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俺達は音を聞いていた

掲載日:2026/07/17

 つい耳を傾けたくなるような音がある。

 懐かしいCMソング、思い出の歌、流行りの歌、或いはもっと単純に―――電車の音、鴉の鳴き声。傾けるのに大層な理由は必要ない。聞こえたから。聞こえているから。それで十分だ。


 コポ、コポ。


「ねえ、時宗(ときむね)。大事な話があんだけど」

「おう、告白ならいつでも受け付けるぞ」

「だる。やっぱいいや」

「ごめんって。何だよ」

 まばらな時刻表の電車に遠出を支配されている田舎には、特別やる事なんてない。夏休みは嬉しかったが学校が無くなって暇と言えば暇だ。家でエアコンでもつけながら一日中ゲームをしている方が多分楽しく過ごせるだろうけど、時田宗次(ときたそうじ)は古いタイプの人間だった。或いは家庭環境がそうさせたのか、普段ゲームばかりしている故に夏休み中に限ってはアウトドアなタイプへと変化するのだ。

 大抵それに付き合ってくれる人物は居ないのだが最近は目の前の少女―――百千香里(ももちかおり)が付き合ってくれる。例えば今は……海岸線沿いの遊歩道の柵によりかかっている。

 彼女も夏休みの始まる一週間前に家族共々この地で暮らすようになってから随分馴染んだ方だ。田舎は排他的という声も分からなくはないが、馴染む努力をすれば地域によっては案外……少なくともこの地域はそうなった。

「…………アンタさ、私が知らない事色々教えてくれたでしょ? ローカルルールとか、そういうの」

「ルール? ルールなんて堅苦しいもんじゃないだろ。だって教えたのってゴミ袋の乗せ方とか駄菓子屋のばっちゃん呼ぶ方法とか無人販売の品ぞろえが変わる日とかそんなんだぞ。テスト勉強教えるとかならともかくそんなモンで改まって感謝されても」

「感謝はしてないけど」

「してねえのかよ!」

「だって、彼女居ないアピールがうざかったし」

 親切にすれば好印象を受けると聞いたからやってみたのに逆効果だったらしい。それならしなければ良かった……とは思わない、転校生で土地勘がないのを良い事に好き放題連れ回せるのは彼女だけだ。男友達と遊んだほうがそりゃ気は楽だが、奴らはゲームの世界で最強となるべく今日もレベリングに励んでいる。

「実は……ずっと気になってた事があってさ。誰に聞いても良かったんだけど、変な奴って思われたら嫌じゃん。でもどうしても無視……? 気にしないようにするのは無理だから」

「なんだそりゃ。ちょっと待ってくれ、考えてみる」

「お好きにどーぞ」

 誰に聞いても良かったという発言は、つまり疑問自体がありふれているという意味だ。或いはその言葉自体に意味はなく、敢えて俺を選んだという意味で……つまり脈ありかと思われたがついさっきそれは否定されたばかりだった。

「―――分からん」

「音」

「音?」

「みんな、何か音、聞いてるよね? ほら、夕方くらいに決まって……言うじゃん。”音が来た”って」

「あ~…………言うな」

 正確には午後四時三十分から音は鳴る。何か含みのある言い方になっているが音が鳴ったからと言って特別な事は起きない。聞こえたらみんな家に帰るだけだ。

「あの音ってさ、何?」

「何って言われても……音は音だろ。親に聞けばいい」

「そうじゃなくて…………聞こえないの」

「……何が?」



「だから音! 私にはその音が聞こえないの!」



 こんな猛暑に外で遊ぶなんて馬鹿げた事だとクラスメイトは哂う。エアコンを稼働させた室内でのんびりしていればいいのだというが、今はその油断が事態を悪化させなかった。誰にも聞かれたくない話だろうに大声で叫んだ千香の意図は分からないが、ともかくこの話を聞いたのはしぶく波と俺だけだ。

「…………」

「………………」

 静かにすれば静寂を、蝉の声が支配する。これほど大きく喧しい音が聞こえるのに肝心の蝉が見当たらない。反対側に居る森の何処かに居るとは思うが、にしてもああ……夏の湿った暑苦しさと併せて、心まで蒸し焼きになりそうだ。

