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~事件ファイルNo.8「たまには面倒くさいことを」~

 ずっとそこに『ある』と思っていたものが突如消えるというのは、なんとも言えない気持ちになるものだ。


 それとは逆に、ずっと『ない』と思っていたものが『あった』というのも、得も知れない感覚をレオンにもたらした。


 朝。自室で目覚めたレオンが窓から外を見ると、ちょうど雲が風で流れて遠くにうっすらと結界樹の影が見えた。


「…………」

 ガシガシと髪をかき混ぜながらベッドから立ち上がり、いつものように身支度を整えていく。

 特に何も変わらない朝。

 外からは聞き馴染みがある朝のざわめきが聞こえてくる。犬の散歩や開店準備をする音。

 いつもは聞き流すそれらの音が、今日はやたらと耳に障った。


「あー……めんどくせぇ」

 ヒゲを剃り終えたレオンは、ややしわがれた声でそう言ってからうがいをして、水を吐き出した。


 レオンは生まれも育ちも帝国領。しかし同時に、結界樹がうっすらと見えるこの街で今まで過ごしてきた。


 腹が抗議するように音を立てたので、レオンはだるそうに食料庫を開け、卵とハムや野菜を取り出して簡単な朝食を作る。昨日の夕方、帰り道に寄った市場でのやり取りが彼の頭に浮かぶ。


『よっ兄ちゃん、運がいいね。リンドベル産の新鮮野菜がまだ残ってるよ』


 レオンの手は慣れた様子で野菜を切り、フライパンに適当に全てを放り込んだ。




***




 班の執務室。レオンは机に座り、シルヴァーノから書類を受け取り、少し動きを止めた。

 シルヴァーノはそんな彼に気づいて「やんなっちゃいますよね」と肩をすくめた。


「ちょっと最近、魔法回復薬ポーションの値段が上がってるらしくて、班に支給される薬も減るみたいです」

「……そうか」

 書類に書かれた数値は、たしかに去年よりも1~2割上がっていた。しかし、これくらいの変動はよくあることでもあった。

「今年は雨も多かったですし、薬草の発育悪かったんでしょうね」


 仕方ないことだ、というシルヴァーノに、アレクも書類を整理しながら頷いた。


「最近、野菜も少し高いですよね。そのせいか、行きつけの飲食店が値上げしちゃって……自炊増やさないとなって思ってました」

「あー、分かる分かる。でも僕料理苦手なんだよね。だから、また下がるまでは我慢するよ」

「いいですねぇ、副班長は。私より給料多いでしょうし……下っ端はそんなこと言ってられませんよ」

「そうだよねぇ……誰か美味しいご飯作ってくれたら良いのになぁ」


 二人の目がチラチラとレオンを見た。二人は知っていた。ズボラなこの男が、意外と料理上手なのを。


「……飯作ってくれる相手でも探してこい」

 レオンは眉間にシワを寄せ、嫌悪感を隠さない声で言った。シルヴァーノが唇を尖らせ、文句を言う。


「けちー! 減るもんじゃないのに」

「減るわ。俺の懐と時間と精神が減らされるだろうが」

「材料は提供しますよ、一応」

「何が悲しくて野郎どもに飯作ってやらないといけねえんだよ」

「それは僕たち可愛い部下が困ってるってことで!」

「おー、そうだな。

 可愛い部下とやらがいたらしてやるかもしれねぇが、残念ながら対象者がいないもんでな」

「ひどい!」「ひどすぎませんか?」

 

