マダムバタフライ
ミルクは会社へ退職届を提出し、色々な手続きを済ませ、意気揚々と会社を後にした。
とてもスッキリした気分だった。
会社側は突然の退職に驚き、「急に辞められたら困る」と引き留めてくれたが、ミルクの決意は固かった。
一度辞めると決めたらもう働く意欲は無かった。もう次の事しか頭に無かった。
私って、結構アッサリしてたんだなと自分でもビックリだった。今までウジウジしていたのが嘘のようだ。
彼氏にも夕べのうちに「嘘つき。もう会わない」とメールを送っておいた。
返信は来なかった。でももういい。もうあんな男に振り回されるのは沢山だ。
もっといい人見付けるぞ、と朝電話帳から彼氏の名前は削除した。
そしてミルクは昨日貰った占い師の連絡先へ電話を掛けた。
呼び出し音が聞こえる。この時初めてミルクは不安になった。
もしかして夕べの事は占い師の嘘で、連絡先も嘘だったら……。やだ、私会社辞めちゃった。今更辞めるの止めますなんて言えない。
ちゃんと占い師の身元確認しておけば良かった、と深く後悔した。
「もしもし」
夕べの占い師の声がした。
ミルクは凄くホッとした。
「もしもし……」
お互いに自己紹介していなかった事に気が付いて、名乗ろうにも名乗れないでいた。
「夕べの方?」
「はい、そうです。夕べはありがとうございました」
「いいえ。どうしますか? 来ますか?」
「はい、宜しいでしょうか?」
「勿論よ」
ミルクはマンションの場所を聞き、電車に乗った。
言われた場所は指定の駅から歩いて十分程だと言う。駅から近いなんて、高そうだなあと思いながら、言われた名前のマンションを探す。
「え、ここ?」
有名ホテルのような広い玄関を入ると、天井が高かった。その高い天井にはどこかのお城の様なシャンデリアが輝いていた。
「占い師って、儲かるのかな……」
先生の部屋は十階だった。
呼び鈴を押すと先生は笑顔で出てきてくれた。
「ようこそ。待っていたわ」
部屋の中の家具、調度品は、よくテレビの豪邸訪問で見る様な高級そうな物ばかりで、ミルクはキョロキョロしていた。
「紅茶でいいかしら」
先生はカップに紅茶を注いでくれた。とても良い香りだった。
「そうね。まず、お名前聞かせて貰っていいかしら」
優雅にカップを持ちながら先生が言った。夕べは暗かったしベールを被っていたのでよく顔が分からなかったが、先生はとても綺麗だった。四十前だろうけれども、シワひとつ無い。
夕べは妙なドレスを着ていたが今日は洗練されたデザインのワンピースを着ていた。
「私は牛若ミルク、二十四才です」
「まあ、牛のミルク……。面白い名前」
「学校でよくからかわれました」
「あら、可愛いわよ」
先生は口に手を当て上品に笑った。
「じゃあ、私ね。まあ本名は普通の名前だけど、仕事では紫 蝶子と名乗っています」
「マダムバタフライ!?」
「そう呼ぶ人もいるようね」
「マダムバタフライ」
占い好きには結構有名な存在だった。
良く当たる占い師として人気があり、主に占いのサイトで活躍している。
「そんな有名な先生だったなんて……」
ミルクは恐縮した。
「大した事ないわよ」
先生は軽くあしらった。
「ミルクさんは、占いにどんなイメージを持っているのかしら?」
「えっと、正直なところ、前は占いってインチキだと思っていました。当たらないのに高い料金取るって。あ、でも前です、前。夕べ先生にお会いして、凄く感動しました。人生が変わる位……」
「正直ね。そう、インチキで当たらない占い師は多いわね。多いというか、ほとんどがそうね」
「やっぱり。テレビの朝の占いなんて見ると、番組によって順位が違うんですよ。だから順位悪かったらチャンネル変えて良い占い探します」
「それでいいのよ。占いを信じるか信じないかは見てる人次第だから」
「でもたまにピッタリ当たる時もあって驚く時もあります」
「ミルクさんはどんな占い師になりたい?」
「えっと……まだ具体的には分からないんですが、とにかく当たる占い師になりたいです」
「当たる占いね……」
「先生みたいに人を助けられたら最高です」
「人を助ける」
「はい。夕べはもうどうして良いか分からなくなってました。でも先生にお会いして人生が明るくなりました。希望が持てました」
