~事件ファイルNo.10「来ないことを願っていた」~
当たり前にありすぎて、感覚が鈍くなっていた。
レオンは、執務机で分厚い資料を読みながら、そんな事を痛感していた。
「……結局、分からないのかよ」
そして最終的に、レオンは資料を机の上に放り出した。資料――ダンジョンについて書かれた紙が虚しく音を立てた。
ダンジョン。
突如世界に現れる穴、及びその先にある別空間のことを指す。別空間が世界のどこに存在するのか、仮想空間なのかは不明。ただそこには資源が豊富にあり、何よりも尽きることのない魔物から得られる素材が、その地を潤す経済のもとになる。
レオンは冒険者でも冒険者ギルドの職員でもないため、実際のダンジョンを見たことはないが、くぐった先はまったく見たことのない景色であることもあれば、どこかで見たことがありそうな森であったり、時には『街』があることもあるそうだ。
だが、今大切なことはそこではなく……どうしてダンジョンはそこに存在するのか、それが分からないということだ。
1300年の歴史を持つ帝国ですら、知らない。
なぜ世界のあちこちに突如現れるのか。なぜ突然消えるのか。どういう仕組で魔物がすぐに補充されるのか。
なぜ……モンスターウェーブを引き起こすのか。
帝国本土にもダンジョンはあるが、レオンの中でのダンジョンと言えばリンドベルが一番に頭に浮かぶ。600年前から存在するダンジョンは、彼の中では当然のもので……危険性を、忘れていた。
10年前も、ライガイアでモンスターウェーブが起きたというのに、なぜかリンドベルでは起きないと、そんな風に感覚が麻痺していた。
別に、『結界樹の加護』という曖昧なものを信じていたわけでもないのに。
「……チッ」
舌打ちしてから、レオンは頭をガシガシと掻いた。自分らしくないことは、彼が一番自覚していた。
同時に、ゼペーにいる自身ですらこうなのだから、リンドベルの当事者たちはもっと大きな衝撃を受けてるのだろう。という、いつもの感覚が存在しているのを自覚した。
そのことにレオンは安堵したように息を吐き出し、先程放り投げた資料をまとめて机の引き出しにしまう。
代わりに机に積まれた書類を手にし、淡々と書類にペンを走らせていく。
窓の方は見なかった。
***
物価の高騰は、もはやハッキリと見え始め、警備隊にも緊張感が漂っていた。
人間、不安に陥ると何かに縋りたくなるものだ。安心材料を求めて……失敗する。
厄介なのは、わざと不安を煽る輩も現れることだ。
ただし、まだ所長のドゥーカから隊全体に『モンスターウェーブ』についての知らせはない。
「最近食料品値上がりすぎじゃない? そんなに不作だったのかしら」
「保存食、今のうちに買い貯めしとかないと」
「フェローチェ商会が薬草を割高で買い取ってくれるみたいでな」
「今晩のおかず何にしようかしら」
「なぁなぁ、あっちで結界樹の護符売ってたぜ。見に行こう!」
「あーあ、学校の宿題めんどうだなぁ」
「最近南の森にホワイトウルフが出たって聞いたか?」
いつもの巡回中に聞こえる会話。レオンはいつもと同じように聞き流そうとして、うまくいかなかった。聞き逃がせない話が、あまりにも多すぎた。
レオンは静かにアレクに視線を送る。アレクは静かに頷くと、『結界樹の護符』とやらを見に向かった。
結界樹の護符は自然と落ちてきた結界樹の枝葉で作られるもので、実際に売られているが、偽物も多い。
そして、別の班員にも手で指示を出す。若い班員はこくりと頷き、『ホワイトウルフ』の話を詳しく聞きに行った。
南の森は街からは距離があるものの、薬草や木の実を取りに住民が入ることもある。ただの噂かもしれなくても、放置できる話題ではない。
特に、モンスターウェーブの兆候の話を聞かされたレオンからすると、無視できない。モンスターウェーブの影響は周囲の魔物にも及ぶというのは、常識だ。
(……こういうことは、分かってるのにな)
ダンジョンが与える影響については分かっている。けれども根源が分からない。だから、起こった出来事に対処していくしかない。
レオンはガシガシと髪を掻きむしる。
まだなんとか手は足りていて、回っている。だが、いつまでこのままでいられるのかが、分からない。たしかなことは、事が起きれば、確実に人手が足りなくなるということ。なのに人員が増える見込みは、ない。
いや、派遣されたとしてもその人員が『ゼペーのため』に動くとは限らない。
ならいっそのこと来ない方がマシかも知れないとレオンは空を仰ぐ。
(ひとまずシフトと巡回ルートは見直すべきだな。あと……自費でポーションや薬草も買っておくか?)
