10・お姫様のドレス
しおり。ずっとひっかかってた、その名前。このひとが……。
ちえみ姉ちゃんと玲斗さんの会話を思い出す。「しおり、ずっと待ってるよ」って……。
このひとは、玲斗さんと、一体どういう関係なの?
しおりさんにイケメンコンテストの話をした友達って、玲斗さん?
頭の中がぐるぐる回る。
しおりさんは、そんなあたしの不安げな顔には気づかず、裁縫箱のまち針の数を数えている。
「うん。ばっちり。ぜんぶある。ありがとう、野田さん。時間まで、外、見て来てもいいよ。わたしは作業があるから案内はできないんだけど……」
「あ。いいえ、おかまいなく。あの……、よかったら、ここにいさせてください」
しおりさんはくすりと笑った。
「どうぞ」
それから彼女は椅子にこしかけて背すじをしゃんとのばした。こんもりした白い布山のはじっこをつまんで、丸い木枠のようなものにはめ、針を刺しはじめる。
ドレス、縫ってるんだ。
「それ、まさか、ぜんぶ手縫いなんですか?」
思わず聞いてしまった。しおりさんは自分の手元を見つめたまま、ふふ、と笑った。
「そんなわけないじゃない。ミシンで縫ったよ。いまは、刺繍をしてるの」
あたしの質問に答えながらも、針を動かす手のスピードはちっとも落ちない。
どんな刺繍をしているのか見てみたくなって、つい、身をのりだしてしまう。しおりさんは、どうぞいくらでも見てくださいな、と言った。
純白のつやつやした生地に、白い糸の刺繍。大ぶりの花たちと、それをとりかこむ葉っぱとつる。はばたく鳥に、すずらんの花。ドレスの、胸のあたりになるのかな。ゴージャスだけど、白地に白糸だから、とっても清楚。花嫁さんにぴったり。
「よし。できた」
ちょん、と糸を切るしおりさん。
「つぎは……」
「えっ? まだ何かするんですか?」
「うん。今度はビーズ刺繍をするの」
しおりさんは机のうえに小さなトレイを置いた。中には、小さな小さなパールビーズや、きらきら輝くスワロフスキーがたくさん、のっている。
「あああ、間に合うかなあ。ショーまであと一時間きっちゃった」
なげいている間にも、しおりさんの針はうごく。すさまじいスピードで、いっさいのムダのない所作で。つぎつぎにこまかいビーズをすくい、刺し、糸をひく。純白の布地に刺繍の花がさいて、ビーズのきらめきが散る。
「きれい……」
うっとりとつぶやくあたしに、しおりさんは、
「わたしがもし将来デザイナーになれたら、野田さんのウエディングドレスもつくってあげるよ」
なんて言った。あたしはあわてて首を横にふった。
「ウ、ウエディングドレスなんてめっそうもない! あたしには似合わないし!」
「ふふ、そうかな? 背が高いから似合うと思うよ。私はむりだけどね。地味顔だし」
「え? でも、今日、着るんですよね? 三年生女子はみんな、卒業制作のドレスを自分で着てショーに出る、って」
「ん。ま、正確には、卒業制作はドレスかスーツかえらべるの。たいてい、女子はドレスで男子はスーツをえらぶのね。自分で着てステージに立てるからさ。でももちろん例外もあるよ。スーツを仕立てる女子もいるしドレスを縫う男子もいる。その場合、モデルはほかに頼むか、自分で着るか。野田さんみたいに男装ってかんじでね。去年いたけど、宝塚みたいでカッコよかったよ」
ふうん。そうなんだ。ってことは、女装男子もいたのかな。すごい勇気いりそうだな。でも、そういうのもアリだよねってあたしは思う。
「しおりさんは誰かにモデル頼むんですか?」
聞くと、しおりさんは首を横にふってため息をついた。
「本当はそうしたかったんだけどさ。先生にも友達にも、なんで自分で着ないの、って言われちゃって。もう、憂鬱で……。わたしね、洋服やドレス、縫うのは好きだけど着るのは苦手なの」
「どうしてですか? 自分で着るからこそ、そんなに頑張れるんじゃないんですか?」
「そんなことない。わたしは、できればほかのひとに着てほしい。自分がキレイになるより、ほかのだれかをキレイにするほうが楽しいんだ。このドレスだって、もうすぐ結婚する姉のためにデザインしたんだから」
……そうなんだ。なんか、しおりさんって、変わってる。
ちくちく、ちくちく。もくもくと針をうごかすしおりさん。ビーズのきらめきが、その小さなひとみにうつって、かがやいている。
あたしは玲斗さんのことを考えていた。玲斗さんのプラネタリウムの星のかがやきを、思い出してしまったから。
どれくらい、そうしていただろう。止まった時間の中にいるみたいで、あたしは、自分が今男子高校生のかっこうをしていて、これからショーに出ることなんて、すっかり忘れそうになっていた。
と。がらり、とドアの開く音がして、がやがやと人がいっぱい入ってきた。
「あれー? しおり、いつからいるの?」
「このイケメンはだれ? もしや、例の、ちえみの一日彼氏?」
「やだー、まじで女子? 超カッコいい! あたしのエスコートしてほしい!」
きゃあきゃあさわぐ女子高生たち。あたしはちょっとびびってしまった。
「野田つむぎさん。五年生だって」
と、しおりさん。相変わらず、手は休めない。
「まじ? 小五?」
あっという間にとりかこまれた。うう……。ちえみ姉ちゃん、早く来てよ!
