7:婚約解消に向けて
カミールたちは合流すると、まずはお互い軽く挨拶を交わした。
それから打ち合わせ通りに、マティアスがカミールを紹介する。
「こちらが、先ほど話していた〝ララシェルン様の申し子〟と呼ばれる魔術師のカミールだよ。妹の瞼のホクロも彼に消してもらったんだ」
マティアスが口元だけに笑みを浮かべる。
彼との付き合いが短いカミールにも、それが全く笑っていない表情だということが分かった。
「まぁ! では貴方が噂の魔術師なのね。思っていたよりお若いのですね」
ヘルミーナがカミールに向けて笑った。
何故かその笑みがねっとりしたものに感じられた。
「若輩者ですが腕は確かです。ご用命がございましたら何なりと」
カミールは爽やかに笑い返した。
そしてまた喋り始めたマティアスに相槌を打ちながら、ヘルミーナの様子を横目で観察する。
……綺麗な顔立ちだけど、貴族の中では普通かな。
そばかすがちょっと目立つ?
マティアス様が俺に食いつくって言ったのはこのことか?
それにしても……ヘルミーナ様はなんか、こう、ガッチリしてる?
細身だけど骨格が太いっていうか。
背もでかいし。
ヒールの靴を履いてるから俺よりでかい。
貴族様はいいもの食ってるからなー。
そんなことを思いながらも、カミールは営業用の爽やかスマイルを絶やさずにいた。
ヘルミーナに熱のこもった目でチラチラ見られている気もしたけれど、気にせずに4人での談笑を続ける。
カミールは次に、彼女が着ているドレスの襟ぐりを確認した。
大きく開いているが、肩の部分は繊細なレースで覆われている。
マティアスが婚約者の彼女に贈ったものらしい……
ひと通り確認が終わると、カミールはマティアスを見た。
マティアスは一瞬だけカミールと目を合わすと、視線をすぐに逸らした。
けれどカミールに向かって小さく頷く。
「そうだった。今回のパーティの主催者に、大事な話があるとかで呼ばれているんだった。すまないが、ヘルミーナはここで待っていてくれないか?」
マティアスがそう言うと、ヘルミーナはニッコリほほ笑んだ。
「分かりましたわ」
それからはヘルミーナとマリアンネ、そしてカミールでの歓談が始まった。
給仕にシャンパンの入ったグラスをいただいて、少しずつ飲みながら喋る。
話題はもちろんカミールの特殊な魔法についてだった。
「マリアンネは瞼の上のホクロを取ってもらった時、痛くはなかったのですか?」
ヘルミーナが興味津々に義妹に聞く。
「えぇ。全く。ちょっと恥ずかしいですが……」
マリアンネが魔法をかけた時を思い出し、頬を染めて照れた。
そんな様子を不思議に思ったヘルミーナが、首をかしげた。
「?? 恥ずかしい?」
「ボクがララシェルン様の祝福を授ける形になるので、ホクロがある部分に口付けしないといけないんですよね」
猫被りバージョンのカミールが弱り顔で答えた。
このことは、機会あれば事前に伝えろというマティアスの指示があった。
秘密にしたい訳じゃないから、いいんだけどさ。
それにしても、マリアンネ様は今回の計画をどこまで知っているんだろう?
上手く事を運んでくれてるから、全て知ってる??
