第5話 商業都市の洗礼と、聖女の湯浴み
翌朝。
商業都市への出発を控えた私は、北の山――私が『白銀温泉郷』と名付けた予定地を訪れていた。
目的は、商品の最終チェックだ。
「……ふぅ。素晴らしいお湯です、リアム様」
掘削したばかりの岩風呂から、うっとりとした吐息が漏れる。
湯煙の向こう、白濁した湯に肩まで浸かっているのは、聖女セシリアだ。
彼女には「成分分析」と称して、一番風呂のテスターを頼んでいた。
濡れて肌に張り付いた薄手の湯浴み着が、彼女の豊満な曲線を露わにしている。湯気で紅潮した頬と、湿ったプラチナブロンドの髪が、聖女にあるまじき背徳的な色気を醸し出していた。
「効能はどうだ? 教会のお墨付きを貰えそうか?」
私は岩陰で背を向けつつ、事務的に問う。
もちろん、視線管理は徹底している。まだ手は出さない。彼女は今のところ『優秀な広告塔』だ。
「はいっ! 魔力循環が促進され、肌もツルツルになります。何より、この硫黄の香りが『浄化』の儀式に近い清浄さを感じさせます。これなら、王都の貴婦人たちもこぞって通いたがるはずですわ!」
「よし。その感想を『聖女の推薦文』としてチラシに載せる。上がったらサインを頼む」
彼女は私のビジネスライクな態度に少し不満そうに頬を膨らませたが、すぐにパシャリと湯を跳ねさせて笑った。
「もう……リアム様ったら。でも、お任せください。このお湯の素晴らしさは、私が神に誓って保証します!」
セシリアの協力により、最強の観光資源の裏付けは取れた。
あとは、ここまでの『道』を整え、宿泊施設を建てるための『資金』だ。
「行くぞ、クラウス。戦場へ」
「はっ。荷馬車の準備は整っております」
私たちは山を降り、アークライト領の特産品を満載した馬車列と共に、隣接する商業都市『ゼルドア』へと向かった。
◇
商業都市ゼルドア。
交通の要衝であり、多くの商人と金が集まるこの街は、活気に満ち溢れていた。
だが、その門をくぐった私たちの馬車に向けられる視線は、冷ややかなものだった。
「……随分と歓迎されていないようだな」
御者台の隣で、私は呟く。
街の商人たちが、アークライト家の紋章が入った馬車を見るなり、露骨に眉をひそめ、ヒソヒソと陰口を叩いているのだ。
「あれは『泥沼領』の馬車だろう?」
「よく顔を出せたもんだ。借金まみれのくせに」
「関わるなよ。ゴロンディ商会に睨まれるぞ」
聞こえてくるのは嘲笑と警戒。
どうやら、私の領地の悪評と、借金主である『ゴロンディ商会』の圧力は、すでにこの街全体に浸透しているらしい。
「リアム様、これは……前途多難ですね」
「構わん。予定通り、まずは商業ギルドへ挨拶だ」
私たちは街の中心にある、石造りの立派な『商業ギルド』の本部へと乗り込んだ。
受付で領主代行としての身分を明かし、商談を申し込む。
通された応接室で待つこと三十分。
ようやく現れたのは、ギルドマスターではなく、恰幅の良い――いや、ただの肥満体である副ギルド長だった。
「やあやあ、これはアークライト家の若様。お待たせしましたなぁ。私は副ギルド長のボグスです」
揉み手をしながら席に着くボグス。その目は、獲物を値踏みする蛇のようだ。
「単刀直入に言おう。我が領地の新産品を持ち込んだ。取引口座の開設と、卸売契約を結びたい」
私はクラウスに目配せし、サンプルをテーブルに並べさせた。
真空パック(魔導包装)された『陸海老の燻製』。
そして、純度の高い『ミスリルのインゴット』だ。
「ほう……?」
ボグスの目が、一瞬だけミスリルの輝きに奪われた。
だが、彼はすぐに興味なさそうに鼻を鳴らし、ふんぞり返った。
「悪くない品ですがねぇ……残念ながら、買い取りはできませんな」
「理由は?」
「信用、ですよ」
ボグスは意地悪く口角を歪めた。
「アークライト領は、ゴロンディ商会様に多額の未払いがあるとか。そんな『事故物件』のような領地と取引すれば、我々の信用に関わる。ギルドとしては、ゴロンディ様への返済が完了するまで、一切の取引を凍結させていただきます」
「……なるほど。ギルドは中立であるべきだが、高利貸しの顔色は伺うわけだ」
