~事件ファイルNo.7「自由の木」~
人によって、好む空気や得意なノリというのは異なるものだ。
荒々しいやり取りの方が気兼ねなくて良いという場合もあれば、静かな空気の方が過ごしやすい場合もある。
「――次っ!」
感情の見えない声が、鍛錬所に響く。
目の前にある光景に対して、少なくともレオンは『面倒だな』と思うタイプだった。
鍛錬所の中心には、異例の交代劇でゼペー警備隊詰め所の所長になったドゥーカが鎧を身に着け、剣を握って立っていた。
もうすでに何十人も相手しているというのに、汗一つ流さずに淡々と一人ずつと相対している。
最初に立っていた位置からほとんど動いてすらいない様子は、まさしく大木を彷彿とさせた。
(いや。この『木』は切れんだろうよ)
レオンは順番待ちをしながら、そうため息を付く。一体どれだけの年月を経たのか。切れる未来がまったく見えない。
なので彼は、自分の出番が来た時も敬礼しつつ、とりあえず早く終えて仕事に戻りたいと思っていた。エールと焼き魚で一息つきたい。
レオンに向かってこくりと静かに頷いたドゥーカの腰が、少し沈む。
と、いうのが見えた時には、彼女の剣はレオンに迫っていた。レオンはその剣の動きを目で追いかける。
しかし――体が追いつくかは別問題だ。
レオンに出来ることは、ドゥーカの剣が自身の首に迫るのを見るだけ。
ごくり、と唾を飲み込んでしまった。止まる、と分かっていても、凶器が凶器たり得る速度で迫ってくるのだから。
「……なるほど」
ドゥーカは、長い耳を少し揺らして静かにそう呟いた。レオンは気にせず「ありがとうございました」と一礼して下がる。
「――惜しいな」
背後から聞こえたそんな言葉は、聞こえなかったことにした。
***
「なんすか、あの化け物」
いつもの巡回中。班員が零した言葉にアレクが苦笑し、たしなめる。
「そんな言い方は止めるように。班長みたいになりたくないだろう?」
「……アレク、お前最近ますます良い性格になってきたな」
完全に余計な一言を付け加えるアレクに、レオンは肩をすくめた。
「班長とシルヴァーノさんも大概ですけど……はぁ、さすが帝国エルフっすね」
注意されても喋りが止まらない班員に、アレクも肩をすくめて諦めたようだ。
「……でも、あんなに実力あるのになんで警備隊に来たんですかね?」
アレクがなにか言いかけた時
「ふむ。随分と自由な班のようだな」
感情の見えない声が静かに耳を打つ。
淡い色合いのさらさらとした髪の間から覗く長く尖った耳――ドゥーカがそこにいた。
班員が口をパクパクさせ、顔を真赤にしたり真っ青にしたりと忙しそうにしている。
レオンはいつものように敬礼……しなかった。
「……お買い物ですか?」
ドゥーカは制服ではなかった。落ち着いた上品なロングスカートを身に着け、斜め後ろには従者らしき存在が買ったであろう荷物を抱えている。
まさしく『貴族の休暇』そのままの様子だ。
彼女はかすかに眉を動かした。なにか言おうとしたが、その前にレオンが「道を塞いでしまい、申し訳ございません」と頭を下げ、ドゥーカ一行に道を譲ったことで口を閉じた。
今の彼女は所長ではなかった。ただのドゥーカであり、休日を満喫していたところだ。レオンの態度は上司に対するものと言うより、帝国貴族に対するものだった。
そしてそのまま、ドゥーカは何も言わずに歩き去り、彼女の従者たちもそのあとを追って行った。
レオンはそれを見送ると頭を上げ、二人を促す。
「おい、行くぞ」
「え……あ、お、俺……班長」
真っ青で申し訳なさそうな顔をしている班員に、レオンは「どうした?」と平然とした顔で、あくびをしながら聞いた。班員は「あれ? え?」と不思議そうにした。
アレクはちらとレオンを見てから、班員の背中を軽く叩く。
「ほら、巡回に戻るぞ」
班員は叩かれた勢いで一歩前に出たあとで、レオンの背中と、背後――ドゥーカが去った方を見てから「は、はいっ」と慌てて頷いた。
またレオンたちは歩いていく。
奇しくも、彼らが向かう方角はドゥーカが去っていったのと真逆。
「……あー、エール飲みてぇ」
レオンのそんな呟きが街の喧騒に溶けて消えていった。
***
帝国は流行り廃りが激しい。それは、外から見ると『自由』に見えることもある。
「…………」
「…………」
ゼペー警備隊の所長室で、ドゥーカとレオンが向き合っていた。
では、この二人は『自由』なのだろうか?