「聞かなかった事にしていいか?」

「駄目! もう聞いたんだから共犯でしょ!」

「あー……ハメられた。普段から遊んでるのに断れる訳がないんだ、卑劣にも同級生を陥れて愉しいか?」

「ええ? そこまで言う? 誘ったのそっちなのに……」

「冗談だよ、聞かなかった事にはしないけど……でも俺に相談するのは正解だったな。音が聞こえないなんて、間違っても誰にも話しちゃいけない」

「どうして?」

「ここじゃ音が聞こえるのが当たり前だから、異常者扱いを受けるぞ。村八分って知ってるよな、緊急事態以外で関わらないようにする……みたいな。テレビじゃ差別が禁止だの多様性がどうのと言ってるが、要は表立って行われなきゃ咎めようがない。お前の親は音が聞こえてるのか?」

「うん、聞こえてるみたい……だから猶更言いにくくてさ」

「そうか。じゃあ続きは日陰で話そう。滅茶苦茶丁度いい日影が近くにある。ここに居ると話は聞こえなくても俺等が一緒に居るのは見えるからな。せっかくだし隠れよう」

「―――そんなまずい話なの?」

「その事がバレたら芋づる式で俺も何か言われるかもなーって感じ。そんな重く捉えないでくれよ、別にチクったりしないから」

 太陽の位置から砂浜に降りる階段の真下が日陰になっていると想定、千香の手を掴み柵を下りて少し歩くと動物が作った穴蔵のような日影が俺達の為に口を開けて待っていた。

「よし、ここなら話せる」

「もう足が砂まみれなんだけど」

「後で洗ってやろうか?」

「自分で洗えるから大丈夫です。で、何でまずいの? そもそもあの音って何?」

 二人で体育座りをして砂浜に腰を落ち着ける。日陰ならば足元は灼熱の大地とは無縁の冷涼感に満ちている。コンクリートの上を裸足で歩く気にはなれないが、ここなら靴占いだって出来る。

 あーした天気になーれ!

 晴れ。

「何処から説明したらいいもんか。俺もなんか経験者な感じで言ってるけど、先に行っとくぞ。誰も音の正体なんて知らないし気にも留めてない。音は音なんだ」

「……熱中症で考えが及ばないとか?」

「そうはならないだろ! そしたら全員が音の正体を気にしてる前提が生まれるだろうが。なんか生まれた時からある……のかな。ほら、今更蝉の鳴き声とか田んぼに居る蛙の鳴き声とか気にしないだろ? 大抵アマガエルだと思うけど、調べてみたらワンチャン新種のカエルが鳴いてる可能性はある、あるけど、そんなの誰も調べる気にならない。カエルはカエルだ」

「じゃあ何? 私は聞こえてないからむしろ気になってるって言いたいの?」

「そういう事。気にしない……のは無理って言ったな。じゃあ音は家に帰る合図だから気にするだけ無駄だ。俺がノリでやった靴占いの結果の方が気になるだろ」

「晴れじゃん。家に帰る合図を何でそんな一部の人に聞こえない”音”が担当してるの? 私以外にも聞こえないで、皆に合わせて家に帰ってる人だっているかもなのに」

「………」

「え、何? 変な事言った?」

 或いは自分の服装に問題が、と千香は自身のタンクトップを見下ろし、少し身を捻って俺の視線を遮ろうとした。じっとりとした汗が生地を少し濡らしているだけで胸チラなんかしていないし、谷間なんて見える程大きくもないだろう。お互いにまだ中学生だし。

「別に、それで良くないか?」

「へ?」

「音は聞こえないけど、皆の動きに合わせてるんだろ? 右に倣えは社会の美徳だって先生も言ってたじゃないか、音が聞こえてもないのに帰ったらペナルティとかなら分かるけど、そうじゃない。今日までお前がそうしてきたみたいに聞こえないのを黙って何となく合わせてればいい。その方が平和に過ごせるよ」

 俺が考え得る限り最善の案だ。とりあえず合わせておけばいい、そういう事にしておけばいい。一人が異常と見なされれば等しく家族も異常だと思われ排斥される。例えば昔、ここに引っ越してきた男子で虫が苦手な奴がいたがそいつは暮らすどころか村中から奇異の目で見られ間もなく引っ越してしまった。

