13・ほんとのあたし、ほんとの、気持ち
あたしの話を聞いたちえみ姉ちゃんは、だれもいない被服準備室のドアを開けた。
教室には、やわらかい、みかん色の西日がさしこんで、ドレスを着たトルソーたちを照らしている。
「あたしのドレスでいい?」
「お願いします。……ごめんなさい。ずうずうしいお願いだってわかってるの。ちえみ姉ちゃんが必死で今日のためにつくったドレス、あたしなんかが貸してほしいだなんて」
ちえみ姉ちゃんは、ゆっくりと首を横にふった。
「いいの。つむぎにも、着てほしい。今日はあたしのわがままにつき合わせちゃったし、おかげで、つらい思いもさせたしね。それに」
淡い淡いラベンダー色したドレスを、やさしげなまなざしで、見つめている。
「自分のためにつくったわけじゃないもん。いつか、だれかをとびきり素敵にさせる、そんな服がつくりたくて。三年間、がんばってきたんだもん。これからだって、そう。だから」
ちえみ姉ちゃんはそっと、両の手のひらで、あたしのほおをつつみこんだ。
「つむぎが着てくれるなら、あたしもドレスもしあわせだよ!」
「ちえみ姉ちゃん……」
胸がいっぱいになって、ほっぺたにあるちえみ姉ちゃんの両手に、じぶんの手をかさねた。
すごいな。ちえみ姉ちゃんも、しおりさんも。だれかのために何かをしたい、そんな気持ちで服をつくっているんだね。
ちえみ姉ちゃんがドアに鍵をかけて、窓辺のカーテンをしめた。万が一、だれかに着がえを見られないように。そっと男子の制服を脱いで、ドレスを身にまとう。しおり姉ちゃんが背中のファスナーを閉めてくれる。
「うーん。ちょっと、サイズが……」
ほんとうだ。ちえみ姉ちゃんが着たときは、裾はちょうど床につくくらいだったのに、あたしが着るとくるぶしが出ちゃう。それに。
「胸元が、ぶかぶか」
絶望的な気持ちになった。身長だけは高いけど、まだあたし、コドモなんだ。
「胸なんか詰めものすればいーのよ。ぶっちゃけあたしも詰めたしさあ」
ちえみ姉ちゃんはにかっと笑い、おどろくべきテクで、あたしの胸を盛った。
「すっごい……」
「ま、みんなにはナイショね」
それから、ヘア・メイク。いつもとびっきりのイケメンにしてくれた、ちえみ姉ちゃんの手が、こんどはあたしをキレイにしてくれるんだ。
眉をほそめに、なだらかに。まつ毛は長く、くるんと上げて。コーラルピンクのふんわりチーク、くちびるは、グロスでぷっくりつやつやに。
大きく開いた胸元には、はなやかなビジューのネックレス。短い髪は耳にかけて、むらさきの花のかざりを挿して。
「できた」
「……なんか、くすぐったいよ」
「こういうの、はじめてだもんね。ちょーっと背伸びしすぎちゃったかな?」
「ありがとう、ちえみ姉ちゃん」
「いいのいいの。んじゃ、沢口呼んでくるね」
ちえみ姉ちゃんが教室から出て行って。あたしはまじまじと、鏡のなかの自分を見つめていた。
……へんなの。オトコのコが、精いっぱいオンナのコぶっちゃった、そんな感じ。はじめて男装したときは、すごい、って思った。自分でもカッコいいって思ったのに。女の子になるほうが、ずっとたいへん。
と、スピーカーから、ピンポンパンポン、と鉄琴の音が聞こえた。
――二年D組、沢口玲斗さん。二年D組、沢口玲斗さん。大至急、被服準備室までお越しください。いい? 大至急よ。わかったね!
ち、ちえみ姉ちゃん! 校内放送で呼び出しかけちゃった!
