52:君と……
深い深いカミールの意識の底で、リラの声がわずかに聞こえていた。
彼女の小さくてか細い声。
初めは途切れ途切れ聞こえるその声が、歌っているようにも聞こえた。
けれどよく耳を澄ますと、それが泣き声だということに気付く。
リラはクスンクスンと静かに泣いていた。
彼女は声を押し殺して泣くのがクセのようで、その様子は見る者の胸を余計に締め付ける。
……リラが泣いてる……
カミールは意識が戻ってきた。
鉛のように重い体は、背中側がベッドに沈み込んでいるのを感じた。
すると、ずっと続いている胸苦しさや頭の痛さが、改めて主張してくる。
痛みに耐えながら目を開けると、そこは自分の部屋のベッドだった。
窓から見える外は暗くなっており、部屋のランプが辺りを照らしている。
傍らにはリラが椅子に座っていて、カミールの横に突っ伏していた。
そんな彼女の頭を撫でて名前を呼んだ。
「……リラ」
ガバッと顔を上げたリラが、泣き濡れた瞳にカミールを映す。
「……ぅぅ。カミール……死なないで」
そして顔を歪めて泣き崩れた。
リラの手元には血で汚れたタオルがあった。
意識を失っていた間も吐血していたようで、カミールの口の中は鉄の味がした。
彼は手をゆっくり上げて、リラの涙を指で拭う。
大丈夫だからと気持ちを込めて、口の端を弱々しく上げた。
けれど苦しさに耐えられなくて、早々に目を閉じて手を下ろした。
パタリと力無くおちたカミールの手を、リラが呆然と見つめていた。
固まっていた表情が、切なげに眉をひそめて奥歯を噛みしめるものに変わる。
「……もう……もうやめよっか。聖石による影響が強すぎるから。このままじゃカミールが死んじゃう……」
なんとか絞り出した彼女の涙声が部屋に響く。
そしてカミールの耳から、聖石のイヤーカフを外した。
目を閉じたままのカミールは、イヤーカフを握ったリラの手を手探りで掴んだ。
「……取る……な……」
「……こんな小さな聖石で、こんなに影響が出るなら無理なんだよ」
リラはカミールに聖石を渡すまいと、更に手を握りしめた。
それでもカミールは諦めずに、彼女の手を掴み続けている。
リラは恋人のために意を決して告げた。
「どれだけ時間をかけても、カミールの体が私の次元に慣れることは出来ないの」
彼女の告白の後、部屋が静まり返った。
リラの小さなため息と共に、彼女の悲しげな声が続く。
「それでもいいよね。違う世界で生きて、今までみたいに会えれば……」
そこまで言うと、彼女はうつむいて瞬きをした。
綺麗な雫がポロポロと落ちていく。
カミールはゆっくり目を開けてリラを見つめた。
「……でもそれだと……俺は普通に寿命を迎えるんだろ? リラの時間で……2年もしないうちに」
「…………」
リラがそろそろと目線を上げて、カミールを見つめ返した。
「俺は……不老にはなっているけど……ただそれだけだから」
「…………」
リラは何も言わずにまた目を伏せた。
それが何よりの肯定だった。
「ゴホゴホッ!!」
カミールが横を向いて咳き込んだ。
口から飛び出た鮮血がシーツを赤く染める。
…………
彼は体が弱り切っていくのを感じていた。
命の燈が確実に消えていっている。
カミールはどうすればいいのか分かっていた。
ずっと分かっていた。
そして今がーー
その時だと。
カミールは力を振り絞って、リラの手からイヤーカフを奪い取った。
「!? 何するの!?」
不意をつかれたリラが、取り戻そうと必死に手を伸ばす。
けれどもう遅かった。
カミールは聖石をイヤーカフごと飲み込んだ。
「カミール!?」
リラが悲鳴をあげる。
「……リラの、真似……」
カミールがおどけて笑おうとした。
けれどすぐに苦痛で顔を歪めてしまう。
「っなんてことを!? 体内に無理矢理取り入れるなんて、死ぬのを早めるだけだよ!!」
リラが大泣きしながら怒りをあらわにした。
聞き分けの無い子供のように、わんわんと泣きじゃくる。
けれどカミールの次の言葉を聞いて、リラはピタリと泣くのをやめた。
「……リラ…………リラージュラフィーリア。〝誓約〟を結ぼうか……」
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カミールは7歳の時にリラと出会ってから、ずっと疑問に思っていることがあった。
〝どうしてリラが、聖石のそばにいる必要があるんだろう?〟と。
リラの住む世界には人がいなかった。
そのため、いくら聖石が暴走しようがこの世界内に影響が留まるなら、放っておいてもいいことになる。
だからリラがそばに居なくもいいはず。
〝……たとえリラが不老不死でも、俺たちと同じ時間を過ごした方が、人との繋がりが出来るのに〟
〝2年で知ってる人が総入れ替えするより、60年で入れ替わる方がいいんじゃ……?〟
〝けれど、大事な人を見送り続けた過去が辛くて、人と距離を置きたいのかな?〟
そう思った少年のカミールは、注意深く彼女を観察するようになった。
すると段々分かってきた。
リラは、自ら望んで聖石のそばにいる訳ではないことが。
じゃあそうなった理由は?
答えは女神ルゼワールの本の中にあった。
『ジークベルト国王は女神と誓約を交わす』
『その御身の命と引き換えに』
『女神はジークベルト国王の願いを叶え、世界の歪みを消滅させた』
……ジークベルト国王は、リラと〝誓約〟を交わしたんだ。
おそらく当時の2人はそんなつもりは無かった。
たまたま条件が揃ってしまった……
リラが以前にした発言もある。
『私に〝願い〟を叶えてもらおうとするなら、お金より大切なものを差し出さなきゃいけない』
リラと〝取引〟をする時は、彼女が差し出すメニュー表……彼女が提示したものから選ぶ。
けれど取引よりも上の存在である〝誓約〟
それは……命と引き換えに願いを叶えることが出来る。
リラが自分の過去の話をしてくれた時に、あきらかにカミールに詳しく話さなかったことがあった。
それは、ジークベルト国王が亡くなったその後。
『…………ジークベルトが亡くなって、ショックを受けてしまった私は……聖石と違う次元の世界へと渡ったの。もう誰も失いたくなかったから』
国王が亡くなる前は〝世界の果てに行く〟はずだった。
けれど違う次元の世界へと渡っている。
それほどの力が身についた出来事が、彼女に起こったのだ。
……そして、リラがこの話をカミールに伝えなかった理由……
リラと交わす〝誓約〟の内容は自由なのだ。
彼女はどんな内容でも抗えない。
リラはカミールのために秘密にしていたのだ。
いざという時に、命をかけてしまわないように……




