~事件ファイルNo.4「覚えられないことは覚えない」~
予想外の出来事というのは、いつ起こるかが予測できないか、起きた出来事の内容自体が理解できない。
あるいは両方か。
つまり、どうしようもないのだが、やはり何か文句は言いたくなる。そんな出来事だ。
今、背筋を伸ばして敬礼しているレオンの目の前で起きていることは、そういう類のことだった。
「……本日付でゼペー警備隊詰め所の所長に就任したシルィデアーレドゥーカ=ノービレだ。
突然のことで驚いたと思うが、よろしく頼む」
長い、大仰な名前で名乗った女性。白金色の淡い色合いの髪に、森の木々を思い起こさせる緑の瞳。そして何より特徴的な、長くて尖った耳。
レオンは無表情で立ちながら、もう既に気だるそうな雰囲気を出していた。そして抱いた感想は一つ。
(名前長ェ……もう、所長でいいだろ)
ということだった。
「おい、新しい所長がエルフってどういうことだ?」
「大隊長クラスの詰め所ならともかく、うちの街は中隊長規模だぞ」
「……大隊長でも警備隊にエルフが入るなんて、有り得るのか? 騎士じゃなくて?」
「はぁ~、めちゃくちゃ美人じゃね?」
「ってか、所長交代とか突然すぎるだろ。何かあったのか?」
などと周囲はざわつき、不安そうな声も聞こえる。しかし、レオンはとりあえず前所長の顔を思い浮かべ、今回の所長は前よりマシだといいが、とだけ思う。
予想の外で起きたことに、文句を言ったところでしょうがない。だが、人間の感情はそう簡単に割り切れるものでもない。
レオンの場合は、そんな割り切れない部分の不満が『名前長い』に込められていた。
「なんで本国のエルフがこんな小さいところに……?」
背後からぼそりと聞こえたのはシルヴァーノの声で、不満たらたらという様子だ。
小さいと言っても、それは本国と比べたらの話。地方の中で中隊長規模の警備隊は大きいのだが、そういう表現がシルヴァーノらしくて、レオンは軽く肩を竦めるだけで何も言わなかった。
***
班に与えられた小部屋。そこにはレオンの執務机と、会議も出来る大きめのテーブルが置かれているため、かなり狭い。
しかもそこに珍しく班員全員が集まって椅子に座っているものだから、レオンは鬱陶しいというように班員たちを見た。
班員たちは、不満そうというより不安そうだ。
「絶対おかしいですって。今は人事更新の時期じゃありません。なのに急に交代だなんて」
「アレクさんの言う通りです。あの所長がいなくなるのは助かりますけど」
「また無茶な要求されるんじゃ」
全員が全員、所長、というものに対する嫌悪感を抱いているのがその表情で分かる。
レオンはそんな部下たちを見て、『若いなぁ』と懐かしく思い、目を細める。それから、ガシガシと髪をかいて、シルヴァーノの後ろ頭を小突く。
「とりあえず、いい歳して拗ねるの止めろ」
「痛い! ひどいっ! 暴力上司ぃ、訴えてやるぅ」
「おうおう、やってみろ」
頭を押さえたシルヴァーノが騒ぐ。適当にそんなシルヴァーノに応対するレオン。落ち着いた様子の彼を見て、班員たちは少しホッとしたようだった。
「おらっとっとと巡回行って来い。残業なんざしたくねーぞ、俺は」
「は、はいっ!」
部屋の外に出ていく班員たち。残ったのは、まだ不満そうなシルヴァーノだけ。
「……いっそのこと先輩が所長になってくれたら楽なのに」
「だったらお前がなれよ」
「えー、嫌ですよ、面倒くさい」
「俺も嫌だっつの、面倒くさい」
レオンは肩をすくめて言う。
「いいじゃねえか。そんな面倒なこと、してくれるっていうんだからよ」
軽い口調で言うレオンに、シルヴァーノはしかしまだ不満そうで、「……本当に先輩がなったら良いのに」と小さくぼやいた。
レオンは、聞こえなかったことにした。
***
所長が突然変わってから、詰め所の空気はやや重苦しい。
今度の所長は「どっち」なのかと、探り合う声が囁かれていた。
レオンの意見を聞いてくる同僚もいた。
「なぁ、どう思うよ、レオン。今回の所長人事。絶対何かあるよな?」
しかしレオンは、噂話の内容を覚えてはいなかった。だから「さあな」とだけ返した。あまり興味なさそうに。
