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落ちこぼれ魔女は、今日も箒で床を掃除してます。  作者: タルタロス


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第6話:不浄な日常と、侵食される聖域

 私の朝は、世界で最も不愉快な「ノイズ」と共に始まった。


 教室の扉を開けた瞬間、鼓膜を叩く無数の囁き声。

 湿った好奇心と、粘着質な憶測。

 それらが空気中の塵と混じり合い、教室内には目に見えるほどの「澱み」が発生していた。


「……最悪」


 私はハンカチで口元を覆い、自分の席へと急いだ。

 窓際の一番後ろ。

 本来なら、誰の視界にも入らない「特等席」のはずだった場所。

 けれど今、そこはスポットライトを浴びたステージのように、全生徒の視線を集めていた。


「おい、あれだろ? アステール様に呼び出された不燃物」

「昨日のピンクの封筒……果たし状か?」

「いや、専属の下僕契約だって噂だぜ」


 ひそひそと交わされる会話の粒子が、私の肌にまとわりつく。

 昨日の放課後、エレノアが公衆の面前で私に「契約書」を突きつけたせいだ。

 おかげで、私の「空気モブとしての平穏」は、完全に汚染されてしまった。


 私は鞄から教科書を取り出し、バリケードのように積み上げた。

 視線を遮断しても、気配までは遮断できない。

 まるで、掃除機をかけた直後の床に、誰かが泥靴で踏み込んでくるような不快感。


 ガラリ、と教室の扉が開く。


 一瞬で、場の空気が変わった。

 雑多なノイズが凍りつき、代わりに圧倒的な「熱量」が流れ込んでくる。


 エレノア・フォン・アステール。

 彼女が教室に入ってきただけで、室温が体感で2度は上昇した。


(……また、出力を垂れ流して)