「なんとでも。それが『大人の事情』というものです」
ボグスは勝ち誇った顔で、出口を指差した。
「お引き取りを。ああ、そのミスリルだけなら、クズ鉄同然の値段で引き取ってあげても――」
「不要だ」
私は席を立った。
怒りはない。むしろ、想定通りの反応に安心すらしていた。
既存の流通網が腐っているなら、作る手間が省けるというものだ。
「後悔するなよ、ボグス副ギルド長。次に私がここに来る時は、君が私に頭を下げる時だ」
「はっ! 若造が、負け惜しみを!」
◇
ギルドを追い出された私たちは、路地裏に停めた馬車の前にいた。
クラウスが青ざめた顔で項垂れている。
「申し訳ございません、リアム様……。私の力が及ばず……。これでは商品が売れません」
「何を言っている。売るさ」
「え? しかし、店には卸せないと……」
「店がダメなら、客に直接売ればいい」
私は街の広場――特に、冒険者ギルドの前にある広いスペースを指差した。
そこには、依頼を終えた冒険者たちがたむろしている。
彼らは常に腹を空かせ、金にシビアで、そして『実用性』を何より重視する人種だ。
「クラウス、鉄板と炭を用意しろ。それと、マリーたちに持たせた試食用の皿もだ」
「は、はい! まさか、ここで屋台を?」
「そうだ。BtoB(企業間取引)が封じられたなら、BtoC(消費者直接取引)で市場をこじ開ける」
十分後。
冒険者ギルド前の広場に、香ばしい匂いが漂い始めた。
私が【万能工場】で作った特製鉄板の上で、醤油とガーリック(現地ハーブの代用)ダレに漬け込んだ『陸海老』が、ジュウジュウと音を立てて焼かれている。
「なんだ、このいい匂いは?」
「肉か? いや、もっと濃厚な……」
鼻をひくつかせた冒険者たちが、一人、また一人と集まってくる。
私はコックコート(に変形させた上着)を羽織り、鮮やかな手つきで串焼きを裏返す。
「いらっしゃい。アークライト領の新作『陸海老の串焼き』だ。一本銅貨二枚。精力絶倫、魔力回復効果ありだ」
「銅貨二枚!? 安すぎだろ、なんの肉だ?」
「食えばわかる。不味かったら金はいらん」
大剣を背負った強面の戦士が、疑わしそうに一本受け取る。
恐る恐る口に運び――噛み締めた瞬間、目を見開いた。
「ッ!? う、うめぇ!!」
パリッとした殻の食感と、溢れ出す濃厚な海老味噌のような旨味。そしてガーリックのパンチ。
戦士は一瞬で串を平らげ、叫んだ。
「おい、あと十本くれ! ビールもだ!」
「俺にもくれ!」
「こっちもだ!」
一人が叫べば、あとは雪崩の如くだ。
安くて美味い。冒険者にとって、これ以上の正義はない。
さらに私は、彼らの『本能』を刺激する売り文句を投下する。
「そこの魔法使いのお姉さん。この陸海老は魔力を多く含んでいる。ポーション一本分の回復効果があるぞ」
「本当!? じゃあ箱で頂戴!」
「剣士の旦那。こいつの殻を粉末にした『カルシウムパウダー』もある。骨が丈夫になるぞ」
飛ぶように売れる。
クラウスが嬉しい悲鳴を上げながら、金貨と銀貨を回収していく。
屋台の前には長蛇の列ができ、その喧騒は広場全体を飲み込んでいった。
その様子を、遠巻きに見つめる男たちがいた。
ギルドの制服を着た男と、柄の悪いゴロツキたちだ。
「……チッ。ボグス様の言った通りだ。小賢しい真似を」
「へい。やっちまいますか?」
「ああ。商売の邪魔だ。屋台ごとひっくり返してやれ」
男たちがニヤつきながら、人混みをかき分けてこちらへ向かってくる。
殺気。
鉄板の前で串を返しながら、私は彼らの接近に気づいていた。
(やはり来たか。実力行使)
私は慌てない。
むしろ、待っていた。
この騒ぎが大きくなればなるほど、アークライト商会の名は売れる。
そして――今の私には、金で雇われたゴロツキ程度、敵ではない。
「クラウス、代わってくれ。……少々、ゴミ掃除が必要なようだ」
私はエプロンを外し、優雅に袖をまくった。
商才を見せつけた次は、武力の提示だ。
なろう系主人公において、その二つはセットでなければならない。
「お客様方。列に並ばないマナー違反者には――厳重な『指導』が必要ですね?」
私の瞳が、蒼く冷徹に輝いた。