でもここからどうやってヘルミーナ様を誘い出せば……
カミールは人を誘惑するなんて初めてのことに挑むからか、嫌な汗が背中を伝った。
けれど涼しい顔をしてグラスに口をつける。
ヘルミーナが目を丸めて聞いてきた。
「まぁ、そうなんですね。他に何か特殊なことはございますの?」
「そうですね。料金が高額なため躊躇される方もいらっしゃいます」
「…………なぜ、高額ですの?」
「ボクを贔屓してくれているお客様の要望ですね。みんなが気軽に綺麗になってしまえば、そのお客様の綺麗さの価値が低くなってしまう。そのお客様は、綺麗になることならお金に糸目を付けませんから……」
カミールはこんな時のために用意しているセリフを並べた。
さっすが悪友。
息を吐くように上手い嘘を思い付く。
感心するよ。
カミールは入れ知恵してくれた友人に感謝した。
「それもそうね」
ヘルミーナは優雅にほほ笑むと、シャンパングラスに口をつけた。
こっそりとカミールを鋭く見つめながら。
しばらく、3人でのおしゃべりを続けていた。
空になったグラスを呼び止めた給仕に戻した頃合いに、マリアンネがお化粧直しと称して席を外した。
ヘルミーナとカミールも、去っていくマリアンネを無言で見届ける。
そうしてマリアンネの姿が見えなくなると、突然ヘルミーナがフラリとよろけた。
ちょうどよく、カミールにしなだれかかるように。
「……何だか気分が悪くなってしまったみたい」
カミールは自分より背が高い彼女を、押し返すようにして支えた。
「大丈夫ですか?」
「…………少し座って休憩すれば、治ると思いますわ」
ヘルミーナがカミールを見つめる。
さっきも向けられた、あのねっとりした眼差しだった。
「じゃあ、どこかのソファに座りましょうか?」
カミールはあくまでも何も気付かずに、純粋なフリをした。
「わたくしが良い所を知っていますので、ついてきていただける?」
「分かりました。ボクでよろしければ付き添わさせて下さい」
「ありがとう」
口の端を上げてほほ笑むヘルミーナの瞳には、怪しげな光が見え隠れしていた。
マティアスが言うには、ヘルミーナは純真無垢な年下が好みらしい。
…………
俺は純真無垢でも何でもないんだけど。
まぁ、ヘルミーナ様はマティアス様より更に年上だから、俺が年下ってことは合ってるか。
俺が適任だって言ってたのも、ヘルミーナ様の好みに寄せられるからだろ?
こんな役目は、なんて言うか……ゾワゾワする……
悶々と考え込んでいるカミールが、ヘルミーナに寄り添いながら廊下を歩いていると、不意に近くの部屋に押し込まれた。
「……っわゎ!!」
「ここですわっ」
案の定、休憩室という名のヤリ部屋に通された。
目の前には広くて無駄に優美なベッドが。
……噂では聞いてたけど、貴族の文化怖い。
パーティなのに、他人の屋敷の部屋で致すなんて正気じゃない。
ヘルミーナ様なんか婚約者と来ているのに……
心の中で悪態をつきながらも、純粋無垢な設定のカミールは、おどおどした様子でヘルミーナに聞く。
「ヘルミーナ様、ここは……」
「わたしく、カミールのことが気に入りましたの。恋人になって下さらない?」
そう言ったヘルミーナに抱きしめられた。
「それはちょっと……」
「何か問題がありまして?」
「……ボク、自分より小さくて若くて可愛い子が良いです」
「まぁ! なんですって!?」
逆上したヘルミーナが、カミールの体を突き飛ばすようにして、ベッドへと押し倒した。
「!?」
驚いたカミールの反応が遅れた隙に、ヘルミーナが馬乗りになる。
「じゃあわたくしの、このそばかすを消して下さる? この黒いポツポツが大っ嫌いなの。料金はわたくしが相手をして差し上げるから……」
ヘルミーナがカミールを見下ろして、光悦の表情を浮かべた。
「体で払うからそばかすを消せって!? 割に合わないだろ! タダ働きなんて冗談じゃない! 金を払え!!」
カミールが本音を熱く語って暴れる。
けれどヘルミーナは余裕そうにあざけ笑い、カミールの両腕をガッツリと掴むとベッドに押さえつけた。
「ひぃっ! ちからつよッ!」
「フフフッ。屈服させるのもいいわね」
ヘルミーナがねっとりと嫌らしく笑った。
そしてゆっくりと顔を近付けてくる。
こういうのが好きな人からしたら、おいしい展開…………
ってそれどころじゃない!
カミールが嫌な意味でドキドキしていると、ヘルミーナの鼻筋が唇に押し当てられた。
「…………」
彼女が顔を離すのを待ってから、カミールは静かに告げた。
「……俺が消したいと思わないと、キスをしても消えないよ」
「!? そんなっ」
いっきに青ざめたヘルミーナの顔からは、そばかすは何一つ無くなっていなかった。