マリィの人形
マリィは路地裏で飢えていました。
表通りでは仲の良さそうな家族連れがショーウィンドウをのぞき込んでいます。
「やあ、これはうちの子に似合そうなドレスだ」
「いけませんよ、あなた。何でも買い与えて」
夫婦が話し合う間で、綺麗な洋服を着た女の子が両親を振り返ります。
その腕には、お揃いの服を着た人形が抱きかかえられていました。
「パパ、ママ、この子がこのお洋服着たいって。ね、マリィ?」
『うん!この赤い靴、マリィにぴったりだと思うの』
女の子が人形を動かしながら一人二役でしゃべると、夫婦は揃ってニコニコしました。
「しかたがないわねえ」
「よし、マリィの分も仕立ててもらおう」
「今度の舞踏会に着ていきましょうね」
そう話しながら家族連れはお店へ入っていきます。
マリィはその様子を道路の反対側の脇道からじっと見ていました。
優しい両親、綺麗なお洋服、おうちに帰れば暖かいベッドと美味しいごはんが待っているのでしょう。
「いいなぁ」
路地裏をふらふらと歩くマリィは、足元に打ち捨てられたガラクタに躓いて転んでしまいました。
がらがら、がっしゃん。からころ、どさり。
「いたっ」
がらくたに埋もれたマリィに、重たい何かが落ちてきました。
「もう、ついてないなあ……」
顔を上げると、青い目玉と目が合いました。
「ひゃあ!?」
思わず飛び退きますが、相手は微動だにしません。
「なんだ、人形か……」
それはガラスの目を持つ壊れた人形でした。青いエプロンドレスを着ていますがあちこち破れて、片手もありません。
マリィは先ほどの女の子を思い出し、人形を手に取りました。
お人形におねだりをさせて、物が買ってもらえるならどんなにいいでしょう。
青い人形のガラスの目に映るのは、ぼさぼさのすすけた髪、枯れ枝みたいな手足にボロをまとっただれも見向きもしない女の子。
「マリィも、あの子みたいにキレイになりたいなあ」
人形を掲げて、呟いてみます。
あの子はつやつやのブロンドに、雪のように白く傷ひとつない肌。長いまつ毛に縁どられた瞳は宝石のようでした。きっと両親からとても大切にされてきたのでしょう。
「それで綺麗なお洋服を着せてもらって、舞踏会へ行くの」
『わかったわ、叶えてあげる』
突然、人形の口が動きました。
「きゃああ!!」
マリィは人形を放り出しました。がしゃん、と人形ががらくたに落下し、ボロボロの体がさらに壊れました。
「に、にんぎょうが……しゃべった……」
『ひどいわ、せっかくお願い聞いてあげようと思ったのに』
「え、ほんとに?」
逃げかけたマリィは、思わず瓦礫をかきわけて人形を拾い上げます。
「でもどうやって?」
『魔法をかけてあげるから、代わりに何かちょうだい。たとえば……そうね、あなたの髪とか』
「髪?」
散髪もできず、伸びっぱなしのくせっ毛を掴んでマリィは首を傾げます。
「こんなのでいいの?カツラにもできないようなお金にならない髪だけど…」
『くれるのね?』
「うん」
マリィが頷くと、人形の目が爛々と光りました。
『おねがいごと、確かに聞き届けたわ』
ふっと頭が軽くなった気がしました。
「あれ?」
手を頭にやると、髪がありません。それは頭の周りだけを残して忽然と消えていました。
『さっきのショーウィンドウに行ってみるといいわ』
人形を抱えて、マリィは表通りに出ました。
馬車が行き交い、きれいな服を着た人たちが行き交う表通りは、マリィには場違いです。
小さくなってショーウィンドウの前まで走っていったマリィは、赤いドレスを見上げました。ガラスに映る自分も、上を見上げます。
ふと、その影に目を向けると、そこにはとても可愛らしい女の子がいました。
白磁の肌にはそばかすひとつなく、短いながらもやわらかいプラチナブロンドに瞳はエメラルドのよう。服だけはみすぼらしいけれど、人形のように美しい。
「わあ……」
感嘆の声を上げると、ガラスに映った像も驚いた顔をします。
