12・まだ、泣けないよ
陽がかたむいて、風がつめたくなってきた。
屋上を吹き抜ける風。空は青く、まだ、明るい。ショーのあと、着がえと片づけを終えたちえみ姉ちゃんが、あたしたちをここに招待してくれた。
売れ残りで悪いんだけど、と、クレープとカフェオレを持ってきてくれた。だまって、それを食べる。カフェオレは甘くて、少し、苦い。
ちえみ姉ちゃんは、空を見上げて、つぶやくように言った。
「ずっと、友達以上恋人未満だったんだよね、あのふたり」
あのふたり。玲斗さんとしおりさんのことだ。たしか、幼なじみだって。
「まわりはみんな、ふたりの気持ちに気づいてて。もう、じれったくてね。しおりが県外の専門学校に進学が決まって。沢口に、すごいハッパかけたんだ。このまま卒業まで、しおりに何も言わないままでいいのかって。はなればなれになっちゃうんだよ、って。あいつ、見た目はいいけど中身は……、ね。宇宙バカの恋愛オンチだから」
「でも、しおりさんは、玲斗さんのそういうところが好きなんだよね」
「ん。しおりだって似たようなもんだからね。洋裁バカの恋愛オンチ」
ふふっ、とちえみ姉ちゃんは笑った。
結局、ふたりはお似合いってことなんだよね。
みさきも、あいりちゃんも、心平も、あたしに何も言わない。ただ、だまってクレープを食べている。
「そんじゃ。あたし、まだこれから後夜祭の準備があるから。……つむぎちゃん」
ちえみ姉ちゃんは、あらためて、あたしの顔をまっすぐに見つめた。
「ありがとう。ほんとに、いい思い出になったよ。あたしのバカな意地に最後までつきあってくれて。今日のつむぎ、すっごい、すっごい、いいオトコだった!」
にっこりと笑った。澄んだ青空みたいな、すかっとした笑顔だった。
あたしたち四人は、無言で、蒼海高校をあとにした。
バス停まで歩く。たくさんの人とすれ違う。文化祭を見に来て、これから帰るひとたちだ。
「なんだかんだで、楽しかったわ」
あいりちゃんがつぶやいた。
「カッコよかったわよ、ファッションショー。今度はあたしのエスコート、よろしくね」
「ん。ありがと。考えとく」
「でも、お姉ちゃんの言った通り、つむぎはほんとに男前だった! モデルさんみたいに堂々と歩いててさ。もう、誰かさんに、『へたれ』だなんて言われないね」
みさきはそう言って、心平を横目でちらっと見た。心平は、ふん、とそっぽをむいた。
「なーにがオトコマエだよ。やっぱつむぎはへたれだね」
「あんた、まだそんな憎まれ口……。いいかげん素直になったら」
「みさきはだまってろ」
ぴしゃりとみさきをさえぎると、心平は、あたしを見上げた。射抜くような、まっすぐなまなざし。
「いいか、つむぎはまだ逃げてる。あの、イケメングランプリの、サワグチだっけか? つむぎ、あいつのこと、好きなんだろ?」
心平。気づいてたんだ……。心平はつづける。
「そんで、あいつがほかの女にとられてさ。だまってシッポ巻いて逃げるわけじゃん」
「逃げる、って。だって……! しょうがないじゃん。玲斗さんとしおりさんは……」
こらえていた涙が、ふたたびこみあげてきて、あふれ出しそう。鼻の奥がつんとして、目が熱いよ。
なのに心平は、ようしゃない。
「つむぎさあ、あいつに男子だってカン違いされたまんまじゃん。くやしくねえの? そんなふられ方さあ。どうせなら、もっとスカっとふられてこいよ。今のままじゃ、かんっぜんにカヤの外じゃん? カッコわりい」
立ちどまる。こぶしを、ぎゅっとにぎりしめる。
カヤの外。
玲斗さんは、あたしのことを男の子だって思い込んだまま。ほんとうのあたしを知らないまま……。この先、ずっと。永久に。玲斗さんが思い出すあたしの姿はいつも男の子。イケメンコンテストのときも、動物園で会ったときも、そして今日も。
いつもあたしは男の子のすがたをしてた。
男装して、カッコいいって言われるの、きらいじゃない。みんなが喜んでくれて、ほめてくれて、背すじをのばして歩いていられるよ。たくさん、自信をもらったよ。
でも。好きになったひとにだけは……、女の子だって、思ってほしい。
知ってほしい。もうひとりの、あたし。
「みんな。……あたし、行ってくる」
みさきが、あいりちゃんが、心平が、力強くうなずいた。
あたしはまわれ右をして、蒼海高校に向かって、駆けた。涙は、ぐっとのどの奥に押しこんだ。
まだだよ、まだ。まだ泣けない。
蒼海高校の正門をくぐる。ちょうど文化祭の立て看板が撤去されようとしているところだった。あたしはまだ蒼海の制服姿だから、違和感なく入り込むことができた。
もう、おまつりは終わりなんだね。
ぽんぽん、と色のない花火があがった。
「五時よりファイヤーストームを囲んで、後夜祭を行います。くりかえします、五時より……」
校内放送だ。そういえば、ちえみ姉ちゃんが、後夜祭の準備があるって言ってた。
どうしよう。勢いでここまで戻ってきたはいいものの、たくさんの生徒たちでごった返していて、玲斗さんがどこにいるのか、わかんない。天文部かな? それとも教室?
しおりさんと一緒……、とか?
ごめんなさい、しおりさん。ちょっとだけ、あたしに玲斗さんと話す時間をください。
「つむぎ? どうしたの。忘れ物?」
B棟の入口でちえみ姉ちゃんにばったり出くわした。無意識のうちにあたし、まっすぐに、被服準備室に向かっていたんだ。
「あ……。うん。そうなんだ。大切なこと、忘れてて」
「ふうん。なに?」
「ちえみ姉ちゃん。一生の、お願いがあります!」