第14話 魔導通信網と、情報の支配者
アークライト・アカデミーの地下、第1研究室。
そこは今、徹夜の熱気と魔力残滓、そしてコーヒーの香りに包まれていた。
「……理論値、クリア。魔力波長、安定。共鳴石のリンク率、九十九パーセント!」
ボサボサの黒髪を振り乱し、油にまみれた作業着姿のルナが叫ぶ。
彼女の目の前には、複雑な魔導回路が刻まれた金属箱と、受話器のようなグリップがついた機械が鎮座していた。
「リアム様! い、いけます! 私の計算が間違ってなければ、これで……!」
「ああ。ついに完成だな」
私もまた、上着を脱ぎ捨て、ワイシャツの袖をまくり上げて作業に没頭していた。
現代の電話の原理――音声を電気信号に変える技術を、この世界の魔力振動に置き換える。言葉にすれば簡単だが、実用化にはルナという天才の指先が必要不可欠だった。
「スイッチを入れるぞ。……王都支店、クラウスに接続」
私が魔力を流し込むと、機械の中心に埋め込まれた青い魔石がブゥン……と低い唸りを上げ、発光した。
ジジッ……ザザッ……。
ノイズが走る。ルナが祈るように手を組む。
数秒後。
スピーカーから、驚愕に満ちた老執事の声が響いた。
『――あ、あー……。も、もしもし? 聞こえますか、リアム様?』
クリアな音声。
まるで隣の部屋にいるかのようだ。
「成功だ、クラウス。感度はどうだ?」
『は、はい! 信じられません……! 本当に、数百キロ離れた領地から、リアム様のお声が……! 魔法使いの【念話】ですら、これほど鮮明ではありませんぞ!』
「よし。これが『魔導通信機』だ。これより、アークライト商会は『情報革命』を開始する」
私は受話器を置き、ルナに向き直った。
彼女は感極まって、涙目で震えている。
「やった……やったぁ……! 私、本当に作っちゃった……!」
「よくやった、ルナ。君は最高のエンジニアだ」
私が自然と彼女の頭を撫でると、ルナは「ひゃぅっ!?」と奇声を上げ、茹でダコのように顔を赤くした。
……褒められ慣れていないのか。反応が新鮮だ。
◇
翌日から、王都の市場に異変が起きた。
アークライト商会の動きが、あまりにも早すぎるのだ。
例えば、南方の港町で「香辛料」が入荷したとする。
従来の商人たちは、早馬や伝書鳩を使い、数日かけてその情報を王都へ伝える。
だが、アークライト商会は違う。
現地の支店員が『魔導通信機』で王都本店へ連絡。
「今、胡椒が入荷しました。価格は銀貨十枚」
「了解。王都では品薄で銀貨三十枚まで高騰している。全量買い占めろ」
このやり取りは、わずか数十秒で完結する。
他の商会が情報を得る頃には、すでにアークライト商会が商品を買い占め、王都での販売準備すら整えている状態だ。
「な、なぜだ!? なぜアークライトの連中は、今日の朝に港に着いた船の荷物を、昼には知っているんだ!?」
「スパイか!? それとも予知能力か!?」
ライバル商会が疑心暗鬼に陥る中、私は執務室で優雅に紅茶を飲みながら、受話器片手に指示を飛ばす。
情報の速度差。それはすなわち、利益の差だ。
もはや誰も、私のスピードには追いつけない。
◇
そんなある日の午後。
開発室でルナと次なる改良――小型化(携帯電話化)の議論をしていた時のことだ。
「ここをもっと小型の魔石にすれば……でも出力が……」
「なら、回路を積層構造にすればいい。君ならできるだろう?」
「うぅ、リアム様の無茶振り……でも、やってみます……!」
私とルナが机上の図面を覗き込み、互いの肩が触れ合う距離で熱中していると。
バンッ!
研究室の扉が勢いよく開かれた。
立っていたのは、バスケットを持ったセシリアと、竹刀を持ったシルヴィアだ。
二人とも、目が笑っていない。
「……リアム様? 最近、お部屋に篭りきりだと伺いましたので、お夜食を持ってきましたわ。あら、随分と……『親密』な距離感ですこと」
「おいリアム。研究もいいが、適度な運動も必要だぞ。……まさか、そのネズミのような小娘と、朝まで『実験』していたわけではないだろうな?」
室内の温度が氷点下まで下がった気がした。
ルナが「ひぃっ!」と悲鳴を上げ、私の背後に隠れる。
「誤解だ。我々は純粋に技術的な議論を……」
「問答無用です! さあ、休憩にしましょう! 私の特製サンドイッチを食べてください!」
「いや、まずは稽古だ! 私の剣を受けて目を覚ませ!」
左右から迫る聖女と女騎士。
どうやら、新入り(ルナ)に私が構いすぎたせいで、古株の彼女たちの嫉妬心に火をつけてしまったらしい。
やれやれ、これも『人材管理』の一環か。
「分かった、分かったから。……二人とも、私のためにありがとう」
私が苦笑しながら礼を言うと、二人はパッと顔を輝かせ、今度は「私が先に!」「いや私だ!」とサンドイッチを口に押し込もうとする争いを始めた。
背中ではルナが、眼鏡をズレさせながら「り、リアム様って、実は女たらし……?」と小声で呟いている。聞こえているぞ。
平和なドタバタ劇。
だが、この幸せな光景の裏で、世界は確実に動き始めていた。
◇
王都、とある路地裏。
灰色のマントを目深に被った男が、空を見上げていた。
彼の手には、一羽の伝書鳩が握られている。だが、その鳩は矢で射抜かれ、死んでいた。
「……またか。最近、我々の『鳩』が届かない」
男は隣国、軍事帝国ガレリアの密偵だ。
彼は懐から望遠鏡を取り出し、街の中心にそびえ立つアークライト王都本店、その屋上に設置されたアンテナのような装置を睨みつけた。
「見えない『糸』が張り巡らされている……。アークライト侯爵家、恐るべき技術力だ」
男は影に溶け込むように姿を消した。
「報告せねばなるまい。……この国を攻め落とすには、まずあの男――リアム・フォン・アークライトを消さねばならない、と」
見えざる情報網は、同時に見えざる敵をも引き寄せようとしていた。