どきどき。どきどき……。玲斗さん、絶対、聞いたよね。大至急とか言われたら、当然、急いで来るよね。
あたし。あたし……。ちゃんと言えるかな。あたし、女の子です、って。
好きです、って。
永遠みたいに長くて、息がつまりそうなほど、しずかだった。
被服準備室のすみっこで、小さな丸イスにすわって、彼をまつ時間。ドレスなんて着ちゃって、あたし、笑われたりしないよね。
がらり、とドアの開く音。
びくっとからだがふるえる。心臓が、こわれたみたいに、暴れ出す。
「センパーイ? 何すか? センパーイ」
玲斗さんだ。ちえみ姉ちゃんのこと、さがしてる。
「……だれもいない? ったく、何なんだ?」
がたんっ。
あたしは、思いっきり、椅子から立ち上がった。
「あのっ! ここに……、います」
「え? ドレス……? だれ……?」
どきどきする。ぎゅっとつぶった目を、ゆっくりと開けて。ふり返る。彼のほうへ。
「あたしです。野田……つむぎ、です」
まっすぐに玲斗さんを見つめる。玲斗さんは、目をまんまるく見開いて、大きく一回、まばたきをした。
「え? 野田くん? え……? あたし、って、今」
「そうです。あたし、って言いました。あたしは、ほんとは、女の子なんです」
ドレスの、たっぷりとした布におおわれたあたしの足が、がくがく、ふるえてる。
笑わないで。あたしのこと、笑わないで。おねがい。
「そう、だったんだ……。それで、ドレス」
「ち、ちえみ姉ちゃんにお願いして、着させてもらいました」
「そっか。女の子かあ……。ファッションショー、ほんとはドレスで出たかったんだね。よかったね、着られて」
にっこりとほほえむ玲斗さん。その顔を見てたら、あたし、胸がつまって、苦しくなって、どうしようもないくらい、熱くなって。
「ちがうんです」
ぶんぶんと、首を横にふった。ちがう。ちがうの。そうじゃなくって……。
「好きなんです」
気づいたら、口に出してしまっていた。
「はじめて会った時から、玲斗さんのことが……。好きなんです」
長い、長い、沈黙。
ごめんなさい。おどろかせて。ごめんなさい。答えはもう、わかってるのに。
ゆっくりと、玲斗さんの口がうごく。ぎゅっと目をつぶる。
「ありがとう」
降ってきたのは、信じられないくらい、やさしい、やわらかい声だった。思わず顔をあげて、玲斗さんを見つめた。
「うれしいよ。すごく。ありがとう」
「……うれしいの? めいわく、じゃないの?」
「迷惑なわけないじゃん! だれかに好きになってもらって、うれしくないわけないだろ? それも、野田さんみたいな、いい子に」
大きな手のひらが頭のうえに乗った。玲斗さんはあたしを、小さい子にするみたいに、ぽんぽんって、なでた。
いい子、……か。あたし、ほんと、子どもあつかいなんだな。
「だけど、ね。オレにはもう、好きなひとがいるから」
「知ってます。しおりさんですよね?」
「……なんで」
「しおりさんと、少しお話したんです。とってもすてきなひとだと思いました。だから……」
あたしは、とびきりの、今日いちばんのスマイルをつくってみせた。
「しあわせになってください!」
ぴょこんと頭をさげる。うん、と、ちょっと照れたような玲斗さんの声が返ってきた。
夕陽はかがやきを増して、もえるように赤く、教室を照らしてた。
玲斗さんが去ったあとで、あたしは、ようやく、泣いた。
涙があふれてとまらない。わあわあと、声をあげて泣いた。
どれくらい、そうしていただろう?
ふと顔をあげると、鏡の中の自分と、目があった。メイクがくずれて、ぐちゃぐちゃの顔。目は真っ赤だし、まぶたは腫れてる。ドレスも似合わない。メイクも、なんだかしっくりこない。七五三みたい。
「あははっ。へんな顔。仮装大会みたい!」
笑っちゃう。声に出して笑うと、ますますおかしくなって、あたしはひとりで、ずっと笑いころげてた。
お姫様になんて、やっぱりあたしにはなれないんだ。
だけど、だけど、ね。
立ち上がって、うーん、と伸びをする。カーテンを開けると、窓の外の空には、一番星がきらり、光っていた。
次回、ラストです