「しおりー。あんた、クマできてるよー。これからステージ立つってのに……」
茶色いロングヘアの人がしおりさんのとなりのいすに腰掛けた。
「ん。ゆうべも遅くまで作業しちゃって。直前だけど、どうしても納得いかないところが出てきちゃって。思いきってやり直したんだ」
「もー。しおりったら、相変わらず職人気質っていうか……。ってか、エスコート、どうなったの? やっぱ、あの、幼なじみのイケメンくんに頼んだの?」
幼なじみのイケメンくん? あたしはこっそりきき耳をたてる。
「須賀先生に頼みましたっ。なんで私が玲斗なんかに頼まなきゃいけないわけ?」
おだやかだったしおりさんの口調が、いきなりきつくなった。
玲斗なんか、って。玲斗って、あの、玲斗さん?
「玲斗くんなんて一言も言ってませんけどー。ていうか須賀先生って。よりにもよって、なんであんなおじいちゃん先生に頼むかなあ……」
「委員会で! お世話になったからっ!」
しおりさんはなぜかぷりぷり怒っている。ほおが赤い。
待ってるって、ちえみ姉ちゃん、言ってた。しおりさん、やっぱり、玲斗さんのこと、待ってるの?
いやな予感で心臓がどきどきする。まわりで女子高生たちがいろいろ話しかけてくるけど、頭に入ってこない。気づいたら、あたしはお人形みたいに、真っ白いタキシードを着せられ、蝶ネクタイなんて結ばされてた。
「きゃーっ。似合うーっ! つぎはヘアメイクねっ。ほら、ここに座って」
言われるがまま、椅子に座る。目の前には鏡。うつるあたしは、完璧に、男。
「野田さん、ぜったい、将来宝塚はいったほうがいいよ。そしたらあたし、追っかけしちゃうかもっ」
しおりさんは玲斗さんのこと、好きなのかな。玲斗さんは? 幼なじみって、ほんとう?
やばい。気になって仕方ないよ。
女子高生たちは、かわるがわる、自分でつくったドレスを着せあっている。しおりさんみたいに純白のドレスもあれば、ピンク、ブルー、黄色、花柄のドレスやミニ丈のものもあって、まるで花が咲いたみたい。メイクして、髪をアップにして、花の飾りをつけて、ベールをつけて……。
おとぎ話のお姫様たち。舞踏会で王子様に見つけてもらうために、はなやかに着飾っている。ここにいるひと、みんな、彼氏にエスコートしてもらうのかな。
胸がくるしい。どうしてだろう……?
「やっばーい。遅くなったああっ」
聞きなれた声が飛んできた。
「あっ! 来た来た、ちえみ! 見て、あんたの王子様」
あたしのヘアメイクをしてくれたひとが興奮気味にさけんで、あたしの腕をひいた。ちえみ姉ちゃんは目をまんまるくして、そして、ふにゃあっととろける笑顔になった。
「いやーん、素敵すぎる……。まじでつき合いたい……」
お、お断りします……。
「ちえみったら、野田さん困ってるじゃん。早く自分の支度しなよ」
はいはーい、とちえみ姉ちゃんは頭を掻いた。ちえみ姉ちゃんは、淡いラベンダー色のドレス。
ちらりと、しおりさんの様子を盗みみた。できあがったドレスを着ている。よかった、無事に仕上がったみたい。
白い肌によく似合う純白のドレス。大胆に開いた胸元の刺繍がエレガントで、スカートはふんわりと華やかに。長いすそを踏まないように歩くのは大変そう。本物の花嫁さんみたい。
それなのに、しおりさんは、ものうげな顔でため息をついている。
さっきの茶髪ロングの人が寄ってきて、しおりさんに何か話しかけた。しおりさんは小さくうなずいている。やがて、茶髪ロングヘアのひとが、しおりさんを座らせて、ヘアメイクをはじめた。長い髪をくるくると巻いて、アップにする。あらわになったうなじが、どきっとするほど白い。
「もうすぐ本番でーす」
実行委員の腕章をつけた女子生徒が入ってきて、告げた。
いよいよ、はじまる。