イチゴミルク
玄関でチャイムが鳴った。
「マダム、おはようございます」
現れたのはミルクと同じ位の年の女性だった。
「おはよう、イチゴちゃん」
先生は「イチゴ」を笑顔で招き入れた。
「イチゴちゃんも紅茶でいいかしら?」
「先生、私が入れます……お客様ですか?」
イチゴはミルクの事を気にして先生に聞いた。
「こちらはミルクさん。今日入った新しいお弟子さんよ」
「新人ですか」
「そうよ、よろしくね。ミルクさん、こちらはイチゴちゃん」
「初めまして。イチゴです。よろく」
イチゴはニッコリ笑ってミルクにお辞儀した。一重で切れ長な目がキラリと光った。
「初めまして、ミルクです。よろしくお願いします」
ミルクもペコリとお辞儀をした。
「さて、自己紹介も終った事だし、そろそろ仕事しようかしら」
先生が隣の部屋のドアを開けた。
隣の部屋はパソコンや本棚があり、仕事部屋になっていた。
「来てる来てる」
メールでの鑑定依頼が数十件来ていた。
「どれから片付けようかしら」
先生はパソコンとにらめっこを始めた。
先生がパソコンを操作している間、ミルクは本棚を見ていた。
「ホロスコープの研究」、「タロット分析」、「易経」……。さすがに占い師だ、と思ったがそれ以上に「精神分析学」、「心理学入門」等、心理学系の本がずらりと並んでいた。
「イチゴちゃん、あと三十分したら依頼人様が来るから用意お願い出来る? ミルクさんにも教えてあげてね」
「はい、マダム。さ、こっち来て」
イチゴに付いて隣の部屋へ入る。
「おおー」
ミルクは感動した。
その部屋はいかにも占いの部屋という雰囲気で、薄暗く、壁には不思議な模様のタペストリーが飾られていて、ビロード風のテーブルクロスの被された小机、そしてその上に小さなクッションに置かれた水晶玉。
「ここの引き出しにインセンスがあるから焚いてちょうだい」
「イン……何ですか?」
「インセンス。お香よ」
「ああ、はい」
ミルクはお香立てにインセンスを立て、火を点けた。ミステリアスな香りがした。
イチゴはテーブルの後ろにある祭壇のような所のろうそくに火を灯した。
そしてクローゼットから黒いドレスと黒いベールを出し、ハンガーに架けた。そのドレスは夕べのとは違い、上品だけど豪華な、レースをふんだんに使った物だった。
「マダム、支度出来ました」
「ありがとう。じゃあ着替えて来るわね」
マダムが着替えに行った。
「あの、イチゴさんもお弟子さんですか?」
「そうよ。一年位経つかしら」
「長いんですね」
「私なんてまだ見習いだから。早く先輩達みたいに一人立ちしなくちゃ」
「お弟子さんて何人もいるんですか?」
「十人以上はいるみたい。会ったことは無いけど、皆活躍してるのよ」
「そうなんですか。イチゴさんはどうして弟子になったんですか?」
「占ってもらって、感動したから弟子にしてもらったの」
「私もです。凄く感動しました」
「結構弟子にして欲しいって言う人多いけど、マダムは気に入った人しか弟子にしないのよ」
「そうなんですか」
私は先生に気に入られたの? 何処が? ミルクは不思議だったけど、嬉しかった。
「そろそろ来るかしら」
先生が支度を整えて出てきた。
「わー、素敵……」
先生がドレスに着替え、ベールを被り、ミステリアスなメイクをし、まさに占い師という雰囲気に変身していた。
「イチゴちゃん、電気暗くして」
イチゴが玄関からリビング、全ての電気を薄暗くした。
「じゃあ二人も着替えて来て」
先生に言われ、ミルクは意味が分からなかったが、イチゴに引っ張られ、部屋へ入った。
「さあ、これに着替えて」
イチゴに渡されたのはシスターみたいな衣装だった。
着替え終わり先生の所へ戻った。
「じゃあイチゴちゃんは依頼人様をお迎えしてね。ミルクさんは私と一緒に部屋で待機していましょう」
先生は椅子に座り、ミルクはその後方に立つように言われた。
「今日から見学して覚えていってね。早い子だと三ヶ月しないで独立していくわ。イチゴちゃんも独立してもいいんだけど、あの子は私の側にいたがって出ていかないのよ」
三ヶ月で独立……。そんな短時間でマスター出来るんだろうか。
「先生、お見えになりました」
「どうぞ」
イチゴが女性の依頼人と一緒に入って来た。ミルクは緊張した。
「ようこそいらっしゃいました。お掛け下さい」
先生に促され、依頼人は先生の正面に腰掛けた。
「今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ」
先生は静かに目を閉じ水晶玉に両手をかざした。
「あなた、ちゃんと寝てますか? あまり体調が良くないみたいですけど」
「はい! そうなんです。最近睡眠不足なんです」
早速先生は依頼人の事を言い当てた。凄いとミルクは思った。でも先生占いしないんじゃ無かったっけ?