それはマリィ自身の姿でした。
「おお、なんと愛らしい!」
突然後ろから声がして、マリィはびっくりして振り返ります。
立派なひげをたくわえた、フロックコートにシルクハットの男の人がマリィを見下ろしていました。
「どうしたんだい、この髪は。こんなに可愛らしいのに、可哀想に」
マリィの短くなった髪に手を伸ばし、男の人はしゃがんで視線を合わせてきました。
「よかったらうちに来なさい。うちには娘が一人いるんだ。話し相手になってあげてくれないか」
『チャンスよ、この人について行くといいわ』
腕の中で人形がこっそりと囁いたのでマリィは思わずうなずきました。
男性は上層街の立派な邸宅に住んでいた。
馬車に揺られて立派な門をくぐり、緑豊かな広い庭を抜けて玄関ポーチに降り立つと、家の中から使用人とともに夫人と令嬢が出てきました。
「あら、あなた。その子は?」
「この子はマリィ、うちで預かることにした」
「ええっ……」
「リリーの話し相手にちょうどいいだろう」
話し合ってる夫婦の横から、2人の娘らしき女の子が近寄ってきます。
薄紫のワンピースの、上品な女の子でした。マリィより少し年上でしょうか。
「こんにちは、私はリリー。お父様たちはお話しているから、あちらで遊びましょう?」
やさしく微笑むリリーに手を取られて、マリィはちょっと気後れしましたが、リリーは気にせず庭園へと案内しました。
そうして2人が庭でお花を摘んだり、木の実を拾ったりしている間に大人たちの話し合いは終わったようでした。
屋敷に招き入れられたマリィは、夫人に屋根裏の部屋へと連れられていきました。夫人はマリィにあまりいい感情を持っていないようです。
「あの人にも困ったものね」
ぶつぶつと文句を言いながら、部屋の扉を開けて入るよう促します。
「夜は勝手に出歩かないで頂戴。問題を起こしたら出て行ってもらいますからね」
夫人が去ると、粗末なベッドにマリィは飛び込みました。
屋根があって、ベッドがある。なんて素敵なことでしょう。
路地裏でがれきの山にトタン板をかぶせて雨を凌いでいたことを考えれば天国のようです。でも、ひとつだけ。
「……あの女の人は嫌な感じだなあ」
隣に転がる人形の青い目が瞬きました。
『じゃあ、あの人たちがマリィを一番に可愛がってくれるようにしようか?』
「ええっ、そんなことできるの?」
『もちろん。でも、髪はなくなっちゃったから、他の物をちょうだい』
「え、他のものって……?」
『あなたの一部なら何でもいいわ、たとえば……腕とか』
「う、腕!?腕がなくなったら困るよ!」
空恐ろしいものを感じて、マリィは人形から後ずさります。
『大丈夫よ、もらうと言っても、今すぐにじゃないわ』
「いつだとしても、なくなったら困るよ」
『死んじゃった後でいいわ』
「死……?」
『私、手がないでしょう?』
そういえば、人形は片腕がないのでした。左腕の肘から先が欠けています。
『いつかあなたが死んじゃった時に、その腕をほしいの』
「でも……」
『このままあの奥さんにいじめられてずっと過ごすのは辛いんじゃないかしら』
それは確かにそうです。これから何年もお屋敷で過ごすとしたら、奥様にいびられながら過ごすのは生きながら地獄にいるかのようです。
死んでしまった後に腕をあげて、今の生活が快適になるのなら……そんな誘惑にマリィは勝てませんでした。
「じゃあ、いいわ」
『おねがいごと、確かに叶えたわ。腕は私のものね』
きん、と音がしました。
気がつくと、人形に左腕がついています。
「あれ?私とお揃いなのね」
白磁の腕には、マリィと同じ場所にほくろのような黒い跡があります。
『だってあなたの腕だもの』
マリィが自分の腕を見ると、ほくろはきれいに消えていました。
『交換よ』
「ふうん?」
とりあえず、腕がなくなって不便ということはないようです。
その時、コンコンと控えめにドアがノックされました。夫人でしょうか?