ただ少なくとも、ドゥーカはあの休日の日に、たしかにレオンたちの班の雰囲気を『自由』と評した。それが皮肉なのか、本心なのか、レオンには分からない。――そもそも『自由』とはなんのことかも、彼には分からない。
自由と聞いて彼が思い浮かべるのは、ゼペーの東隣にある自由都市国家リンドベルの名前だ。
あの国出身のものが纏う独特の空気が、レオンにとっての自由というイメージだった。
「職務中に喋るなとは言わない。だが……あのような誰が通るかも分からない場所では、会話内容に気をつけるべきだろう。警備隊の制服を着ているのだから」
感情の見えない声は、まるで抑揚がなく、気を抜くとその内容の理解がしにくくなる。大事ではないことのように思えてしまう。
この部屋にいるのがドゥーカとレオンの二人だけでなかったならば、レオンは自身に話しかけられているかどうかも判断しにくかったかもしれない。
「はい。申し訳ありません」
レオンは一切の言い訳も説明もせず、謝罪だけを口にする。そんな彼を、ドゥーカの緑の目が静かに見つめた。レオンの何かを暴く視線ではない。ただ、そこに泰然と存在しているだけのような、不思議でありながらも納得できる目だった。
やがてドゥーカは視線を外した。それ以上その話についてなにか言うつもりはないのか。言葉を紡ぐ代わりに、手に持っていた書類をレオンに見せる。
受け取って中を見た彼は、眉を少し吊り上げてしまった。
「――リンドベルでモンスターウェーブの兆候、ですか?」
その知らせは、リンドベル周辺で生まれ育ったものからすると、実感の湧きにくいものだ。レオンは口に出したものの、どこかその声は浮ついていた。
「お前も、結界樹の加護を信じていたか?」
そんなレオンに、ドゥーカが静かに問いかけた。
リンドベルの象徴である雲をも貫く大木で結界樹。その根本に存在するダンジョンが、600年もの間モンスターウェーブを引き起こしていないのはその大木のお陰、とする考え方を結界樹の加護と呼ぶ。
真相は不明だが、リンドベルだけが600年モンスターウェーブが起きていないのは事実。とはいえレオンも加護など信じてはいなかったのだが、どこかで『起きない』と思っていた。
しかし書類を読み込んでいくと、たしかにリンドベルで起きている変化は、世界各地で起きているモンスターウェーブの兆候とよく似ていた。
「信じていた、つもりはありませんでしたが……自分が生きている間に起きるとも思ってませんでしたしね」
「……そうか。だが、帝国が集めてきたダンジョン関連の資料と合わせても、かなり確率は高い。
すでにリンドベル内では物価も上がり始めている。そのうち、人も流れてくるだろう」
レオンの顔が険しくなる。彼はガシガシと頭を掻いた。
(これだから、ダンジョン問題は面倒なんだ)
その街だけの問題ではない。
「本土からの応援は来るのですか?」
「要請はするが……望む形で来るかは期待しない方が良いだろうな」
「……そうですか」
期待するなという声に、レオンの声は平坦だ。元々期待していなかったのだろう。
「もう少し事態が進めば、全体に知らせる。そのつもりでおくように」
「はい」
レオンは敬礼をして書類を返す。ドゥーカがゆっくりと頷き、「以上だ。戻って良い」との声に、レオンは所長室を退出した。
詰め所の廊下を歩く彼の歩調はいつもと変わらない。やることも変わらない。
ただ、曲がり角でレオンはふと足を止めた。
「結界樹……」
あまりにも巨大なその木は、気候に恵まれると、ゼペーからも見えることがあった。
薄茶色のレオンの目が、窓を見た。青空と雲は見えたが、結界樹は見えなかった。
「…………」
レオンの薄い唇が少し開き、閉じられ、瞳がやや下を向く。そして彼は結局、気だるそうな顔でまた歩き始めた。
彼が去ってしばらくした後、雲が晴れて遠くに巨大な木の影が姿を表した。
結界樹は、何も言わずにそこに立っていた。
――帝国辺境警備隊の事件ファイルNo.7「自由の木」了――
*おまけ「所長」*
「まったく。お前はその軽口をなんとかしないとな」
「う、すみません。班長も、ありがとうございました。所長にあの後、怒られませんでしたか?」
「そうだな。時と場合をちゃんと考えろってさ」
「うぐっ、本当にすみません」
「あーあー、気にするな。所長も口頭注意だけだったしな」
「……しかし、本当に前よりマシですね。注意だけで済むなんて」
「そうっすね。前の所長だったら、減給か休み減らされるか、何か厄介事押し付けられてますよね」
「と、いってまた油断して班長に迷惑かけるなよ」
「うぅ、気をつけます」
「アレク。お前……すっかりおかんみたいになったな」
「誰がおかんですか、誰が!
まったく。こんな風になったのはきっとどこかの上司たちのせいでしょうね」
「おー、アレク。お前も中々大物だな。所長のことをそんなにハッキリ」
「違います! あなたたちがそんなだから、下がしっかりしないといけないって思うんですよ」
「なるほど。つまり俺を足蹴りにして出世したいってことか?」
「そんなこと言ってないでしょ! ちょ、班長! どこ行くんですか!」
「あー、うるせぇ」
「誰のせいだと」
「……(俺も、いつか班長やアレクさんたちみたいになっちまうのかなぁ)」