 理由は”虫なんてそこら中に居るのにそれが嫌いなんておかしい”から。下らなすぎて今でも拳が震えてくるが、ともかく大勢多数に意見を一致させておく事は大切だ。

「納得したか?」

「え? いや、全然。むしろ周りに合わせるとかダサくない?」

「だ、ダサいとかって話なのか? むしろお前にとってはそんなに我慢ならない?」

「聞こえもしない音に従うとか馬鹿みたいじゃん。あ、そうだ! 丁度夏休みだし自由研究の課題として音の正体を探してみようかな! あーあ、私は部外者で土地勘とか全然ないし、何処かに土地勘があって課題を手伝ってくれる親切な同級生は居ないかなー!」

 ちらちらとこちらを見ているというよりは、ガン見だった。もう俺が協力してくれる事を前提に、握手まで準備している。

「…………はぁ。しょうがない。好感度を上げとかないと攻略出来ないしな」

「私はアンタのヒロインじゃありませーん♪ 攻略不可能なNPCに精々寄り添ってね~♪」

「マジかよ最悪だな。まあでもほら、ルートがないからこそ魅力的だったりするんだよな。じゃ、夜になったら調べよう」

「軽っ。もっと悩むと思ってたのに」





「音の正体が気にならないってのは一般論だ。それを発言した俺は全然気になってる。とりあえずこのことは俺達だけの秘密な? あーそうだな。夜に…………バス停で会おうぜ」

「帰るの? 音が来たから?」

「俺が家に帰りたいだけだ。探検するなら準備しないとな」









「それじゃあ、“音”が聞こえたら帰ってきてねー」

「はーい」

 夜に虫取りを敢行した過去から、両親は俺の夜間外出を気にしなくなった。お陰様で言い訳フェーズをスキップできて非常に助かる、過去の自分に感謝だ。もっともそんな不良少年は俺だけで千香がどのように抜け出してくるかは興味があった。用事もなく夜に出かけたりは出来ないと思うし。

「お、ようやく来たな遅刻魔め。私を待たせるなんてどういうつもり?」

「……もっと苦戦すると思ってたよ。どうやって抜け出してきたんだ?」

 当然自分が一番乗りと思っていたせいでやや困惑気味に素面で返してしまう。千香は得意げに鼻を鳴らすと、マジックの種明かしでもするようにドライバーを見せつけた。

「こっちで買った家さ、子供部屋が外から鍵かけられるの。でも窓は鉄格子がついてるだけだから簡単に外せちゃった!」

「鍵をかけられるせいで親が油断したって事か。なるほどな」

 子供の頃、一度は誰しも家の中でかくれんぼをやった事があるのではないだろうか。もし隠れ場所変更ありのルールでやったなら分かるだろうが、人は一度捜索した場所には中々戻らない。効率よく探すなら手順を決めてその通りに探した方が良い。

 家からの脱出も似たようなものだ。自分の手で閉じ込めたから脱出される可能性を見落とす。元々鉄格子がついてる家だったら彼女の親にとっては飛び出し防止の道具というより風景の一部に見えている筈、まさかそれを取り外すなんて。

 そこまでして外出する理由など、ない筈だから。

「当然だけど、もうバスは来ないんだね」

「電車よりは通ってる方だけどな。でもおかげで待ち合わせ場所の目安として利用出来るし何事も使いようだ」

「じゃあ早速だけど”音“について調べよっ。どうすればいいかはアンタに任せるね。私は聞こえない側の人間だし」

「そうだなあ。とりあえずこれ」

 千香に懐中電灯を渡すと、彼女は怪訝そうに首を傾げ、とりあえず自分の顔を下から照らした。

「何これ?」

「”音“さ、聞いてる時みんな同じ方向を見てないか?」

「……あ、確かに!」

「それに同じ方向と言っても、全員が同時に聞こえてる訳じゃない、タイミングの被った人間の向く方向が同じなんだ。みんなが向いてた方角、正確じゃなくてもいいから探すぞ。お前、俺と解散した後も外に居たんだろ、誰かが見てた方角は覚えてるか?」

「確か……家の方だったかな」

「家? 俺の記憶じゃ森の方だけどな……まあ音源はどっちかにあるんだろうな。よし、遊歩通り探検隊の結成だ!」 

 音の正体を自由研究の課題にするなんてこの町に住んでいたらまず思いつかない発想だ。流石は転校生と言わざるを得ない、仮に思っていてもここに長く住んでいたら実行に移そうなんて思わないだろうから。