マリィが扉を開けると、そこに立っていたのはリリーでした。
「話し声がしたけれど、誰かいるの……?」
「ううん、一人よ。お人形さんとおしゃべりしていたの」
焦ってマリィは誤魔化しましたが、リリーは疑いの目で見ることもなくにっこりと笑いました。
「そうなのね。私もお人形さんを持っているから、明日は一緒に遊びましょう」
そう言ってリリーは温かそうな毛布と肩掛けをマリィに手渡しました。
「お母さまったらこんなところに押し込めて、ごめんなさいね。明日、お部屋を換えてもらえるか話してみるわ」
翌朝、マリィが階下に降りていくと、夫人が機嫌よく手招きしました。
「あなたは私たちの家族なのだから、一緒に朝食を取りましょう」
昨日の不機嫌が嘘のようです。
旦那様と一緒になって、マリィのこれからについて相談しています。
「あなた、マリィの服を買い揃えなくては」
「うむ、週末にでも一緒に買い物に行こう」
二人はいつの間にか、マリィを養子に迎えることにしたようでした。
部屋も一家が生活するフロアに準備してくれるという話に機嫌よく食事の席につくと、隣に座るリリーが話しかけてきます。
「よかったね」
彼女はマリィになんの悪い感情も持っていないようでした。マリィは何となく、居心地が悪く感じました。
食事が始まると、礼儀作法を知らないマリィは苦戦しましたが、夫妻はにこにこと笑うだけ。そして、リリーは両親がマリィのことばかり見ているのを気にも留めず、優しくマリィのお世話をしました。
「妹ができたみたいで嬉しいわ」
そう言ってマリィを抱きしめると、リリーは支度をして出かけて行きました。
彼女は裕福な家の子たちが通う学校に行くのです。
「私も学校に行ってみたいわ」
そう言うと、両親はマリィが学校を見学できるように手配してくれました。
教師に連れられて学校を見て回っていると、休憩時間となった生徒たちが廊下や庭に出てきました。
「リリー先輩!」
「リリーさん、どちらへ?ご一緒してもよろしいかしら?」
女生徒たちが駆け寄っていく先に、リリーの姿がありました。
優しくて賢いリリーは、学校で人気なようでした。
「あの人が持っているのはやさしい両親だけじゃないのね」
だから両親が見向きもしなくなっても平気なのでしょう。
「私、あのお友達が欲しいわ」
マリィは自分から人形に願いました。鞄の中の人形にそっと囁きます。青い目がぎらりと光りました。
『右の足と交換よ』
学校に入学したマリィは、たくさんの友人に囲まれていました。
みなマリィの美しさを褒めたたえ、勉強を教えたり遊びに誘ってくれたりします。
以前はリリーの取り巻きをしていた生徒たちです。
休憩時間に通った中庭で、リリーは一人ぽつんとしていました。
ベンチに座り、本を開いています。
楽し気に微笑んで。
そんなに面白い本なのでしょうか。
奪われた友人には目もくれないほど。
マリィは面白くありません。
人形に頼んで、成績の評価を上げてもらったり、ピアノやダンスの腕前をよくしてもらったり、王族御用達のデザイナーの目に留まりドレスを仕立ててもらったり。
どれほどマリィが恵まれようと、リリーは
「マリィはすごいわね」
と言って優しく微笑むだけでした。
ある日、邸宅に帰ると家じゅうが慌ただしくしていました。
「どうしたの?」
「ああ、マリィ。これからリリーの婚約者がいらっしゃるのよ!」
義母が話すところによると、リリーは何年か前に王子に見初められて婚約者に内定していたというのです。
「留学されていたので正式な婚約はまだだったんだけれど、卒業して戻って来られたの。婚約のお話も進むはずよ」
浮き立つ屋敷に置いてきぼりにされたようで、マリィは面白くありません。
部屋に戻り窓から外を見ると、ポーチに横付けした馬車から見目麗しい青年が降り立つところでした。両親とリリーが出迎えています。
「ああ、あの人はまだ素敵なものを持っている。なんてずるいのかしら」
『可哀想なマリィ。あなたは何でももらう資格があるのよ』
「――それなら、あの婚約者も欲しいわ」
窓の向こうで、婚約者がこちらを見上げました。
