表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
落ちこぼれ魔女は、今日も箒で床を掃除してます。  作者: タルタロス


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/18

第9話:学園のノイズと、独占される不燃物

 学園のカフェテリアは、私にとって巨大な培養槽だ。


 数百人の生徒が発する熱気、欲望、嫉妬。それらが混ざり合い、天井付近にはドス黒い「湿気」が層を成して滞留している。

 換気扇のフィルターは先週掃除したばかりだというのに、もう油と魔塵マナ・ダストで目詰まりを起こしていた。


「……食欲が失せますね」


 私はトレイの上の、少し冷めたスープをスプーンでかき混ぜた。

 私の席は、食堂の最奥。

 ゴミ箱の隣にある、通称「不燃物指定席」。

 ここなら、誰の視界も汚さずに済むはずだった。


 ――昨日までは。


「あら、ごきげんよう。……掃除婦さん?」


 頭上から、甘ったるい香水の匂いが降ってきた。

 顔を上げずとも分かる。

 香水の濃度が高すぎる。フローラル系の香りに混じる、鼻につく金属臭。

 魔力持ち特有の、プライドの高さと比例するノイズだ。


「……何かご用でしょうか」


 私が顔を上げると、そこには三人の女子生徒が立っていた。

 制服の着こなしからして、どこぞの上級貴族の令嬢だろう。

 彼女たちの瞳には、分かりやすい「侮蔑」と、隠しきれない「嫉妬」が渦巻いている。


「最近、調子に乗っているという噂を聞きましてよ。アステール様の腰巾着ですって?」


 中央のリーダー格らしき生徒が、扇子で口元を隠して笑った。


「勘違いしないでいただきたいわ。貴女のような『持たざる者』が、あの方の視界に入ること自体が不敬なの。身の程を知りなさい」


 ああ、うるさい。

 彼女が口を開くたびに、キーンという高周波のハウリング音が鼓膜を刺す。

 中身のない言葉ほど、空気中で乱反射して騒音になるのだ。


「勘違いも何も」


 私はスープを一口啜り、淡々と答えた。


「私は業務命令に従っているだけです。文句があるなら、雇用主であるアステール様に直接どうぞ」


「なっ……! 口答えする気!?」


 リーダー格の顔が赤く歪んだ。

 彼女の指先に、チリチリと未熟な魔力が集束していく。

 

 安い挑発だ。

 ここで魔法を使えば、彼女たちは停学、私は黒焦げ。

 どちらに転んでも、私の平和な昼食は終わりだ。


「……汚らわしい。その減らず口、焼いて塞いで差し上げますわ!」


 彼女が杖を振り上げた、その時だった。


 ドォン。


 重い衝撃音が、カフェテリアの空気を震わせた。

 魔法ではない。

 空間そのものが、圧倒的な「質量」によって歪められた音だ。


 一瞬で、喧騒が凍りついた。

 いや、蒸発した。

 肌を刺すような熱波が、入り口から津波のように押し寄せてくる。


「……誰の許可を得て、私の前で騒音ノイズを撒き散らしているの?」


 絶対零度の声が響いた。

 

 エレノア・フォン・アステール。

 彼女がそこに立っていた。

 取り巻きを従えることもなく、たった一人で。

 その白金髪は逆立つように揺らめき、美しい顔には能面のような無表情が張り付いている。


 怖い。

 怒りではない。

 あれは、自分のテリトリーにゴキブリが出た時の、純粋な「嫌悪」の顔だ。


「ア、アステール様……!?」

「ご、誤解です! 私たちはただ、この生意気な掃除婦に教育を……」


 令嬢たちが青ざめて弁解しようとする。

 だが、エレノアは彼女たちを一瞥すらしなかった。

 彼女の緋色の瞳は、真っ直ぐに私だけを――正確には、私の手元にあるスープだけを見ていた。


「私の、所有物よ」


 彼女がポツリと呟いた。


「は……?」

「その『不燃物』の管理権限は、私が買い占めたの。貴女たちの安っぽい香水の臭いがついたら、使い物にならなくなるでしょう」


 エレノアが一歩、足を踏み出す。

 

