第16話 鉄路の旅と、皇女の誘惑
「――信じられない。揺れが……ほとんどない」
魔導列車『ブラック・ドラゴン号』の一等客車。
真紅のベルベットが張られたソファに深々と身を沈め、ヴィクトリアが呆然と呟いた。
窓の外では、景色が飛ぶような速度で後ろへ流れていく。時速は軽く百キロを超えているだろう。
だが、車内は王都の高級サロンのように静寂だ。
「サスペンションと振動吸収魔法の賜物だよ。快適だろう?」
向かいの席で、私はワイングラスを傾ける。液面は全く波立っていない。
隣ではシルヴィアとセシリアが「きゃー! 速い速い!」「森が飛んでいきますわ!」とはしゃいでいる。ルナは機関室でエンジンの数値を監視中だ。
「……ええ。素晴らしい技術力ですわ、理事長」
ヴィクトリアは優雅に微笑んだが、グラスを持つ指先が微かに白くなっていた。
彼女は焦っている。
この鉄道が軍事利用されれば、兵員や物資を一日で国境まで輸送できる。帝国のアドバンテージが消滅するどころか、逆転されることを悟ったのだ。
「あの、理事長。……少し、お二人でお話しできませんか? 技術提携について、深いお話を」
彼女が艶のある上目遣いで私を見つめる。
シルヴィアたちの視線が突き刺さるが、私はグラスを置いた。
「いいだろう。個室へ行こうか」
◇
車両の奥にあるVIP用個室。
扉を閉め、鍵をかけた瞬間、ヴィクトリアの雰囲気が変わった。
清楚な留学生の仮面を脱ぎ捨て、妖艶な雌豹の空気を纏う。
「……リアム様。単刀直入に申し上げますわ」
彼女は私のネクタイに指をかけ、吐息がかかる距離まで体を密着させてきた。
甘い香水。豊満な胸元の感触が、薄い生地越しに伝わってくる。
「貴方の技術、帝国にいただけないかしら? もし協力してくださるなら……わたくし、何でも致しますわよ?」
「何でも、とは?」
「言葉通りの意味です。……わたくしを『妻』にしてくださっても構いません。帝国の皇女と、次期皇帝の座……そして、夜の奉仕。悪い条件ではないでしょう?」
彼女の手が、私の胸板を這う。
ハニートラップ(色仕掛け)。
古今東西、使い古された手だが、絶世の美女である彼女がやれば、国一つ傾ける破壊力がある。
普通の男なら、この甘美な毒に骨抜きにされるだろう。
だが。
「……残念だが、条件が悪い」
私は彼女の手首を掴み、壁にドンッ、と押し付けた――いわゆる『壁ドン』の体勢で彼女を封じた。
「え……?」
「私は『妻』も『地位』も、自分の力で手に入れる。君に与えられるものではない」
至近距離。私の蒼い瞳が、彼女の碧眼を射抜く。
「それに、君の体よりも魅力的なものが、君の国にはあるだろう?」
「……どういう意味?」
「『魔氷晶』だ」
ヴィクトリアが息を呑んだ。
魔氷晶。ガレリア帝国の極北でしか採れない、強力な冷気を放つ鉱石。帝国の軍事力の要であり、国家機密レベルの戦略資源だ。
「君の国はそれを武器の冷却にしか使っていないようだが、実に勿体ない。あれがあれば、夏場の冷房、食品冷凍、産業機械の冷却……平和利用の可能性は無限大だ」
私は彼女の耳元で囁く。
「私と手を組め、ヴィクトリア。君の体はいらん。代わりに『魔氷晶』の採掘権と輸出ルートをよこせ。……そうすれば、この鉄道技術を帝国にも『輸出』してやろう」
「ッ……!?」
彼女は戦慄した。
色仕掛けが通用しないどころか、逆に国家の心臓部を要求されたのだ。
だが、その提案は帝国にとっても魅力的すぎる。鉄道があれば、帝国の広大な領土支配も盤石になるからだ。
「……悪魔のような男ね。わたくしのプライドをここまで傷つけたのは、貴方が初めてよ」
ヴィクトリアは悔しそうに唇を噛み、そして――ふわりと笑った。それは演技ではない、強者を認めた笑みだった。
「いいわ。父上(皇帝)にはわたくしから話を通しておく。……でも、覚えてらっしゃい。いつか必ず、貴方を本気で惚れさせて、その涼しい顔を崩してやるから」
契約成立。
そう思った瞬間だった。
ズドンッ!!
激しい衝撃が列車を襲った。
急ブレーキがかかり、車輪が火花を散らす音が響く。
「きゃっ!?」
「敵襲か!?」
私はヴィクトリアを支えながら、窓の外を見た。
森の中から現れたのは、列車の倍はある巨体。
全身が岩と苔に覆われた、森の主『エンシェント・トレント』だ。
そいつが太い根を線路に張り巡らせ、進路を塞いでいた。
「グルルルルォォォォ……!」
魔物が咆哮し、巨大な枝を振り上げる。装甲車とはいえ、直撃すれば脱線は免れない。
「チッ、試運転には付き物のアクシデントか」
「リアム! どうする!? 私が外に出て斬るか!?」
通信機からシルヴィアの焦った声が聞こえる。
だが、私は冷静にマイクを取った。
「必要ない。……いい機会だ。この列車の『排除機能』をテストする」
「排除機能……?」
私は操縦パネルの赤いボタンを押した。
「ブラック・ドラゴン号、戦闘モード展開。主砲、接続」
ガション、ガション!
先頭車両の装甲がスライドし、機関部の熱エネルギーを収束させる砲身が出現した。
本来は岩盤掘削用だが、威力は攻城兵器並みだ。
「シルヴィア、魔力を送れ! 君の属性(氷)を弾頭に乗せる!」
「わ、分かった! ……はあぁぁぁッ!」
客車にいるシルヴィアからの魔力が、回路を通って砲身に集まる。
赤熱した蒸気と、絶対零度の冷気が混ざり合い、青白い閃光となる。
「【魔導蒸気砲】――発射!」
ズドォォォォォォン!!
轟音と共に放たれたエネルギー弾が、エンシェント・トレントの巨体に突き刺さった。
瞬間、魔物は断末魔を上げる暇もなく、上半身を吹き飛ばされ、残った部分は瞬時に凍結し、砕け散った。
線路を塞いでいた根も消滅する。
「障害物排除完了。……運行再開だ」
何事もなかったかのように、列車は再び加速を始める。
窓の外、粉々になった魔物の残骸を見送りながら、ヴィクトリアがポツリと呟いた。
「……移動要塞……。こんなものを量産されたら、騎士団なんて……」
彼女の顔色は、先ほどよりもさらに青ざめていた。
私はグラスに残っていたワインを飲み干し、彼女にウィンクしてみせる。
「安心しろ。これはあくまで『お客様の安全を守るため』の装備だ。……アークライト商会は平和企業だからな」
王都の尖塔が見えてきた。
私の凱旋、そして皇女との秘密の同盟。
列車の旅は、最高の結果と共に終着駅へと滑り込んだ。




