんが、がっくりとうなだれた。