なぜなら、所長が変わったからといって仕事が休みになるわけでも、仕事量が減るわけでもない。
むしろ、詰め所全体が不安定に揺れているせいで、他の班の後始末までしないといけなくなり、レオンはここ数日酒場に行けていなかった。
班の小部屋。
椅子に座ったレオンは、腕を組んでつるりとした顎を撫でる。お陰でここ数日、酒場に行かずに帰宅するものだから、やや早めに寝ることになって肌の調子がいい。
「……良いことなんだろうが、感謝もしたくはねぇな」
エールと魚は欲しい。
そう複雑そうな顔をしてから、ふたたび書類仕事に戻る。
「って、これ俺のとこのじゃねえぞ。はぁ……またかよ」
書類に別の班のものが混じっており、レオンは息を吐く。最近はこうした細かいミスが多い。
息を吐きながら、その書類を弾き、あとで部下にまとめて持って行かせようとレオンが思っていると、ちょうどよく班員のアレクが入ってきた。
肩を落とした様子に、レオンは逃げたくなって窓を見た。しかしこの小部屋の窓は小さく、彼の体ではそこから逃げるのは無理そうだった。
「班長、所長がお呼びです」
アレクは、死刑の受刑者の名を呼ぶような重たい声でそう言った。
「要件は?」
「……面談、とのことです」
その不満げな言い方から、彼がその言葉を信じていないのが分かる。彼の気遣わしそうな目線に、レオンは軽く肩をすくめた。
「所長の名前、なんだったか?」
呆れた目線を背中に、レオンは部屋を出た。
背筋をピンと張って歩く彼だが、全身から漂う気だるげな雰囲気のせいか。なぜか猫背で歩いているように見える。
そんな雰囲気の彼が、まさか今から噂の所長のところに向かっているなど、今すれ違って気軽に挨拶をした同僚たちは思いもしないだろう。
(ってか、どんな顔だったかも、よく覚えてねーな)
エルフであったこと。女であったこと。きっちりと制服を着ていたこと。他には……誰かが美人と言っていたような気がする、というのがレオンの頭に浮かぶ。
とはいえそれが不安要素かと言うと、そうでもない。何せこの詰め所で尖った耳なのは所長一人なのだから、人間違いしようもない。
そうなると、彼が心配して恐れるべきことは唯一つ。
(……仕事、増やされないと良いが)
残業しないといけないこと、が恐ろしい。さすがにそろそろエールを飲みたいし、あの店の焼き魚が食べたい。
レオンはそんな事を思いながら所長室の前で立ち止まり、ノックの後に名乗る。
「テンロフ小隊第一班班長、レオン=クロイツです」
以前もこうして所長室を尋ねたのはいつだったろうか。その時自分はどうしただろうか。
レオンは淡々と声を出してから思い出そうとしたが、まったく記憶になく、思い出すことは諦めた。
「――入れ」
やがて部屋の中から、感情の見えない声がした。
――帝国辺境警備隊の事件ファイルNo.4「覚えられないことは覚えない」了――
*おまけ「部屋が狭い」*
「というか、先輩。この部屋狭すぎませんか?」
「だったらお前が出ていけば広くなるだろ」
「ひどい! そうじゃなくて、会議しようにもこんなに狭かったら息苦しいですよ、男5人も集まって」
「だったら副班長が窓の外に立てば問題ないですよ」
「ひどいな、君! アレク君だって班の小部屋狭いって言ってたじゃないか」
「ですけど、滅多に5人集まって会議することなんて有りませんし……大きくなったところで誰かさんが私物持ち込んでまた狭く感じるだけでしょうし」
「…………」
「え? なんですか、先輩も、アレク君も皆も僕を見て……。失礼な! この部屋が狭いのは僕のせいじゃないですよ」
「はぁ……ただでさえ狭いのに、このクソでかい机を持ち込んだのお前だろうが」
「そうですよ。会議するのに雰囲気が大事だとかなんとかって……」
「だって! 憧れてたんですよ! ほらっタールゥヤーの冒険書の終盤で開かれる会議のシーンとかが」
「解散!」
「はいっ!」
「え? ちょ、待って! 聞いて下さいってば! ここからが良いところで……聞いてますか、先輩っ? せんぱーい!」
「うるせぇ!」




