58:取引の行方
エレンフリートが口付けしようとリラに顔を近付ける。
けれど彼女は、王子の手に重ねていた頬の手を離し、目の前の机に向けて掲げた。
リラの手が優しい光を放ち、サラサラと光の粒子が紅茶に向かって降り注ぐ。
エレンフリートは何事かと思い、動きを止めて魔女を見つめた。
紅茶に魔法をかけ終えたリラは、王子の様子に肩を揺らして笑う。
「あははっ。本当にジークベルトなの? いけないことって言うのは……」
リラはエレンフリートの手から離れて、彼用のカップを手に取った。
そしてそれを差し出しながら続きを伝える。
「これを飲むことなの」
「……??」
エレンフリートはひとまずそのカップを受け取った。
訳が分からないまま、紅茶の中身とリラを順番に見つめて、様子を窺う。
そんなエレンフリートにイタズラっぽい笑みを向けたリラが、無邪気に説明した。
「魔法で当時の毒を入れたよ。懐かしいでしょ? よく城のみんなの目を盗んで、ここで飲んでたよねー」
リラの衝撃発言を聞いたエレンフリートが、青ざめながら思わずカップを自分から離した。
「何を言って……」
「私は魔法薬の副作用で毒に耐性があったの。ジークベルトも王族として、ある程度の毒には慣れていた……」
「…………」
「だから、よくここで毒入り紅茶の飲み合いをしていたんだ」
リラが懐かしむように、エレンフリートの持つカップを熱のこもった目で見つめる。
「ジークベルトの記憶があるなら、もちろん思い出したよね」
そしてカップからエレンフリートに目を移すと、今度は冷ややかな視線を向ける。
「っ!? そ、そこまでは……」
「えー、若気の至りって感じで楽しかったのになぁ。〝こんな毒は効かない!〟って言い合いながら大笑いして…………今は平和だし、解毒魔法が確立されているから、毒の耐性なんてつけないよね……」
全てを分かっていたリラは、エレンフリートからカップをひょいと取り上げると、ソーサーに戻しながらため息をついた。
「正直、エレンにはジークベルトっぽさが足りないかな。彼はとっても変わっていたから」
そしてクスクスと笑って遠くを見つめた。
エレンフリートがジークベルトの記憶を宿している話は嘘だった。
おそらく、城に残っている文献や記録なんかを調べ尽くしてフリをしたのだろう。
リラには最初から……最初から分かっていた。
彼女は瞳に悲しみを宿して、王子に優しくほほ笑んだ。
悪巧みが全てバレていたエレンフリートは、ばつが悪そうに視線を彷徨わせていた。
けれどリラと目が合うと、その切なげな表情に息を呑む。
「リラを深く傷付けてしまったことは謝ります。けれど……貴方のことを知りたくて沢山調べたんです。リラに愛されていたジークベルト国王が憎くなるほどに」
弱々しく笑いながら彼は続けた。
「それで思ったんです。ジークベルトにわたしがなってしまおうと……彼と同じ血筋で同じ女性に心惹かれるのは、わたしが近しい証拠です。必ずリラにとってのジークベルトになりますっ!」
エレンフリートが勢い余ってリラの両肩を掴み、訴えかけた。
そんな彼の真剣な顔に、リラが小切手をペタンと乗せる。
「ぅぐっ…………何を?」
「取引のお金も足りないの」
リラがひょうひょうと答えた。
王子は思わずリラの肩から手を離して、顔の小切手を取り去った。
その隙にリラは素早く立ち上がり、彼に背中を向けて扉へと歩き始めた。
無情にも立ち去ろうとする彼女を、エレンフリートは慌てて追いかけた。
「待って下さい! 足りないって……」
「カミールはちょうどSALEの日……お安くなっている日に取引したの。だから、あと5,000,000オルガ足りないよ」
リラが扉のドアノブに手をかけて振り返り、クスクス笑った。
「なっ! カミールだけズルくありませんか? 結局取引の魔女と言っても、リラの気分次第じゃないですか」
エレンフリートが詰め寄った。
やっとかき集めて用意した金額なのに、足りないと言われてしまった。
その苛立ちがつい顔を覗かせる。
「フフフッ。だって子供のころから私のために通ってくれてたのよ。彼なりに考えて用意出来るプレゼントを持って。ずっとカミールの優しさだと思ってたの。独りぼっちの私を憐んだ」
リラが幸せそうにニコニコ笑って続けた。
「そんな実直な態度をとられて、何も思わない人なんていないんじゃない?」
そう言い切ると、最後にニヤリと笑った。
エレンフリートが顔をしかめる。
リラがカミールと比較して、王子が嘘をついたことを非難しているからだ。
リラはそんなエレンフリートを一瞥すると、ひらりと身をひるがえして扉のわずかな隙間から外へと滑り出た。
パタンと扉が閉まる頃に、王子がやっと動く。
「リラッ!」
エレンフリートが慌てて廊下を出た時にはーー
魔女の姿は消えていた。
部屋を出たリラはすぐさま姿を消して、フヨフヨ浮いて移動していた。
何だか後ろの方が騒がしいけれど振り返りもせず、懐かしい廊下を通り抜けていく。
ここは、リラが当時住んでいた場所の近くだった。
薄っすら昔の面影がある廊下。
音もなく通り過ぎていくリラの頭の中に、ここでの思い出が蘇る。
すると行く先にある曲がり角から、記憶の中のジークベルトが現れた。
リラの脳内が作り出す亡霊は、彼女を見つけると嬉しそうに呼びかける。
『リア! 今日は何を調べているんだ?』
爽やかに笑う彼の横を、リラも笑みを返しながら通り過ぎた。
…………そう。
あの人は私を〝リア〟と呼んだの。
リラは先ほどのエレンフリートの様子を思い返していた。
本当にあの人の記憶があるなら……
私を〝リラ〟と呼ぶのはおかしいのよね。
そしてクスリとほほ笑む。
ちょうどその時、長い廊下から外へと向かう扉の前に到着した。
地面に降り立ち、その扉を静かに開ける。
空は薄暗くなっており、夜がもうすぐそこに来ていることを告げていた。
リラは懐かしい空間にお別れをするかのように、扉の方へと振り返り丁寧に閉めた。
…………
ちゃんと思い出になってる。
良かった。
リラはどうしてもジークベルトを思い起こしてしまうここに来ても、以前ほど心が痛まなくなっていた。
きっとそれは……
カミールのおかげ。
そんな感謝を込めながら、リラは彼の居場所を探った。
するとカミールは、先ほどの場所から移動していなかった。
リラはハッと思い出す。
「あ、そういえば教会で捕まっているんだった」
彼女は宙に浮かび、急いで教会へと向かおうとして……
「…………ちょっと疲れたから、さっきの転移魔法を改良して使っちゃおう」
そう思い直してUターンしたリラは、中庭に戻ることにした。