 ああいや、”だろう”は謝りだ。思わない。

「時宗はいつまで外に出られんの?」

「音が鳴ったら帰ってこいってさ」

「それっていつよ」

「知らないよ。音が聞こえたらまあ……それを頼りに一か所見つけて帰るさ」

 音源が自ら正体を現してくれるならこんな楽な仕事はないが、偶然に期待する探検はまるでワクワクしない。遊歩道を少し歩いてから俺達は敢えて道を外れると足元を雑草に取られながら道なき道を踏破していく。

「…………恋人ってさ、たとえ学生の間でも軽はずみに付き合っちゃいけないと思わない?」

「趣味や価値観が合わなきゃ長続きしない。そんで男の方からフると女子が泣いてなんか男が悪い事になるからか?」

「それは……単なる男の悲哀でしょ。転校生っていうのが珍しいんだろうけど、告られた事あんだよね。でもさ、やっぱ軽々しく付き合っちゃうと”音”の件って絶対バレると思うんだよね。だから、その……私に優しくしても多分、付き合うとかないから。本当、ごめん」

「俺はもう知ってるんだし気にしなくてもいいと思うけどな」

「そうだけど、やっぱ気持ち悪いんだよね。”音”が聞こえて家に帰るって……あったよ? 前住んでたとこで夕方にチャイムが鳴ってたの。家に帰る合図だったけど、それはただの時間の目安だった。決まった時間に流れるから携帯とか見なくても何時か分かる指標? でもこれは……アンタも当事者なら分かるでしょ。”音”が鳴って……みんな急に静かになって突然家に帰るんだから。私にはやっぱそれが操られてるように見えるから無理。付き合うなら自分の意思がある人と」

「…………そうかい。でもそれを表明したって冷たくなったりしねえよ。なんだかんだ俺の夏休みに付き合ってくれる奴はお前くらいだし。むしろ嬉しいくらいだ、正直にそんな事言うなんて」

「わ、私は別に……深い意味とかないから。ただ、アンタに嘘吐くのは違うかなって……それだけ」

「……………………お? おい、あれ見えるか?」

 懐中電灯を伸ばして向こうの景色を照らすと、周囲の土に比べて柔らかく盛り上がった小山があった。

「……ただの土でしょ?」

「いや、こんな森の中で土が柔らかいなんて変だ。試しにその辺掘ってみろよ、固くて全然掘れないだろ。雑草が多いからこうなるんだ。つまりここは……定期的に掘り返されてる。掘るぞ」

 人の手が加わっていない場所をゼロから掘るなら掘削道具が必要だがここの土は異常に柔らかい。手や足でも問題なく掘れる。

「ねえ待って、なんかそういう感じの土あっちにもあるけど」

「何? じゃあお前はそっち掘ってくれ。俺はこっちを掘る。多分そんな深くない」

「オッケー」

 思った通り穴はそれほど深くない。例えるなら犬の糞を持ち帰らず埋めるようなモノだ、小物さえ埋められれば後はどうでもいいという程度の深さ。気になったのは穴の大きさに対して盛り土が過剰なところだ。

 だが見つかった物に比べれば些細な問題だった。


「……千香!」

「……時宗!」 


 互いが互いの名を呼び、たったそれだけで見つけてしまった物体の異常さを共有する。俺達の目に飛び込んできたのは、白骨死体だった。バラバラに崩されてはいるが、人の頭蓋骨まで出てきたらいよいよ目を背けられない。

 驚いた千香はその場に懐中電灯を落とし、逃げるようにこっちへ来て背中に隠れた。間もなくこちらにも同じ骨があると知り、腰を抜かす。

「ひい! な、何? どういう事!?」

「…………とりあえず、埋めるぞ。見たくないし」

 埋めてしまえば、白骨なんて存在しない。俺達は何も見なかった。



 ―――思ってた正体と、違うな。



 あれこれ考えるのは後回しだ。腰が抜けて動けなくなった彼女を連れて遊歩道に戻ると、そのまま歩いて最初に二人で話していた場所まで戻ってきた。道中、会話はない。何を話しかければいいか分からなかったし、千香は千香で興味本位に首を突っ込んだ事を後悔しているようだったから。