 ジュッ。


 床のタイルが、彼女の靴底の形に溶けた。

 カフェテリアの室温が、異常な速度で上昇していく。

 テーブルの上のコップが震え、生徒たちの額から玉のような汗が噴き出す。


「消えなさい。……私の視界が曇る」


 彼女が軽く手を払う仕草をした。

 それだけで、暴風のような熱風が巻き起こり、令嬢たちのスカートを捲り上げ、悲鳴と共に数メートル後ろへ吹き飛ばした。


「きゃああああっ!」

「あ、熱っ……!?」


 蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う令嬢たち。

 周囲の生徒も、巻き添えを食らってはたまらないと、我先にと出口へ殺到する。


 数秒後。

 広大なカフェテリアには、私とエレノアだけが残された。

 静寂。

 そして、サウナのような蒸し暑さだけが漂っている。


「……やりすぎです」


 私はスプーンを置いた。

 もうスープは完全に温まり直し、湯気を立てていた。


「公共の場での魔力放出は校則違反ですよ」

「……うるさいわね。害虫駆除よ」


 エレノアは肩で息をしながら、私の前の席――さっきまで令嬢がいた席に、ドカッと腰を下ろした。

 彼女の全身から、蜃気楼のような揺らぎが立ち上っている。

 相当、無理をして出力を上げたらしい。


「それに……貴女がボサッとしてるのが悪いのよ。あんな雑魚に絡まれて」


 彼女は頬杖をつき、上目遣いで私を睨んだ。

 その瞳は潤み、熱で微かに充血している。


「傷一つつけてごらんなさい。……私の掃除道具としての価値が下がるわ」


 言葉は高圧的だ。

 けれど、テーブルの下で、彼女の足先が私の靴にコツン、と当たった。

 まるで甘えるように、爪先を擦り付けてくる。


「……助けていただき、感謝します」

「ふん。当然よ」


 私はため息をつき、ポケットから手袋を取り出した。

 

「ですが、代償は高くつきますよ」

「え?」

「周囲の気温を5度上げましたね。これだけの熱量を無駄に放出すれば、反動バックファイアが来るはずです」


 私は立ち上がり、テーブル越しに彼女の頬に手を伸ばした。

 触れる。


「ひゃっ……!」


 エレノアが可愛らしい悲鳴を上げた。

 私の冷たい手が、火照った彼女の頬を包み込む。


「ほら、やっぱり。オーバーヒート寸前じゃないですか」

「……だ、だって……ムカついたんだもの」


 彼女は目を細め、私の掌に顔をすり寄せた。

 猫だ。

 さっきまで周囲を威圧していた女王様が、今は私の冷たさに骨抜きにされている。


「貴女が……他の人間の臭いをさせてるのが、嫌だったの」


 ボソリと、危険な本音が漏れた。


 私は背筋が寒くなるのを感じた。

 これは「保護」ではない。

 「管理」ですらない。

 これは、歪んだ所有欲による「隔離」だ。


 彼女は私を守ったのではない。

 私という冷却装置クーラーに、他人の手垢がつくのを嫌っただけ。


(……分かっていますよ、それくらい)


 私は親指で、彼女の熱い唇を軽く撫でた。


「放課後、いつもの部屋で。……溜まった熱、全部絞り出してあげますから」


「……うん。絶対よ」


 エレノアは蕩けた顔で頷き、私の指を甘噛みした。


 遠巻きにこちらを覗き見る生徒たちの視線など、もう彼女の目には入っていない。

 そして私も、その視線が気にならなくなっていることに気づいてしまった。


 共犯関係。

 その泥沼に、私はもう膝まで浸かっている。

 カフェテリアの澱んだ空気の中で、私たち二人だけが、熱と冷気という「正解」を共有していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