6:婚約解消に向けて
あれからカミールは、馬車の中でマティアスから今回の依頼について説明を受けた。
男性に何かをする訳じゃないと分かったカミールは、彼の依頼をなんとなく引き受けようかなと思っていると……
その時にはもう、エステン公爵家に着いてしまっていた。
まだ覚悟が決まり切っていないのに、使用人たちに甲斐甲斐しく世話を焼かれ始める。
彼は気がつくと、あらかじめ用意されていた服に着替えていた。
姿見の前に立たされたカミールは、今まで着たことのない上等な服に身を包んでいた。
サイズがピッタリの服に、どこまで調べたんだろうとゾッとする。
そしてあっと言う間に、夜会に行くための馬車に単独で押し込められた。
カミールは座席にちょこんと座って、焦点の定まらない目線を窓の外に向けた。
ガラガラと車輪が忙しなく回り続けている音が聞こえる。
怒涛の展開から一呼吸置いたので、徐々にカミールの頭が回り始めた。
…………
え?
いきなり夜会?
こんな恐ろしく高そうな服を着て……
マナーとか一切知らない庶民なんですけど!?
カミールは逃げ出したくなって、動き続けている馬車の扉を見た。
すると先ほど出発する前に、その扉を開けてカミールに指示を出したマティアスの姿を思い出した。
ーーーーーー
「いいか。僕は婚約者のヘルミーナを迎えに行かなくてはいけない。夜会の会場で会おう」
マティアスも正装をして着飾っており、さすが貴族様という気品あふれる出で立ちだった。
「……っ!」
カミールが何か言おうとすると、マティアスが続ける。
「そこで〝ララシェルン様の申し子〟だとヘルミーナに紹介するから。彼女は絶対に食いつく。あとは上手く誘惑するように」
マティアスは一方的にそこまで伝えると、馬車の扉を閉めた。
バタンという強めの音に、カミールは思わず首をすくめた。
ーーーーーー
回想が終わり、カミールは項垂れた。
『以前から火遊びしがちな婚約者のヘルミーナを誘惑しろ』
それがマティアスからの依頼の1つだった。
…………なんで引き受けたんだっけ?
あぁ、そっか。
報酬が良かったから……
カミールはキッと前を見据えて顔を上げた。
「……目標金額に近付くじゃないか」
彼が静かに気合を入れた時、タイミングよく馬車が夜会会場についたのだった。
けれど馬車から降りた瞬間、カミールはすぐに帰りたくなってしまった。
「…………すっごい豪邸」
彼は目の前の光景に固まってしまい、口をぽかんと開けて建物を見上げ続けていた。
「あ、カミールさん!」
その時、建物の開け放たれた大きな扉から、カミールを呼ぶ声がした。
見ると美しく着飾ったマリアンネが、ニッコリと笑っている。
カミールは〝知り合いがいて助かった〟と泣きそうになりながら近付いていった。
「こんばんはマリアンネ様。今日は一段とお綺麗ですね」
カミールは念の為に猫被りカミールで接した。
マティアスから、本当のことを聞いているかもしれないけれど。
「ウフフ。ありがとうございます。カミールさんも格好いいですね。そうしていると、本当にどこかの貴族のよう」
マリアンネが、ニコニコと朗らかに笑っている。
その様子に、マティアスが〝毎日笑顔で過ごしている〟と言ったことは本当だったんだなと実感した。
「兄のマティアスが、カミールさんをお誘いしたと聞いております。ヘルミーナ様にご紹介したいそうで。わたくしでよろしければ、一緒に会場へ向かいませんか?」
「ありがとうございます。どうしたら良いか分からなかったので、ボクからお願いしたいぐらいでした」
カミールは心からの笑顔を浮かべた。
助かった!
マティアス様が、あらかじめマリアンネ様に頼んでいたんだろうけど。
ーー先に言っといてくれよっ!
安堵しているカミールに、マリアンネがモジモジしながら聞いてきた。
「…………あのぅ、カミールさん?」
「はい、何でしょう??」
「腕を……」
それでやっと気付いたカミールは、彼女をエスコートするために隣に並んで腕を差し出した。
「申し訳ございません。ボクはこのような場に不慣れでして……」
カミールは眉を下げて笑みを浮かべた。
マリアンネがニッコリ笑って、カミールの腕に手を置いた。
「今日はフランクなパーティなので、そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ」
……フランク……
貴族のフランクとはどのレベルなんだ?
魔法学校の卒業パーティ用に、取り敢えず身につけた見せかけのマナーしか知らない。
あの時、もっとちゃんと学んでおくべきだった……
カミールは過去の自分に後悔しながらも、マリアンネにお礼を込めて笑みを返した。
エスコートをしているのはカミールだけど、気分的にはマリアンネに引っ張られるようにして、夜会会場へと足を踏み入れた。
色とりどりの正装に身を包んだ、煌びやかな人たちが集う。
庶民のカミールからしたら、夢の世界みたいな空間だった。
「わぁぁ…………」
カミールは緊張で胃が痛む中、頭の片隅では依頼とは関係のないことを考えていた。
……ここにいる人たちからお金を巻き上げられたら……
目標金額をあっという間に達成できるんだろうな。
「カミール!」
ぼんやりしていると男性から声をかけられた。
「マティアスお兄様が呼んでいますわ」
マリアンネもカミールの腕を引っ張って、優しく教えてくれる。
カミールが声のした方に目を向けると、マティアスが綺麗なご令嬢と寄り添いながら、こちらに向かってきていた。
……さぁ、ここからが頑張りどころだ!
カミールは気を引き締めて、対象者のそばへと進んでいった。