50:予感
いつもと変わらないのどかな朝。
家の外の喧騒が、ぐっすり眠っているカミールの耳にも届き始めた。
彼の瞼の裏では、窓から差し込む眩しい朝日を感じている。
そうやって徐々に覚醒していく意識の中、花の蜜のような甘ったるい香りが鼻をくすぐった。
この香りは…………
一気に意識が浮上したカミールが目をパチリと開けると、隣には香りの正体であるリラがいた。
前みたいに横向きになり丸まって、カミールにピッタリくっついている。
どうやらこっちに遊びに来たリラが、寝ているカミールの隣で一緒に眠ったらしい。
「…………」
カミールは明るい日差しの元、眠る彼女の様子を観察した。
穏やかに繰り返される呼吸。
綺麗な淡い紫色をしたその瞳は、ピッタリと閉じられて長いまつ毛が影を落としている。
スッとした鼻筋に小ぶりな唇。
愛らしい顔立ちの彼女の寝顔は、幼い少女のように見えた。
本当は寂しがり屋な部分をひた隠しにしているリラが、カミールの服をギュッと握っている。
そんないじらしい恋人に、カミールは愛情いっぱいの目を向けてほほ笑んだ。
朝からリラと一緒だなんて、幸せだな。
そう思いながら、彼女のあどけない寝顔に顔を近付けた時だったーー
「カミールー! 起きてるー? というか居るー?」
1階から母親の声が聞こえた。
ピタリと停止したカミールが目を見開くと、淡いグレー色の部屋着を着た、セクシーな下着姿のリラがよく見えた。
「わぁぁぁあ!!」
「…………んー?」
カミールの叫び声にリラが薄っすら目を開ける。
それと同時に階下からも声が聞こえた。
「カミール!? どうしたの!?」
母親の焦った声と、ドタドタと階段を駆け上がる音が……
「リラ! リラ! 早く起きろっ!! 姿を消す魔法を使ってくれっ!!」
カミールはリラの両肩を掴んで上半身を無理矢理起こすと、必死にゆすった。
「んー……分かったぁー」
リラが寝ぼけながらも何とか呪文を唱える。
母親が扉をバンッと力一杯開けた瞬間に、間一髪でリラの姿が消えた。
「カミール、大丈夫!?」
「え、いやー、なんか変な虫がいて、驚いただけだから……」
カミールは冷や汗をかきながらも、何とか誤魔化し切った。
ーーーーーー
母親が部屋を去った後、朝の支度を済ませたカミールは、家を出て街を歩いていた。
もちろん魔法ですぐに支度を終えたリラも一緒に。
けれど肝心の彼女の姿は見えなかった。
実は疲れやすいリラが、移動中は飛びたいからとずっと姿を消しているのだ。
「……リラ、近くにいる?」
「いるよー」
「遠くから見たら、俺は1人で喋ってる不審者なんだけど……」
「フフフッ」
ちょうどその時、前にも来たことがあるリアリーン教会の前を通った。
道路には豪華な馬車があり、待機している従者たちがチラホラ見える。
これは……王家の紋章?
カミールが王宮に通っていた時にも、よく目にした紋章だ。
……王族が何で教会に?
気になってつい立ち止まり、教会の建物を見つめる。
するとタイミングよく中から誰かが出てきた。
その人物は、第二王子のエレンフリートだった。
彼はカミールを見つけると、目を大きく開いたように見えたが、次の瞬間にはニッコリ笑って近付いてきた。
カミールは慌てて頭を下げた。
けれどこの前、女神ルゼワールを盾に大きく啖呵を切ったんだったと思い直して、顔を上げて王子を見据える。
エレンフリートはその目線を受け止めながら、カミールと対峙した。
「やぁ。久しいね。女神様は元気かな?」
王子がニコリと爽やかに笑う。
……その女神様であるリラは、姿を消して元気に近くで浮いているはずなんだけど。
カミールは苦笑しながら答えた。
「元気ですよ。俺はその女神様の恋人だから、毎日のように会ってますからね」
「ふーん。やはりこちらの世界に、自由に実存することが出来るようだね。彼女は」
エレンフリートが伏し目がちにニヤリと笑う。
「…………そう言えば、エレンフリート様は聖女リアリーン様も信仰しているのですか?」
カミールは教会の方に目を向けて尋ねた。
王族が信仰するのは、守護神である女神ルゼワールのはずだからだ。
「そうだね。聖女リアリーン様も素敵な女性だからね」
エレンフリートが何かを含んだように笑う。
そんな王子の態度に腹が立ったカミールは、煽ってみることにした。
「あれ? ルゼワール様にプロポーズまでしていたのに、堂々と浮気発言ですかー? それとも王族は一夫多妻制だからいいんですかー?」
「ムッ。浮気とは何だ。わたしは女神様に宣言したように、一生あの方だけを愛する。わたしの心はあの方を伴侶にすることを、もう決めているのだ」
エレンフリートがキリッとカッコよく決めて言い切った。
……まずい。
リラが昔好きだったジークベルト様に第二王子が似てるからって、今頃ポッと赤くなっていそうだ。
焦りを感じたカミールが、王子に向かって釘を刺す。
「でも、その女神様は俺の恋人ですよ。俺たちは相思相愛です。そこに割って入ってくるつもりですか?」
「…………フフフッ。女神様はいずれわたしの物だ。時が来たら返してもらう」
エレンフリートが一方的にそう言って話を切り上げた。
急いでいるのか、マントを翻してカミールに背を向けると足早に去っていく。
「そんな時は来ません。リラは……女神様は絶対渡さない!」
カミールは王子の背中に向かって宣言した。
エレンフリートが馬車に乗り込むと、カミールもゆっくり歩き出してその場を後にした。
しばらく経ちだいぶ教会から離れてから、近くにいるリラに話しかける。
「あいつ絶対何か企んでいるな。リラも気を付けろよ」
ーーけれど、返事がなかった。
「あれ? リラ? リラー??」
彼女はカミールの近くにいなかった。
もしかして、ずっといなかった?
王子に負けないように、頑張ってくっさいセリフ言ったのに…………
「リラー??」
カミールは1人で照れながらも、リラを探して彷徨い歩いた。