 休憩所のベンチに彼女を降ろすと、誰も居ないのをいい事に俺は机に座って、顔を見られないよう背中を向けた。

「自由研究…………無理そうだったな。とてもとても扱いきれねえよ」

「あ、アンタ随分…………れ、冷静? だね?」

「カッコつけだよ。女子に格好良く思われたいだけだ……………………したいをみてもおどろかないおれかっけー」

「………………」

「………………」

 波の音が、気まずい静寂に相槌を打った。

「俺の知ってる”音”は、海から聞こえてくるんだ」

「へ?」

「けどそれには何の意味もない。ただ”音”が聞こえるだけ。コポコポって……誰かが溺れて沈んでるような音が何処に居ても聞こえるだけだった」

「何の……話?」




「皆が聞こえてる”音”は、俺にも聞こえてないんだ」




 正直に付き合えない理由を話されたからにはこっちも全てを話そうと思った。理由はそれだけだ…………秘密を抱えるのが辛かったなんて、思ってない。

「最初は俺も勘違いしてた。同じ音が聞こえてるもんだと。けどみんな、聞こえてる方角と違う方向を向くんだ。それで家に帰る奴も居れば、工場に籠る奴も居る。田んぼの様子を見に行く奴も、虫取りドタキャンする奴も」

「皆には何が聞こえてるの?」

「さあな。俺はお前と違って右に倣ったから、正体なんて分からずじまいだ。だってしょうがないよな、正直に言おうとしたら虫を見るような変な目で見られたんだから。当時はまだ学校にも行ってないからデタラメで済ませられた。デタラメって事にした瞬間、皆の目が一気に普通に戻って怖かったよ」

「……」

「ごめんな、嘘ついて。隠すのが当たり前になると気づけば明かすのが怖くなるんだ。相手が誰でも関係ない、今までの自分が壊れる気がして」

「……今も、音は聞こえてるの?」

「夢の中でもずっと。ここに近づくと大きくなる。危険はないんだけどな」

「…………じゃあさ。他の皆が向いてる方角には何があんの?」

 机から腰を下ろして振り返ろうとする。けど動く気になれなかった、机についた俺の手を、彼女が上から繋ごうとしていたから。

「調べようよ、時宗。私達で正体を掴も」

「……さっきまで怖がってた癖に、随分勇敢な事言うんだな」

「そりゃ、怖いよ。白骨ってどう考えても事件性ありそうだし。でも……今は、嬉しいかな。音が聞こえない同盟が実は先輩だったなんて!」

「へ? ごめん、そんな同盟に入った記憶がない」

「アンタの聞こえる音に害はないんでしょ? だったら害がありそうな音の方を突き止めたくなるのは当然じゃない? ていうか……こ、怖いからってここで逃げてさ、なんか解決すんの? 絶対気になっちゃうし。私が死んだら誰もアンタに付き合ってくんないよ?」

「うわ、凹む事言うなよな。そこまで言われたら付き合ってやってもいいけど……でも、そうだな。一つ約束してくれ」

「何?」

「解決は―――しない方がいいと思うから、謎を解き明かしたらそのままで」

 千香にはまだ言っていない話がある。けれどそれは確信というより他の人とは違う”音”が聞こえてるからこそ導き出せた考察だからだ。白骨死体に恐怖するくらい何も知らないなら教えるべきではないと勝手に思った。

 遊歩道を逆に歩いて夜の静まり返った町に戻ってくると、開口一番千香が疑問を口にした。

「待って、何の音も聞こえないっておかしくない?」

 虫の声も蛙の声も、或いは蚊の羽音すら聞こえない。風はなく、雨もなく、波の音は森に阻まれ、ここには車一つ通らない。時刻は午後の八時頃、普段はあり得ない静寂に支配されていた。

「帰れば、多分まだ大丈夫だ。どうする?」

「………………………ちゃ、チャンスでしょ。それにこれは……気のせいだから。たまたま、そういう日だってあるから」

「確かに。怖い話をした後に人の気配を感じるみたいなノリかもしれないな……まあ、俺はそれでも警告に思えてる。一人だったら家に帰ってるところだ」

 けど解決すると決めたなら、やはり引き返すべきではない。自由研究の課題として使えるかはこの際関係ない、自分の中の疑問を解消する事にこそ意味がある。千香は何も言わずただ歩みを進めた。記憶の中の皆が向いていた方向へ。

「答えなくていいんだけど、俺の考察を話すな。多分、ずっと前は海の方から皆同じ音を聞いてたような気がするんだ。根拠は……ない。けど超常現象的にずっと聞こえてる音って言ったらこれくらいしかないからな。けど誰かがそれを悪用したとしたら?」

