19:人それぞれの理由
「ユリアが?」
カミールは息を呑んだ。
ユリアは穏やかで気の優しい、一緒にいるとゆったりした気持ちになれる女性だった。
そんな彼女が自殺を図るなんて……
「……ユリアは、数ヶ月前に事故で顔に火傷を負ってしまったんだ」
ハンスが悔しそうに目を伏せた。
降ろしている両手を思わず握りしめている。
「火傷……」
「それでこの世を儚んだユリアが、ナイフで胸を刺そうとして…………オレが慌てて止めたんだ」
「…………」
「ユリアの両親と話し合って、彼女が落ち着くまで可哀想だけど縄で縛っている……」
ハンスは言い終わると、ユリアの家のノッカーを鳴らした。
中からユリアの母親が出て来てくれて、カミール達を何も言わずに通してくれた。
疲弊して生気が無いユリアの母親は、見ているだけでも痛々しい。
「ついてきてくれ」
ハンスが家の中を足早に進んでいく。
カミールも急ぎ足でついていきながらも、前を行く友人の背中に話しかけた。
「……それで俺に火傷跡を消して欲しいんだな?」
「…………うん」
ピタッと歩みを止めたハンスが振り向き様に頷いた。
そしてカミールを真剣に見つめて続ける。
「カミールの魔法は特殊だから高いって聞いてる。だけどいくら高額だろうと頑張って払うから、ユリアにかけて欲しい」
「悪いんだけど…………」
カミールは気まずくて、言葉の途中で目を逸らした。
「断らないでくれよ。頼む」
ハンスがすぐさま縋るように言う。
少し泣きそうになっているのが、幼い頃からの友人だから手に取るように分かった。
「違う違う。もちろん魔法をかけるさ。けれど火傷跡にかけたことは無いから、上手くいくか分からないぞ」
「…………分かった」
ハンスがゆっくりと、だけれど力強く頷いた。
ユリアの部屋に入ると、ゆったりとした室内用のワンピースを着た彼女が、ベッドに仰向けで横たわっていた。
両方の手首を体の前で合わせるようにして縛られており、よく見ると足首も同じように拘束されている。
気の毒な状況のユリアは、カミール達に気付いてないのか、ただ天井をぼんやり見ているだけだった。
カミールがそばまで近寄ると、流石に気付いたユリアと目が合った。
けれど彼女は驚いた表情をした後に、すぐに顔を逸らす。
その目には涙が浮かんでいた。
顔を少し傾けたからか、涙が横に伝って一雫落ちる。
…………
その涙が伝った目尻の横に、オデコから頬にかけて広範囲の火傷跡があった。
よく見ると目の端も少し引き攣れている。
ハンスがユリアの傍らに立ち、彼女の頭を撫でた。
ユリアは拒否を示しているかのように、彼を見ることなく目を閉じてしまった。
そしてそのままユリアはか細い声を震わせた。
「……なんでカミールが来てるの? 私の醜い姿を見に来たの??」
普段の彼女なら言わない自嘲に、ハンスが表情を更に曇らせる。
「違うんだ……カミールは…………」
ハンスが言葉を詰まらせた。
カミールを連れてきた理由を伝えたいけれど、治せると断言できないからだった。
ユリアをぬか喜びさせるのではという罪悪感が、ハンスを悩ませる。
「その火傷を治しに来たんだ!」
代わりにカミールが叫んだ。
「…………冗談を言わないで」
ユリアが静かにカミールを睨みつける。
「ほんとほんと。あれ? 知らないのか? 俺がすっごい魔法を使えることを」
カミールはヘラヘラ笑いながらユリアに近付いた。
そして部屋にあった椅子を勝手に借りて、ユリアの顔の近くに置く。
「…………」
ユリアが鋭い眼差しに不信感も乗せてきた。
カミールは椅子にどさりと座り、彼女の態度なんか物ともせずにニヤッと口端を上げた。
「肌の黒い所が消せるんだぜ」
「……また、子供の時みたいに虚勢を張ってるんでしょ」
ユリアが鼻で笑って続けた。
「なんだったかしら?〝消える魔法〟を使えるようなるって言って……なれてないじゃない」
「ハハ。もうすぐそれは使えるようになるさ」
カミールが肩をすくめた。
そして子供の時みたいに得意げに言い切った。
「いつかきっと、ユリアにも必ず見せてやるよ!」
「…………っ!!」