「リリィ、君は義理の妹として養子に迎えられたマリィに嫉妬して様々な嫌がらせをしたそうだな」
婚約披露の舞踏会に現れた王子は厳しい口調で糾弾します。
賓客たちがざわめきました。
「なんてこと」
「ひどい」
学校の同級生たちも、交流のある貴族たちも今はみんなマリィの味方です。
父親と入場してきたリリーは、事実無根に青ざめるばかり。
「そんなことは……」
ホール中央の大階段に立つ王子の隣には、マリィの姿がありました。
その腕の中には、いつもの人形が抱えられています。
願い事のたびにマリィの体の一部を受け取った人形は、かつてのマリィと同じ姿になっていました。ぼさぼさの髪、そばかすの浮いた浅黒い肌、傷痕や、ほくろを示す黒ずみ。マリィが着せた真っ赤なドレスと、青いガラス玉の目だけが奇妙に目立っています。
一方のマリィは、ますます作り物めいた美しさが際立っていました。
「おかしいわ、マリィ。一体どうしちゃったの」
リリーが見上げるマリィは、青白い肌に作り物めいた美しいプラチナブロンドの美貌を歪ませて笑います。
「どうもしないわ、お姉様」
ここに至っても、リリーはマリィを睨みさえしませんでした。
リリーを見ていると、マリィは自分がひどく醜く思えるのです。
「もういいわ、殿下。私、もうあの人の顔も見たくないのです」
マリィが訴えると、王子は頷きました。
「リリーは国外追放とする。正式な通達を屋敷で待つがいい」
異を唱える者は誰もいない、異様な空間。
リリーはとぼとぼと一人で帰ってゆきました。時折、マリィと人形を振り返りながら。
「これで君をいじめるものは誰もいない。かわいいマリィ、次の願い事は?」
王子の胸に抱かれて、マリィは呟きました。
「結婚式を挙げたいの。誰もが祝福する、この世で一番立派な式にして」
「誓いのキスを」
神父の声に、王子はそっとマリィのヴェールを持ち上げました。
「綺麗だよ、マリィ」
「ありがとう」
キスを交わした二人を、聖堂に集まった大勢の人々の拍手が包みます。
美貌と、愛と、富と人望と。あらゆるものを手に入れたマリィの王国が完成したのです。マリィは万雷の拍手にまぎれてそっと腕の中の自分そっくりの人形に話しかけます。
「この王国を永遠にしたいわ」
『では、あなたの目をちょうだい』
「いいわ」
人形はガラスの目玉を三日月のように細めて笑いました。
『これであなたの願いは全部叶えたわ』
「そうね、あなたは何でも叶えてくれた。これからもよろしくね」
『いいえ、さよならよ』
「え?」
人形は唇を吊り上げてにたりと笑いました。
『約束通り体をもらう時よ』
「ええっ、でもそれは死んだあとって……」
『覚えていないの?目玉が最後で、あなたの体は全部私のものになったの。だからあなたに体は存在しない、つまり死んだのよ』
「えっ……!?」
『だからその体はもう、私のもの』
マリィは眩暈がしました。
がしゃんと音がします。衝撃で手足がばらばらと飛び散りました。人形の手足が。
『あなたが手に入れた王子様も人々も、この王国は全部が私のものよ』
マリィになりかわった人形が笑うのを、人形になったマリィはガラスの目玉で見上げていました。
「どうしたんだい、私のレディ」
『なんでもないわ』
王子様は何も知らずに"マリィ"の肩を抱いて微笑みます。
『ああ、そうだ。その人形は壊れてしまったから捨てておいて頂戴』
使用人に告げると、"マリィ"は王子にエスコートされて聖堂を出てゆきました。
マリィは路地裏のがらくたの中からガラスの目玉で城を見上げています。
城には蔦が這い、人々は動きを止め、永遠の眠りについています。
ただひとり、人形の声が聞こえたリリーは、追放されてしまいました。
『だれか……手を、足をちょうだい。動けないの……』
マリィの声が誰にも聞かれることもなく路地裏に響きます。
何年も何年も。やがてそれは恐ろしい悪魔の人形となるのです。
『だれか……』
路地裏で人形の呼び声を聞いたとしても、決して振り返ってはいけません。
ガラスの目玉を見てしまったが最後、魅入られてしまうのですから。




