~事件ファイルNo.11「想像できるもの、できないもの」~
知っていることでも、改めて目の前に突きつけられると、何かしら思うことがあるものだ。
特にそれが、あまり歓迎しないものであったならば、尚更だ。
「隣国のリンドベルで、モンスターウェーブの兆候が確認された」
全員を集めたドゥーカは、いつものように感情の見えない声で事実を告げた。
鍛錬所は広いが、集まった者たちは多い。
大勢いるはずなのに、場が静まり返っているため、もしや自分しかこの場にはいないのではないかと、レオンはそんな錯覚を覚えた。
「まだリンドベルからの正式発表はないが、数日後には出されるだろう。
それまでは混乱を避けるため、他言無用。各員、非常時に備えるように」
言葉の最後まで、ドゥーカの声に感情は乗らなかった。まるでよくあることのように言い切って、彼女は去って行った。
いとも簡単に、その場にいる全員を置き去りにするように。
(……いや、よくあること、なのか)
モンスターウェーブは、世界各地で起きている現象。15~50年周期で発生するのが、元々普通なのだ。
ただ……リンドベルで起きていなかっただけ。
長く世界を見てきたドゥーカからすれば、何度も起きてきたことに違いなかった。
ドゥーカがいなくなったことで、場がようやくざわつき始めた。
嘘だ、と呟く声がした。
よく聞き慣れた声だった気もするし、聞き慣れない新人のもののようにも聞こえた。
どちらもきっと間違いではないだろう。
「ぇ……リンドベルで、モンスターウェーブ……なんで『今』」
背後からは呆然としたような声が聞こえる。振り返って見れば、シルヴァーノが明るい紫の瞳をどんよりと濁らせて、虚空を見ていた。
「あいつがいるのに……! まさか……」
レオンの視線に気づいていない様子で、シルヴァーノは胸元に手を当てた。そこに手紙を入れているのをレオンは知っていた。
何かを察したような彼を、レオンは軽く小突く。
「行くぞ」
歩き出したレオンの後ろを、シルヴァーノは呆然とした状態でその後をついていく。
そんな風にちらほらと動き始める者たちがいた。おそらく、レオン同様あらかじめ知らされていたのだろう。呆然としている部下たちを、レオンのように連れ出していた。
レオンはアレクたちの姿を見つけると、近寄っていく。
「おい」
「ぁ……は、班長!」
珍しく口を開けっ放しにしていたアレクが、震える声を出した。その声に、他の班員たちもレオンを見た。誰も彼も、似たような顔をしていた。
それだけこの街の人間にとって、リンドベルのダンジョンでのモンスターウェーブは起きないものという認識が強かった。
「結界樹があるのでは」
そう、結界樹。その存在が更に混乱をもたらしているのだろう。結界樹の加護、という言葉が自然と生まれるくらいであったから。
「班部屋、行くぞ」
レオンはそう静かに言いながら、密かに空を見上げた。今まで何も思ったことのない遠くに見える大木が、とても厄介な存在だと初めてそう認識した。
***
まるで初対面同士が集まったかのようだった。
いつもの班部屋に珍しく5人が集っているというのに、誰も喋らない。
レオンは執務机の鍵付きの引き出しから書類を取り出して彼らの目の前に置いた。
「……リンドベルが正式に発表するまでは今まで通りのシフトで行く。その後は状況次第だが、基本はそこに書いてある通りに動く予定だから、目を通しておけ」
淡々と告げるレオンに、班員たちは戸惑いつつも渡された紙を眺めていた。理解できているかはともかく、見ようとはしていた。――シルヴァーノを除いて。
シルヴァーノは紙を見ることも手に取ることもなく「そうだ」と呆然としたまま呟く。
「手紙……手紙、書かなきゃ」
その言葉にレオンの眉間に皺が寄る。誰に、なんて聞かずとも分かる。
「所長の言っていたことを聞いてなかったのか? 他言無用」
「っ! でもっ! あいつはリンドベルにいるんですよっ? だったら」
騒ぐシルヴァーノに、アレクたちもハッと顔を上げた。リンドベルまでは数日~1週間歩く距離があるが、昔から行き来は良くある。