「それは良かったわ」
「先生、私にも占いが出来るんでしょうか?私は勘も良くないし、霊感とかも全然無いし……」
先生は席を立ち、奥の部屋から箱を持って来た。
「これ、使って」
箱を開けると、水晶玉が現れた。先生が使っていた物より小さいが、透き通っていて、真ん丸で、傷一つ無く、とても綺麗だ。
「いいんですか?」
「占い師には必要よ」
「触っても良いんですか?」
「直接触ると指紋とか手の油とか付いちゃうから、直接は触らない方が良いわね。このクロスを使って」
先生はシルクっぽいクロスをミルクに渡した。
汚れると見ずらくなるからなのかな、と何となく納得した。
「綺麗……。神秘的ですね」
「良ーく見てみて。どう?」
「綺麗だけど……特に何も見えません。やっぱり修行とかしないと見えるようにならないんですか? どの位修行したら見えるようになるんですか?」
「何が?」
「え? あの、先生みたいに人の内面とか将来とか、見えるようになるんですよね」
「そんな訳無いでしょ」
「は?」
「ミルクさん、占い師の所に来る人達は何を求めて来るのかしら」
「えっと、何か悩みがあって困っていて、何とかしてもらいたくて来るんだと思います」
「そうね。顔を見ればちょっとした悩みか深刻な悩みか位は分かるわよね」
「そうですね」
「もう駄目だと分かっていて来てる人か、上手くいっていてこれからの事を聞きたい人かも分かるわよね」
「はい」
「いずれにせよ、悪い答えを聞きたくて来る人はいないわよね」
「そうですね」
「最後には希望を持って帰りたいと思ってる」
「はい」
「その願いを叶えてあげるのが占い師よ」
「……それは、悪い結果が出ても言わないか、悪い結果を好転させる方法を教えるって事ですか?」
「悪い結果って何? 今現在が悪い時なのよ。他人にお金払ってまで相談したいんだから。そこから這い上がるのに必要なのは希望よ。根拠の無い希望でも良いの。立ち止まってる自分の背中を押して貰いたいだけなの」
「確かにそうですね……」
「その役目を占い師に託しに来るのよ。期待に応えるのが占い師の仕事と言う訳ね」
「素晴らしい仕事ですね。でもその為には占いの能力が必要なんですよね」
「占いの能力? そんな物この世に無いのよ」
「は?」
ミルクは突然の先生の言葉に耳を疑った。
「万が一、確実に未来を占えたとしても、本人が気に入らなくて拒否する場合もあります。例えば貧乏で乱暴な男と結婚すると占いで出たとします。本人は絶対結婚しないと一生独身でいたら、占いは外れた事になります。例え付き合ってる男が貧乏で乱暴な男でも」
「確かに」
「将来大病をして苦しんで死ぬと占いで出て、苦しむくらいならと自殺しても外れた事になります」
「そうですね」
「だからこの世の中に百パーセント当たる占いなんてないのです。人生を変えるのは本人だけなんです」
なんか、凄く納得した。確かに占いの結果を聞いた本人が違う行動を取る事もありうる。下手な鉄砲も数打ちゃ当たるじゃ無いけど、悩みのある人は自分に都合の良い占いの結果を出してくれる占い師に当たるまで、探し求める。
「当たる」占いより「都合の良い」占いを求めている。
都合の良い未来に自分を当て嵌めるのは自分だ。
「でも、夕べ先生は私の事、性格とか、色々当てましたよね」
「私、何て言ったかしら」
「辛そうとか優柔不断とか……」
「顔を見れば辛そうかなんて一目瞭然よ。それに占いに食い付いてくる人は自分で決められないから優柔不断に決まってるし、まあ、大抵の人は優柔不断と言われれば当たってると思うものよ」
ミルクは何も言えなかった。じゃあ夕べは占いじゃ無くて心理分析みたいな事だったのだろうか。確かに「貴方はこうなります」とか「将来はこうです」とかは言われていない。
「面接技術を学ぶのです」
占いじゃ無くて面接技術?
何か方向が違って来たような気がする。
「ミルクさんは怪しげで不確かな占いを学びたいですか? それともきちんとした手法を用いて援助が出来る技術を学びたいですか?」
「……確実に助けられる方が良いです」
「じゃ、決まりね」
先生は嬉しそうに紅茶のおかわりを注いでくれた。