個人的に回復薬を買うことはおかしくはない。多少なら申請すれば班の備品とすることも可能だ。今までしたことはなかったが、しておくべきだろうとレオンは計算していく。
まだポーションの価格は、いつもより1割強値上がったところで止まっていた。
さらに言うなら、警備隊員がポーションを買うことも普通なので、行動として目立たない。過度な量を買わない限り混乱も招かないだろう。
彼の頭は、冷静に対処法を計算していく。
(人手は……知り合いの冒険者にも声かけとくか。あと、シルにも本国の情報収集の強化を言っておくとして。他に――)
考え込んでいたレオンが足を止めた。
よりにもよって、今日はとても天気が良かった。
薄茶色の彼の目が、遠くに佇むその巨大な姿をハッキリと捉えた。
「…………」
一瞬。レオンの呼吸が乱れた。
「班長!」
そんな彼の背中に声がかけられる。ホワイトウルフの噂を聞きに行った若い班員だ。
レオンは静かに視線を、体ごと班員に向けた。
「どうだった?」
「それが、最初は本当に噂程度かと思いましたが、本当かも知れません。実際の目撃者が複数いるようで、今からそちらにも向かって詳細を聞こうかと思います」
「……分かった。そっちは頼んだ。俺は一旦詰め所に戻る」
「分かりました!」
敬礼して去っていった班員を流し見て、レオンは詰め所に向けて歩き出した。
彼の背後では結界樹が背景に馴染むように存在していた。
***
レオンが班の部屋に入ると、中は暗かった。窓には分厚いカーテンが引かれているのを見てから、レオンは部屋で佇む影に声をかけた。
「……こんなところでサボってやがったか」
言いながら入口横のスイッチを押して部屋の明かりをつける。薄紫の髪が静かに揺れていた。
「…………」
レオンがそんな彼の横を通り過ぎて、執務机に座る。
静かだった。
何も言わないシルヴァーノに、レオンも何も言わない。レオンは黙ったまま、今日の業務を淡々とこなしていく。
くしゃり、と紙を握りつぶすような音がした。
レオンではない。シルヴァーノが手にしていた紙……手紙のようなものを握りしめていた。
「返事が、来ました」
あまりにも大人しい声でシルヴァーノが言った内容を、レオンはすぐには理解できなかった。
シルヴァーノはそのことを察したようで、ふっと自嘲するように笑って付け足した。
「ほら。古代文字の研究してるって」
その一言でレオンは思い出した。古代装置の対処方法を模索するため、シルヴァーノが手紙を送ったと言っていた『知り合い以下かもしれない錬金術師』のことだろう。
ちらとシルヴァーノを見れば、普段の無駄に明るい様子は微塵もなく、表情が無に近い。
返事が来たなら、それは良い話なはずだ。
なのにシルヴァーノの様子は、返事が来ないことを望んでいるようだった。
「対処法は分かったのか?」
「……具体的な方法まではあいつも分からないようですが、特定の属性に反応する可能性が高い、とのことです」
「つまり、魔力を基本流さなければ割と安全ってことか?」
「あいつがそう言ってるので、かなり安全性は高まるかと。もちろん、例外はあるでしょうが」
「それでも助かるな。最近は落ち着いたとは言え、ちょくちょくまだ出回ってる。厄介事が減るのは歓迎だ」
「…………」
喜ぶレオンに対し、シルヴァーノの顔は相変わらず静かだった。
レオンが肩を竦める。
「で、何をお前は拗ねてんだ。返事があったことも、その内容も良いことだろうが」
「っ!
良いわけないですよ!」
シルヴァーノが耐えかねたように顔を上げ、大きな声を出した。そして握りしめていた手紙の内容をレオンに見せるように突き出した。
整った字だ。内容は複雑でレオンにはよく分からなかったが、彼が調べただろう研究成果が書かれてあるようだ。
「あいつがこんな丁寧な手紙を僕に書くわけないんです! せいぜいが、走り書きで、『こんなことも分からないのか』とか『仕方ないから教えてやる』とか皮肉を添えるはずなのに、それがないんですよ!
見て下さいよ、ここっ! あとは僕がなんとかしろって……あいつが自分の研究を誰かに投げ渡すなんて、ありえない!」
一気に言いきったシルヴァーノは、瞳にどうしようもない不安の輝きを灯していた。
レオンは静かにそんな彼を見て、思い出した。その『知り合い以下かもしれない錬金術師』は帝国に『留学』した。つまり、帝国の人間ではない。
なら……今、その錬金術師はどこにいるのか。
「そいつの出身はリンドベルか?」
静かにレオンが問いかけると、シルヴァーノが目を見開いて身を乗り出してきた。
「やっぱり、先輩何か知ってるんですかっ? リンドベルで何かが起き」
シルヴァーノの声は、ドアを叩く音で遮られた。レオンはドアを見て、「なんだ」と答えた。
「所長からの伝令です。全員、集まるようにと。班員を連れて1時間後に鍛錬所へお願いします」
――どうやら、ついに『その時』が来たようだった。
――帝国辺境警備隊の事件ファイルNo.10「来ないことを願っていた」了――