当然、互いの街に知り合いもいる。
「だからこそだ」
レオンの声は、普段と変わらないように聞こえた。しかし、彼の薄茶色の瞳が決して窓の方を見ることはなかった。
「俺達ですら思うところがあるんだ。当事者たちがどうなのか。分からないのか?」
どこまでも冷静に見返してくるレオンに、シルヴァーノは言葉に詰まった。シルヴァーノも頭では分かっていた。手紙の内容がもし外に漏れたらどうなるか。その混乱が引き起こす自体はリンドベルだけでなく、ゼペーや他の周辺都市にも影響するだろう。
何よりも……あんな手紙の内容を送ってきたのだ。すでにすべてを承知して街に留まることを決意していることも、シルヴァーノの言葉一つで意見を変えることがないことも、彼は分かっていた。
ただ分かっていても、胸の苦しさが減ることはない。
そして、苦しいからと事態が待ってくれることも、ない。
「……その情けない面を引っ込められないなら、制服は脱げ」
これから人手不足が懸念される。なにせ本当にモンスターウェーブが発生すれば、周囲の魔物が活性化し、他の野生生物にも影響する。
警備隊は人間だけでなく、魔物も相手にしないといけなくなるだろう。
だからこそ、突っ立っているだけの人員はいらないとレオンは言い切った。
彼は――彼自身でも不思議に思うが――こんな状況でも、警備隊を辞めたいとは頭にまったく思い浮かばないのだ。
しかし、それを押し付ける気もなかった。
「本土にでも渡れば良い。さすがにあっちまで影響は出ないだろう。
あっちも万年人手不足だからな。若い人材は歓迎してくれるはずだ」
淡々としているレオンの声は、むしろ部下たちにその道を推奨しているかのようにも聞こえた。
「……班長は、どうするんですか?」
アレクが、静かにそう問いかけた。全員が無言でレオンを見た。
「…………」
レオンは目線を避けるように、窓を見る。不幸中の幸いで、今日は天気が悪かった。雲に覆われてその巨大な影は見えない。
けれども、何年も見てきた彼には、雲の向こうの景色が想像できてしまった。
見えなくても、関係なかった。
ふっとレオンが口元だけで笑う。
「俺に、他の制服が似合うと思うか?」
彼は肩をすくめた。
想像できないのだ。自身が他の街で、他の仕事をしている姿が……窓から、あの巨大な姿が見えない日々が。
誰かが椅子を引く音がした。アレクが、薄金色の髪を揺らしながら立ち上がっていた。
「では、私は巡回に戻ります」
穏やかな声でレオンにそう告げる。
「ああ」
レオンはひらひらと軽く手を振ってアレクを見送った。
「……ま、待って下さい! 俺も行きます!」
もう一人が続いて立ち上がり、レオンに軽く頭を下げてから部屋を出ていく。
しかし部屋に残ったもう一人の班員の顔色は悪い。レオンは静かに言う。
「お前は今日のところはもう上がれ」
「っ!」
その班員は……最も若い彼は、何か言いたげだった。暫くの間、目が宙をさまよう。アレクたちが去ったドアを見て、レオンを見て……しかし、結局言葉が出てこなかったようで、最後は項垂れて「はい」と部屋を出ていった。
最後に残ったのは、淡々としているレオンと俯いたシルヴァーノだけだった。
ふと、レオンはシルヴァーノと初めて会った時のことを思い出す。何も知らず船に乗り、密航してきた少年。
紫の瞳を輝かせて、何も恐れることがなかったシルヴァーノが、今やこうして何かを恐れて体を震わせている。
(……こいつもこいつなりに『成長』はしてたか)
などと思い浮かべてしまい、すぐに顔をしかめた。いつぞやに言われた上司の言葉を思い出してしまう。
『はっはっは。お前たちは本当に親子みたいだなぁ』
勘弁してくれと。こんな厄介すぎる子供なんていらないとレオンは思いつつも、ガシガシと髪を掻いた。
「あー……カツドンでも、食いに行くか?」
彼の言葉に、シルヴァーノは驚いたように顔を上げ……顔をクシャリと一瞬歪ませてから、笑った。
「先輩。カツドンは、もう古いですよ」
――帝国辺境警備隊の事件ファイルNo.11「想像できるもの、できないもの」了――




