第7話:天才の孤独と、触れられない熱
轟音と共に、演習場のカカシが原子レベルで消滅した。
爆風が巻き起こり、砂塵が舞う。
視界が晴れた後に残っていたのは、黒く焼け焦げた地面と、硝子化してキラキラと光る土塊だけ。
カカシの破片すらない。完全なる熱焼却。
「……素晴らしい! 流石はアステール様だ!」
教官の上擦った声が響く。
パチパチパチ、と乾いた拍手が起こるが、それは波紋のように広がるだけで、誰も中心には近づこうとしない。
演習場の中央。
エレノア・フォン・アステールが、杖を下ろして立ち尽くしていた。
周囲の空気は陽炎で歪み、彼女の半径3メートル以内は、生物が生存できない「死の領域」と化している。
(……非効率的ですね)
私は木陰のベンチ――最底辺の指定席から、その光景を眺めていた。
周囲の生徒たちは彼女の威力を称賛しているが、私の目には別のものが見えている。
彼女の身体から立ち上る、悲鳴のような魔力漏れ(リーク)。
一撃放つたびに、彼女の細い血管は膨張し、神経は焼き切れんばかりに悲鳴を上げている。
あれは魔法ではない。
自身の生命力を薪にして燃やす、緩やかな自殺だ。
「……ふう」
エレノアが振り返る。
その瞬間、最前列にいた男子生徒たちが、ビクリと半歩下がったのを私は見逃さなかった。
畏怖。あるいは、本能的な恐怖。
美しい猛獣を前にした小動物の反応。
エレノアの顔から、ふっと表情が抜け落ちた。
寂しさとも、諦めともつかない、氷のように冷たい瞳。
熱源の塊である彼女が、世界で一番寒そうな顔をして立っている。
誰も彼女に触れられない。
誰も彼女の「熱」を受け止められない。
天才の孤独。
そのどうしようもない「隔離」の事実が、埃っぽい演習場の空気をさらに重く淀ませていた。
***
放課後の特別寮。302号室。
私が部屋に入ると、そこはすでに灼熱地獄だった。
室温38度。湿度60パーセント。
不快指数は計測不能。
「……今日はまた、一段と荒れていますね」
私は手早く制服を脱ぎ、作業着代わりのYシャツ一枚になった。
部屋の隅には、高価そうな花瓶が熱で割れて転がっている。
「……演習があったから」
ソファの上。
エレノアは膝を抱えて座っていた。
ガウンも羽織らず、薄いキャミソール一枚。
露出した肌は、熟れた果実のように赤く染まり、触れれば火傷しそうなほどの熱気を放っている。
「皆、凄いわねって言ってたわ。……遠くから」
彼女は自分の手を見つめて呟いた。
その指先は微かに震え、爪の間からはチリチリと青白い火花が散っている。
「誰も近づかないの。私が一歩近づくと、皆、二歩下がる。……まるで、歩く災害扱いよ」
「事実でしょう。今のあなたに近づけば、普通の人間なら熱中症で倒れます」
私は鞄から『零式』を取り出しながら、淡々と告げた。
慰めるつもりはない。事実を誤認すれば、事故の元だ。
「……貴女は、怖くないの?」
エレノアが顔を上げ、潤んだ瞳で私を射抜いた。
「私の熱が。……昔、私の手を握ろうとした侍女がいたわ。でも、私が嬉しくて強く握り返したら、その人の手、爛れちゃって……」
「……」
「それ以来、誰も私に触れない。両親でさえ、耐火手袋をして私を抱きしめるの。……私は、人間じゃないのよ。ただの、熱い爆弾」
彼女の声が震える。
目じりから零れた涙が、頬を伝う途中でジュッと音を立てて蒸発した。
可哀想な生き物。
有り余る才能を与えられた代償に、体温という「他者との接点」を奪われた少女。
私は溜息をつき、ブラシをテーブルに置いた。
そして、彼女の目の前に歩み寄る。
「手」
「……え?」
「手を出してください。掃除の邪魔です」
私が命じると、彼女はおずおずと右手を差し出した。
私はためらわず、その手を自分の両手で包み込んだ。
ジュッ!
熱い。
焼けた鉄板を素手で掴んだような衝撃。
私の皮膚の表面温度が一気に跳ね上がる。
「っ……!?」
エレノアが目を見開いた。
「貴女、馬鹿なの!? 火傷するわよ、離して!」
「騒がないでください。……私の設定温度を舐めないでいただきたい」
私は彼女の手を強く握りしめた。
逃がさない。
私の手は冷たい。死人のように、あるいは氷のように。
その「絶対的な低温」が、彼女の暴走する熱を貪欲に飲み込んでいく。
私の掌の中で、彼女の熱が中和されていく。
赤く腫れ上がっていた彼女の皮膚が、みるみるうちに本来の白さを取り戻す。
「う、そ……熱くない、の?」
「熱いですよ。不快なほどに」
「でも、手が……爛れてない」
「私は魔力伝導率ゼロの『不燃物』ですから。あなたの熱(魔力)は、私の中を素通りして大気に散るだけです」
私は彼女の指に、自分の指を絡ませた。
恋人繋ぎ。
そんなロマンチックなものではない。
接触面積を最大化し、冷却効率を高めるための工業的な結合だ。
「あ……」
エレノアが呆けた声を上げた。
彼女は自分の手を、信じられないものを見るように凝視している。
誰かと肌を合わせても、相手が傷つかない。
その当たり前の事実が、彼女には奇跡に見えるらしい。
「……冷たい」
彼女が私の手を握り返してきた。
ぎゅう、と強い力で。
骨が軋むほど強く。
「すごく、冷たくて……気持ちいい。……リナの手」
先ほどまでの悲壮感はどこへやら。
彼女の表情が、とろりと蕩けていく。
熱に浮かされた瞳が、焦点の合わない陶酔の色を帯びる。
「もっと……もっと冷やして。手だけじゃ、足りない……」
彼女は私の手を引くと、そのままソファへとなだれ込んだ。
抗う間もなく、私は彼女の上に覆い被さる形になる。
「全身で、私を消火して……っ。お願い、リナ……」
その懇願は、切実な悲鳴だった。
世界から拒絶され続けた孤独な熱源が、唯一見つけた「冷たい避難所」。
私は彼女の胸元――心臓の上に耳を押し当てた。
ドクン、ドクン、ドクン。
相変わらず、異常に速い鼓動。
爆発寸前のエンジンのような、危うい生命の音。
「……特別料金ですよ。カウンセリング料込みです」
皮肉を言って、私は彼女の背中に腕を回した。
抱擁。
これもまた、ただの冷却作業だ。
彼女の体温が、シャツ越しに私を侵食する。
熱い。
けれど、その熱さの中に、微かな安堵が混じっているのを感じた。
(……厄介ですね)
私は心の中で毒づく。
彼女にとって、私は唯一触れられる存在。
それはつまり、私が彼女から逃げ出せば、彼女はまたあの孤独な焼却炉に戻るということだ。
責任という名の鎖が、また一本、私の首に巻きついた気がした。
「ん、ぁ……リナ……」
エレノアが私の匂いを嗅ぐように、首筋に顔を埋めてくる。
その吐息は甘く、そしてどうしようもなく熱かった。
窓の外では、一番星が光っている。
世界でたった二人きりの、歪で、静かで、燃えるような夜が始まろうとしていた。