 シルヴァーノだけでなく、アレクまでもが文句を言い始めた。レオンは鬱陶しそうに首を傾け手を振る。


「そんなに奢って欲しいなら、小隊長のところに行け」

「テンロフ隊長ですか? あー、たしかに奢ってくれそう」


 アレクは頭を撫でまくる優しげな上司を思い浮かべたのか。納得の声を上げている。

 対してシルヴァーノは大声を上げた。


「何言ってるんですか、先輩! そんなこと……とっくにやってます!」

「やってんのかよ」

「やってるんですね」


 ふふんっと自慢げに胸を張るシルヴァーノに、今度はアレクもレオンの側に立って呆れた顔をした。


「だっていつでも来て良いって奥さん言ってましたし、奥さんの料理美味しいですし、お孫さんたちも僕に懐いてくれるし」


 楽しそうに語るシルヴァーノ。レオンは以前、彼と一緒に上司の家に行った時のことを思い出す――上司の孫におもちゃにされていたシルヴァーノの姿を。

 レオンとアレクの呆れた様子に気づいているのかいないのか。シルヴァーノは拳を握って力説した。


「あの子たちはとてもいい子で……ちゃんと僕の話聞いてくれるんですよ!」


 レオンは得も知れない表情を浮かべた。アレクも、なんとも言えない顔になって、金色の前髪を気まずげにいじった。


「……そうか。それは、良かったな」

「はい!」


 元気に頷くシルヴァーノに、レオンはもうそのことには触れずに書類処理に戻った。

 本人が満足ならば、きっとそれでいいのだろう。




***




 騒がしい港にて、商船から渡された貨物リストと実際の物品チェックを行っていく。

 レオンは回復薬の項目に眉を動かす。


「……随分とポーションが多いな」

 平坦な彼の声に、商人はにこやかに笑う。

「そうなんですよ。リンドベルの冒険者ギルドが高めに買い取ってくれてましてね。まさしく今が売り時ってやつですよ」

「リンドベルか」

「あそこは冒険者ギルドの本部ありますし、今年は薬草が少し不作気味だから、薬が足りない支部に配るためでしょうね」


 だからおかしなものではない、と商人は説明した。レオンは無言で頷き、実際の数も合っていること。他に不正品がないことを自身と部下で確認していった。


 そして今日も、何件もの検品を淡々と行っていく。


(……ポーション、野菜に、鉄、か)

 驚くほどの違いではない。しかし、ほんの僅かな違い。ただ、いつもより少しだけ増えたそれらの数値が、レオンの眉間に薄っすらとシワを刻ませる。


 そんなレオンを、また別の軽薄そうな商人が手招きするようにして呼ぶ。

「警備隊員さん、ここらへんで魔物の巣でも発生したんですか?」

 ひそひそと話す商人。レオンは肩をすくめた。


「魔物の巣は俺らの管轄じゃないが、そんな話は聞いてないな」

「そうなんです? でも、敏感な商人は察してますよ。何かが起こりそうだって」

 商人は、軽薄そうでありながら、レオンの様子から何か読み取ろうと目を細めた。

 面倒くさい商人に当たってしまったと思って髪をガシガシと掻きむしる。

 業務上、よくあることだが、面倒なのは面倒だ。


「んなことより、とっととリストと通行許可証出せ。出ないと追い返すぞ」

「おっとこれは失礼しました。どうぞ」


 提出されたリストと許可証を確認する。許可証も、リストと物資も問題はなかった。

 なかったが、レオンの眼差しを受けた商人はからからと笑った。


「なぁに。私は私のカンを信じて儲けるだけですよ」

「……破産して牢屋の世話にはなるなよ」


 レオンは肩をすくめて、リストと許可証にハンコを押した。商人は笑顔を崩さない。


「ははは、その時はお手柔らかにお願いしますよ」

「知るかよ」


 去っていく商人の背中を見送って、レオンは呟く。


「今日は自炊するかな」






――帝国辺境警備隊の事件ファイルNo.8「たまには面倒くさいことを」了――






*おまけ「可愛い後輩」*




「あーあー、先輩のご飯食べたいなー」

「…………」

「とても可愛い後輩としてー、先輩のご飯を久々にー、食べたいなー」

「……(すごいな、この人)」

「食べたいなったら食べたいなー♪」

「何を食べたら、お前みたいな性格になるんだよ」

「もうっ! これだけ訴えてるのに、ひどいですよー。前は作ってくれたのにー」

「気持ち悪いこと言うな。お前が酔っ払って無理に俺の家に泊まったからだろうが」

「あの時のー♪優しい先輩はぁー、どこに行ってしまったんですかー♪」

「(そういや副班長。最近ミュージカル女優にハマってるって言ってたっけ)」

「……アレク、追い出せ」

「はい」

「って、ちょっなんで僕の美声攻撃が効かないんですかっ? 先輩っ? アレク君っ? 待っ(ドアが閉じられる)」

「…………」

「…………」

「……仕事、やるか」

「はい」


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