「何それ?」

「コポコポ音は俺の耳にいつも届いてるけど、連続してる訳じゃなくて不定期なんだ。宗教とかでさ、夢でお告げを聞くのは神に選ばれたみたいなそれっぽい理屈をゲームとかで聞いた事ないか? 神様が存在するかは知らないけど、宗教ってやっぱ人がまとまるのに丁度いいだろ? 決まった時間や日にちにお祈りをするみたいに、音が聞こえたら家に帰るって教え込んでたみたいな…」

 そして学習はやがて習慣へ、習慣はいつか無意識になる。音が聞こえたら家に帰るはその成果だ。この、耳を阻む気泡音ではなく。

 話している内に到着したのは、この町に昔からある井戸だ。耳の音が邪魔であまり記憶に残らないが確かにこの井戸を見ていた人も居るような気がする。水道も通っている現在は殆ど使われておらず蓋も閉まっていた筈だが今は開いていた。中を懐中電灯で照らしても水面の反射はなく、無尽の暗闇が広がるばかり。

「ねえ時宗。私も嘘ついてたって言ったら怒る?」

「何っ?」

「夜になったら、”音”が聞こえてたの。でもね、この”音”は多分皆が聞いてる音じゃない。コポコポって……正にアンタが聞いてるかもしれない”音”」

「…………どういう、事だ?」

「分かんないけどさ、私達って気が合うね。二人だけにしか聞こえない音、二人だけの秘密。アンタが秘密を話してくれた時、ちょっと嬉しかった。同じ音を聞いてるなんて思わなかったから」

 千香がようやく、こちらに振り返る。出発した当初の、或いは話を聞いた際の疑念に満ちた表情から一転。全てを悟ったような表情が、俺を見つめていた。

「自由研究の課題は別のにするよ。でもその代わりさ───二人だけで音の正体を掴んじゃお? 井戸に飛び込んでさ」

「しょ、正気か!?」

 幾ら俺でも、その発言には戸惑いを隠せない。あの音を聞いて頭がおかしくなったのではないかと邪推するくらいには突拍子もない。井戸に飛び込んだらどうなるかなんて、様々な怖い話が末路を教えてくれているではないか。

「落ち着け! 死ぬぞ!?」

「死んでも、いいじゃん」

 強く手を掴まれる。女子が掴んでいるとは思えない強い力が、俺の抵抗を完全に塞ぎこんだ。殴りつければ或いは逃げられたのかもしれないが、千香を殴るなんて俺には出来ない。だって俺は、彼女の事が───。

 井戸の縁に千香が座る。同時に俺を胸の内に抱き寄せるとそのまま無尽の暗闇へと身を投げた。

「私達は、自分の意思で死んだんだから」




「”音”なんかに、操られてないよ」


























コポポポポポポポポポ。



コポポポポ。




コポ コポ。



コポ。



 目が覚めると、俺はベッドの上に居た。隣には寝間着を借りた千香の姿と、明晰夢を見られるというミュージックテープ。

「…………自殺願望があるなんて思わなかったな」

 二人で聞けば二人で夢を自由に変えられると思ったが、お互いの望みがあまり噛み合わず出力された様だ。それに、夢を自在に変えられなかった。まず夢を夢と気づかなければ変えようがないのに、これじゃあ二人分の夢を二人で見ただけだ。

「…………ん…………時宗ぇ? 目ぇ覚めたの?」

 夢は見ていたが、現実においても俺達は恋人ではない。友達以上恋人未満の関係で、たまにこうやって同じベッドで眠っているだけだ。如何せん、家出のストレスは夢にでも頼らないと俺には対処出来そうになくて。

「夢の中で自殺されたら誰だって目が覚めるっつうの」

「そう…………じゃあ次はどんな夢を見る?」

「…………デートの夢とかどうだ? 今度は朝まで起きたくない、睡眠不足は体に悪いからな」

「……こっちが夢だったら良かったのにね」

 明日が来る。それは俺達にとって最も歓迎すべきではない自然の道理。せめてもの抵抗として夢を見るのだ。






 世界が滅んでいても、夢は見られる。






 テープを再生する。夢に溺れる為の代価はそう安くないが、隣に好きな人が居るならそれだけで十分だった。

 耳にはまだ、あの”音”が鳴り響いている。

 今度は良い夢を、そして願わくは……良い終末を。










 コポ、コポ。














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