 私は教科書の隙間から、冷ややかな視線を向けた。

 今朝の彼女は、いつも以上に完璧に見えた。

 一分の隙もない制服の着こなし、宝石のように輝く白金髪。

 取り巻きたちに優雅に挨拶を返すその姿は、まさに学園の女王だ。


 だが、私には見える。

 彼女の背中から、蜃気楼のような陽炎が立ち上っているのが。

 笑顔の端が、熱による痙攣を抑えるために微かに引きつっているのが。


「ごきげんよう、皆様」


 鈴を転がすような美声。

 しかし、その声帯は高熱で焼けただれる寸前のはずだ。

 彼女は優雅に歩を進め、自分の席――教室の中央、王座(特等席)へと向かう。


 その途中。

 彼女の足が、ふと止まった。


 私の席の横だ。


 教室中が息を呑む。

 私は教科書に顔を埋め、全力で「私はここにいない」という無言の主張アピールを送った。

 通り過ぎろ。

 私を無視して、その煌びやかな世界へ帰れ。


 コン、コン。


 私の机が、白い指先で叩かれた。

 顔を上げざるを得ない。

 そこには、サディスティックな笑みを浮かべた女王様が立っていた。


「……おはよう。リナ・バニスター」


 名前を呼ばれた瞬間、周囲の女子生徒から悲鳴のようなざわめきが上がった。

 女王が、ゴミの名前を記憶していたことへの衝撃。


「……おはようございます、アステール様。何か、清掃のご用命でしょうか」

「ええ。とても『汚い』わ」


 エレノアは私の机の上を指先でなぞった。

 そこには、先ほどまでの湿気で微かに結露した水滴があった。


「貴女の周り、空気が淀んでいるのよ。……放課後、私の部屋で『指導』が必要かしらね」


 表向きは、不潔な生徒への忠告。

 だが、その瞳の奥で揺らめく光は、明らかに別のメッセージを伝えていた。


『早く、吸い出して』

『待ちきれない』


 彼女の指先が、机の上を滑って、私に触れるか触れないかの距離まで近づく。

 その指先から放射されるカロリーが、私の頬を焼いた。

 まるで、見えない鎖を首にかけられたような圧迫感。


「……善処します。プロですので」


 私が無愛想に答えると、エレノアは満足げに目を細め、甘い残り香を撒き散らして去っていった。


 嵐が去った後には、さらに濃密な「好奇心」という名のゴミが残された。

 私は深いため息をつき、次の休み時間までトイレの個室シェルターに避難することを決めた。


          ***


 放課後。

 私は逃げるように教室を出て、特別寮へと向かった。


 道中、何度も後ろを振り返る。

 誰かに尾けられていないか。

 もし、私がアステール様の私室に通っていることがバレれば、翌日には私の机に花瓶が置かれているか、あるいは私が物理的に焼却処分されるかのどちらかだ。


 幸い、特別寮のセキュリティは堅牢だ。

 私は裏口の通用門から侵入し、302号室の前までたどり着いた。


 ガチャリ。

 鍵は開いている。


「……失礼します」


 入室した瞬間、ムッとする熱気に包まれた。

 今日は昨日よりもひどい。

 暖房を最大出力で焚いたサウナのようだ。


「……遅い」


 ベッドの上。

 エレノアが、シーツを頭から被って丸まっていた。

 布団が小刻みに震えている。

 まるで、高熱を出した子供だ。


「今日は早めに来たつもりですが」

「1秒でも待たせたら遅刻なの……っ」


 シーツの中から、くぐもった声が響く。

 私は鞄を置き、手早く制服の上着を脱いだ。

 Yシャツ一枚になり、袖をまくり上げる。


「準備はできていますか?」

「……ん」


 エレノアがのろのろとシーツを退けた。

 その姿を見て、私は絶句した。


 ひどい惨状だ。

 彼女は制服のままだが、ボタンは弾け飛び、スカートは捲れ上がり、汗で全身がぐっしょりと濡れていた。

 肌のあちこちに、赤い斑点――魔力鬱血マナ・バーンが浮き出ている。

 限界を超えた魔力が、体内で暴走して内出血を起こしているのだ。


「昼間、あんなに余裕ぶるからですよ。無駄な出力エネルギーを使って威嚇するから」

「だ、だって……貴女が、他の子と喋ってるから……っ」

「は?」

「貴女の周りの空気が、他の人間の息で汚れてたのよ……。だから、焼いて浄化してあげただけ……」


 支離滅裂な言い訳。

 どうやら熱で脳の回路までショートしかけているらしい。


 私は呆れながらベッドに近づき、彼女の額に手を当てた。


 ジュッ。


 指紋が焼けるような熱さ。

 40度を超えている。

 これ以上放置すれば、彼女自身が灰になるか、この部屋が爆発するかだ。


「……馬鹿ですね、本当に」


 私は鞄から『零式ブラシ』を取り出す余裕もなかった。

 これは、緊急措置オペだ。


 私はベッドに上がり込み、彼女の体を抱き起こした。

 ぐらりと重い体が、私に倒れ込んでくる。

 熱い。

 私の冷たい体が、瞬時に温められていく。


「あ、つ……リナ、つめたい……」

「じっとしていて。大掃除フルコースです」


 私は両手を彼女の背中に回し、脊髄に沿って指を這わせた。

 いつもより強く、深く。

 凝り固まった魔力の詰まりを、物理的に粉砕するつもりで圧力をかける。


「あ゛っ、ぁぁぁ……ッ!!」


 エレノアが背中を反らせ、獣のような咆哮を上げた。

 激痛と、それを上回る排熱の快感。

 彼女の毛穴という毛穴から、白い蒸気が噴き出す。


 部屋の空気が振動し、窓ガラスがガタガタと音を立てる。

 だが、私は手を止めない。

 彼女の体内で渦巻く濁流のような魔力を、私という排水溝パイプへと誘導する。


 ドクン、ドクン。

 彼女の心臓の音が、私の胸に直接響いてくる。

 速すぎる鼓動。

 壊れかけのエンジンのような、悲痛なリズム。


(……こんなものを、一人で抱えていたんですか)


 私は少しだけ、同情に近い感情を抱いた。

 天才、女王、選ばれた人間。

 周囲は彼女をそう崇めるが、その内実は、出力過剰な欠陥炉心に過ぎない。

 生まれてからずっと、彼女はこの焼けるような業火の中で、一人で耐えてきたのだ。


「……リナ、きもちいい……もっと、吸って……」


 エレノアが私の肩に顔を埋め、涙声で懇願する。

 彼女の腕が、私の腰に回された。

 しがみつく力は強く、私のYシャツに爪が食い込む。


 痛い。熱い。

 でも、離せない。


 私の中に流れ込んでくる彼女の熱は、不快なはずの「ゴミ」なのに、どこか懐かしい温かさを含んでいた。

 私の欠落した魔力回路うつわが、彼女の過剰な供給によって満たされていく。

 それは、空腹の獣が餌を与えられた時の喜びに似ていた。


 共依存。

 セシルの言葉が脳裏をよぎる。


(……違います。これは清掃です)


 私は心の中で否定した。

 私はただ、部屋を、世界を綺麗にするために動いているだけだ。

 この温かさは、作業に伴う摩擦熱に過ぎない。


 数十分後。

 ようやくエレノアの放熱が収束した。

 彼女は私の腕の中で、抜け殻のようにぐったりと横たわっている。

 呼吸は穏やかになり、肌の赤みも引いていた。


「……終わりましたよ」


 私が身体を離そうとすると、エレノアが微かに抵抗した。


「……まだ」

「もう十分でしょう。これ以上抜くと、低体温症になりますよ」

「あと、5分。……充電、させて」


 彼女は私の胸に耳を押し当て、子供のように目を閉じた。

 

「貴女の心臓……遅くて、冷たくて、静かね」

「生きてますよ、一応」

「うらやましいわ。……私の音は、いつもうるさくて、眠れないから」


 その言葉には、本音が滲んでいた。

 女王の仮面の下にある、ただの少女の弱音。

 私は拒絶の言葉を飲み込み、ため息混じりに彼女の頭に手を置いた。

 汗で濡れた髪が、少し冷たくなっていた。


「……特別延長料金を請求します」

「払うわよ。……私の全部、貴女にあげるから」


 物騒な契約変更を口走りながら、彼女は安らかな寝息を立て始めた。


 窓の外は夕闇。

 部屋の中には、私たち二人だけ。

 私のシャツは彼女の汗と涙でぐしゃぐしゃで、とても「綺麗な状態」とは言えなかった。

 

 けれど不思議と、その汚れを拭い去ろうという気にはなれなかった。

 私の胸元に残る重みと温もりが、冷え切った私の世界を、少しだけ許容可能な温度に変えてくれている気がしたからだ。


 私は彼女が目覚めるまで、その「不浄な温もり」の中に留まり続けた。

 これが、私自身を蝕む毒だと知りながら。

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