3.明かされた過去
『リサの命を犠牲にしてまで守りたいものなんて、ないんです』
聞こえた台詞に、思考のすべてが塗り潰された。
どうしても気になって、そっと台所の様子を見に行った彼女は廊下で立ち尽くす。
『陛下の事は敬愛しているし、守護騎士になるにあたって忠誠を誓いました。それでも』
『……命に関わる訳じゃあないだろう』
『それを信じろと』
彼の冷たい声。
『会うだけと言われて連れて行けば、魔法使いたちの暴走ですよ。あれで彼女の記憶は失われました』
『記憶が……そうか』
沈む隊長と呼ばれた騎士の声。
『家令の娘じゃ危ないと思って、急ぎ彼女を妻にしましたが、守護騎士の妻と言う肩書もさして役に立たなかった……』
彼女は、震える膝を必死で動かす。台所の前から少しでも離れるように。
頭がくらくらする。気が付けば頬が冷たくて、彼女は自分が泣いているのに気付いた。
今の話で判ってしまった。
自分は彼の足手纏いだと。
希少価値の高いという、守護騎士のカイエン。その妻の地位を自分に与え、そして職さえ投げ打って彼は守ってくれようとしていたのだ。
役立たずなうえに記憶まで失ってしまった幼馴染に、そんな価値がある筈がない。
外に出た彼女は、灰色の空を見上げる。いつの間にか降り始めた雪が、視界を覆う。
このまま雪に埋もれてしまいたかった。
埋もれたら、きっと春まで見つからない。……彼が言った通りに。
ひっそりと口元だけ緩ませて、彼女は目を閉じた。
「リサっ!」
意外に早く、呼ぶ声がした。
家から駆け出して、ためらいもなく一直線に彼女のもとまで来た彼は、そっと彼女の髪に積もる雪を払う。
「雪に溶けないで、ここにいて……」
子供のような言葉で彼が呟いた。
何かが彼女の記憶をかすめる。
『溶けないで、ここにいて。ずっと僕と遊ぼう?』
そう言って子供が頬に口づけたのだ。
可愛い子供の願いに、自分は頷いて起きたのではなかったか?
あれはいつの話だっただろうか?
目を開けると、泣きそうな彼の顔が揺れた。
「カイエン……。誰かがそう言ったのを思い出したの……それで私、起きることにしたんだったわよね?」
いつの事だったかしら。
吐息のように続ければ、彼はぎゅうっと彼女を抱きしめた。
「言ったのは僕だ。君が生まれた時の話だ」
「え? 言ったのは小さな男の子だったわ」
「8年前だ。……全部話すよ」
彼女を抱きしめたまま、彼は雪の中に座りこんで目を閉じた。
『雪の降り始めの最初のひとひらに口付けると願いが叶う』
この地方の古い言い伝えだ。雪の奇跡と呼ばれている。
「僕が10才のころ、住んでいた街に病がはやり、家族が次々にかかった。うつる前にと、僕は家族から離されてここに送られたんだ。
この家に住み込みで働いていたのが、リドルとサリーという夫婦だった。
そう、リドルとサリー。
彼らには子供がいなくて、それでとても僕を可愛がってくれたよ。
僕がここに来てすぐに雪が降った。初雪がドカンとね。
子供の僕は大喜びで雪ダルマを作ろうとしたよ。でも、一人じゃすぐに雪玉を転がせなくなって、リドルが手伝ってくれた。
……というか、疲れた僕に代わってリドルの方が夢中になってね。座った雪娘が出来上がりつつあったよ。
『何で瞳を作ろうか。きれいな唇には何がいいだろう?』
僕は自分の荷物の中に、石の標本があったのを思い出したんだよ。つやつや光る黒曜石がいいと思って、家に駆け込んだ。それと一緒に本の栞にあった押し花の薔薇をね。
リドルも喜んでそれをはめ込んで、可愛い女の人の顔が出来た。
熱いお茶を持って来てくれたサリーが、黒いケープを雪娘の頭から掛けてやると、2人がしみじみと言ったよ。
『この娘が私達の娘ならいいのに』
『俺達の娘ならなぁ……』
そうしたら、僕もずっと遊んでもらえるだろう。
『溶けないで、ここにいて。ずっと僕と遊ぼう?』
そう言って僕は雪娘の頬にキスをした。
すると雪娘が笑ったんだ。そして言ったよ。
『何をして遊ぶの? 鬼ごっこ? 私を捕まえられる?』
言ったと思ったら、立ち上がって走り出したんだよ」
「それが君だよ。リサ」