「今日はどんなご相談ですか?」
先生は冷静に質問した。
「あの、実は最近、彼との関係がうまく行かなくなって来てしまいました。私は将来的には結婚したいんですが、私から言い出す訳にもいかないし。
彼は私との将来をどう考えているのか知りたいし、二人の将来はどうなるのか教えて下さい」
女性はハンカチを握り締め、先生の目を見つめながら話した。
「分かりました」
先生は再度目を閉じ、深呼吸すると、水晶玉に手をかざした。
「貴女はかなり真面目で几帳面ですね」
「はい! そうなんです。彼には毎日お弁当も作ってあげてるし、休みの日には彼のアパートの掃除もしにいってます」
「まあ、そうなんですか」
感心したように先生は言った。
「彼の好みや栄養を考えて作っています」
「まあ、凄いわね」
女性は自分がどれだけ彼に尽くし、どれだけ彼の事を考えているのか、それなのに彼はあまり喜びを表してくれないし、素直に気持ちを言ってくれない等、ひたすら話し続けた。
先生はその話を頷いたり相づちを打ちながら、真剣に聞いていた。
「貴女は本当に良く頑張りました。少し休んだ方が良いですね。彼とは距離を取った方が良いです。お弁当作りはしばらくお止めなさい」
「え? 止めるんですか?」
「ええ、今貴女は彼にとってはお母さんになっています。女ではありません。貴女は女を磨くべきです」
「女を磨く?」
「ええ、お化粧を勉強したり、素敵な服を着たり、美容院へ行ったりして。料理は結婚してからでいいんです。今は自分を磨く時期です」
「でも……」
「会社の飲み会とかは参加してるの? 女友達とは付き合いあるの?」
「いえ、結構遅くまで仕事しているので、次の日のお弁当作りの為に夜は買い物だけして家に帰ります」
「そんな狭い世界に閉じこもっていてはつまらないでしょ。世界は仕事と彼だけじゃ無いのよ。色々な出会いもあるし新しい発見もあるのよ。たまには違う貴女を見せてあげなきゃ、彼にも飽きられちゃうわよ」
「私、彼に飽きられてるんですか?」
「結婚てね、タイミングなのよ。毎日同じ繰り返しじゃきっかけなんて無いでしょ。結婚したいなら、何かきっかけを作らないと」
「なるほど……」
「今の状態は結婚して何年も経つ夫婦みたいだから、今更彼はプロポーズする気にはならない。だからその気にさせるには、貴女がきっかけを作るのよ」
「なるほど!」
「しばらくは辛いかもしれないけど、うんと綺麗になって貴女が輝けば、未来は変わってくるわよ」
「はい、分かりました」
「貴女、元がいいから、すぐに変われるわよ」
「そんな事無いですよ」
「本当よ。もっと上を向いて、笑いなさい。あ、その角度素敵よ。その素敵な顔を出すように前髪も短くして、髪の色も明るくした方が良いわね」
「分かりました、やってみます! 最近美容院なんてカットばかりだったから、たまにはカラーもやってみます。ヘアカタログ見て髪形も変えてみます」
「そうよ。それがいいわ」
「ありがとうございました。楽しみが出来ました。やっぱり来て良かった」
一時間半の相談を終え、女性は来た時とは正反対に明るい表情で帰って行った。
料金は十分五千円だから……四万五千円!?
「ミルクさん、どうでしたか?」
先生が普段着に着替え、リビングに戻って来た。イチゴがコーヒーを入れて運んで来た。
「はい、来た時には暗い顔をしていた依頼人様が、帰る時には明るい表情になっていて、本当に良かったです」
「そうね」
「でも何で寝不足とか真面目な性格とかが分かったんですか?」
「顔を見れば分かるわよ。目の下にはくまが出来ていて、肌も荒れていたわ。寝不足の兆候ね。それに今の時代、あの年頃で髪も染めずひっつめ髪って、どう見ても真面目でしょう。あれでよく彼氏なんて出来たわね」
先生、口がお悪い……。
「あれはただ利用されてるだけね。だってあなたが男だったらどう? 彼女にしたい? 私だったら勘弁ね」
「でもアドバイスしてましたよね」
「彼女がお弁当作らなくなってお洒落し始めたら、外に男が出来たのかって思うでしょ。それで彼氏がどう出るか。心配するか、良かったと思うかで彼氏との未来が変わるわね」
「なるほど、恋の駆け引きってやつですね」
「まあ、あの子は我慢出来ずにまたお弁当作っちゃうわね。そして捨てられる」
「分かるんですか?」
「分かるわよ。でもお洒落して外に出ればそのうち彼氏くらい出来るでしょう」
そこで先生はミルクを見詰めて講義を始めた。
「まず、観察よ。依頼人の表情や歩き方、肌の状態、髪形、服装。それで健康状態や精神状態、趣味や性格が判る。
そして話を聞く。大事なのは相手に話させる事。相づちを打ったり、頷いたり、相手の言葉を繰り返したりする。同情を示すのも大切ね。私はあなたの話を聞いています、もっと聞きたいです、と思わせる。
たくさん話して貰えばたくさん情報も得られる。その中から相手の性格や願望なんかも見えてくる」
長く話して貰えば料金も上がって一石二鳥よ、とは先生は言わなかった。
「あとは分析したものを相手に話してアドバイスをすればいいのよ。ああ、話術も必要ね」
先生はコーヒーを飲み、一息入れた。
「出来そう?」
ミルクに聞いた。
「あの、明るい表情で帰って行く依頼人の顔を見たいです。たくさんの人に希望を持って欲しいです。私もやりたいです」
「そう。じゃあ明日から毎日お昼から来てね。イチゴちゃん、色々教えてあげてね。
あ、イチゴちゃんとミルクちゃん。イチゴミルク。可愛いー」
先生は面白がって笑っていた。
ミルクとイチゴは困ったように笑った。