ユリアが眉を下げて泣きそうな顔をした。
遠い未来の約束をすることで、カミールはユリアに死のうとするなと暗に伝えていた。
ユリアにもそれが感じ取れたのだった。
少しだけユリアの頑なな心が緩んだのを感じたカミールは、ニッと笑った。
「それでさ、火傷を消すにはそこにキスしなきゃいけないんだよなぁ。頬にキスしてもいい?」
「え? …………本当に消えるならいいけど」
ユリアが訝しそうにカミールを見た。
〝何でそんな魔法なの?〟とその目は聞いている。
幼い頃からの友人だから手に取るように分かった。
「……ノリで考えたらしいから……」
「??」
「ま、と言うことだから。……友達の彼女にキスするのって背徳感が半端ない」
「おい、カミール。ユリアに魔法をかける以外変なことするなよ」
隣で2人を見守るハンスが鋭い声をかけた。
「おー、こわっ」
カミールは軽い調子で笑いながらも、ユリアの火傷跡が治りますようにと祈りを込めて、頬に軽くキスをした。
ーーーーーー
ユリアの家の玄関をくぐり、外へ出たカミール。 そんな帰ろうとしているカミールに、ハンスが声をかけた。
「本当にありがとう」
カミールが振り向くと、そこには幸せそうに笑うハンスとユリアの姿があった。
ユリアの火傷跡はほぼ消すことが出来た。
目の端の引き攣りは少し残ってしまっているけれど、それでもユリアは大喜びしてくれた。
もう自殺を図る心配のない彼女は、縛られていた縄からも解放され、以前のようにニコニコと笑っている。
「フッフッフッ。俺がどれだけすごい魔術師か分かっただろ?」
カミールが得意げにニヤニヤ笑った。
「あはは。本当ね! カミールは実はすごいってよく分かったわ。ありがとう」
ユリアがクスクスと嬉しそうに頷いた。
そんな彼女に、カミールは真面目な表情に切り替えて伝える。
「……全部は綺麗に出来なかったけど……多分そのぐらいなら、あの教会で回復魔法をかけてもらったら治ると思うぞ」
ハンスが首をかしげた。
「あの教会?」
「そうそう、昔の聖女にあやかったあの……」
名前が出てこないカミールが首をひねって記憶をたどる。
するとユリアが助け舟を出した。
「リアリーン教会?」
「それだ! 魔法学校の友達がたまにボランティアでそこに行ってるはずなんだ。俺は回復魔法が苦手だから、そいつにかけてもらった方がいいぜ」
ユリアとハンスが頷くと、改めて感謝を示す。
「分かったわ。何かなら何までありがとう」
「料金は必ず払うから」
ーーーー
カミールはキョロキョロ辺りを見回した。
人が居ないことを確認すると、コソコソっと2人に伝える。
「火傷跡にも魔法が有効って試させてもらったから支払いはいいよ。あと友人割引な。けど無料でやったって噂になったら仕事に支障が出るから、絶対言わないでくれよなっ」
「「…………」」
ハンスとユリアが顔を見合わせた。
そして2人同時にカミールの方へと顔を向ける。
「分かったよ。絶対誰にも言わない」
「すごく得しちゃったね。カミールと友達で良かったわ。フフッ」
幼馴染たちはイタズラっぽく笑った。
「言っとくけど今回だけだぞ。次からはキッチリお金を貰うからな! ユリアはもうドジするなよ」
カミールはユリアをジト目で見た。
火傷を負った経緯を詳しく聞くと、料理中のユリアの不手際が原因のようだった。
自殺を考えるほどの怪我を負ってしまったため、本人を責めるようなことは言えない状況だったのだ。
傷が治るまでは。
「酷いわね。料理中の事故よ、事故!」
「本当か? ユリアは子供の時からドジッ子だったからなぁ〜」
「もうっ! そんな事ないんだから。ハンスも何か言い返してよ」
「…………今度から気をつけような」
「!?」
ユリアが目を丸くしてハンスを見つめて固まった。
けれど徐々に口角が上がっていき、相好を崩す。
カミールやハンスも、同じように可笑しくなって吹き出した。
「ククッ」
「フフフッ」
「「「あははははは!」」」
悩み事が綺麗に無くなって、屈託の無い笑顔を浮かべ合う3人。
その様子は、子供の時の彼らにそっくりだった。